goo blog サービス終了のお知らせ 

のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

だらっとして、学んで、笑って、そして花が咲く人生に。

2016年04月10日 18時14分59秒 | Weblog
だらっとしてしまいました。
せっかくの日曜日。
いろいろとやりたいことはあったのにねえ。
だらっと過ごしてしまいました。
まあこんな日もあるでしょう。

ここしばらくの生活サイクルを考える。
父が一日中家にいる土日。
どう過ごすかは、今後の鍵になることでもある。
考えておかなければならないよね。

気を抜けない日と考えて緊張して。
結局何もできない週末にしてしまうのはつまらないもの。
確かに制約はある。
明るくなってから長時間の外出はできない。
実際今日も父は「しでかして」くれたわけですし。
完全に緊張を解けないというのは現実でもある。

でもさあ。
それでなんでも「できないできない」と決めつけて諦めで過ごす土日ってつまらないよねえ。
一日中、家に居られる日。
時間をかけてなにかに取り組める日。
父のお世話で中断はあっても、まとまってなにかをできる日。
そう考えれば悪い日と決めつけることもないでしょう。

さあ切り替えていきましょう。
明日からの過ごし方も肝になります。
レース当日まで一週間。
明日は個人的に楽しみにしていることも複数ありますので。

【今日の写真】
この花のように。
控えめに、でもちゃんと主張して。
「咲く人生」にしたいものです。

怒らない、少しの登り坂がありがたいと思えばいい。

2016年04月09日 09時33分24秒 | Weblog
頭にくることがあって。
頭にくる人がいて。
若かったよな俺。
三十年前を振り返ってそう思う。

私と同じく齢五十を過ぎても怒る人はいる。
それが「正当な怒り」ならば、そんな人の純粋を眩しく感じることもある。
けれど私は怒らない。
怒ることはなくなったなあ。
少なくとも目の前の人に声を荒らげることは皆無になった。

人生経験を積んできて。
人間ができあがったってことじゃない。
むしろその逆かな。
特殊な人生経験を積んできちゃったからさ。
ねじ曲がった、ひねくれちゃったのだよ。

どうやってもどうにもならない現実や理不尽。
普通の人よりは多く体験してきたように思う。
悪く言えば諦め、よく言えば開き直り。
ケセラセラってやつですかね。
なるようになる、なるようにしかならない。

これは諦めでも開き直りでもないのかもしれない。
歳を重ねての自然の成長なのかな。
病に感謝していますとか。
軽はずみには言えない。
現実に今、病に打ちのめされている人もいるわけで。
苦しみの真っ最中の人に「病に感謝」なんて言えるものじゃない。

それでも私の実感はね。
やっぱり「心の病の体験に感謝」なのですよ。
心の病に罹らなければね。
そもそも「感謝」という感情の神髄に触れることはできなかった。
「ありがとう」と言っても「ありがとう」の心を知らなかった。
それが若かりし私だった。
思い上がり、勘違い。
バッサリ切り捨ててしまえばそういうことだな。
それが私を心の病に導いたのかもしれないし。

心の病、精神病、統合失調症。
理不尽、差別、偏見。
いろいろありましたよ。
そりゃいやだったさ、悔しかったさ、情けなかったさ。
今思うとね。
別の視点が浮かび上がってくる。
理不尽、差別、偏見。
それがなくて今の私はあったのかなと。

私の通ってきた精神障害に限ったことじゃない。
もっと言えば「障害者」という狭いくくりで考えることでもない。
生まれた時点で生きる上での何らかの障害が存在した、人生の途中で障害を抱え込んだ。
そんな人で結果、世に出て名を成した人、結構多いですよね。
歴史上の人物、偉人、そういう人は少なくないです。

理不尽、差別、偏見。
それが偉人を生む。
たとえば「なにくそっ!」って反骨心。
同じ思いを人には絶対にさせるまいという優しさ。
厳しい道だからこそ勢いがついた。
平坦な道が開けていて。
力を入れずに普通に歩いていれば普通に進める。
少し力を出せば人より前に出られる。
難なくトップに立てたりもする。
その環境で猛ダッシュしなきゃなんて思いや必然性。
生まれづらくなるのじゃないかなあ。

スタートが下の方、目の前にはきつい登り坂。
何もしなければ落ちてしまう、何が何でも頑張らなくては前にすら進めない。
そうやって生きてきた人が登り坂を乗り越えて、平坦に近い場所に辿り着いたとき。
そりゃ凄いスピードを出せますよ。

私が偉人であるとか偉人になれるとか。
そんなことじゃない。
平坦な道や少しの登り坂。
それも恵まれているのだと思える今を迎えられたってこと。
言いたいのはつまりそういうことです。(^○^)

