人気ブログランキングに登録しました
応援のクリックお願いします
前回の続き・・・
壱岐研修1日目の様子を
ご紹介します
天気も少し回復し
青空が見えてきました
さあ原の辻遺跡に向かいましょう!!!
原の辻遺跡(はるのつじいせき)は弥生時代の
環濠集落で、『魏志』倭人伝に記された
「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡です。
この原の辻遺跡は“遺跡の国宝”にあたる国の
特別史跡に指定されています。日本で弥生時代の
遺跡として特別史跡に指定されているのは
この他、登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
の2箇所だけです。
これまでの発掘調査で日本最古の船着き場の跡や
当時の「一支国」が交易と交流によって栄えていた
ことを示す住居跡などが確認されています。
遺跡からは交易によってもたらされた様々な
地域の土器や中国の貨幣や三翼鏃(さんよくぞく)
をはじめ日本唯一の人面石やココヤシで
作った笛等が発見されています。
原の辻遺跡が発見された場所は、
長崎県では2番めに広い、
深江田原(ふかえたばる)平野です。
延々と続く豊かな、田園地帯。
そのような場所で、国特別指定遺跡が
発見されたんですね~
弥生時代には、竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)
と呼ばれている建物に住んでいたそうです。
竪穴式住居というのは、地面を円形や四角に
50cmほど平(たいら)に掘って、周囲の内側に
柱を立てる穴を作り、これに柱を立てて屋根を
地面に届くように、ふきおろした住居のことです。
屋根は、「かや」や「草」で作っていました。
家の中では、5~6人くらいの人たちが
生活していたそうです。
↑これは、竪穴式住居の骨組みです。
※復元整備の作業をしている時のもので、今はありません。
↑農作物を保管する、高床式の倉庫です。
外国や九州本土との交易品などを収める倉で
ばんじょうてっぷ
板状鉄斧(鉄の原料)や絹、薬草などがあるそうです
ものみやぐら
↑これは物見櫓(見張り台)と番小屋です。
集落の外の動きを見張る建物で、
音(鳴り物など)で危険を知らせていたそうです
番小屋の中はこんな感じで
物見櫓の見張り番からの知らせを受けて
警備につく兵士の詰め所だったそうです
↑これは従者の宿舎です。
外国からの使節団の長の従者が滞在する建物で
従者は長の世話や護衛などを行なっていたそうです
中はこんな感じです
私はこういう弥生時代とか
昔の建物など見るのが好きで
ここ原の辻遺跡に来てテンションが上がり
駆け回って写真を撮っていました(笑)
壱岐研修1日目、最後に向かったのは
白砂・青松の美しい砂浜で、海岸線の長さは
およそ600m、島を代表する海水浴場のひとつ
筒城浜海水浴場
風は強かったものの、太陽と青い空が出てくれて
絶景ショットを撮ることができました
ここ、筒城浜は砂浜に色とりどりの貝殻が波で
打ち上げられたり、筒城ふれあい広場として
体育館やキャンプ場、アスレチック広場、野球、
テニス、パターゴルフ、モトクロス用コースなどの
スポーツ施設や野外ステージなどがあります
1年通していつでも楽しめる場所ですよね
海も夏がきれいに見えると思いがちですが
冬も負けずにきれいでした
次回は壱岐研修2日目!
他にもたくさんのことを
見て、体験して、学んだので
少しずつご紹介しますね
お楽しみに~
↓ポチッと応援お願いします