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のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

ありがとうございました、基礎英語1。よろしくお願いします、基礎英語2。

2016年03月25日 18時43分24秒 | Weblog
基礎英語1、終了。
NHKラジオ語学講座。
今年度の基礎英語1、実質今日が最終回。
来週は今週の再放送、金曜日に最後のメッセージはあるとのことだが、教わるのは今日が最後ということ。

二年続けた。
新年度は新しいステップに進もうと準備している。
去年の今ごろは「うーん・・・」とビビった基礎英語2、4月号テキストの内容。
今は普通に「これならイケる!」という目で眺められる。

英語を学ぶ、学びなおす。
動機は2020年、東京オリンピック。
せっかくなら参加しよう、ボランティアとして参加しよう。
学生時代は大の苦手だった英語。
初めて興味を持って楽しく学べています。

学ぶのが楽しい。
とても幸せなこと。
これからもいろんなこと。
チャレンジ、学び続けたいです。
そんな人生にしたい、するのです。

I'm learning English now. I'm so happy!

始まりはブルースクリーン。いやロマンチックな話じゃないっす。

2016年03月24日 18時43分57秒 | Weblog
今朝、起きた。
久々に目覚ましをかけて。
しっかり起きられて、ヨッシャ走るぞ!
日々のラン再開だ。
次の大会に向けて、自分で納得できる準備をしていこう。

と、ここまではよかった。
後回しにできないメール返信が一件あった。
可能なときはパソコンで打つ。
スマホの文字入力はどうしても苦手意識が抜けないから。
家に居るときは、基本はメールを書くのはパソコンでになる。

走る前に片付けよう。
パソコンの電源を入れた。
と・・・・・
起動せず・・・・
いわゆるブルースクリーン。
見たことのないエラーメッセージ。

素人ではないという自覚のある人間として普通に考えつくことはやった。
状況は変わらない。
これでもパソコンサポート職、インストラクター、経てきているからさ。
このヤバい現実を放置して走りには行けないよ。

何だかんだ、あれやこれや、そして・・・
お昼過ぎにやっと復旧。
始めの一時間でハード障害でないという切り分けはできた。
まずはデータキープ。
可能な限りそれをやってからの復旧作業。
OSリカバリー、最終手段はそこになるけれど。
できれば避けたいものねえ。

復旧はした。
今もちゃんと動いている。
それは今後の安定動作の保証にはならない。
よくわかっていますから。
「破滅」の前に、先手を打って、OSクリーンインストールしなくちゃ。

もともとWindows10は8.1からのアップグレードだから不安があった。
今のうちにクリーンインストールをやっておいて損はない。
先延ばしにもできない。
いつかやろう、では結局やらなくなる。
そんな自分の自覚があるから。

まあ、無事でよかった。
こういうこともある。
順調なときほど気をつけろ。
また教訓でありました。

そろそろ走り始めますか!

2016年03月23日 11時19分02秒 | Weblog
さあ、そろそろ日々のランを再開しますか!
横浜マラソン完走から十日。
自覚できるダメージの回復からさらに余裕を持った。
もう大丈夫だろうという判断。

お腹の状態は相変わらずイマイチ。
それは走ったダメージのせいじゃないとわかってきた。
十日続くのだから風邪でもないだろう。
花粉ですね。
お腹の状態が悪くなる花粉症の現れ方もある。
口から繋がっているのは呼吸器も消化器も同じこと。
口の中についてそれを飲み込めば胃にいく。
頭で理解できる理屈だ。

最終的な判断決断の基準にするために「切り分け」はやりました。
昨日一昨日、過ごし方を変えてみた。
可能な限り花粉を浴びない。
晴れていても洗濯物は外に干さない。
可能な限り外出は控える。

それでもまったく家から出ないわけにはいかない。
外出は効率的短時間に、早足で屋外にいる時間を短く。
それでもマスクはしない。
生き方ポリシーに反するから。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。
笑っているというのに口元を隠す。
なんか違うから。
そのマイナスポイントをフォローするためにも外出は効率的に短時間で。

外から帰ったら、衣類から花粉を払い落とす。
長めの外出はできるだけまとめてやって、昨日はその直後に入浴。
全部着替えてリセット。
一番過ごす時間の長い自室の空気清浄機は花粉モードというのにしてみる。

逆にその他の生活は元に戻す。
だらだらしない。
疲れてもいない、眠くもないのに「休めなくちゃ」と横にならない。
食生活も普通に戻す。
コーヒーも飲む。
心のリラックスには重要だから。

そんなことをしてみた。
結果、お腹の状態症状が完治することはなかった。
けれど劇的に改善した。
二日でそういう成果が現れたのだ。
生活態度、習慣を変えるだけでそうなった。

風邪でもマラソンのダメージでもない。
筋肉痛の類はまったくない。
身体はバリバリ走りたがっている。
その意味で無理を続けるのはよくない。

今日も同じ過ごし方をして問題がなければ明日から走り始めるとしますか!

【今日の写真】
今日は去年十月の初フルマラソン完走Tシャツ。
こうやって気合いを入れていきます。
モチベーションを高めていきます。

そして・・・
世界各地で続発する悲しいニュース。
けれど。
少し割り切れるようになりました。
心から祈る、そして良い人ぶらない。
今の自分の直接の行動ではどうにもならないことはある。
その自分が今「間違った世界を変えてやる」とか大きなことを言うのは不誠実というもの。
今自分は今の自分にできることをやる、やるべきことをやる。
目の前にあることと誠実に向き合って行動する。
それもできない人間が、将来何か世の中の役に立てる場所に出られるようになったとして、何ができるというのだろう。
今は足元を固める、人間としての土台を築いているのだ。
動けるようになったときにふらつかない、ぶれない自分になるために。

父と向き合う、心を込めた介護。
それが今自分がやるべきこと。
そして何よりそれは今自分がやりたいこと。
それが一致していることに感謝して。
今日も誠実に生きていきます。(o^^o)

新、真、仁義なき戦いの意図。「敵はコンビニにあらず」怖っ!