走れども走れども人生のゴールは見えず。(^^)

2016年04月08日 19時20分10秒 | Weblog
今朝、久々の遅い時間の朝ラン。
一般的な視点なら十分なくらい早すぎる時間なのですが。
走り始めたときに既に薄明るい、それは今の私の生活サイクルでは、日々走る時間としては「遅い」時間なのであります。

これはこれでいいものです。
視界が開ける中で走る。
朝日を見ながら走る。
爽快でないわけがないわけで・・・

これが続けられるかというと、それはまた別の話。
暗い時間に走るというのは、必要に迫られた「選択」でもある。
明るい時間帯に長時間、家に父をひとりにする。
リスクを伴うことでもあります。
いわゆる「徘徊」の危険ですね。
実際、ヒヤッとするような思いをした「前歴」がありますので、単なる杞憂ではありません。

秋以降、父が自分だけで自分の意思で家の外に出ることはなくなった。
それが寒がりである父によるものなのか、そういう「気持ち」あるいは、そうする「能力」がなくなったということなのか。
「寒い」をまだ頻繁に発する今の父を見て、今判断することはできません。

ひとりで外に出掛ける「意思」「能力」が衰えたということなら。
「見守り」悪い言い方をすれば「管理」する立場に立てば、楽になるということではあります。
同時に少し寂しい。
動かなくなる、動けなくなる。
それがどういう意味を持つのか。
高齢者、認知症、それらのキーワードで考えれば、そりゃ複雑な思いになります。

こういうことを深く考えすぎると、こっちのほうも疲弊してしまうので、この話はこれでお終い。

さて、今朝のラン。
大きめの意味のあることでした。
4月17日(日)
かすみがうらマラソン 兼 国際盲人マラソン
いよいよ迫ってきました。
体調不良で臨まざるを得ず、納得の走りができなかった横浜マラソンのリベンジ。
その意味があったのですが、今回も万全では望めそうにありません。
諸般の事情による練習、準備不足。
それはどうにも否定できないです。

今日は参加するか否か。
その決断を下す材料としての試走でもあったのです。
フルマラソンをなめちゃいけない。
それもちゃんとわかるようになった。
自分の問題で終わるならまだいいのだけれど。
自分の周囲、大会関係者、そういう人たちに迷惑をかける強行参加はできない。
その、ランナーとしての責任感、自覚もちゃんと実になりましたからね。
いい成長です。
これが一番の成長なのでしょうね。

今日は無理をしない。
練習不足、調整不足、本番九日前にしてそれは否めない。
焦って負荷のかかりすぎる練習をして怪我や故障、それが一番怖くてつまらないこと。
かといって、ここまで迫っているのだから、準備不足なりに走りきるための最低限の底上げ努力は必要。
そこら辺のバランスをうまく取る。
それで今朝は、10kmをゆっくりと。
この時期このペースで10kmを走って、余裕がまったくないのであれば、九日後の本番出走は断念したほうがいい。

結果、大丈夫でした。
参加の仮ゴーサインを出すことができます。
過去二回のフルマラソンとは違う走り方をします。
「遅すぎる」と負担を感じるくらいのペースで走り始める。
今回も後ろのスタートブロック、スタートの号砲からスタートラインをまたげるまでの、いわゆる「スタートロス」もそうとうなものだろう。
そのスタートロスを現場で確認、逆算して制限時間、途中関門に引っ掛からないペース。
少なくとも最初の10kmはそのペースを維持。
その先はもう今から考えても仕方のない予測不能の世界。

楽しく、笑顔で。
今回もモットーを印刷したTシャツで走る。

いつも笑顔と感謝を忘れずに

それだけは譲れない私のラン。
給水所のサポートスタッフ、ボランティアに立ち止まって「ありがとうございます」と笑顔で言えないようなレースなら、参加する資格も意味も無い。
それが私の走り。

あと九日。
様子を見て、あと二回、無理なら一回、過度な負荷のかからないペースで走っておく。
なんだかんだでワクワクだ。
素敵な人生。
幸せであります!(^_^)v

【今日の写真】
昨日撮った雨の日の公園です

やればできるんじゃん!

