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のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

久々のオリエンテーリング。好成績も、天狗になるには未熟すぎる。

2016年04月25日 18時48分51秒 | Weblog
昨日、久々のオリエンテーリングでした。
びっくりでしたよ~~♪

しばらく「ただ走ること」に専念していましたからね。
「オリエンテーリング畑」に戻ってきて。
ああ俺、すげー走力アップをしたのだな、と。

去年、上昇志向で調子に乗り、中級者クラスから上級者クラスにステップアップしてみました。
そこそこの成績は残せたのですが、Aクラス(上級者クラス)オリエンティアとしての力のなさも見せつけられた。

昨日、距離の短いA相当のクラスにエントリー。
雨のあと、足元は悪い。
この悪条件の中、最初に「あれっ?!」と感じたのは会場からスタート地点に向かうまでの登り坂。
ウォーミングアップの習慣はすっかり身についたから、緩く長い登り坂もゆっくりゆっくり走り続けた。
そこで、周囲がほとんど走っていないことに気付く。
俺やっぱ舞い上がっているのかなあ。

山林の中に入った。
ここで走り続ける無茶は無謀であることは知っている。
急斜面、木につかまりながら登らなければ厳しいくらいの傾斜。
ん?!普通に登れるし、息も思ったほど切れないぞ。
余裕のあるままスタート地区に着く。

そしてレースが始まった。
走れる、信じられないくらいに走れる。
それでいて頭は冷静。
ミスはあったけれど、ゴールして納得の楽しいレースができました。

会場に戻り、しばらくして。
結果を見る。
びっくりするくらいの好成績。
トップとは大きな差があるけれど。
5年前ならどれだけかかっていたんだって話です。

トップ:34分37秒
私、櫻庭健一、14位:52分29秒

え?あの人に勝っている。
雲の上の人だと思っていた人のタイムを上回っていたのにはびっくりした。

天狗にはならない、なれない。
トップスリーのルートチョイスが展示されるサービス。
レース中の自分にはまったく見えていなかったベタールート、ベストルートの存在。
自分の甘さを痛感した。

引っくるめて楽しかった。
再会、交流。
思いっきりリフレッシュできました。

こんな貴重な体験ができたのは、家を、父を、姉に任せていけたから。
ホント、ありがとうです。

新しい気持ちで。
また今日が始まりました。
幸せです。

将棋名人戦、羽生名人の落とし穴。そしてコンピューター将棋や人工知能について。

2016年04月24日 04時56分58秒 | Weblog
>“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=5176
#名人戦:佐藤、大逆転でタイ(毎日jpより)

第74期名人戦七番勝負第2局。
ニコニコ生放送にて生観戦で終局を観ることができました。
159手で挑戦者の佐藤天彦八段が羽生善治名人に勝ち、1勝1敗。

珍しく羽生さんが最終盤でぽかをやった。
プロ棋士なら解けて当然の詰め将棋が解けなかったということ。
佐藤天彦さんの大逆転勝利である。

その場面。
からきし弱い私が見ても詰みはありそうであった。
実際どういう手順か、お前やってみろと言われたら限りなく自信がないのが情けないところであるが。

羽生さんも人の子、人間ってことですね。
羽生さんファンとして逆にホッとしたような。

ハッとしたことがある。
コンピューター将棋について。
ニコ生でも「ソフトがこう言っている」のようなコメントが頻繁に入っていたのだが。

人間の将棋の生き残る道。
こういうことなんじゃないかと。

近い将来、コンピューターとまともに勝負できない時代がやってくる。
もう目の前と言っても良いでしょう。
現実に電王戦とかで、次々とプロ棋士が負かされているわけですし。

人間とコンピューター、どっちが強いか。
その論点は既に意味がないのじゃないかと。
どっちが強いかではない。
いつ人間が追い越されるか。
もう、そういうレベルにコンピューター将棋は進化していて、実際もうすぐ完全に追い越されることを否定できる人はプロ棋士を含めておそらくいない。

ちょっと複雑なところではありますが。
人間がコンピューターに負けた。
それで落ち込んでいたら、少なくとも将棋はやっていられなくなる。
どっちが強いかを論じること自体が無意味な時代になりつつあるのです。

人間将棋が生き残りたいなら。
ってか、この先ずっと人間が将棋を楽しみたいなら。
むしろ「弱さ」「ぽかをする」ことを前面に出す、売りにしたほうがいいのじゃないかなあ、と。

実際、オセロやチェスでは既に人間は追い越されている。
それでオセロやチェスの人気がなくなったか?
そんなことはなかったわけで。

将棋に限らない、コンピューターや人工知能の進化について。
遠い未来を考えれば悲観せざるを得ませんよね。
「気まぐれ」「ひらめき」「創造」
今は人間ならではと思われているそれらのことさえもすべて完全解析されてしまったら。
ロボット三原則とかがあってもね。
コンピューター、人工知能、機械。
人間にはもう制御不能ですから。
そいつらから見たら人間は「どうしようもないアホそのもの」でしかなくなるでしょうから。
そんな時代が来たら・・・
明るい想像はできませんです。

でもまあ、少なくとも私が生きている間はそこまではいかないのじゃないかと。
弱い人間、アホな人間であることを楽しみましょうと。
ぽかやって、馬鹿やって。
そんな人生を楽しみましょうと。

ぽかをやった羽生さんを見て。
羽生さんの大ファンのはずなのに。
気持ちが軽くなった私でした。

届きました。懲りずにっ!

