のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

旅行記、其の弐

2014年08月26日 12時26分53秒 | Weblog
青森から帰ってきて。
まだ体重計に乗っていない。
ちと怖い。

お通夜、お葬式。
食事がたんと出る。
その他、高カロリーの食べ物飲み物がどんどん出てくる。
こういう席だから、強く断ることもできない。
結果、相当量食べた。
一昨日の夜帰ってきて。
昨日今日節制して。
よし、明日は体重計に乗るぞー。

叔父の葬送。
実は去年、私の従姉妹、つまり故人の娘が亡くなっていた。
さすがに言えなかったそうである。
年老いていろんな意味で弱っている人に。
「娘が亡くなりました」
とは言えなかった。
娘が来ないことにもさして疑問を持たない状態。
そう言えばご理解いただけるだろうか。

従姉妹たちと話しているとき。
「今ごろ叔父さんビックリしているだろうね」
となった。
そりゃそうだ。
天寿を全うして天国へ行ってみたら。
なんとそこに居るはずのない娘が先着して待っている。
ビックリもするわな。

お通夜の夜は斎場に泊まった。
凄い斎場で、控え室に泊まれる部屋、3ベットの部屋が2つ付いている。
まさにホテル並みという感じ。
これはとても助かった。
何せ父が「あれな感じ」ですからね。
足腰弱り、オシモが緩い認知症。
ホテルに移動というのも大変なこと。
ご厚意に甘えて斎場に泊まらせてもらった。

葬送に参列して。
一昨日も書いたことだけれど。
感じるところが変わってきた。
若い頃はどんなに親しい人が亡くなってもどこか人ごとだった。
うんと歳をとると人は亡くなるんだ、のような。
この歳になると変化が起きる。
自分の問題として考えるようになる。
母を看取って、五十歳になって。
死は身近なことになった。
いつ自分に起きても不思議がないこと。

自分の通夜葬儀を想像する。
親しかった人たちにそこにどんな思いで集まってもらいたいだろう。
そこに自分はいないのだけれど。
そこはまさに自分の人生、集大成の場所とも言えるわけで。
#終わりを思い描くことから始める
「7つの習慣」という本から得た発想。
自分の葬儀をイメージして。
なりたい自分の終いをイメージして。
そこから今の自分を始める、生きる。
とてもたいせつなことだと思います。