2016年04月07日 18時31分07秒 | Weblog
【今日の写真】
「猛ダッシュ」の途中、勝手にスマホの何かのアプリが起動して勝手にシャッターが切られていました。その映像。

昨日、ある事情があって「猛ダッシュ」いたしました。
まあ平たく言えば「道を急いだ」ってことですね。

自宅を出てから「ある場所」に着くまでの時間、最短時間記録を更新しました。
ああ、行こうと思えばこれくらいでも行けるのだなと。
もちろん最近の体力走力の向上が前提になっているのですが。
「感心もの」でありました。
ああ、俺やればできるんじゃん!と。

ただし調子に乗ってしょっちゅうやるものじゃないです。
危険の無い程度に急ぐ、周りには決して迷惑をかけない。
それくらいの自制心、配慮を持ったレベルでの「急ぎ」でしたけれど。
無茶の要素がまったく無かったとは言えませんので。
こういう「急ぎ」を普通にやるようになったら、人生において何らかのリスクを抱えることになる。
それもなんだかなあ、ですので。

昨日、(自分の)診察とかいろいろあった。
聞いた、話した、失言した、不運もあった、それもいろいろありました。
凹むことも多々あったけれど、今後の希望に繋がる要素もあった。
トータルで大きな失望は無かったし「まあよしとしよう」ってなとこ。

夜中、徘徊センサーは一回しか鳴らなかった。
これでもイケるんだな、父のオシモ。
その希望もあった。
それは良いことばかりじゃない。
夜中の「交換」が一回。
回数が減って。
「漏れるペース」は変わらないわけで。
結果、夜中一回と朝起きたときに、見る風景、発生する作業。
当然「濃密」になりました。

どっちを取るかって話になりますね。
起きる回数が多い上での「軽作業」か。
起きる回数は少ないが、いろんな意味での自分への「ダメージ」が大きい作業か。
「いいとこ取り」って都合の良い選択肢は無い。

同じような究極の選択がある。
父に好きなように食べてもらうか否か。
「量」を飲み食いしてもらうか。
そういうことです。
人間必然の法則。
「食べる量」と「下から出る量」は基本相関関係がある。
トイレでする「回数」「量」共に減った。
つまりは心置きなく食べてもらえば、「その手の」作業の回数や一回の作業密度もアップする。

それが嫌なら、避けたいなら「対処方法」は簡単。
食べてもらう量を減らせばいい。
それ自体は認知症を「うまく利用」してしまえば、さほど難しいことではない。
「食べる!」に対して「今食べたばっかりじゃん!」と返すことに心を痛める。
それさえ受け入れてしまえば・・・
父の心の痛みは最小限、血糖値管理の観点からも望ましいことではある。

そうやって、日常の負担、シモのお世話の負担が減って。
果たして父はそれで幸せかな。
そして私は幸せになれるだろうか。
否、ですよ。

笑顔が減る。
父の笑顔を見ることが減る。
食は人間の本能。
食べたいものを食べたとき。
そりゃ父は嬉しそうな表情になる。
笑顔になる。
父の笑顔を見る。
それは介護を続ける上での大きなモチベーションになるわけで。

作業負担が減って。
その結果、笑顔が減ったら。
父の笑顔、そして私の笑顔。
笑顔の減る生活、やっぱ悲しいと思うのです。

やることやその密度。
それらが増えたとしても、私は笑顔のある生活をしたい。
「色の白いは七難隠す」とよく言いますよね。
難⇒困難、そう置き換えれば、「笑顔は七難隠す」とも言えるんじゃないかな。

私は凄いことをやっているわけじゃない。
困難な道を進んでいるという自分に酔っているわけでもない。
少なくともそういう自覚でいます。
笑顔で生きたい、楽しく生きたい。
その方法論としての「割り切り」「打算」の介護とも言えるわけで。

楽しく生きたい。
それだけなんですね。
凡人です。
はい!

この空のように明るい未来を!

2016年04月06日 10時41分47秒 | Weblog
今日は複数回のお出かけ。
その一回。
私の精神科通院とデイケアの夕食会。

重要です。
薬を止めて二ヶ月。
これを乗り切れるか。
とても重要な時期なのです。

医師との対話。
言いたいことを言ってもらう。
こちらも言いたいことを言わせてもらう。
スタッフとも同様。
言うべきことを言い合って。
その先にある未来がどんなものであったとしても。
決定的な後悔にはならないであろう。

歩いていく。
しっかりと、歩いていく。
どんな未来でも受け入れられるように。
ちゃんと生きていく。(^^)

【今日の写真】
何よりこの天気が嬉しい。
久々の青空。
干すものも干せる。
今日は実際干してあるものとか無粋な写真は抜きで。
この空のように明るい未来、信じて進みます!