2016年04月23日 16時38分28秒 | Weblog
届きましたよ。
次のヤツが。

平成28年5月15日(日)
柏崎潮風マラソンhttp://shiokaze-run.info/

痛い目を見たばかりだというのにねえ。
ほんとうに私、懲りないヤツであります。
だって申し込んだのは随分前だったのだもの。
まさかこんな体調になるなんて思ってもいなかったのだもの。

今度は制限時間5時間半のレース。
去年はこの大会のハーフマラソンに参加した。
今年はフルマラソンのクラスにエントリー。
「激坂」があります。
6時間制限をギリギリでクリアしたばかり。
その一ヶ月後にこういうチャレンジ。
ホント、懲りないヤツっす。

いいっす。
笑って開き直るっす。
今度こそは!ですね。
ちゃんと仕上げてみせますよ。

ちゃんと身体を仕上げることができれば、5時間半で完走は決して無茶な目標設定ではない。
それだけ成長した自負自信はありますから。
それだけのことはやってきましたから。
ちゃんと走ってきましたから。

さあ、楽しみにしましょ。
今度こそ笑って、文字通りの「完走」ができるように。
日々の行動を積み重ねていきます。

なんたってねえ。
こないだのレース。
あれ以上の苦しい思い、想像できないですから。
あれ以上の苦しさなんてこの先、決してないでしょうから。

そんな貴重な体験をしたのです。
ホント、感謝。
生きていることが楽しい、幸せ。
自分は恵まれている。

今、たいへんな思いをしている人たちがたくさんいて。
私はその人たちのために何もすることができないと自分を責めていた。
今は違うよ。
私の目の前にある課題、やりたいこと、やるべきこと。
真摯に誠実に向き合い行動する。
それもできないのに大きなことを言う方が間違っている。

ちゃんと生きる。
それが将来、「動ける自分」になったときに必ず生きてくる。
そう信じられる。
今の自分、ホント幸せ、感謝!

周りを引っかき回してどこ吹く風。それでも憎めないのだよなあ。(^^)

2016年04月22日 18時39分49秒 | Weblog
父が早く帰ってきた。
まあ、こういうこともあります。
午後一時半頃。
デイサービスの所長さんから申し訳なさそうな電話。

要約すれば、父が手のつけられない状態になっている、ってこと。
こちらの権利とか、施設としての義務だとか責任だとか、究極「契約」を持ち出して駄々をこねることはできます。
その先にいいことは何も起きない。
そしてこの状況で、あちらからは積極的に切り出せないことがある。

早めの送りということにした。
福祉のプロといっても所詮は他人ですから。
父の現状、息子である私が手に負えなくなることもある人。
責める気にはなれませんです。

仮に駄々をこねて父を強引に留めてもらうとして。
それでいつもの時間に帰ってきたら、そのとき父はどんな状態か。
その状態を引き継いで、今夜、そして土日終日、お世話をするのは私だ。
結局私が困ってしまうことになる。

父が早く帰ってきて。
そりゃ突然の予定外ですからあたふたはしたけれど。
帰ってきた父は家に入るなり鼻歌オンパレード。
はあ~~そういう人です。(苦笑)

感動のフルマラソン完走Tシャツの正しい汚し方。

2016年04月21日 10時47分01秒 | Weblog
夜中、父がやってくださいました。
シモのお世話、派手目バージョン。

頑固な汚れのお洗濯
秘密の新兵器。(←いや、秘密ではないですけれど・・・)
初めて使いました。
20160421洗濯新兵器

言われなくてもこんなもん、誰が食べるかい!(笑)
20160421誰が食うかい!

一通り終わって気付く。
トイレの水の流れトラブル。
まあそうとう流しましたからね。
あんなものやこんなもの。
経験しているから原因はほぼ特定できる。
外の排水枡の詰まりですな。

はい、詰まっていました。
夜中、懐中電灯を持ち、手は使い捨て手袋を二重で守り。
這いつくばって、いざ!
やっつけてやりました。
無事、スムーズに流れるようになりました。

結果、そりゃ、私の格好は酷いものです。
外で這いつくばって。
深い排水枡に手を突っ込んで「あんなものやこんなもの」を取り除く。
そりゃ全身凄い汚れになりますわな。
あの格好は人には見せられない。
彼女(がいたとしたら)に嫌われてしまう~~♪(苦笑)

日曜日のフルマラソンの完走Tシャツを一番上に来て過ごす日常でしたから。
あの頑張りの象徴、完走Tシャツが、まあ言ってみれば「う○こまみれ」であります。
たいせつなものですから、懸命に洗いました。
漂白剤使用、つけ置き洗いをして。
それでも完全には落ちずにシミが残りました。