2016年03月22日 18時44分48秒 | Weblog
今朝、早起き。
今日からいつも通りに戻してみた。
目覚ましをかけて起きたってことね。
火曜の朝は特に早く起きることになる。
ラジオの生放送を聞くから。
それが「深夜ラジオ」というくくりであり、その開始時間を言えば、私が如何に普段「標準的な感覚」からかい離した「常軌を逸した」時間に起きているかがわかるというものではあるが。
いつもここでお付き合いいただいている方たちにはだいたいの想像はついていることと思う。
という認識ということで!

さて何だかんだで朝食準備の時間。
ここで慌てることになった。
昨日の買い物の予定、中止にした。
何だかんだあったのだが説明は面倒臭いので省略。
それをすっかり忘れていた。

準備を始めて冷蔵庫を開けて
あ・・・ヤバい・・・
玉子と納豆、在庫ゼロ。

すぐに買いに行くしかない。
スーパーが開いている時間ではない。
こちらもコンビニという選択肢しかない。
いつも行く一番近いコンビニへ・・・行こうとしてなんとなく気が変わった。
たまにはあっちに行ってみようかな。
と、さして距離は変わらない二番目に近いコンビニへ向かう。

到着。
そこで、ん??、となった。
そのコンビニの隣にあるドラッグストアが明るい。
棚卸しか何かかな?
よく見てみた。
今までずっと気付かなかった。
看板に燦然と輝く「24時間営業」の文字。

このドラッグストア。
すぐ近くに別の大手人気ドラッグストアがあるところへ最近「殴り込み」をかけた新規参入組。
正直、なんで?と思っていたよ。
事実今のところライバルとは「痛み分け」状態が続いているから。

その新規参入の真の意図に今朝行ってみてやっと気付いた。
主な敵は、ライバルは、すぐ近くのドラッグストアじゃなかった。
隣のコンビニエンスストアだったのだ。
24時間営業、そういうことだよね。
食品も販売、大きな店舗規模と駐車場。
今となって合点がいった。

【今日の写真】
家に帰って買い物を詰めたエコバッグをパチリ。
そしていつもの通り朝食準備をしながら。
仁義なき戦い。
商売の世界の厳しさ怖ろしさに身がすくんだのでした。

♪春分の日~~~

2016年03月21日 10時19分33秒 | Weblog
昨日、春分の日。
いつもと同じ日曜日。
父と一緒の日曜日。

旗日の恒例。
ケーキを買いに行きました。
近所のケーキ屋さん。
ポイントカードのシールが溜まって、小さなお菓子を選ばせてもらった。

そして店員さんから
「走ったんですか?」
「完走したんですか?」
「走った人が貰えるんですか?」
立て続けの質問。
よし来た!
正しい突っ込みです。
「はい!ありがとうございます!」

20160320横浜マラソン完走Tシャツ初着用

土曜からこの格好で過ごしていました。
それで外に出掛けたのは初めて。
恥ずかしいとか何やら、そういうのが一巡しちゃって。
堂々と着られるようになりました。

誇りとか自分に対する自信とか。
今までと違うレベルでそれが生まれたのも横浜マラソン完走の大きな成果。
だからね。
そういう言葉、素直に受け取って感謝できた。
とっても嬉しかったなあ。
そんな自分になれたことがとても嬉しかった。
思い上がることなく、これからも走っていきましょう、生きていきましょう。

夕食。
食後のケーキ。

20160320春分の日けえき~~1

私のをアップで。
旨かったっす!

20160320春分の日けえき~~3

今日はフォークというものの存在を忘れてしまった父。
一時的なことなのか、ほんとうにこうなってしまってずっと続くのか、どうなのかな~~?
次の旗日のケーキ待ちかな?

20160320春分の日けえき~~2

食べ終わった父のお皿。
注目はフォーク。
使わなかったので当然綺麗なままです。

20160320春分の日けえき~~4

全部「手掴み」でチョコレートケーキを食せば、フキンは当然こうなりますよね!

20160320春分の日けえき~~5

食べ終わった父。
ソッコーで寝てしまいました。

20160320春分の日けえき~~6

こんな一日。
これでいい。
旗日の贅沢。
重度糖尿病患者、食事制限は必要。
抑えてばかりは悲しすぎる。

そして「ところてんの法則」たくさん飲めば、たくさん食べれば当然その先に待っているのは・・・
そしてそのお世話をするのは基本・・・
そこにビビって、食べ物飲み物を生命維持に必要なものだけに抑えよう。
その思考に陥っていない。
それが私の今の幸せかな。
食欲は人間の本能。
食べる幸せ、大好きなケーキを食べる笑顔。
父の笑顔を見られる。
食を制限されて笑顔のなくなった父を想像する、「ところてんの法則」で発生する「愉快ではない作業」を想像する。
どっちが辛いことか。
父に食べてもらう、笑顔の父と過ごす、その父を介護する。
そちらに価値を見いだす。
そっちの方が大きな幸せ。

そんな価値観。
これがある限りこの介護生活は大丈夫、笑顔で続けられる。
そんな幸せ。
幸せな春分の日。(o^^o)

天使の旅立ち、悪魔の囁き。乗り越えて未来へ。

2016年03月20日 06時33分46秒 | Weblog
昨日、姪っ子が引っ越しました。
たいせつな人と暮らす新居へ。

ありがとう。
素敵な思い出を。
おめでとう。
幸せにね。

途中、ふたりで寄ってくれました。
私の母、彼女のおばあちゃんの仏壇に並んで手を合わせてくれました。
私の父、彼女のおじいちゃんも喜んでくれました。
父は少しの間を置いただけで同じことを聞きました。
そしてまたすぐ寝てしまいました。

ブーケをプレゼント。
ふたりが出発して。
若い笑顔と新居に控えめに飾られる小さなブーケを想像。
私も笑顔。

記念だったのかな。
昨日はいろいろ派手に「やらかして」くれた父。
「やらかした」内容、私がやった愉快でない「作業」よりも。
私の心に深く突き刺さった、鋭い棘を持つ父の言葉があって。
こんな日なのに、こんなおめでたい日なのに・・・
少し、いやかなり、悲しかった。

こんなこと、ずっと続くのかなあ。
もっとエスカレートしていくのだろうなあ。
この介護生活をサポートしてくれる人手を失ったんだよな。
いろんな想像をして。
そんな想像をしながらまた徘徊センサーが鳴って。
「望ましくないこと」へまた対応して。
自分の布団に戻ってさらに深く考えて、考え込んで。