この笑顔の記憶がある限り、私は根本は間違えない気がする。

2016年04月05日 19時10分05秒 | Weblog
普段から
「超長生きを目指す」
「百歳超え」
のような大きいことを言っているわけですが。
目指すこと、強い希望とは別にね。
それが簡単じゃないことはよくわかっている。

五十を超えてしまいますとね。
逆のことも悟らざるを得ないわけですよ。
「フッといなくなる知り合い」
も決して珍しいことではなくなる。
「命儚し」
は現実のものとして迫ってくる。

いつも笑顔でとか健康感とか大きなことを言っていても。
自分だってその例外ではないわけで。
今健康だろうが何だろうがお構いなしに毎年やってくる自治体からの健康診断やガン検診の案内。
ああ、そういう歳なのだなと。

これで諦めるとか老け込むってことじゃなくて。
けれど、先の大きな夢ばかりは語っていられないこともわかってくる。
若い頃には決してなかった感覚。
目の前のこと、一日一日をたいせつにしよう。
それは常に考えて生きるようになった。

やりたいことを先延ばしにしない。
やりたいことをやらなかった後悔。
「もしものとき」は、それがどーんとのしかかってくるわけで。
今健康を実感していることと、それがずっと続く保証は、別ものなのだ。

今日、ぶっ倒れて病院に担ぎ込まれて、末期のなんとかです、余命かれこれです。
言われる可能性だってゼロじゃない。
年齢や健康状態のレベルは違うから同列には論じられないけれど。
母のときだってあと二カ月って宣告は「突然」でしたからね。

「遺伝子」という「現実」ものしかかる。
遺伝的に一回はガンになる可能性が高い。
母を含め、それで逝ってしまった「例」も多々ある。
それを乗り越えればそこそこ長生きするという「希望の現実」もあるけれど。
「都合の悪い方の可能性」を「都合よく考えない」脳天気な思考回路は持ち合わせていない。

だからやりたいことをやる。
やりたいことを先延ばしにしない。
なりたい自分になる。
#いつも笑顔と感謝を忘れずに
はそれで辿り着いた世界でもあったわけです。

いつもニコニコ。
それを良い方に捉えてくれる人ばかりじゃない。
それは人によっては警戒感を生む。
若い頃はそれを怖れていたな。
嫌われたくない、誤解されたくない。
無意識に笑顔をセーブしていた。
若い頃ならではの「格好つけたい」「モテたい」ってのもあって「へらへら笑ってばかりじゃダメだ」ってのもあっただろうな。

そういうのは一巡しちゃったよ。
今はもう無理をしたくない。
生きたいように生きたい。
誤解されること、誤解されることにビクビクして生きること、それで自分が生きたいように生きられないこと。
すげーつまんないことだなって。
やりたいことをやらないで、なりたい自分にならなくて。
それで「もしものとき」に抱え込む大きな後悔。
それにくらべたら、人に誤解される、そしてそれで生ずる「具体的困難や実害」なんて「ちっちゃいこと」だな、と。

【今日の写真】
もう二年半前にもなる。
母が太陽になった日の17日前、母が私にだけ見せてくれた顔。
住み慣れた自宅で看取るという決断。
主に介護を担った私にだけ見せてくれた笑顔。
知らない人には笑顔に見えないかもしれないけれど。
私にはわかる。私にだけ見せてくれた優しい母としての笑顔。

介護は楽なことばかりじゃない。
ってか、父の介護では楽なことの方が圧倒的に少ないのだけれど。
ちゃんと介護に、向き合ったからこそ得られること。
あの母の笑顔、私にだけ見せてくれた笑顔。
「ありがとう」と言えなくても「ありがとう」を言っている表情。
笑顔もありがとうもなくなっても、傍にいたからこそ感じることができた、愛する人の、表情、優しさ、強さ、気高さ、弱さ、生き様。
そういうものもあるって知っている。

何だかんだ愚痴りながら、へらへら笑って笑顔と感謝で介護を続けられる。
そういうことなのだろうな。
私は偉いわけでも何でもない。
目の前にそういう「美味しい餌をぶら下げられた」その餌が欲しいだけの「弱くて現金な人間」ってことでしょうね。(o^^o)

こんなときこそ、ありがとうと笑って生きる。

2016年04月04日 15時50分44秒 | Weblog
ここのところ、いろんなことがあってね。
考えなきゃならないこと。
考えても仕方のないこと。
引っくるめて、いろいろあるわけですわ。

ここ数日のうちに何らかの結論は出ると思われる。
じたばたしても仕方がない。
人生そんな時期、そんなこともありますからね。
花でも愛でながら心穏やかに過ごすことにします。

って・・・
穏やかに過ごさせてくれない人がもうすぐデイサービスから帰ってくる。(苦笑)
まあいい。
人生いろいろ・・・
笑って生きましょ!(^^)/

ちょっとヤバめのイーシャンテン?!