まあ、考え方ですけれどね。
がっかりはしなかったです。
私らしい汚し方だなと。
今の私が誇っていい汚れ方だなと。

お出かけに着るにはちょっと適さないTシャツになってしまったけれど。
家の中ではまだまだ着られる、これからも進んで着ますよ。
この「シミ」で、逆にこの完走Tシャツは真の意味で自分のものになりましたから。
私的にたいせつなフルマラソン完走Tシャツの正しい汚し方ですね。

20160421完走Tシャツの正しい汚し方

脱いで、熱いタオルで身体を拭いて、着替えて。
仕上げは洗顔~~。
20160421作業後洗顔

ご褒美。
とっておきのこれを。
夜中のハーゲンダ○ツ。
お腹にはよろしくないのでしょうけれど。
正直あのままでは寝られなかった。
サッパリしたい。
必要な贅沢でした。
20160421作業後アイス

そして・・・
「また新しい朝がやってまいりました」
あれ??ちょっと古いかな??
もう、とと姉ちゃんの時代ですものね。
おしまい!(^^)
20160421新しい朝がきた-1
20160421新しい朝がきた-2

放っておけば腐るのが当たり前・・・から考えること

2016年04月20日 15時56分54秒 | Weblog
その当たり前に気付く。
食品の場合は特にね。
値段は安いけれど賞味期限が妙に長い。
警戒するようになったよ。

心の病の薬を止めて。
いろんな変化があるわけだけれど。
健康に気を遣うようになった。
以前とは違うレベルとスタンスで。

偶然なのかもしれないけれど。
基本は回復基調にあった心の病。
改善が加速した時期。
走ることを本格的に日常に取り入れた。
食べるものに気を遣うようになった。
そのタイミングが重なるのです。

偶然かもしれない。
いわゆるプラシーボ効果と同じで。
それは思い込みだったかもしれない。

偶然ではなかったかもしれない。
その可能性も突き詰めて考えることになる。

運動をして食べ物に気を遣う。
少なくともそれが健康状態に悪い影響を与えることはないわけで。
ならばそれは続けていこうと。

走る生活。
ちゃんと走ることに向き合う。
そして成果を示す場所も欲しくなる。
ある程度出費を伴うようになった。
快適に走るための用具等の出費。
大会の参加費、交通費、宿泊費。
結構馬鹿にならなくなった。

食べるほう。
これも当然出費増になる。
質のいいものを買おうと思えば前と同じ値段というわけにはいかない。
そして父の年金収入に頼る生活。
出費はなるだけ抑えたい。

食品添加物については割り切って考えられるようになった。
コストパフォーマンス、そして添加物は積算で考える。
今の世の中、食品添加物を完全に食生活からシャットアウトするのはほぼ不可能。
少なくとも今の場所に住んで今の生活環境のままである限り不可能なこと。
まったく摂らないことが不可能なら、いっぱい摂らなきゃいい。
可能な限り抑えればいい。

値段が倍以上、そういうレベルならば、少々の妥協をする。
逆にそんなに値段が変わらないなら、少しお高くても「心が求める」選択をする。
神経質になりすぎたら、逆にストレスになる。
割り切ってしまえば楽なものだ。

結果、やはり以前より出費は増える。
リスクマネジメントの世界だよね。
今、少し増える出費。
結果それがさまざまな病気の発病の可能性を減らす。
将来の医療費が減る。
何よりお金よりも健康を維持できる。
目指している超長生きに近付く。

突き詰めれば笑って生きたいということ。
やっぱり私は笑って楽しく快適に生きたい、生き続けたいのだ。

今日も晴れました。
干した布団はほかほか。
幸せ。
そういうことだ。

笑うことができる生活。
それが一番。
一事が万事。
健康でいること。
父と笑って生きること。
そのための日々、生活。
今はそれに全力を注いでいきます。

フルマラソン「走った距離は裏切らない」真の意味を知った日。

2016年04月19日 04時35分59秒 | Weblog
【今日の写真】
かすみがうらマラソン、完走Tシャツ。
昨日、一日これを着て過ごしました。
今も着ています。
ちっぽけな私の大きな誇りの象徴です。

一昨日、三回目のフルマラソン。
制限時間ギリギリで完走。

二回夜を越えてみて。
わかってきたことがある。

あれは偶然じゃなかったのだと。
偶然には必ず理由があるのだと。

昨日のブログを読んだ方はね。
「あなたが頑張ったからだよ」
そう言ってくださるかもしれない。
頑張って間に合ったのは確かだけれど。
ギリギリだったから、それを体感した本人だからわかる。
2秒前は2秒後になるかもしれなかった。
結果、間に合ったことそのものは偶然でしかない。
それが自分の中での感覚だった。

タイムそのものは偶然。
そしてそれは偶然じゃなかった。
その偶然には裏付けがあった。

自分の中での積み重ね。
今までの人生でやってきたこと。
ちゃんとやったことが生きてきたのだと。

走った距離は裏切らない。
その格言の真の意味がやっとわかった、というより実感できた。
今年に入ってから5回重ねた20kmを超える日常のラン。
昨日の細かいタイムは偶然で。
強風、今にもつりそうな足、ギリギリまで追い込まれたとき。
とんでもないスピードのロングスパートがキープできて、最後まで足がつらなかったのは偶然じゃなかった。
自分はちゃんとやってきた、日々の走りを積み重ねてきた。
その自信がギリギリの状況で最後の支えになったのだ。

