つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

諸石一彦さんのこと

2008年11月12日 | 友人
                      諸石一彦さん

都立竹早高校の7年先輩に諸石一彦さんがいます。
竹早高校創立100周年記念式典の行われた文京シビックホールで隣の席に座ったことが縁で、その後も交流が繋がっています。

記念式典の運営に携わっていた関係で、諸石一彦さんは同期生である緒形拳さん(俳優)の出席を要請していて実現させた人です。
司会者が、緒形拳先輩の来場を伝えると女子高校生たちの黄色い歓声が会場内に響き渡ったいました。

諸石さんと緒形拳さんは、野球部に所属していて、国広先生の指導を受けていました。
その後、緒形拳さんは野球部をやめて演劇部に力を入れるようになったが、諸石さんとの交流は続いていた。
緒形拳先輩の高校時代の蛮勇振りを良く知っている人物でもあります。

昨年4月、国立大劇場で公演した劇団若獅子「国定忠治」に出演した緒形拳さんの楽屋に諸石さんとともに訪れました。
そのとき諸石さんが「いつまでも元気で活躍して下さい」と緒形拳さんへ話しかけたら、神妙な顔をしていた。そのとき既にがんの病魔に冒されていたのです。
以前に諸石さんは野球部の恩師である国広先生の死去の連絡もしていたものだから、緒形拳さんは「また学校のことで何かあったら連絡してほしい」と、諸石さんへ笑顔で返答をしていました。
出演前で化粧をしているところでもあったので、緒形拳さんの楽屋を早々に後にしたが、諸石さんが緒形拳さんと会ったのが最後となってしまった。
諸石さんは、緒形拳さんのことについて、竹早高校同窓会の次回の篁会報に掲載することになっているとのこと。

諸石さんは、私が主宰していた豊島研修会にもよく参加してくれました。
躰道壮年倶楽部の懇親会にも出席をしてくれました。
劇団若獅子の公演にもよく観劇してくれました。
先日のNPO法人睡眠時無呼吸症候群ネットワーク設立発足会にも参加してくれました。
私の呼びかけには、よく応えてくれます。

地元の江戸川区では、学校のPTA会長職の経験や今では少年サッカーのコーチ等の活動に奔走しています。
70歳とは思えないはつらつとした元気印の人物が竹早高校の先輩である諸石一彦さんです。

(11月12日記)

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