2016年04月03日 19時30分13秒 | Weblog
いや、麻雀は詳しくないです。
ひとりでは打てません。
でもこれくらいの基本用語は知っていますから。

【今日の写真】
我が家のお風呂場は初公開かな?
乾燥機フル回転でこの風景。
シーツ二枚をご確認いただけるかな?
一枚目を干し始めて二時間でこうですから。

父の防水シーツは乾くのにとても時間がかかる。
四枚で廻している。
この周期でいくと・・・最悪の場合・・・
そりゃどうしても考えてしまいます。

で・・・
何とかなりました。
先のことはわからないけれど。
差し迫った危機が去ってホッとしています。

--------

さてさて愛機のトラブルの件ですが。
どうも調子がよろしくないということで、Windows10の再クリーンインストール。
いろいろやってみたのですがね。
どうしても改善しない。
どうしても「突然落ちる」という症状が消えてくれない。

落ちるんだから、OSの電源管理を甘くするとか。
やっぱ最近悪評のflashが関わっているのかなとか。
それに関連してWebブラウザは火狐くんと手を切ったほうがいいのかなとか。
ひとつずつアプリの挙動を確かめるとか。
考えつく限りでありとあらゆることをやってみたけれど。
愛機はどうしても機嫌を直してくれない。

ハード故障でないことだけは明らかだったので、本体買い換えは考えなくていいのは気が楽でありましたが。
これでも素人じゃない自覚はありますから自力で解決しました。
最終的にすげー面倒臭い話になりました。

イベントビューアーのログチェック
コマンドプロンプトも管理者で開かなきゃダメ
レジストリエディター
アクセス許可をフルコントロールに
コンポーネントサービス
DCOMの構成
起動とアクティブ化のアクセス許可

解決に至る道のりで出てきたこれらのキーワード。
ここをご覧で、全部ぱっとわかって、すぐについてこられる方はどれだけいらっしゃるでしょうか?(苦笑)

特別じゃないこと、日々の普通の挨拶こそが人の癒やしになる。

2016年04月02日 17時35分31秒 | Weblog
挨拶が癒やす。
挨拶が私を癒やしている。

簡単なことに気付いた。

まあそれなりに凹むことも多い日々でありますが。
最近一番ホッとするのってね。
特別じゃないのです。
ふとしたこと。
その筆頭が何でもない普通の挨拶なのだと。

父の介護。
父が挨拶を完全に忘れてしまうとき。
やってくることも想像しなくちゃね。
私が「おはよう!」って言っても百パーセント無視される。あるいは挨拶をする「機能」「能力」そのものが失われる。
今は考えなくていいそんな世界。
できれば見たくない風景、やって愉快にはなれない作業、さまざまな理不尽。
いろいろある日常ではあるけれど。
きちんと挨拶をすれば今の父なら、特別不機嫌でもない限りかなりの高確率でちゃんと挨拶がかえってくる。
それはとても救いになっているわけで。
父が挨拶を完全に忘れる。
そうなったとき、私の介護に向かうモチベーションがどうなるか。
私は凄い人間ではないからさ。
正直なところ自信はない。

今をたいせつにしよう。
そういうことだね。
そういう気持ち、そういう姿勢。
そんな自分をたいせつにしよう。
それは父にも伝わるはずだから。
それが、そんな生き方が。
「今は考えたくない不都合な未来」を迎えたときの私の救いにもなると信じたいな。

もうすぐ夕食、その後父はいつものように夜の睡眠に入るだろう。
「いただきます」「ずいぶん日が長くなったねえ」「おいしいね」「ごちそうさま」「おやすみなさい」
それを欠かさない。
普通に言う、普通に言える日常。
たいせつにしたいです。

走った走った楽しいぞー!あ、4月1日だけれど嘘じゃないですよー!(笑)

2016年04月01日 08時58分57秒 | Weblog
今朝、久々に走りました。
4月17日(日) かすみがうらマラソン 兼 国際盲人マラソンかすみがうら大会
いろんな意味で人生におけるたいせつな時期
決して無理無茶はしませんけれどね。
出られるものなら出たい。
それが正直なところ。

フルマラソンをなめちゃいけない。
肌でわかった二回の参加経験。
楽しさと共に厳しさも知った。
今回の参加、完走について甘い見通しは持っていません。

走り続けて得たこと。
自分の実力、それもわかった。
思い上がりも謙遜もない世界。

本番16日前。
調整にはギリギリのタイミング。
それでもやってみる価値はある。
そして今朝走りました。

久々のラン。
再開初日。
慎重に、慎重に、欲張らない、距離もペースも。
距離もペースも何も決めずに走り出す。
心と身体の声を聞きながら臨機応変に。
それだけを心がけた。

