つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

世界のマジシャン「島田晴夫師」

2021年11月07日 | TAMC
島田晴夫師を囲んで

 日本が生んだ世界のマジシャンとして名声の高い島田晴夫師であります。島田晴夫師が日本に来た時に、東京アマチュアマジシャンズクラブ会合に特別参加して実技を見せてくれました。その後多湖輝先生の企画で開催された島田晴夫師を囲む懇親パーティー」のときの写真であります。(2011年7月)

 島田晴夫師
は、日本のマジシャン。四つ玉、鳩出し、傘出し、ドラゴンイリュージョンといった演技で知られる。東京都出身。現在はハリウッド在住。15歳のとき、デパートで手品の実演販売を見て、マジックを始めるようになる。その後、初代引田天功と出会い、彼に誘われてテンヨーのディーラー(実演販売する人)として働くようになった。当時は高校生だったため、昼は実演販売をして、夜は学校に行っていた。高木重朗氏と親交があり、彼からも奇術を習っていた。
17歳のころ、アメリカから帰国した石田天海氏に四つ玉の演技を認められ、週に1回の頻度で習いに行くようになる。19歳のときに昭和天皇の還暦祝いでマジックを披露した。

 1960年に映画『ヨーロッパの夜』が公開され、そこでのチャニング・ポロックの鳩出しの演技が日本のマジシャンの間で話題になる。チャニング・ポロックはそこで7羽の鳩を出していたが、松旭斎天洋師匠に「10羽出せたらリサイタルを開いてやる」といわれたため島田晴夫師は本当に10羽の鳩を出現させるルーティンをつくり、約束通りにリサイタルを開いてもらった。その後も鳩出しの演技は大きな支持を得て、米軍キャンプやキャバレーなどの仕事で十分な収入を得ることができた。
 1965年には日本を離れ、それ以降は主にオーストラリア、イギリス、メキシコなどの日本国外で活動するようになる。イギリス滞在時には、四つ玉・鳩出し・ミリオンカードといった日本でおなじみの演目ではなかなか評判を得ることができず、「なぜ日本人らしい演技をしないのか」といわれたことから、和傘を出すルーティンを開発し、メキシコでまとめあげた。マジックキャッスルで演技を終えたあと、すでに引退していたチャニング・ポロック氏からビバリーヒルズの彼の邸宅に誘われ、その後ポロック氏は島田晴夫師のマネージャーとなった。しかし、ポロック氏から島田晴夫師は「傘出しのルーティンは美しいがガッツが無い」との指摘を受ける。そのころ大阪で日本万国博覧会が催されており、そこで石見神楽の八岐大蛇に触発され、架空の動物などのファンタジックな要素をルーティンに組み入れたいと考えた。その後2年の歳月をかけて、ドラゴンを登場させたイリュージョン(ドラゴンイリュージョン)を開発し、ラスベガスなどで長期にわたって演じ続けた。1973年にはフランスのオリンピアで開催されたFISM国際大会のガラショーに出演している。1974年にマジックキャッスルが優れたマジシャンに贈る「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。


 

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