goo blog サービス終了のお知らせ 

遊一改め入船亭扇蔵、出演情報。 

2015年3月、扇蔵を襲名しました。タイトルは、今も仮です…。

無精の宅急便

2008年04月26日 | 日記
21日~25日。 大型連休に突入、日記も小休止。 ふだん行かない区役所や税務署、行かねばならない踊りの稽古と師匠宅など…。

その師匠宅、表の掃除をしてると、宅配便のおじさんが来ました。 受け取ろうとすると、笑顔で「良かったぁ!」と一言。 荷物を見ると遊一宛、ウチが留守なので、師匠宅まで来たらしい。 「同じ名前だから、こっちにいるかと思って」って…、そういう問題じゃないと思いますが。 たまたま今日はいたけど、いつもいる訳じゃないし。 さらに、「信号のトコも一緒かい??」って、一緒の訳ないでしょ、先輩宅です。 しかもあちらは“古今亭”、名前も違うんだから。 間違っても持っていかないよう、懇願した次第。


税務署内に備えつけの自販機、安いですねぇ。 500ミリのペットボトル、リポDが120円。 缶ジュースや缶コーヒーは、驚きの90円! 500ミリの水も90円です。 別に、見たこともないブランドではなく、有名メーカーの商品です。 自販機の電気代分で10円安いのはよくあるが、30円安は珍しい。 区役所の自販機は確認しなかったけど、役所はみなそうなんでしょうか?? それとも免税措置?? 10年以前、自動販売機調査のバイトもしていたので、かなり気になるところです。


踊りの稽古は「藤娘」、なかなか“娘”になりきれません。 若い娘は大変ですね、常に筋肉痛。


“カミプロ”(旧称:紙のプロレス)の宮戸優光氏のインタビュー、興味深く読みました。


内幸町ホール、師匠と喜多八師匠の二人会。 カバンを持っていき、袖で勉強させて頂く。 前座さんが2人も配置されているので、楽屋は安心です。 落語会の数が増え、前座さんは忙しいようだ。 羨ましい限りです。

亥年のエビ―

2008年02月29日 | 日記
27日。 今朝は師匠宅、風が強いので表の掃除は大変。 そろそろ、花粉も飛び始める頃だし。

花粉以外に“えび・かにアレルギー”でもありますが、そんな私に朗報。 エビ・カニを原材料とする場合、その表示を義務化すると、厚生労働省が発表。 2010年度から実施されるとのこと。 やはり、世の中には同じ悩みの人が大勢いるらしい。 その前に、タコ焼には桜えびを入れないで欲しい、あとチャーハンにも。 えびアレルギー所持者の切なる願いです。


28日。 恥ずかしながら、誕生日。 36から37へ、竹刀の寸法(もちろん尺貫法、三尺七寸)みたい。 中学の時、少しでも有利なように、みんな36(サブロク)なのに、私だけ37を使ってました。 一つ齢を重ね、一寸は進歩したいものです。


※同じ誕生日だと思ってた原田芳雄さん、ホントは29日生まれで、白山雅一先生と一緒。 佐久間象山という大人物が、同じ誕生日だと初めて知りました(ワイドショーは、よく調べます)。

歴史で言うと、千利休の切腹が2月28日。 あと、浅間山荘事件で機動隊が突入した日が、私の一歳の誕生日です(もちろん記憶無し)。

かくれ里句会行

2008年01月01日 | 日記
29日。 扇橋一門で、お墓参りへ。 先代扇橋師匠、三代目三木助師匠、扇蔵師匠、五代目小さん師匠。 4ヶ所を、私の運転で回ります。 責任重大なこと、この上も無し。

無事故・無違反(正確には無検挙)で任務を終え、末広亭で正朝師匠と二人会をしている師匠のもとへ。 楽屋へ着くと、ちょうど仲入り。 師匠の「ねずみ」と、正朝師匠の「芝浜」を、ソデで聴く。

立見のお客様もいらして超満員のお客席と三本締め、無事に終演。 師匠宅へカバンを届け、一門の忘年会へ急ぐ。 忘年会は、句会です。 今回の題は“芝浜”、正朝師匠の高座を勉強しつつ考えました。

  除夜の鐘 芝の浜へも 届きけり


おかげさまで、大師匠が特選に取って下さいました。 二度目の快挙! でも、4時まで飲んじゃいけません。

30日。 午後、引越し&新年の準備(主にお年玉)。 

首相が訪中、世界遺産・孔子廟にて「故きをたずねて、新しきを知る。 そんな心境です」とコメント。 

お約束の誤用です。 孔子は、“故きを温めて新しきを知る、以て師となるべし”と言ってます。 古いことに習熟して、新しいこともわきまえれば、教師となれるだろうと。 “温故”と“知新”の二つが車の両輪というのが、通常の解釈の筈ですが。 誤解・曲解が多いようです。

“温故知新”の精神、改めて大事にしなくてはと思った次第。


31日。 師匠宅にて、大掃除。 夕方、一度帰宅、学生時代の友人の訃報が…。 しばらく会ってなかったが、そんな悪いとは知らなかった。 “喧嘩芸骨法”(当時)を習っちゃうような元気な奴だったのに。 よく行く東中野、ホームから見えるのは骨法道場。 今まで以上に、思い出しちゃいますよ。

師匠宅に戻り、年越しを。 なんとか、来年につながりました。 

今年もお付き合い下さり、ありがとうございましたm(__)m 来年も、よろしくお願い申し上げます!