少し意地悪な気持ちになった。
この話にオーバーな味付けや作り話を加えて。
ショックで寝込んだとか、そんな仮病にもなってみようかな。
父を悪者にして、みんなに同情してもらおうかな。
布団の中で、その具体的「犯行方法」まで考えて。

目が醒めて起きた。
いつものように母の元へ。
お線香を立てて、おりんを鳴らす。
チーン~~
心に響いた。

ハッとする。
最低の人間になるところだった。
父の悪口、あることないこと書いて。
父を貶めるだけじゃなくて、自分自身をも貶めるところだった。
アブナイアブナイ・・・

そしてまた改めて仏壇に手を合わせて目を閉じる。
思い出す。
両親が私にしてくれたこと。
私が心の病で苦しんでいた長い年月を支えてくれたこと。
文句ひとつ言わず支えてくれたこと。

笑顔になった。
また笑顔になれた。
ありがとう、お父さんお母さん。

弱い自分、醜い自分に気付いた、気付かされた。
そういう自分があることを認めなくちゃね。
いいことがあって、いい気になっていたのだな。
調子に乗った勘違いがあったのだな。

まだまだ浅いな、自分。
うん、普通にやっていこ!
気張らず目の前のことを普通にやっていこ!
笑って、感謝して、少しずつ毎日を積み重ねていこう。
今日を認めず、明日やるべきことをやらず、それで明後日の壮大な夢を語ってもねえ。
そういう順番は飛び越せないんだよね。

【今日の写真】
昨日姪っ子と彼にプレゼントしたブーケ。
この花のような明るい気持ちでこれからも生きていきます!(o^^o)

そうならないと信じているけれど。再び「破滅」へ向かう「可能性」について。

2016年03月19日 17時19分46秒 | Weblog
心の病の薬を止めた。
二十歳のときに罹患。
31年続けた薬。
自己判断でなく医師の処方の元に止めた。

長い長い習慣、そして調子が良い時期が長く続いて。
いきなりスパッと止めるのはリスクが高い。
止薬を前提にした減薬ステップに入ったのが去年の4月。
減薬ステップは順調。
そして先月、夢にまで見た・・・服薬習慣からの離脱。

今に至るまで調子は良い。
もう元に戻ることはない。

と、それはあくまでも自己判断。
都合の良い解釈なのです。

冷静に第三者の目線で見れば。
医療関係者から見れば。
今の私はとてもやばい状態なのだと思う。
現にはっきりそれを指摘してくれる人がいる。
主治医の先生もそのひとりです。

体重が減っている。
いわゆる「理想体重」などを通り過ぎたレベルで。
明るい、いつもニコニコしている。
以前から明るい人間であったが、それに拍車がかかった。
傍から見れば「不自然なハイ」の状態でもある。

心の病の薬を止めたときに起きる「典型的症状」
統合失調症との長い付き合い。
私もそれ位のことは知っている。

「大丈夫です」
今は言えば言うほどドツボにはまる。
「やっぱりこの人は勘違いしている。舞い上がっている。やばい。」
医療関係者にそう危惧されるのも仕方がないのだと思う。
自分が、行動で、この先どうなるかで実証するしかない。
落ち着いて、しばらくじっくり経過を観察する。
いろんなものを「積み重ねて」いくしかないのだ。

自戒もしなければならない。
周囲の指摘が正しくて、私の自己判断が間違っている。
この好調はやっぱり私の「勘違い」であり、やたら前向き楽観的になることも含めの「前兆」「症状」であると。
再度の破滅、たとえば入院レベルに逆戻り、冷静になって考えればその可能性は結構高かったりする。

それらを踏まえた上での「勘違いかもしれない」私の実感を述べておく。

体重が減ったのは、ランナーとしてだ。
走ることを続けていこう、レースにもどんどん参加していこう。
走ること、走る習慣を生活に取り入れること、それが病状好転の大きなきっかけだった。
それがこれからの健康、人生の礎になる。
だから走る、走り続ける。
本能が、身体がそれに応えた、その結果の体重減少。
ランナー向けの身体にしてくれているのだと。

明るい、いつもニコニコ。
不自然なことじゃない。
自然に出ている、内面から出てきている。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。
それが私のモットー、生き方、人生の基本。
度を超した明るさ、いつもニコニコ、不自然にも見えるほどの明るさ。
それは必ずしも周囲にそのまま伝わらない。
すっと「底抜けに明るい人」と好感を持ってくれる人もいるはず。
それだけじゃない。
「面白い人」「脳天気な人」「変な人」そんな評価で呆れられるのはまだいい。
警戒心を持つ人もいる、もっと進んで悪意を持つ人もいる。
自分もかつて「そっち側の人間」だったので、その感覚もよくわかります。
私が笑って、それを好意的に受け取ってくれる人がいる。
それがわかるのは幸せなこと。
私が笑って、「ああこの人は戸惑っているな、警戒しているかもしれないな」そういう表情を感じ取ることがある。
それは仕方のないことだ。

発病前に戻ったんだよ。
私は明るい人間だった。
やたら明るい人間だった。
そこに戻っただけなんだよ。

正しくて、そしてちょっと違うこと。
逆に拍車がかかった。
発病前よりも数段明るくなった。
その実感がある。
無理しているんじゃないです。
逆です、無理して笑顔を閉じ込めることを止めたのです。

過度な明るさが警戒心を生む。
その世の中の雰囲気がわかっていたから。
嫌われたくないとか、あとは「少し陰がギャップがあった方が女の子にモテるかもしれない」若かったからそういう下心もあった。

結果、発病前の私は自らの明るさを制御していた。
不自然に押さえつけていた。
他人の目を気にする。
認められたい、好感を持たれたい。
それで「無理」をしちゃったんだね、いろんな意味で。
自分を偽って、欺いて、自分をどんどん追い詰めちゃった。
結果、ぷっつん、ある日、切れてしまった、心の病になってしまった。
最近になってそこに気付いてしまった。
自分の中に閉じ込めてきた「不都合な真実」に気付いたのです。