世の中に奇跡はある、偶然もある、予期しなかったラッキーがある。
それでも自分の力で成し遂げることができることはさ。
自分が持っている潜在能力までのことなんだ。
火事場の馬鹿力は確かにあったとしても。
どんな奇跡やラッキーも、私の一昨日のタイムを半分にしてサブスリーランナーにすることはできなかった。
私の例を外れるとしたら、ウサイン・ボルトがどんなに頑張っても100mで9秒を切ることはできないわけでしょ。

口じゃなくて手を動かせ。
6時間を切ったとき、その意味もわかったってことだ。
やったことに基づいた「できること」しか成し遂げられない。
大きなことを言っただけで、それに行動が伴わなければ、実現は不可能。
何が何でもがむしゃらにということではない。
努力の量がすべてのような精神論は納得できない。
今の世の中、大抵の世界で効率の良い方法論ならちゃんとあるわけで。
それでも、持てる力以上のものは決して出せないのだ。

九州の大地震。
何かを恨みたくなる風景、現実。
今も続く困難。
見えてこない明るい未来。
その見方も少し変わった。

今は確かに苦しい。
今やらなかったことは、必ず未来の積み重ねの「不足部分」になる。
頑張れないときにできないことを無茶してやってはならない。
自分の持っている力、潜在能力を馬鹿にしたものじゃない。
結局、自分の持っている以上のものは出せない。
ほんとうに悲しいときには、無理せず泣いたほうがいい。
笑う門には福来たる。
人を助けたいという純粋な気持ちにフタをしてはならない。
誰にでも今の自分には逆立ちしてもできないこと、現実は確かにある。
どんなに苦しくても、どんなに小さな一歩でも、まず一歩踏み出さなければ前へは進まない。
辛いときの始めの一歩は、その一歩は間違いなく自分の現状を動かすのだ。

これらのことをひっくるめて少し自信を持って言えるようになった。
一昨日の貴重な体験。
フルマラソン、制限時間ギリギリでの完走と感想。
走った距離は裏切らない。
人生全般でも言えることではないでしょうか。

昨日、かすみがうらマラソン完走。人生最高の頑張りでした。

2016年04月18日 18時16分41秒 | Weblog
最初に言っておきますけどね。
はっきり言って、俺、凄いよ!
昨日の俺はそうとう頑張ったよ!

かすみがうらマラソン 兼 国際盲人マラソンhttps://www.kasumigaura-marathon.jp/

完走。
完走記録証なのだけれど。
「あ、完走したのね」だけでスルーしないで。
良く見てみてね。
ヒント:昨日の大会、フルマラソンの制限時間は6時間です。
20160417かすみがうらマラソン完走記録証

はい、そうです。
制限時間、6時間。
そして私の正式タイム:5時間59分58秒!
ブービー賞獲得~~
20160417かすみがうらマラソンブービー賞

ティッシュケースでした。
私にとって特別なティッシュケースになります。
宝物です。
たいせつに使いまーす。
20160417ブービー賞ティッシュケース

さて振り返り。
調子はそうとうよろしくなかった。
なんでだろ。
持ちタイム、5kmは25分台、10kmは54分台。
なのに・・・
フルマラソンのレースとなると、なんでいつも万全で臨めないのだろう。

10時スタート。
スタート地点のランナー密度は経験していたが。
なんかいつもと違う。
本能で最後尾に移動してそこからスタート。
ここで怪我は一番つまらないから。

ゆっくり走り始める。
なのに、1~2kmで既にふくらはぎの張り。
これではスピードは上げられない。
そして当然落ちていくだろう。
無理のないスピード、落ちていっても最終的に完走できるスピード。
冷静に計算して割り出したペースをキープ。
15kmまではキープできた。
このペースを維持すれば5時間切りもいける。
その矢先、ふくらはぎを中心とする両足の違和感が増す。

馬鹿ではないから方針転換。
終盤最悪のペースダウンを想定して、グッとペースを落とす。
譲れないところ、止まっても歩かない。
文字通りの完走を目指す。
走る、定期的にちゃんと止まってストレッチ、メンテナンス。
しばらくはそれでいけた、最後までいけるはずだった。

そして「それ」はやってきた。
雨と風。
雨はまだいい、予報でも降ると言っていた、予想範囲内だ。
雨が強くなってもそれは許容範囲だった。
大問題になったのは風ですよ。
ただの風じゃない、強風を越えてもう暴風です。

かすみがうらの湖畔で遮るものないところでのこのレベルの向かい風ときたら。
疲れて歩いているランナーが止まるどころか後退してしまうような。
とにかく半端じゃなかった。

とにかく走る。
その決断は捨て去るしかなかった。
歩く、前傾姿勢で可能な限り速く。
走って身体が浮くと後ろへ持っていかれるような向かい風。
走ることにこだわるのは、ただでさえ貴重な体力の無駄遣いに他ならなかった。
この状況で「トップスピードで歩く」ことは走る以上に意味のあることだったから、それは割り切ることができました。

