明け烏:
何という題名で著者の名前も忘れてしまったのだが、ある(リフレーション派の)経済学者が、学生たちに(デフレ派の)エコノミストは「経済のグローバル化が進めば資本、製品、労働力、などが急速に行き交うようになるから必然的にデフレになる、と主張している」と講義すると、一人の学生が憤って「それなら鎖国をすればデフレは起きないというのか。吉宗の時代にもデフレはあったぞ」と叫んだそうである。
その本の著者は、この学生のセンスを褒め、暗にデフレ派の誤謬を指摘していた。さらに吉宗によって引起されたデフレは、結局、元文小判の発行による通貨量の増大によって、あっと言う間に解決できたこと、つまりデフレが努めて貨幣的な現象である旨を述べていた。至当な言であったと思う。
我々が唖然とせねばならないのは、一学生によって簡単に看破されるような「グローバル・デフレ論」をマスコミや御用学者のみならず、くしゃくしゃなベビーフェイスの前日銀総裁が、真面目な顔でぬけぬけと(しかも本気で)記者会見でしゃべっていたことなのである。
いかりや:
まさにその通り、デフレは貨幣的な現象です。現在のデフレを解消する一番手っ取り早い方法は、貧しい人たちに金を配ればいいんです。「金」が世の中を回る仕組みこそ経済発展の基本中の基本だと思う。
日本には江戸時代から「金は天下の回りもの」という諺(ことわざ)があります。江戸っ子は「宵越しの金はもたない」などと自慢げに言っていますが、「金」が世の中を巡り巡ってまた自分たちに巡ってくる仕組みを知っていた。徳川幕府が世界の歴史にも稀な250年以上も長持ちしたのは、「士農工商」と「金は天下の回りもの」という考え方があったればこそだと思う。日本文化の大部分は江戸時代に花咲いたと言っても過言ではありません。「実体経済に金回らずして経済発展なし」 日本の経済学者は外国(アメリカ)の学者のご託宣を吹聴するばかりでなく、もっと日本の「過去から学ぶべきです」(アメリカは江戸中期に生まれたばかりです)。
ワーキング・プアーや非正規雇用という言葉に代表されるごとく大量の貧困層がある一方で、「金余り現象」という金持ちグループが偏在しています、これが金が回らない現象を引き起こしています。
日本の最近の経済学者たち(特に新自由主義=市場原理主義者)は、
①日本の通貨「円」が完全に「ドルの支配下」におかれているという認識が欠如している・・・最近ようやく円高を声高に言われるようになったけれど手遅れ状態。
②規制を経済の障害とみなして、規制をはずして自由に競争すれば経済は発展するという誤った認識を抱いている・・・経済は人間が創造した人工的構築物であって、他の生物は持たない。それ故規制をはずして自由に競争すれば強いものだけが生き残って行くのは当然のこと、弱肉強食のすさんだ社会になる。人間らしく生きるためには程よい規制によって経済を発展させ「共生して行く理念」が必要だと思う。
一部の金持ちが、貧しい人を食い物にしている世界、その典型がアメリカでしょう。アメリカは口では「人権」とか「自由と平等」などと言っていますが、貧しい人の上に金持たちが君臨する社会、そしてアメリカは日本を食い物にしています。だから私は日本はアメリカからの自立が必要と言い続けているのです。
蛇足1:
『御用学者たちを嗤う歌』
デフレ インフレ 別れ船
民を乗せない 地獄船
リフレ姿も 他国のそら似
ノーパン・シャブシャブの 亡国論
蛇足2:
明け烏、
汐留再び・・・
思い返せば、野っ原のようだった旧国鉄の操車場跡が民間に払い下げられたのは、まさしく「中曽根民活」のころであったような気がする。国民の物忘れのひどさにタカをくくったのか、ここに堂々と建ったのが「電通」と「日本テレビ」だというのは、あまりに人を舐め切ってはいないだろうか。
また、ここと築地とは指呼の間、築地魚市場の移転で生じる空き地に何が出来るのか今から楽しみである。まあ前記の2社にとっては、うまい話であることは間違いなかろう。
尖閣の漁船事件から「中国に舐められるな」という甲高い大声が聞こえてくるが、本当に舐めて、かかって来ているのは、何処の国なのか考えてみた方が良い。
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