今、薬を止めて、もう無理をするのはやめよう。
ありのままの自分を正直に出していこう。
誤解されてもいい、悪口を言われてもいい、それで出世が妨げられてもいい。
まずは自分の健康だ、心が健やかであることだ。
誤解する人がいても、その人が私の「生活半径」に入ってきて、ちゃんと話をして、人間同士として腹を割った付き合いをして。
そのとき誤解は自然に解けるだろう。
そんな楽観であります。
誤解が解けなければ、それは私の力足らず、それも笑って受け入れよう。
私が自然であること、健康であること、今はそこから始めないと。
発病前と同じことをやって、同じ過ちを犯すかもしれない道を進んでしまったら。
薬を止めた意味がない、真の意味での再出発にはならない。

明るく生きる、底抜けに明るく生きる、不自然にではなく、いつもニコニコを心から。
最低限笑っちゃいけない場面だけを心得る。
笑えば人を傷つける、そんなシーンだけは人間としてちゃんと真顔になる。
弔事、不幸の真ん中にいる人、真剣に相談をしてきている人。
そこでへらへら笑うのは「人間として明るい」ではなく「人間として間違い」だから。

そんな気持ち、そうやって生きていく。
これからはそういう人生にする。

私が傍から見て妙に明るく見えるかもしれないってこと。
こんなわけで危惧はしていません。
笑顔ともうひとつのキーワード「感謝」
これを忘れなければ、私はときどき道を間違えても、完全に人として踏み外すことはないだろう。
その意味での「勘違い」を察知したなら、その指摘は遠慮なくして貰いたいな。
人間としての過ちを指摘してくれる声を聞く耳は持っていたいな。
今日はそんなとこです。

布団が・・・ねころんだ・・・ん???違うぞ?!

2016年03月18日 06時19分46秒 | Weblog
昨日は良い天気でした。
いつものお洗濯祭りとは違う意味でお日さまがありがたい。
久しぶりに存分に布団とかを干すことができました。

ちょっとした失敗も。
マラソン後、4日経過。
うん、もう大丈夫、回復したかな。
そろそろ食生活を元に戻してみようかな。
体重もちょっと減っちゃったし。
その焦りもあったのかな。
いきなり一気に元に戻しすぎました。

一週間コーヒーを飲んでいない。
何年ぶりだろう。
さすがに恋しくなって一杯飲んでみた。
しばらく経って、うん、大丈夫。
それで調子に乗っちゃった。

父かデイサービスから帰ってくる一時間くらい前。
ん???
身体の不調、ってか、特定されている。
お腹が・・・きもちわりい・・・
そりゃそうだ、ステップを踏まずにいきなり元の食生活パターンに戻したのだから。

休んで、休んで、横になって休むことに集中。
父が帰ってきて。
お風呂に入ってもらって、そのまま確信犯での超早め夕食誘導。
無事食べてもらって、まだ明るい時間に父はすんなり布団に入った。

やるべきことを片付けて。
お腹の不具合は収まったが、ここでいきなり普段の夕食を食べるのは明らかな間違い。
それくらいの大人の自制心はある。
食べずに水分補給だけして私もいつもより早く布団に入った。

そして、早く寝たから早く目が醒めて。
起きて、まあまあ快調、そんな感覚。
さすがにお腹が空いたよ。
判断力のある大人ですから。
温かい素うどんを食べました。
今のところは問題ありません。

はい、学んだので、ゆっくり焦らず段階を踏んで、元に戻していきます。
教訓!
内臓レベルのダメージの回復には時間がかかる!(^^)

高カロリーを選んでの小食。こんなことは久しぶりでした。

2016年03月17日 17時56分33秒 | Weblog
横浜マラソンを終えて。
走後のダメージがやっと終息と思えるレベルになった。
いろいろレースや長距離走は重ねてきたけれど。
今までの経験とはちょっと違うレベル。
一般的に走って被る肉体的ダメージは慣れたよ。
それはたとえば筋肉痛とか、走ったことに伴う直接関連のあるわかりやすいダメージだった。
そういうダメージは逆に今回はほとんどなかったのです。
走り終えて家に帰るまで、階段を避けようとか、電車で座ろうとか、そういういつもと違う発想は浮かばなかったし。

今回はちょっと違ったのだな。
「よろしくないコンディション」であの距離を走った、走りきった。
身体の中で使った場所、消耗した部分が違ったのだろうね。
人間機能としての基本的なところに与えたダメージ。
つまり例えて言うなら「ライフラインの復旧には時間がかかります」ってことかな。

具体的にはね。
食欲が湧かない。
何なら別に食べなくても・・・てな感覚。
さすがにそれじゃ駄目なのはわかる。
負担にならない程度には食べた。

身体の本能はやっぱり偉大であった。
勝手に身体をレース向けに仕上げてくれた。
本番直前、コンディションが悪いとなったら、それなりに軌道修正をして、対応できる状態にしてくれた。
レース中もうまく反応して、結果プラン通りに走りきることができた。
レース後もそれはちゃんと機能した。
レース前、ばくばく食べたのに絞られた体つき、結果減った体重。
ほとんど食べなかった、いや食べられなかったレース翌日、翌々日。
体重は減ることなく微増した。
リアルな話「排泄物」は少なくなった。
本能は偉大なり。
最大限の努力でリカバリーに必要な栄養を身体に取り込んでくれたってことだ。

制御できる自分の意識、努力として、この身体の本能に応えてあげなきゃね。
食欲が湧かないなりに「効率的に食べる」努力をしました。
【今日の写真】
こういうのでカロリー確保でした。
柑橘、アイス、口当たりのいいもの、高カロリーのもので量を摂れないのを補いました。
「ご褒美用」ストックのはぁげんだっつを食べ尽くしました。
まあこういうことならもったいないとか後悔とかはなかったです。

これからもレースには挑戦します。
課題はたくさん。
マラソンに関しては「走った距離は裏切らない」という格言がある。
準備の一時期、走り込みをしました。
今回の横浜マラソン、本番三日前までは「それは正しい」と信じられました。
順調に仕上がったからです。
ところが結果、直前に「思わしくない状態」に落ちてしまったのも事実。
マスクをしないで「そういう場所」で過ごした心当たりがある。
それは「後付けの言い訳」でもあるわけで。
調整失敗だったと言われれば返す言葉がない。

次のフルマラソン。
そこへ向けて少し違うパターンの準備で臨む。
その結果で導き出される、なんらかの「結論」はあるはずで。
それが課題であります。

どっちにしろ無理無茶はしませんよ。
横浜マラソンは次回から秋開催になる。
今回のある意味「強行出場」は、この抽選に当たった機会を逃せば、お誕生日の地元横浜マラソンは永遠に体験できない、だからこその決断だったわけで。
「普通の大会」でこんなことはしません。
次に向けて、ゆっくりのんびり慎重に仕上げていきます。

お墓参り作法の間違い探し?!