余裕があったはずの制限時間6時間までの残り時間は容赦なく減っていく。
そして脚の状態はますますヤバくなっていく。

経験と実績、そしてそれに基づく計算。
自分の走り、走力、いろいろなパターンを知っている。
最終的に私を支えたのは、それだったよ。

状況はどんどん厳しくなる。
「残り時間」割ることの「残り距離」
それで割り出される完走に必要なkmあたりのペース。
どんどん厳しくなっていく。
計算できるその想定ペースが日々のランのペースをついに越えた。
絶体絶命のピンチ。

給水も取らない、ストレッチで止まることもしない、できない。
40km地点通過。
そのあとのことは良く覚えていない。
とにかく必死だった。
一秒でも気を抜いたら6時間を切ることはできない。
ランナーとしての経験がそれを教えてくれた。

今考えればそれがよかったのだ。
気持ちが切れることはなかった。
一切余裕がなかったからね。

ここで諦めたら、ここまで来て制限オーバーになったら。
絶対に嫌だった。
間違いなく一生の後悔になる。
九州の大地震でたいへんな思いをしている人たちのために頑張る。
そんな建前での頑張り、それは39km地点くらいまでだったよ。
恥も外聞もない。
もう、ただひたすら自分のため、自分だけのため、自分が後悔しないため。

ゴールの競技場が視界に入った。
まだ遠い、それすら考えなかった。
とにかく走る、自分のすべてを懸けて全力で走る。
トラックに入って、ゴールラインと計時の時計が見えた。
このスピードではまだ足りない。
脚よ!何とか持ってくれ!
その一念で力を振り絞って最後のダッシュ!

そして、5時間59分58秒、ゴール・・・

何かが変わる。
漠然とそんな思い。
これだけ頑張ったのだから。
大袈裟でも何でもなく、52年の人生で一番必死で、持てる力をすべて、頑張り抜いた瞬間を経験したのだから。

帽子も頑張ってくれました。
この汚れも勲章です。
20160417風雨のマラソンを耐えた帽子

最後に主催者、スタッフ、ボランティア、関係者の皆さん。
この貴重な体験を支えてくださった皆さんに感謝します。
給水所では二人がかりで押さえていなければ風飛ばされてしまう水がなみなみと入ったバケツ。
ランナーもたいへんだったけれど、このレースを支えてくださった皆さんのご苦労も懸命に走っていたからこそちゃんとわかります。
沿道の皆さんの応援はほんとうに励みになりました。
ラストスパートはこの人たちの熱い気持ち、応援に支えられたものでもあります。
ほんとうにありがとうございました。

いざ、かすみがうらマラソン!生きている走れることに感謝。今は普通を精一杯に。

2016年04月17日 07時43分02秒 | Weblog
さあ、これから走ります。
三度目のフルマラソン。
今日は気張らずのんびり走る・・・予定だったのですが・・・

今、九州で起きていること。
いろんな情報に接して。
胸の詰まる映像を見て。

ああ、今、生きられている。
フルマラソンを走ることができる。
それ自体がとても幸せなこと、感謝したいこと。
その思いがこみ上げてくるとね。
今、自分が直接できることはないのかもしれないけれど。
今、自分ができること、目の前のことに手を抜くのは違うなと。
普通に生きる。
なんでも自粛、遠慮に走るのは違う。
こんな時だからこそ普通の生活を続ける。
その普段通りの生活の中で、やりたいこと、やるべきこと、やれること。
普段通りに、いや普段以上に、誠実に取り組もうと。

だから今日のフルマラソンも。
いつも通りの姿勢で。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。
誠実に、精一杯走る。
チャレンジャーの姿勢を忘れない。

かすみがうらマラソン 兼 国際盲人マラソンhttps://www.kasumigaura-marathon.jp/

さあ、10時スタート。
いよいよです!!(^_^)v

横浜マラソンのときのように私を「追跡調査」するシステムがあるかはイマイチ不明なのだけれど。
念のため情報を記しておきます。
ゼッケン、7410、スタートFブロック。
櫻庭健一。

更なる地震。普通にする勇気、休む勇気。テレビ東京系、普通を通すというポリシーですね。

2016年04月16日 17時32分53秒 | Weblog
朝、7時半過ぎ。
BSジャパン。
20160416普段通りのBSジャパン

同じ時間、NHK総合。
当然・・・
20160416地震のニュースNHK

今流れるテレビ番組。
テレビ東京系が際立っている。
朝ご飯を食べながら、一通りチャンネルをチェック。
各局、ニュース、ニュース、ニュース、地震のニュース。
その中でテレビ東京だけが「いつも通りの番組」を変更せずに流していた。
系列のBSジャパンに至っては画面分割もせず、地震のじの字もない。

凄いと思う。
ここまで来るともうこれは確固たるポリシーである。
地震のニュースを見たければNHKへどうぞ、ってな感じ。
こういう局も必要だよね。
お気楽ということじゃない。

たとえばさ。
心に傷を負って避難先でテレビを見ている人。
今は地震のことは考えたくない。
揺れていようが何だろうが、今はテレビくらい「普通の番組」を見たい。
そういう人たちだっているでしょう。
そういうニーズにはちゃんと応えていると思うんだ。

