いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

『安全神話』という常識:「常識」という「非常識」は社会の支配層が意図的につくり出す

2011-04-16 19:31:29 | 日記

明け烏:

「常識」というもの、
記憶だけで書くが、司馬遼太郎氏の「人間の集団について」の中に、次のような内容のくだりがあった。

アメリカが、国を傾けるほどの戦費をつかって大規模な兵力を投入し、東南アジアの熱帯雨林地帯に地形が変わるほど爆弾を落としたことは「常識」からは理解することが出来ない。ここで「常識」といったのは「理論」ではないのであって・・・・、

人間のつくりだした「理論」や「思想」というものは、よく噛んだチューインガムのように可塑的なもので、それを使って仏像を作ることも出来れば、ワラジ虫のような形にすることも出来るものなのだ。

このアメリカのベトナム戦争での、乱痴気騒ぎを「地震国での原子力発電所の50基以上の建設・稼働」に置き換え、理論の部分を「地球温暖化防止理論」「エコエコ理論」「工業立国理論」「無資源国理論」「肺がん喫煙理論」に置き換えるとピタリと嵌まるから驚きとともに物悲しさを覚える。

 今となっては繰言になるが、「常識」からすればここまでの原発建設は恐怖すべきことなのである。そして私も含めて人間というのは、少しでも熱狂の気味を帯びた流れに巻き込まれると「常識」を完全に忘却してしまうものなのだろう。2000年以上前に創作されたと伝えられる「イソップ童話」にも同じような話がある。

いかりや:
 科学は進歩しても人間の心は、「イソップ物語」の時代と変わっているようで変わっていない。科学の粋を結集した原子力発電所も津波という自然の前にあっけなく壊れてしまった

 常識を疑えとよく言われます、しかし常識に洗脳された脳(庶民)はその常識にしがみついてなかなか離れらないというのが一般常識(笑)です。かく言う筆者でさえ、今でこそ声高に原発反対を唱えているけれど、昔は「疑問と不安を感じつつもエネルギー資源の乏しいこの国では仕方がない」派であった、格好良く言えば、「俺らは騙されていた」のだ。

 一方の騙す側は、あの手(安全神話)この手(地域にお金を落とす)を使って住民をその気にさせる。この社会にあっては常識を生み出す側、つまり騙す側は常に社会の支配層であることを忘れてはならない。そしてその常識(大本営発表)を破ろうとする者は、常に少数派であり困難(苦境)を強いられる・・・今回の原発事故の場合で言えば、京都大原子炉実験所の小出裕章助教(61)だろう。原発推進派から反原発派に転じて40年、原発の危険性を訴えてきた。この期に及んでやっと脚光を浴びる存在となった。話は飛びますが、現在の日本経済の苦境を、従来の常識を破る手法(政府貨幣発行権)で解決を主張する丹羽博士(大阪学院大名誉教授)たちのグループも社会の少数派である。

 長年(29年前)「原発への警鐘」を鳴らし続けた経済評論家の内橋克人氏の「原子力安全神話はいかにして作られたか」(3月29日)に耳を傾けてみよう
 
http://bit.ly/geYK43

ブログ「地球時間 できることからはじめよう」(下記URL)からの孫引きです。
http://ameblo.jp/jikyuujisoku/entry-10845108018.html