結果。
そこそこ走れて安心しました。
半月以上のブランク、まったく走らない日々。
最低限のメンテナンス、ストレッチや栄養補給などの健康管理は欠かさなかった。
今までの積み重ねは伊達じゃなかったってこと。

残された時間は少ないけれど。
やれるだけのことはやります。
どんな形であれ、参加することで「人に迷惑をかける」可能性がある状態と判断したら「名誉ある撤退」だ。
その大前提を踏まえてやるべきことをやる。
「撤退」を決断するまでは「Go!」を前提に行きますよ。
何もせずに最初から諦めたくはないから。

ハイ、楽しくね。
楽しく走る、楽しく生きる。
それが私のラン、私の人生なのです。(o^^o)

【今日の写真】

走り終えて。
自分で言うのもなんだけれど、充実の表情。
20160401久々のラン。月をバックに。

走り終えて空が明るい。
久々の感覚。
月が見えていました。
20160401久々のラン。夏みかんと月。

お疲れ様の脚。
さあ、今日も一日頑張るぞー!
20160401久々のラン。お疲れ様の脚。

部屋の乱れは心の乱れ。そして片付け。気付けたことに感謝する。

2016年03月31日 18時09分59秒 | Weblog
最近ね。
逃げることが多かった。
ちゃんとやっている、その自覚はある。
そして避けられない日々が毎日やってくる。
知らず知らずにどこかに逃げたくなっていたのだろう。

長時間のネットサーフィン。
暇を見つけて横になって眼を瞑る。
妄想の世界に逃げ込む。
今、貴重なはずの空き時間を実にもったいないことに使っていた。

無駄を全否定はしないよ。
「必要な無駄」はある。
心の病の状態が酷かった頃。
傍から見れば私の日常の過ごし方は無駄そのものだったのだろう。

それは無駄じゃなかった。
その無為に過ぎたように思える長い年月。
自責、苦しみ、考え込んだ日々。
それがあったから今の自分があるのだ。

必要な無駄、その意味で「有益に無駄な時間を過ごす」というのも「あり」であることを知っている。
そんな私の人生だったから。
ここ一週間くらいの過ごし方。
それとはちょっと違ったかな。
反省。
「必要な無駄」ではなかった。

現実逃避。
それだけだったな。
強い人間ではないからさ。
百歩譲ってそれはありとしよう。
でもね、それだけになっちゃった。
必要なこと、やらなきゃいけない時間まで潰していたんだ。

生活上、やらなきゃいけないことをやらなかった。
その影響。
筆頭が散らかった自分の部屋。

気付いたきっかけはね。
今日廻ってきた灯油の移動販売のお兄さんの言動。
今シーズンの基本は今日が最後とのこと。
いつもと同じ、笑顔、誠実な行動。

ハッとした。
あ、俺何やっていたんだろう?
いつもと同じこと。
日々やるべきこと。
できればやりたくないようなことではない。
普通にやればいいこと。
そこからも逃げ出していた自分。

そこから逃げていたら・・・
何もできないよね。
大きなことを言う前に、大きな夢を語る前に。
今日やるべきことをしっかりやらなくちゃね。
時の流れは順番こ。
今日があって明日があって明後日がある。
今日の現実から目をそらし、明日やるべきことをやらず、明後日の大きな夢を語るのはムシが良すぎるというものだ。

気付いたからには、やらなくちゃね。
さっそく部屋の片付け。
【今日の写真】
そして自分の部屋はこうなりました。
これが普通です。
あるべき姿です。
去年抜本的片付けで徹底的にものを減らし。
それからキープしていた、あるべき部屋の姿。
うん、始めよう。
ここから始めよう!(o^^o)

主(あるじ)を待つ布団。さあ今夜はどうなるでしょうか?

2016年03月30日 15時43分45秒 | Weblog
最近、父の波が激しいです。
調子の波、夜を中心とするシモのお話。

24時間でシーツ交換四回。
そんな新記録を作ったと思えば、昨日の朝を最後に今に至るまでシーツ交換無し。
嵐の前の何とか・・・かな?