地震活動は今も続いている。
非常事態長期化の懸念。
一日二日なら人間、火事場の馬鹿力、緊張感での無理無茶もできるけれど。
不眠不休はずっと続けることはできない。
たとえばクオリティを保ったまままったく眠らずに重要かつ困難な復旧作業を続ける。
人間ならば不可能でしょう。

難しい決断、「こんなときに休むなんて」という批判を受けるかもしれない。
それでも、この先、今以上の人手と緊張感集中力が「必要な作業が必要になる」更なる非常事態が起きる可能性を否定できない状況な訳で。
普通にする勇気、休む勇気も必要になることでしょう。

考えれば考えるほど悲しくなる、訳がわからなくなる。
必要な外出40分だけで基本は家事以外一日テレビに食らいついた今日。
私はまた恥ずべき行いをした。
朝起きてまだ布団の中、まずiPadでFacebookをチェック。
大きな地震の情報はあったが「ピークを過ぎた余震」の思い込みがあってちゃんと読まずにスルー、友だちに対して実に脳天気なコメントを書き込んだ。
直後にスマホのマナーモードを解除して「震度6強」とその実態を知り愕然とした。
普通に、と今書いたばかり、何でも自粛自粛もおかしいけれど、いくら何でもあのタイミングであの脳天気な発言は無神経だろう。

そのコメントは編集も削除もしなかった。
自分にとって不都合なことを「なかったことにする」のは、しでかしたことよりも罪深い。
覚えておくために、自戒のためにあえて消さずにそのまま晒しておくことにしました。
偉そうなことを言いながら、まだまだ未熟です、私・・・

熊本の地震を知って私がした狡いこと、知ったこと。

2016年04月15日 10時43分02秒 | Weblog
夜中の地震。
そう、私にとっては夜中の時間であった。
眠りながら気付く、スマホが発する音。
こういう生活。
やたら鳴るのはたまらないから、鳴る条件は絞ってある。
それが、鳴り続けるのだから尋常な事態ではない。
「鳴り分け」は設定している。
とても大事なニュースと気象情報。
どこかで大きな地震があったのだ。
寝ながらでもそれくらいの判断力はある。

マナーモードにした。
それでもバイブも気になるくらいに鳴り続ける。
そしていわゆる「サイレントモード」にした。

しばらくして。
いつものように徘徊センサーが鳴る。
こちらは無視とはいかない。
父のシモのお世話。
終わって自分の布団に戻ってきて。
さすがに良心が咎める。
情報をチェック。
「起きた出来事」を知った。

そして私はまた布団に入った。
知ってしまった、起きたことを知ってしまった。
知った以上は布団に入っても眠れるものではない。
布団を出て、ちゃんと起きた。

・・・と言えば・・・
私はいい人になれるのであろうが。
告白しておかないとね。
卑怯な人間だからさ。
そう偽って申告、ここにもそう書こうともした。
でもね、やっぱり・・・
ダメダメな自分が嫌になった。

ほんとうの話。
私は寝た、寝続けた。
最初、大きな地震が起きたと推察できた時点でも無視して眠り続けた。
地震の事実、概要を知ってからも布団に入って寝た。
それで目が冴えることもなく、すんなり眠りにつけた。
寝なきゃ。
ただでさえ眠る時間が保障されていない介護生活。
寝られるときに寝ておかなきゃ。
さらに日曜日はフルマラソンだ。
ちゃんと寝ておかなくちゃ。
亡くなった人もいるかもしれない。
今たいへんな思いをしている人がたくさんいる。
それでも睡魔と寝たいという誘惑はその「人として正しい気持ち」に勝ってしまった。
父の介護をしているいい人を気取りつつ。
実際はホント、弱い、卑怯な人間だよね。

そしてもう一度徘徊センサー。
そんなものだ。
今度はちゃんと起きました。
少し時間は早かったけれど、再び布団に入ることはしませんでした。

的外れな報道。
いや、今伝えるべきは、そんな被害をこれでもかと見せつけることではない。
今伝えなければならない「必須の情報」があるだろう。
けれど腹は立たなかった。
それを怒れる自分ではない。
この地震を知りながら寝続けちゃった人間だからね。
なんも言えねえ。

改めて思うこと。
今、私ができること、やるべきこと。
まさにそこなのだ。
一昔前なら、建前の「いいこと」を言ってお茶を濁したのだろうけれど。
心の病の薬を止めて、それによるいろんな影響を見ながら、父の介護を続ける生活。
母の看取りも経た。
吹っ切れたのだろうな。
建前を言って、自分にはできそうもないことを偉そうに振り回す。

そうじゃない。
私は今できることをやる、それが今やるべきこと。
こういう非常時だからこそ、それは間違いのないことなのだ。
目の前の現実、必要なこと、与えられた仕事、やるべきやりがいのあること。
それをちゃんとできない人間が大きなことを言ったってね。
目の前の必要なことをきちんと考えない、できない人間が。
この先、世の中のためになるたいせつな仕事なんてできっこないのです。

父をほっぽり出して何ができるというのだ。
今の自分の健康状態でボランティアなんてできるものじゃない。
ボランティアが被災地のお荷物になったら本末転倒だもの。
父の介護、父に向き合い心を込めて今日もこれからも今まで通り。
明後日のフルマラソン。
たいせつなのは人と比較しての記録じゃない。
笑顔と感謝で納得のできる走りをする。

この災害のために直接できること。
微額の寄付。
祈ること。
今できないことを知ることが最大の今できることなのだと。
ちゃんとしなくちゃ。
ちゃんと生きる。
今はただそれだけです。

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
そのご家族の方、心からお見舞い申し上げます。
傷ついた方、被災された方、うーん、言葉が見当たりません、ただあなたたちのことを思い続けたいと思います。

【今日の写真】
朝食準備中、食い入るように地震のニュースを見る父です。
やはり心に響くのでしょう。
認知症でも衰えない部分はある。
私も心が熱くなりました。

放蕩息子、母親の遺産を使い切る?!

