財政規律の愚劣さについては、12月14日の日記で書きました。
日本「円」は機軸通貨「ドル」体制下の変動相場におかれ、海の中に浮遊するクラゲのように極めて浮動性の高いものになっているという基本認識が必要である。しかしそのような認識を有する日本の政治家もエコノミストも学者も皆無である。「円」は「ドル」を基軸とした地域通貨の状況におかれているということは過去にも述べた。
この基本認識を欠いて、いくら財政赤字や、日本の国債発行量にたいする危機感を述べても意味がない。それでも、政治家、ジャーナリスト、マスコミ、エコノミストにいたるまで何がなんでも「財政規律」に固執したがる。
とりわけ、「財政規律」を主張するグループには、新自由主義(市場原理主義)に染まった人々に多い(例えば、小泉チルドレンの片山さつき氏や経済学者の池田信夫氏ら)。新自由主義派の主張こそ、規律を壊してとにかく自由な競争に重きをおく人々だったはず。それが国家財政だけは「規律」を主張しているのだから、私に言わせれば笑止千万である。少しは頭のなかの規制緩和をしてもっと自由な発想をしてみたらどうか。
金本位制もしくは、ユーロ体制ならば「財政規律」を守るらざるを得ない。前回(12月21日)に指摘したように、ドルは金(ゴールド)からみれば、金本位制時代にくらべ32倍も安くなっているのにたいして「円」は8倍である、「円」との較差は4倍にもなる。規律に反したドルの乱発がこのような大きな較差を招いたのである。そのドルに浮動する円の規律をいくら主張したところで意味がないことに彼らは気づいていない。
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