のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

母愛用の鏡台、人生における鏡の存在。はい、ブログを再開します!

2016年09月10日 17時43分54秒 | Weblog
人生いろいろ。
はい、そりゃ生きていればいろいろあります。
ここんところ、私の身の回りに起きた出来事。
いっぱいありすぎて、一回のブログ記事で書ききれるものではありません。
ぶつかるときには、こんなもんですな。

父を見送ったこと。
私自身のこと。
そして先日、母と父の骨箱が仲良く並んで収まった風景を見届けたこと。

引っくるめて貴重な経験でした。
(この私が)声を出して泣いたこともありました。
今、笑顔です。

学んだこと。
その中の一番。
鏡です。
人生における鏡の存在。

人の前には鏡がある。
自分の生き方、人生を映し出す鏡がある。
自分の言ったこと、やったこと。
都合の良いことも悪いことも全て跳ね返ってくるのだと。

そりゃ父は我が儘放題の人でした。
良くも悪くも社長さん体質。
自分のやりたいことだけをやる。
人の指図を極端に嫌う。
晩年を迎え、認知症が進み、それは顕著になった。

最終的に介護する立場として「たいへんなこと」になりましたけれど。
嫌なこと、辛いこと、まったくなかったと言えば大嘘になります。
なんたって私、凡人ですから。
大人のシモの世話、ウ○コが手や衣服、凄いときには顔に付いたりした。
そりゃずっと平静でなんかいられなかったです。

それでもね。
この介護をほっぽり出そうという考えだけは一度も浮かばなかった。
施設は利用しましたよ。
全部抱え込んだら、介護する方が潰れてしまいますから。
それでも基本は自宅だった。
夜は住み慣れた自宅の部屋の布団で過ごした。

まもなく自宅で母を看取ってから三年になる。
そして6月5日に父を見送って。
救急搬送された二日前まで、基本は自宅で過ごさせてあげて。
その前日まで晩酌を欠かさなかった。

父の前にも鏡があったのです。
我が儘放題、チョー自己中。
悪口を書けばそういうことになる。
それでも家族を、私をちゃんと愛してくれた。
心から家族に、両親に愛された記憶。
私とちゃんと向き合ってくれた母だから、父だから。
最終的に認知症がどうなろうが、見捨てられることはなかった。
そう、父の前にも、父の人生を映す鏡があった。
それが私の原動力になったのですよ。

はい、今日から長くお休みしていたブログを再開します。
こんな感じで書こうと思えばいくらでも書けますから。
今日はこれくらいにしておきます。

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