2016年04月14日 10時50分43秒 | Weblog
今朝、父がトイレに起きて。
いつものように「交換」して。
もう四月、既に明るい外。
「食べる」と父。

こうなったらてこでも動かない人だ。
まあいい。
気まぐれではあるが、少なくとも少し前まで悩まされていたような「理不尽」ではない。
急いで準備、そして一緒に朝食。

【今日の写真】
時計に注目です。
朝食開始は午前六時。
う~~ん!健康的~~!
勤め人の世界ですな。

昨日を振り返る。
横浜でお買い物。
夏Run用機能性ウェアなど。
わざわざ横浜の百貨店まで出向いたのは意味がある。
この時代、そして私のような人間。
ネットで買えばいいじゃんという話だ。
この手の商品。
百貨店よりはネットのほうが安いだろうし。
サイズ合わせとか、一時は問題になったのだろうけれど。
今はネット通販だってサイズ違いなら交換もできる世の中だものね。

百貨店のお買い物券の存在です。
亡くなった母、上顧客で毎月積み立てて一年でプラスのついた商品券を受け取る。
そんなサービスを続けていた。
亡くなる数年前まではその商品券もちゃんと使えていた、使い切っていた。
諸諸の衰え、行けなくなって、使えなくなって、そのサービスは解約した。
残ったのは未使用の商品券。
そもそも「商品券」という時点で「いつの時代だよ!」って話です。

母が「使えない状態」になって。
高齢化社会、認知症の問題。
こういう例は山ほどあるのだろうな。
それで無効になったら「詐欺じゃん」って非難囂々ってことですからね。
約款はともあれ「息子です」と言って身分証明書を見せれば問題なく使えた。
さすがに、商品「券」というのは百貨店側にとって面倒臭いものらしく「磁気カード」と交換してくれた。

まあ結構な額面があったのだけれど。
使ってはいたけれど、一気に使い切るのは気が引けていました。
母の遺してくれたもの、そう考えると無駄遣いもできないなと。
そして、最近なんか吹っ切れた。
自分の贅沢、都合の良い理屈。
言われてしまえば返す言葉もありませんが。
これも一種の「成仏」ということなのかなと。
ちゃんと使い切ることが、母の思いを繋ぐ、受け取るということなのかなと。
高額の商品券より、日々使う価値あるものに替える。
そのほうが母も喜んでくれる気がした。

昨日、夏用ウェアだけでなく、今後のランニングライフで必要なもの。
少しお高いけれど、長く快適に使えるもの。
まとめて購入して「母の遺産」を一気に使い切りました。
レジでカードの会計処理を待ちながら
「ありがとう、お母さん。」
つぶやく。

高額お買い物をした客へのマニュアルのようなものがあるのだろうな。
店員さんが母の利用していたのと同じサービスを勧めてくる。
たとえば月々五千円積み立てていけば一年後にプラス五千円の六万五千円の商品カードになりますよ、と。
乗っかりませんよ、そんなお話。
が、そこで
「今買ったものがネットで何割安く手に入るかご存じですか?」
そんな大人げない突っ込みはいたしません。
笑顔で「今回は遠慮しておきます」とお断り。

さあ、日曜日はこれを着てレースに臨もうかな。
そう考えると、今回も「特別なフルマラソン」になります。
笑顔で、感謝して、母の思いとともに走る。
いい日にしたいですね。
4月17日(日)
かすみがうらマラソン 兼 国際盲人マラソンhttps://www.kasumigaura-marathon.jp/
さあ、迫ってきましたよー!(^^)/

SとMとの境界線?!いやいや、変な意味じゃないですよ~~♪

2016年04月13日 18時11分23秒 | Weblog
今朝走って。
はい、ポーズ!

