のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

スギちゃん大怪我、ワイルドと笑って済ませられないこと。

2012年09月01日 19時28分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#テレビ朝日は1日、同局のバラエティー番組の収録中に、お笑いタレントのスギちゃん=本名・杉山英司さん=(39)が、胸椎を骨折し、全治3カ月の重傷を負ったと発表した。(MSN産経ニュースより)

芸名に「ちゃん」が付くとややこしいな。
普通この手の「普通のニュース」には、
芸能人でも名前には「さん」を付けるのが基本。
でも「すぎちゃんさん」ってのも変だしな。
記者さんも悩んで「スギちゃん」にしたのだろう。

笑いはここまで。
以下は笑えない話。

結局、泣き寝入りなんだろうな。
これでスギちゃんが制作会社やテレビ局を訴えるとは思えない。
訴えて仕事がなくなったら。
それくらいの想像はするだろう。
つまりは泣き寝入りなのだ。
お笑い芸人にとっての武勇伝がひとつ増えるくらいの。

お笑い芸人。
ほんとに辛い立場。
すべてを笑いに昇華させなくてはならない。
プライベートも含む自らについても笑いにすることが求められる。

「ワイルドだぜぇ~」
のスギちゃんが実はワイルドではなく実に繊細。
見ていればわかることだ。

お笑いは私も好き。
政治家には馬鹿が多いが、お笑い芸人にほんとの馬鹿はいない。
人を笑わせる技術を追求する。
馬鹿に務まるわけがないのだ。

若手お笑い芸人の立場は弱い。
そのことを利用する。
度を過ぎた危険なことをやらせてその姿を喜んで見る。
実に悪趣味のように思えるのは私だけだろうか。

善人面ばかりもしていられない。
今回の事故のシーン。
スギちゃんが怪我をせず、結果オンエアされていたら、
私は喜んで笑っていたのかもしれない。
そう考えるとこれは理想論だけで語れる浅い問題ではない。

危険と笑いは紙一重。
人は危険をも笑いにしようとする。
解決策は遠回りだ。
「これは笑えない」と思ったら、
テレビを切る、あるいはチャンネルを替える。
見る人、需要がある限り、こういう危険な撮影はなくならない。
皆が見なければ、それが無理なら多くの人が見なくなれば、
需要と供給の関係で、こういうことはなくなるだろう。

お笑いに含まれる危険なことを全否定はしない。
規制ばかりではユーモアはつまらなくなる。
過度な危険、笑えないものだけ排除すればいい。
その選択は難しいだろう。
視聴者の判断も難しい。
でもさ。
何もしなかったらこのままなんだよ。
このままエスカレートすれば、
いつか取り返しの付かない、
たとえば貴重な人命が失われるような、
そんな事故が起きても不思議はない。

立場上、お笑い芸人からは声は上げられないのだろう。
裁判で賠償金を貰うこと、訴えて仕事がなくなること。
本来馬鹿じゃないお笑い芸人。
損得勘定は働くものだからね。

できれば「仕事がなくなる」よりも、
彼らには自分の身体を大事にして欲しい。
そして我々も優しい目を。
スギちゃん大怪我のニュースを聞き。
祈るような気持ち。

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