2016年03月16日 18時46分31秒 | Weblog
昨日、母の月例月命日墓参りに行ってきました。
今回は特別です。
亡くなったあの日からちょうど二年半。
そしてすべてを懸けた横浜マラソンを走り終えた直後。
思いはとても深かったです。

タップリ時間をかけました。
完走メダルとタオル、ゼッケンでお墓をデコレーションして。
笑顔でVサイン。
ハイ!チーズ!の声と共にお墓と一緒の自撮りでパチリ。
うーん・・・正しいお墓参りの作法、間違い探しの世界・・・(苦笑)

いいんです。
一般的宗教的に間違っていても、罰当たりな振る舞いでも。
これで下される天罰なら何も申しません。
ごめんなさい、ってただ受けます。
心の中でこれが自然だと思ったことをした。
これが、私なりの亡くなった近しい人との付き合い方です。

笑って、母にありがとうって。
俺、頑張ったよ。
陸上競技の記録としてみれば酷いものだけれど。
あのコンディションで自分の精神と肉体を駆使した最高のパフォーマンスだった。
胸を張れる、誇りを持って報告できる。

Vサインは予定したものじゃなかった。
あの場所で自然に出た。
笑ってVサイン、母がそうしなさいって、言ってくれている気がしたから。
ムズカシイ理屈はよくわからないけれど。
お墓はやっぱり特別な場所です。
日々手を合わせる仏壇とはまた違った感覚で向き合える。
そこで自然に出てきた行動だったのです。

帰宅。
休まなくちゃ。
まだ横浜マラソンのダメージは抜けきっていない。
父の帰宅と「いろいろな作業」をこなして。
自分もさっさと布団に入りました。
しばらくして、いつものように徘徊センサーの音で目を醒ます。
起きてトイレへ向かう。
途中で父の寝ている部屋をチェック。
案の定の「フルセット交換」と「いろいろな作業」を伴う事態。
さすがに「うーん・・・」となりながらも、ダッシュでシーツ交換だけ済ませて、トイレの父への対応。
「されながら」父が私に声をかける。
「お前、寒くないのか?」
じーんときた。
心配してくれている。
こういう状況だからこそ少し熱いものがこみ上げてきた。

ところがそんなに世の中は甘くはなかった。
父の意図は別のところにあった。
「その格好を見ているとこっちのほうまで寒くなる!!」
明らかにご機嫌斜めを既に超えている口調。
私、裸足に寝間着だからねえ。
父は当然徘徊センサーの存在と機能は知らない。
私も睡眠中で、その状態で起きてきたとは思っていない。
偶然夜でもいつでも、起きていて自分のトイレのタイミングでそこでいつも偶然居合わす。
そんな息子なのだから、この時期に「起きている格好」で薄着で裸足では見ている自分も寒くなる、我慢ならないのだろう。
「すぐに靴下を穿いてこい!!」
レベルアップ、怒号寸前。
や、やばい・・・
とは思ったが、今、私が一回部屋に戻って靴下を穿いてきたら・・・

「ちょっとだけそのままそこに居てね」と言って素直に従う人ではない。
トイレは寒いからすぐに動くだろう、普通に考えて部屋に向かって即布団に潜ってしまうだろう。
一番望ましいけれど期待しないほうがいい最良のシナリオ。
それが、このまま、下半身すっ○んぽんのままで「何もせずに」布団まで真っ直ぐ移動して、その格好のまま交換したばかりのシーツをかけた布団に入ってしまって動かない。
それが一番いい今考えつくシナリオ。
別の望ましくないシナリオはどうしても頭に浮かぶ。

私の選択。
「沸騰した状態」の父に「いろんな言葉」を浴びながら、なだめてなだめて、「いろいろなこと」を済ませて、「寝るべき格好」になってもらってから布団に誘導して寝てもらう。
いろいろありましたけれど。
無事済ませました。

まあ人生こんなものです。
墓参りの夜、こんな介護生活。
対応も慣れてきて、うまく立ち回れるようになって、久しぶりに見た沸騰状態の父。
♪人生いろいろ~~介護もいろいろ~~

なんだかんだでこういうことも笑いの要素も含めてへらへら語れる自分。
無事生きていられる。
両親に授かった命。
たいせつに、笑顔と感謝で、はい!!(o^^o)

エセアスリートの独白です

2016年03月15日 05時25分23秒 | Weblog
一昨日の横浜マラソン。
ネットタイムやっと6時間切り。
このレベルで自分がアスリートだなんて言えたもんじゃない。
と、謙虚な人ならそうなりますけれど。
あいにく私はそうではない。

負け犬の遠吠えと思われても結構。
あの体調で完全に制限時間内完走だけを目標にして、完璧な自己マネジメントで達成したこと。
意味意義はちゃんとある。
普通のコンディションで臨めば、出せる実力はこんなものではない。
それを再確認できた。

初マラソンも「なんとか制限時間内」という結果。
けれど今回は同じではない。
初マラソンを制限時間で収めたのは「偶然」だった。
計画も計算もほとんど無く。
結果収まっただけ、たまたまの幸運であった。

今回は違う。
自分の力、5km、10km、20km、30km、それぞれの距離がゴールの場合に走りきれる自分のベストタイムを心得ていた。
見込みではなく、実績とそこから割り出した根拠のある確信。
今年に入ってからだけでも5回の20km以上走、走り込んだという自信。
その状態で「よろしくない状態」で当日を迎えた目標レース。
完走はなんとか果たしたい、それ以下は嫌だがそれ以上は望まない。
まだ先がある、致命的ダメージを残したくない。
引っくるめて自分を心得た上で、計算し尽くして、自己管理をやりきった走り。
それで達成した「制限時間内」
失敗の初マラソンとはまったく別ものなのである。

