つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

東日本大震災から一年(被災した友人たち)

2012年03月13日 | 躰道
                 津波の恐ろしさを認識させた東日本大震災

東日本大震災から一年が経過した。
2万人あまりの人が犠牲者となった。
テレビでは各局が東日本大震災と福島原発事故の特集番組を放映している。

東北には躰道の仲間たちが多くおります。

◆門馬玉昇さん(宮城県躰道協会前理事長)は、宮城県女川町の職員として長年勤め勇退後も老人たちの介護活動に尽力していました。その日、老人たちを避難させる途中に津波に呑み込まれてしまいました。一週間後、建物の下で遺体で発見されました。息子である門馬史和さんの初めてのお子様が4月に生まれる予定で、その時には札幌まで孫に会いに行くと電話をしていたのは3月11日の午前中のことでありその数時間後に津波の被害に遭遇してしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

◆小松武さん・万里子さんご夫妻(気仙沼躰道協会指導者)は、気仙沼で牡蠣やホタテ貝の養殖をしておりました。津波により養殖のいかだは全滅しました。住居も2階建ての屋根まで津波が押し寄せ全壊しました。被災者仮設住宅で過ごしながら、気仙沼市役所の臨時職員となり被災された人たちの援助活動に尽力しております。家族は祖父が5月に病院で亡くなりましたが、その他の家族は元気に頑張っているとの便りがありました。

◆志摩制基さん(宮城県躰道協会最高指導者)は、石巻の会社から市内の銀行へ車で行く途中に東日本大震災に遭遇してそのまま石巻市内の高台となっている日和山へ移動して津波の難からは逃れました。日和山から見える北上川河口の周りは津波により全て建物が流されておりました。奥さんの洋子さんも津波に巻き込まれましたが運よく人に助けられました。二人が安否を確認して再会できたのは4日後のことでした。家はかなりの破損があり被害にあいました。高台であったので水難は逃れました。

その他多くの友人たちが東日本大震災で被災をしました。
一年経っても復旧もままならず、復興は何年後となることだろう。
政府の率先的な復旧活動を願うものです。

(3月13日記)
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