着るもの選びも難しくなってきた。
季節の変わり目。
気温の変動が激しいから。
着替えのたびに天気予報とにらめっこですよ。
暖房を入れるか入れないか、入れるなら設定温度はどうするか、そして加湿器はどうするか。

チョイスを誤ると、結果は正直です。
暑いと感じたら素っ裸になったりする。
少しでも寒さを感じたら、時間構わず大声で私を呼び続ける。
徘徊センサーが鳴るよりもビビりますねえ。

昨日夕方の入浴後の着替えはちょっとした春バージョンへ。
肌着は半袖とステテコになった。
極端な寒がりなので躊躇はしたが、暖房オフで寝た。
問題なしでホッとしました。

昨夜から今朝にかけて。
シーツはおろかズボンも一回も濡らさない。
ほぼ同じ周期で自発的にトイレに起きる。
どこも汚さない。
「途中経路」で・・・ということもない。
この当たり前のことが、物凄くラッキーに思える。
いやはや・・・

昨日から機嫌もすこぶる良い。
昨日デイサービスから帰ってきたとき。
歌っている、歌いながら車から降りてきた。
そのまましばらく歌い続ける。
お風呂の中でも大声で続ける。
「男女の営み」に関する「超リアルな歌詞」には苦笑いでしたが。
できれば女性の居る場所では勘弁して欲しいなあ、てな内容。
我が家の女子は仏壇の母のみだから今のところ問題なし。
まあ天国の母も呆れているでしょうけれどね。(^^;)

機嫌が良いのはとてもありがたい。
私もとても楽です。
「うっ・・・これは地雷を踏んだか?」
ってなとき、普段なら間違いなく大爆発であろう。
それでもニコニコ。

この平和は長く続かないでしょう。
波がある。
認知症、シモ、体調。
波がある。
それは心得ていますから。
このままずっと上機嫌。
そんな楽観はできるものじゃないです。

バイオリズム?
まあ、いっか!
おっかなびっくりデイサービス帰りを待つ今。
しばしの平静。
さあ今夜はどうなるでしょうか?(o^^o)

うまくいかないかもしれないけれど。それでも走り続けます。(o^^o)

2016年03月29日 18時44分36秒 | Weblog
うまくいかないことがある。
順調だと思っていたこと。
順調すぎると思っていたこと。
落とし穴はそこに待っている。

私自身のことだ。
自分の健康に関しては最近おおむね順調だった。
思い上がってはいけないよね。

順調と思っているのは錯覚で。
実はヤバい道を突き進んでいる真っ最中。
その可能性はそうとうに大きいのだ。

主に心の病のことです。
薬を止められた。
三十年以上続けた薬を完全に止めることができた。
それはとても嬉しいことだったわけで。
はい、そりゃ嬉しいですよ。
なかなか実感としてわかっていただけないかとは思いますが。
精神病院に入院するところまでいった。
いわゆる「閉鎖病棟」にも入った。
三十年も前のことだけれど。
このトラウマは一生消えることがないだろう。
その象徴だった薬を止めることができた。
喜ぶなというのは無理というものだ。

減薬ステップ、そして止めた今。
経過は順調である。
が・・・
そう考えているのは、私だけのようで。
少なくとも医療関係者にとっては「そうとうよろしくない状態」に私は見えるようなのだ。
体重減少、妙なハイテンション。
止薬失敗、まずい方向へ落ちていく典型的なパターンということ。

薬を徐々に減らす、そしてやがて止める。
その相談を主治医の先生にしたときに真っ先に言われたのは「家族のこと」であった。
相談できる家族は居るか?
この方針で進んでいくなら、最悪再度入院のレベルに逆戻り。
そういうリスクを抱えたことをしていくということ。
それでもお願いしますと私は言って。
減薬ステップは始まった。

今の私の心の中。
妙に穏やかである。
ニコニコしている、以前にも増して笑顔の時間が、ってこと。
周囲、特に病院関係者、そういう人たちの「ヤバいんじゃないか?」という視線も冷静に感じることができる。
うん、今のこの好調は確かに勘違いなのかもしれない。
専門家の目が正しいことの方が物事多いものだ。
自分の感覚が間違いのことがある、図らずもそれを経験してきた人生でもあったのだから。
でも、こういう道を選んだのだものなあ。
止薬の失敗例として、後に続こうとする人にデータを残せればまあ良いかな。
天秤にかければ、最悪精神病院に逆戻りのリスクがあったとしても、薬から卒業しようというのは、やる価値のあるチャレンジだ。
ずっと一生、薬に依存で、なにかことを起こそうとしても、最後には自分でブレーキをかけて今ひとつ踏み出せない。
なんだかんだでビクビクしている、いつもなにかに怯えている、そんな人生がずっと続く。
それはやっぱり嫌だものなあ。
引っくるめて、もしものときに父のお世話をどうするかの算段は建てておかないとな。

なんかこれくらいの冷静が、はははと常におちゃらけているときでも心の片隅にちゃんと存在している。
そしてそうはならないだろうという根拠のない自信もしっかりしている。
見た目や数値やデータから導き出される健康状態。
もちろんそれも大事なのだろうけれど。
真の健康状態って、自分の「健康感」なのじゃないだろうかと。
心健やか、身体は軽い、信じられないくらいのスピードで快調に走れる。
それが健康ってヤツの正体なのじゃないかと。