照準は次のレースに向かっている。
今回の体調不調は避けられなかった。
原因はほぼ特定できている。
マスク無しで「原因の空気」たっぷりの場所で過ごした時間。
それは、礼節として「ここでマスクはできないなあ」って判断して自分で決めてマスクを外して過ごした時間。
特定できていて納得もしているから後悔は無いのです。

次のレースですよ。
やってやります。
横浜マラソンは結果、自分を知るとても良い経験になったから。
何より走ることへの自分の思いを再確認できたから。
レース当日に心身のピークを持っていく術も身につけた。
なおかつ調子の良さに思い上がらないことのたいせつさも知った。

ここでは初めて言うこと。
前回の診察で医師に言われたこと。
自分で稼ぐためのリスタートはまだ控えたほうがいい。
今は心の病の薬を止めたことによるリスクを考えたほうがいい。
はいと言いながら、走ることは止めない自分ってどうなのよ。
またフルマラソンを、次のレースに向けた準備を考えている自分。
自分に都合よく解釈しているだけです。
薬を止めたことを受け入れられる自分になる。
重要なのは健康状態を安定させるってこと。
心と身体を良い状態に持っていくということ。
そのために走ることは必要、と。

父の介護を中心にする生活。
人生を長い目で見る。
父の年金で生計を成り立たせている状態だけれど。
早く自分で稼がなきゃと焦らない。
実際それで今現在生計は破綻することなく成り立っていて、それが自分の健康状態に集中できる生活の基礎になっている。
みっともないなんて感覚は体面を気にしているだけのことだ。
自分の健康状態にある程度自信が持てるようになってから考えればいい、動けばいい。
目的は自立を成功させることそのもの。
焦って失敗したら意味がなくなる。
最悪、精神病院に逆戻り、論外だよね。
その自分のためになる、皆に喜んでもらえる目的達成のためなら自立する時期の数ヶ月、多く見積もっても一年くらいの前後などどうでもいいこと。
それが自分が幸せになるための道、ちゃんとしていた頃の両親が勧めてくれるであろう道、たいせつな人たちを幸せにするための道。
そういうことも俯瞰できるようになった。
それも横浜マラソンの成果。
ほんとうに走ってよかったです。
笑顔と感謝で走りきれてよかったです。

【今日の写真】
完走を果たして。
内臓がある程度回復して。
今朝、自分に気合いを入れるためのとっておきご褒美、はあげんだっつ!

昨日、横浜マラソン完走。笑顔と感謝とほんとうの話。

2016年03月14日 18時15分04秒 | Weblog
まず書き始めるに当たって謝らなければならない。
一昨日と昨日のこのブログ、私は嘘を書かないことだけに集中した。
そして、本来書かなければならない「ほんとうのこと」は書かなかった。
私の気持ち、信念はさて置き、確かに不実であるし、心からごめんなさい、と最初に言うしかない。

レースを翌日に控えての、「軽い風邪になりかけ」のような感覚。
それそのものは、ほんとうのことだ、嘘ではない。
ただ、私の中で体調の「実感」はよろしいものではなかった。
熱を測ったら微熱くらいはあるかもしれない。
測ったらさ「体温計を見ると具合が悪くなるタイプの子ども」だったのでねえ。
だから測らなかった。
そして「あまりよろしくない」という自覚。

3月13日、52歳の誕生日当日、抽選で当てた、地元開催の横浜マラソン。
しかも、31年の付き合いの心の病、二十歳の精神病院入院から始まった統合失調症。
長い期間を経て回復し、ずっと飲んでいた薬を医師の許可を得て薬をゼロにした直後のタイミング。
父の自宅介護を続ける中、早朝を中心に積み重ねた日々のラン。
単なる自信だけでない「積み重ねた実績」がある。
走った距離、出した記録、自信を支えるデータの裏付けはちゃんとある。
そしてこの日に向かって順調に仕上がってきた身体と充実の心。
ほんとうに特別なレースだった。
大袈裟でも何でもなく「人生を懸けて」臨んでいたわけです。
これを欠場したら、いつになるかはわからないけれど、命が果てる瞬間に意識があるなら、確実に引っ掛かる大きな後悔の筆頭になるだろうなと。
自分のよろしくない今の健康状態をこのブログでバラしたらどうなるか。
見てくれている人、いい人ばかりですから。
これで「出場する」って私が言ったら、「そういう覚悟なら」って見逃してくれる人もいるだろう。
そして長い目で私の人生を考えて「止めるための実際の行動」を起こす人もいるだろう。
その意味で「信頼の置ける人」は多いと自覚している。

そんな状態で出場する。
誰のせいにもできない「自己責任」での行動です。
自分だけの問題でないのも確かなこと。
なにか「よろしくない結果」があったら多くの人に迷惑をかける、心に負担をかける。
自己責任のひとつとしてそれは避けなければならない。
出場に当たっての方針、大原則だけは決めた。
当日朝の検温が正常の範囲を超えていないこと、それだけは最終決断の絶対条件にしよう。
「吐き気」「悪寒」「シモの不具合」その他、明らかにヤバイ症状が現れたらストップ。
そしてこの決断はいってみれば「自己判断」だから「思い込み」の部分は多々あるはず。
レース前であろうがレース中であろうが、自分を見た人に「大丈夫ですか?」のような指摘をされたら、それは「客観的な目で自分がヤバイ状態に見える」ということだから、その時点で断念する。

その上でのレースプランニング、自己マネジメント。
周到に練っていった。
まずしたことは、レースの関門時間のポケット版印刷。
つまり最終的に制限時間内に完走できればいい、それ以上は望まない。
そして走り終えて「致命的ダメージ」を残さない。
レース途中、ゴール地点、限界でぶっ倒れるのは論外。
私のたいせつな人たち、大会運営者、迷惑をかけるのは「人間として」ダメダメなことだから。
「望ましくない何か」が起きてからでは遅いのだ。
レースのペース、「普通の状態」で一番良い記録が出るのは、イーブンペース、もしくは最初抑えて後半上げていくパターン。
自分の経験、ランニング界の常識としてわかっていることだけれど。
この健康状態で目標が制限時間内完走であれば、考え方の根本が違ってくる。
長く走ってきた、それで積み重ねたもの、そして今のクリアな頭。
ランナーとしての実力、潜在能力は把握している。
必要なペース設定はイーブンペースではない。
余裕のある状態で無理のない範囲である程度飛ばす。
そして残りは全部歩いても、途中の制限関門とゴールが閉まる時間には間に合う、その「貯金」を稼ぐこと。
正直に言いますよ。
それだけの時間的貯金ができて、そのとき心身に余裕があれば、そのときは、決めたことを忘れて「何らかの欲」は出たでしょうね。
結果そうはならずプラン通りになりましたけれど。