今日はRunのためのような日でした。
父がデイサービスに行ってから出掛けた。
横浜へ。

日曜日のレース。
どうも雲行きが怪しくなってきた。
はい、文字通り当日の天気という意味でね。
雨の可能性が高くなってきた。
厄介なことにずっと降り続く感じでもなく、ある程度気温は上がりそう。

着るものが悩ましい。
走る格好。
いろんなオプションはもっておいたほうがいい。

雨の日のレースは経験したことがない。
慣れたオリエンテーリングなら心得ている世界なのであるが。
「純粋Run」のレースでの雨は未知の世界。
長い目で見れば良い経験になる。

そして雨のレースに臨むに当たって。
足りない装備が出てきた。
この先も使うものだ。
買うなら今。
ずっと使うと考えれば価値ある投資になるだろう。

そんなにある機会ではない。
前々から欲しかった夏用の「Run用機能性ウェア」も買うことにしよう。
そして出掛けました。

百貨店、スポーツ用品コーナーへ直行。
選んでいるときに表題の言葉を店員さんから頂いた。
ウェアのサイズはどうなんでしょうという話になって。
「私を測量」してサイズ表を確認しての一言である。
SとMとの境界線。
いやいや、違うって!
誤解した方、違いますよー!
SサイズとMサイズの想定寸法と実際測った私のサイズを比べてのことです。

Mにしました。
だから~~違うって!
Mサイズにしたってことですよ~~
今の痩せすぎは自覚している。
トレーニングのせいだけじゃない。
心の病の薬を止めた影響もある。
いわゆる「離脱症状」のひとつだろう。
それくらいの大人の判断はできます。

この先、ちゃんと「付けるべきところに付ける」予定。
ある意味極限まで絞れた今から付く走るのに必要な筋肉。
今から楽しみなのでありますが。
何はともあれ、私はMで決まり!
だから~~違うんだって!(笑)

自分の心と行動を映す鏡。今日は晴れそうですね。

2016年04月12日 06時09分25秒 | Weblog
嬉しいことがあった。
感動することがあった。

些細なことなのだけれど。
そういうのってやっぱ励みになるよね。

人の評価は気にしないことにしている。
それを気にしすぎた結果、二十歳での心の病だったと思っているから。
良い評価も悪い評価も。
一喜一憂して、それで潰れてしまった苦い経験をしているから。

それでもね。
笑顔とか感謝の言葉とか。
自分に向けられるとそれはやっぱり嬉しい。
こっちだって生身の人間ですから。

認知症が改善したとは思えないけれど。
最近父が目に見えて変わってきた。
いろんな意味で良い方向に。
そういうことなのだろうな。
人の前には鏡があるのだ。

心や行動を映す鏡がある。
私が笑顔なら父も笑顔になる。
私が誠実を心がければそれは父に伝わる。
そういうものなのだ。

介護生活。
いろんなことが日々ある。
決して愉快にはなれない、風景や作業もあるけれど。
少なくとも理不尽な罵声を浴びることはなくなった。
それは続けていくモチベーションの維持にとても重要なこと。

父の「出したもの」で私の手や衣類、ときには顔、汚れること。
それも楽しいことではないけれど。
それよりもね。
愛する人に罵られること。
そりゃ比較にならないほど辛かったさ。

そういう意味での理不尽、不条理がなくなった。
夜中、寝ている間も徘徊センサーを切らなくなった。
不定期予期せぬタイミングで起こされる。
確かに「やること」は増えたかもしれないけれど。
結果、感覚として以前より楽になったのですよ。

「やることの負担」が増えて「心の負担」が減る。
そっちのほうが断然、楽なのだと。
心の病の三十年を経ている私だから実感できることなのかもしれません。

【今日の写真】
今撮ったばかりの東の空。
午前5時45分、雲もなく明るい。
今日は、今の心と同じく晴れそうです。(o^^o)/

「伊集院光とらじおと」始まります。

2016年04月11日 04時50分51秒 | Weblog
今日の私の生活、目玉はこれですね。

伊集院光とらじおと

「伊集院光とらじおと」
TBSラジオ。朝の帯番組。今日から始まります。

伊集院光さんのラジオ。
縁は深いです。
この人のラジオ放送との関わりはそのまま私の心の病の歴史ともなりますから。
馬鹿な笑い、下ネタ、下品。
断じられても仕方のない内容も多かったけれど。
あの「心から笑える時間」がなかったら。
あの頃の私は生きていけなかったかもしれません。
食って寝て薬飲んで病院いくだけ。
極論それだけだった私の二十代。
今思い出せる唯一のプラスが伊集院さんのラジオだったかもしれないから。
彼が聞いたら重たい思いだろうけれど。
大袈裟でも何でもなく「命の恩人」なのです。

その伊集院さんが朝の帯番組に初挑戦。
「ちゃんと仕事をしている生活」ならば、日常聞くことはできない時間帯の放送。
薬を止めて間もない、安定させるために様子を見ている今の生活。
この生放送に基本付き合えることに感謝しなくちゃね。

病気が一番酷かった時期。
そして立ち直ろうとしている今。
彼のラジオ放送が横にあるということに「巡り合わせ」を感じます。
やはりこれは「縁」なのでしょうね。

自身の「ラジオの帝王」という称号について彼が語ったこと。
「エジソン」の前に「下町の」を付けると途端に・・・
やはり、笑った。
そのセンスが大好きです。

女性、年配の方。
下ネタ、下品、ビビらないで聞いてくださいね。
頭のいい人ですから「深夜」と「朝」の顔はちゃんと使い分けてくる。
テレビでの「微笑み知識人」とも違う新しい顔を見せてくれることでしょう。

聴ける限りは可能な限り朝の生放送を聴く。
そしてこの放送を毎日聴けない生活にすることがなによりの恩返し。
伊集院光さんとらじおへの恩返し。
モチベーションにします、頑張ります!