うん、笑って生きていこう。
これからも、笑顔と感謝で生きていこう。
この感覚、自分のモットーがしっかりしている限り自分は大丈夫だ。
それは信じられるんだ。
逆に考えれば、こんな自分が信じられなくなったとき、私は再度の「軽い破滅」に向かうのかな。
もしそうなったとしても、二十歳のときのようなことにはならない。
再び精神病院へゴー。
それを完全な不幸だとは思わない。

長くなりました。
つまりは今、希望がある、希望に溢れている。
「健康感」がある、しっかりしている。
意地悪な運命よ、来るなら来い!
私は笑って立ち向かってみせるよ!

【今日の写真】
こんな今日の決意にふさわしい。
横浜マラソンの写真です。
苦しそうですか?
でも心の中は満面の笑顔なのです。
最高の笑顔、最高の走りだったのでありました。

カーリングと父の素っ○○○と

2016年03月28日 20時16分00秒 | Weblog
カーリング女子世界選手権決勝。
藤澤五月選手のラストストーン。
非情な結果が出たとき、観ているこちらも涙が出てきた。

時間は少しさかのぼる。

今朝、朝6時からの生中継。
こちらの体制は万全。
それまでにやることは全部済ませておいた。
今日は父の通院日、その準備。
朝食の準備も全部やっつけた。
洗濯は言うに及ばず。

そして6時。
予定通りの行動を始めた。
絶対に見逃せない生で観たいテレビ。
矛盾するようだが生で観てはいけないのである。
途中に絶対「中断」が入る。
いやテレビ局側じゃなくて私の生活のほうにね。
父にかかわること、いろいろ。
起きたタイミングでの食事もある。
シモのお世話。
まあいろいろです。

だからこういうとき。
必ず録画、そして生放送開始5秒後にタイムシフト再生開始。
私の都合での中断のたびに再生を止めて用事を片づける。
中断はいろいろありましたけれど。
ちゃんと最後まで観ることができました。
エセ生観戦ですかね。

10時過ぎ、デイサービスの迎えの車が来る。
通院のサポートもしてくれるのがありがたい。
月に一回、糖尿内科と泌尿器科の病院もうで。
徒歩と電車での通院はもう考えられない。
タクシー代も馬鹿にならない。

通院が終わり。
私は途中で車をおろしてもらう。
父はそのままデイサービスへ。
私は処方箋をもって薬局へ、そして買い物。
帰宅、入浴。
父がデイサービスから帰ってくる時間まで余裕は20分もなかった。

父帰宅。
デイサービスで入浴してきたとのこと。
今日は無理して帰宅後お風呂に誘導することもない。
ソファーに横になった。
しばらくして、起きた。
さあ、少し早いけれど次はいつになるかわからない。
これを機に夕食誘導でもしますか。
無事に台所へ誘導。

と・・・
今日も新たなイレギュラー対応が待っていました。
父が服を脱ぎ始める。
「暑い!」と。
ストーブを点けていたわけでもない、特に厚着していたわけでもない。
それなのに、どんどん脱ぎ始める。止まらない。
こんなとき、何を言ってもどうにも止められないのが今の父。

脱いで「状態」は極限まで行った。
今日の写真をこちらにしようにも、Webでの公開には耐えられない映像になる。
この表現でご理解いただきたい。
「寒いと思うけれど」
でどうにもならなければ、実際に寒くなっていただくしかない。

そしてしばらくして案の定。
「寒い!」
とキレて怒り出す。
怒鳴られながら服を着てもらうサポート。
この手の理不尽にいちいち凹んでいたら、身がいくらあっても足りません。
慣れましたよん!!(苦笑)

だから今日のタイトルはこうなりました。
同列に並べるのはどうかと思いますけれど。
感動して、そして理不尽で終わった一日。
こんな日々です。
はーい~~気張らずのんびり続けまーす!(^^)/

今日もクリーンインストール

2016年03月27日 19時09分07秒 | Weblog
昨日もやったのですが。
どうもよろしくない。
やり直しです。
愛機の調子が悪くWindows10入れ直し。
まあこういうの、好きですからいいんですがね。
たいせつな土日がほぼこれでつぶれてしまったのは痛い。
ぐじぐじいっても仕方ないですね。
明日から切り替えて、いい一週間にしまーす!

写真、同じに見えるでしょ、昨日のと。
違うんだなあ。
やったことは同じですけれど。
細かな違いに気づいたあなたはえらい!