そして3月13日の朝はやってきた。
検温はクリア。
最低限のアップをしてから外に出て、1kmゆっくり走って「大丈夫」なことを確かめる。
続いて1km、いろんなペースで歩いて、歩きのスピードの感覚をたたき込む。
幸い問題は何もなかった。
ここで最終的な出場ゴーサインを出した。
それも含め状態は実にいい。
心は平静、頭はクリア。
ただし勘違いはしないこと。
昨日の「よろしくない状態」を忘れてはならない。
これは「ちょっと回復した」だけの状態であって万全とはほど遠いのだと。

無事スタートラインに立った。
ほんとうにありがとう。
いろんな人に、いろんなことに、いろんなものに。
そんな謙虚な気持ち、心からの笑顔、変わらぬ平静な心とクリアな思考。
8時30分、号砲ではなかった、「パーン」という控えめな合図。
スタートラインに立っている「剛力彩芽さん撮影渋滞」。
スタートロスは予測できたが、スタートの合図からスタートライン通過まで27分以上かかるのはちょっとした誤算。
予定通りのペース、普通の状態ならば余裕を持って20kmを走りきれる自分の身体の「動作保証」があるペース。
14km地点、現実を思い知らされる。
このペースでこの距離、ここでもう息が少し上がっている、「正常状態で仕上げてきた目標レースに臨んだランナーとしての自分」なら考えられないこと。
少しペースを落とす、しかし本格的にはまだ落とさない。
まだ残りは全部歩いて大丈夫の時間貯金は確保できていない。
16km地点、もう少し落とすだけならあと5キロで「完全貯金」はできあがる。
そして「順調に落ちていく」体力。
それでもへらへら笑えている。心に余裕がある。冷静に計算できる頭がある。

凄いものだ、中間地点、予定していた「かっきり」と一分の誤差もない「完全時間」
プラン通りだ、疲れているけれど、残りを歩ききれないほどの消耗ではない。
ここから先は現場の状況に合わせた別なプランニングになる。
ちょうど首都高速に入るところで、残り時間計算した上での止まってストレッチをしながらの考慮時間。
計画変更をひとつ。
歩けば最後までいける、その確信はできあがった。
この状況で記念すべきこのレースをチャレンジの要素なしで終わらせるのはなあ、と。
去年の初フルマラソンは途中歩いたことで後悔があった。
よし、今日は「止まってもいいから歩かない」で行こう!
とにかく「完走」だ。頻繁に止まってストレッチ他のメンテナンス。
関門に間に合わなくなると判断せざるを得なくなるまではその方針で。

自分で言うのもなんだけれど、その後のセルフプランニングは見事なものだった。
あれだけの冷静な計算の元で時間ギリギリで途中関門通過を繰り返した参加者はいないだろうな。
関門封鎖時間まで一分を切っている状態で通過、それを繰り返す。
第9関門から最終の第12関門までそんな状態。
焦りもない、疲れているなりに良好な身体の状態。

最終盤、最後の誤算。
計算に入れておかなければならなかったことだけれど、これは抜け落ちていた。
山下公園の手前あたり。
ここら辺から、沿道の声援がとんでもないことになっていた。
不純だけれど、大声で応援してくれる学生らしき女子ボランティアの集団の前とか、格好つけちゃうよねえ。
老若男女問わず、そんな感じのすげーテンションの応援の流れがずっと続いている。
例えるなら「ランナーサポーターズハイ」ってとこかな。
こ、これは・・・もう・・・止まるなんて・・・できない・・・
のんきに止まってストレッチなんて・・・できない・・・
ましてや歩くことなんて・・・できない・・・

まあいい。
確かに自分の心にマッチすることでもある。
歩くよりも遅いペースで走り続けてゴールする。
そして笑顔と感謝で。
そんなラスト。
人生を懸けたレースの締めくくりとしてふさわしいではないか。

ゴール!!!
と、感動に浸っている暇はない。
必要な最低限のストレッチとクールダウン、そして一刻も早く休まなきゃ、補給しなくちゃ。
この状況ならなおさらのことだ。
染み付いたランナー感覚、ここまで来てもそこは冷静であった。
生粋の目立ちたがり屋の私が「らしくないこと」をしなければならなかった。
カメラクルーを始めとする取材陣、捕まるわけにはいかない。
ただでさえ誕生日アピールをした格好。見つかったら最後、だからねえ。
ストレッチをしながら、彼らの死角死角を心がけて、逃げ回りました。

この「大丈夫な状態」を勘違いしない。
昨日の翌日、まず休まなくちゃ。
ソッコーで更衣所へ、着替えて汗を拭き、補給して、タオルとコートを被って30分間、横になって眼を瞑る。
もう大丈夫、その自信ができあがったところで、片付けて帰路へ。
総合案内所や集まっているボランティアスタッフへのお礼は欠かさずに。

無事帰宅。
留守中父のお世話をしてくれた姪っ子に感謝。
早めの夕食の用意と後片付け、誕生日祝いのケーキ。
ちゃんと準備してくれた。
ホント、ありがとう。
そんな一日でした。

あ、これはちゃんと報告しておかないとね。
自己責任でやった者として「報告責任」はありますから。
早寝して、タップリ寝て、予定通りの寝坊、朝の検温問題なし。
雨をいいことに今日は特に何もせず、出掛けず、のんびり過ごし。
今現在、体調、心も含め、問題なしです。
勘違いはしませんよ。
数日は大人しくしていますので。
ホント、皆さんありがとう。
長くなっちゃってごめんなさいでした。

誕生日、横浜マラソン、さあ何が起きるでしょうか。

2016年03月13日 03時56分18秒 | Weblog
誕生日を迎えました。
隠すこともない、今日52歳です。
無事、また歳を重ねることができた。
家族、友人、病院関係者、こんな私を支えてくださっているすべての皆さん。ほんとうにありがとうございます。
この記念日と偶然重なった横浜マラソン。
抽選で残ったことにも「何か」を感じます。

認知症の父の介護。
三十年を経て薬を止めることに成功したばかりの私自身の心の病。
すべてを引っくるめての私の人生。
確かに私自身のものではあるけれど、私だけのものではない。
8時30分、スタートの号砲。
スタート位置は最後尾のGブロック、号砲から私がスタートラインをまたぐまで20分以上かかる見込み、そんな規模の大会です。
Tシャツの言葉通り「笑顔と感謝」で走ってきます。

昨日から今朝にかけて。
あまり望ましくないことも含め、ま、いろいろありましたが。
ぐちゃぐちゃ書く気が無くなりました。

落ち着いている。
凄く平静です。
目覚ましはかけたけれど、直前にきっちり目が醒め鳴るのを待っていた状態。
すんなりスッキリ起きられました。
今、不気味なくらい心は静かです。

もうすぐ出発。
↓こんなサービスもあります。
システムが順調なら私のだいたいの位置もわかるはずです。
神奈川県内にお住まいの方、もしくはケーブルテレビ等で視聴環境のある方は、TVKテレビでの完全生中継(8:00~15:30(延長の場合あり))もあります。
目立つ格好ではありますので、今日がお休みで暇を持てあましている方なら探してみるのも一興かと。(o^^o)
櫻庭健一:ゼッケン「(スタートGブロック)6242」

◇「応援ナビ」◇
パソコン・スマートフォン・タブレットを利用して、スタートしたランナーの予測位置情報を地図上で確認できるサービスです。大会当日にコースを先回りして、ご家族やお友達を応援するのに便利です。
【PC/スマホ】http://runnet.jp/ouen_navi/yokohama2016.php/

逆転の発想。スケジュールに余裕がなくなったら可能な限り急がず行動することです。

2016年03月12日 16時58分32秒 | Weblog
昨日、横浜マラソンのランナー受付へ行ってきました。
パシフィコ横浜へ。
レース前日の土曜日も受付はやっているけれど。
一日中父が家にいる日に長い時間ひとりにするってのは「リスクありすぎ」なので。
金曜日にデイサービスに出掛けている間にぱぱっと済ませるのが無難ってチョイスです。

それでもそんなに時間に余裕はない。
お風呂は入っておきたい。
それもゆっくりのんびりと。
土曜日には入れる保証は限りなく薄い。
その時間の確保を考えてスケジュールを立てて効率よくってことで。

うまくはいかないものです。
こういう日に限ってデイサービス迎えが、約束の幅の範囲内ギリギリ最後の時間にやってきた。
そしてまたこの日に限って、このタイミングで父が朝に続いて「やらかして」くださった。
トイレ、大きいほう、衣類シーツ全取っ替え。
まあ人生こんなものですな。

そうやって父が出掛けていって、洗濯他の作業。
出発は一時間以上、予定より遅れた。
ありがたいことに頭は冷静。
身体はマラソン向けに仕上がってくれた。
心も負けじとついてきているようだ。
急いで怪我をしたらつまらない。
スケジュールに余裕がなくなった今、心がけるべきは「可能な限り急がないこと」だと。
やることをほんとうに必要なことだけに絞り込んで切り捨てる。
そして行動そのものは落ち着いて。
電車に乗る前に時計と時刻表を見ない。
結果乗り遅れてもいい。
余裕がなくなって中途半端に急ぐことのほうが怖い。

会場、パシフィコ横浜に到着。
受付そのものは至極順調に終わった。
並ぶこともなくすんなりと。
罠はそのあとだった。
受付を済ませたらどこにも寄らずにすぐ帰る。
そう決めていた。
ところが・・・
会場で「横浜マラソンEXPO2016」ってのをやっている。
寄りたいのは山山だがスルーして帰る・・・はずが・・・
鬼のレイアウト。
くねくね廻って一通り全部通っていかないと出口にたどり着けない迷路構成になっているのだ。
そりゃさ、ランナーにとっては魅力的なコンテンツばかり。
一切心を動かさずに全部通過できるのは、霞を食って生きている仙人だけでしょ。
野次馬根性旺盛だからさ。
ここで過ごそうと思えば何時間でも居られますけれど。
なんとか、必要最小限のところだけ見て、会場をあとにしました。
まさに、後ろ髪を引かれる思い・・・

帰宅、入浴、そして父が帰ってきた。
父の入浴、一緒に夕食。
せっかくだから父に報告、持ち帰ったものを見せる。
父が文字通り食いついたのはコース途中の「ラッキー給食」の一覧表。
「これはどこにあるんだ?」
他は一切興味無し。
お父さん、さすがです!

さて、肝心の体調ですが。
ここに来て必ずしも万全とは言えなくなってきました。
「軽い風邪になりかけ」のような感覚。
昨夜、目覚ましをかけず、徘徊センサーも切って眠りに就いた。
たっぷりと十時間、目は醒めなかった。
まあ、大丈夫かな。
それくらいの状態にまで戻っていた。
今日は落ち着いて過ごす。
心と身体を休めることだけに集中。
無茶はしない。
決断も同じく。
明日、レース本番の朝、起きたときに検温。
参加の可否はそこで。
自分に対しても恨みっこ無しで。

ここまで状態をマラソン向けに仕上げてきた身体の本能はここでも機能してくれたってことか。
フルマラソンレース向けの、少しでも長く速く走ることに特化した身体から修正。
万全じゃなくなった状態から、最低限走りきれる身体には明日の朝8時半までに持っていく。
可能な限り「良い状態」に仕上げてくれる。
それは信じられるのです。
本能と身体がそこまでしてくれている。
頭と心、思考もそれに応えてあげなくては自分に対する不誠実というものだ。

どういう走りにするかはまだ決めていない。
ただし、スタートの号砲時点でははっきりさせておく。
歩かず完走、制限時間内に収める、当初予定していたニコニコペース、順調な仕上がりから「いけるところまで飛ばそう」と決めたペース。
特にペースは決めずに心の声に忠実に、そう決めて走るのならそれも立派な走りの方針だ。
スタート30分前、スタートブロックに整列したときの自分の「状態」で決める。

今夜もゆっくり休みます。
また徘徊センサーを切って寝るという「鬼行為」を。
まあ、お父さん、息子の誕生日の晴れ舞台、それくらいは許してくださいね。(o^^o)