※すいません、ちょいと酔っ払ってます。

今すぐ、引っ越し

2007年12月29日 | 日記
25日。 今朝は師匠宅へ。 この年末は、師匠宅・今のアパート・引越し先の3ヶ所を、グルグル回ることになりそうです。

26日。 午前、暮れの挨拶回りがようやく終了。 毎度、ギリギリ。 午後、冷蔵庫や洗濯機などを、引越し先に運ぶ。 現アパート向かいの方に、「お引っ越し? 落語家さんのサインもらったおけば良かった」って。 一度も「落語家です」なんて言ってないのに、完全にバレてる…。


27日。 東京会館にて、“落語協会・納めの寄り合い”。 要するに忘年会です。 11時に開宴、流れ流れて、帰宅の途についたのは23時。 忘年会とは言え、飲み過ぎです。


28日。 日中は、引越しと床屋。 夕方、明日の句会(忘年会)の景品を買いに行く。 途中、とある百貨店のサービスカウンターへ。 銀行並みの混雑の中、番号札を取って待つ。 「○○○番のお客さま」、呼んだ女性を見て驚きました! 前座の頃に大変お世話になった、某師匠の前マネージャー。 こういうことって、あるんですね。 


※ネットがつながらないので、しばらくは携帯から投稿します。


めざましテレビ

2007年12月09日 | 日記
7日。 いつもより早めに師匠宅へ行き、師匠のお供を。 谷中にて墓参、師匠と二人で来たのは初めてだ。

ちなみに、師匠と同じ高座に上がるのは年内、残り2回です。 29日の末広亭余一会は、一門でのお墓参りのため、前座以来出演回数はゼロです…。

12月中席、鈴本演芸場・夜席の11日と20日、師匠のだいぶ前に上がります。 師匠はトリで「芝浜」です。 15日も、師匠がトリで「芝浜」です。 遊一は11・13・14・16・20日の5日間、17:25上がりです(先日は17:30と記しました、スイマセン)。 


8日。 テレビっ子(オヤジ)の私は、テレビが目覚まし代わりです。 今朝も、タイマーで点いたテレビの音声を聞きながら、布団の中でマゴマゴ。 頭は覚醒するが、まぶたは閉じたまま。 占いのコーナーが始まるも、どうせ魚座は一番終いだと、目を開けるのを数秒粘っていると、「しし座は、幸い(さいわい)転じて福となります」との女子アナの声。 。 「おいおい」と思いつつ、画面を見ると、“災い”になってます。 番組最後のコーナーゆえ、訂正も無しですよ。 おかげで、ちゃんと起きられましたが。 まさに災い転じて…、です。

“人間万事塞翁が馬”は、フツーに読み間違いが多いですね。 人間は“じんかん”と読み、世間という意味ですが、みな“にんげん”と読んでますよ。


今日は、一門で暮れのご挨拶へ。 いつもはいらっしゃらない師匠が御在宅で、驚きました。 朝っぱらから大勢に押し掛けられた師匠の方が驚いたでしょうが…。

その後、事務所で早朝寄席のチラシを作成。 お客様の数が増え、頻繁に刷らないと間に合いません。 作業は疲れますが、ありがたいことです。 年末・年始はお休みしますので、落語協会HPでご確認下さい。 http://rakugo-kyokai.or.jp/



一字が万事

2007年11月21日 | 日記
20日。 国立劇場で、『摂州合邦辻』を観る。 通し狂言ゆえ、見応えがありました。 襲名後の藤十郎は初見、我當も良かった。 上方の町人が大勢出てくる場面、帯の締め方はやはり上方のそれでしたね。 衣装や鳴物も、楽しめました。

日没前に赤坂、円通寺と氷川神社、南部坂辺りを下見する(仕事です)。 坂だらけで、くたびれました。


21日。 踊りの稽古へ、「奴さん」「深川」「七福神」を。 しばらくサボってたので、疲れました。

帰りの山手線、隣に座った若い白人男性に話しかけられる。 胸の名札にはキリスト教の宣教師と書いてあり、○○長老と名前が書いてある。 長老にしては若く見えるけど…、歳を聞いたら19歳、大学を休学して日本で布教活動をしているとのこと。 「社会人ですか」と聞かれ、答えに窮する。 仕事を説明するのも難しい。 「何か信仰してますか」と問われて、これも返答に困りました。 でも、コンフューシャス(Confucius=孔夫子)や儒教をご存知だったので、会話もつながりました。


※先日の貞山先生のネタ、「柳生二階笠」と表記しましたが、もちろん正しくは「二蓋笠」。 当日、前座さんにネタを聞かれたので、ネタ帳には「柳生二蓋笠」と書くように言いました。 が、高座では「にかいがさ」とおっしゃってたので、迷って“階”と書いた次第で。 すぐにご指摘頂きましたので、訂正致しました。 楽屋の先輩方は、とてもありがたいです。


子曰く、「必ずや名を正さんか…。 君子、其の言に於いて、いやしくもする所なきのみ」と。 「せめては名を正すことだね…。 君子は自分の言葉については、決していい加減にしないものだよ。」(『論語』子路篇)

「世の始めに、すでに言葉(ロゴス)はおられた。 言葉は神とともにおられた。 言葉は神であった。 この方は世の始めに神とともにおられた。 一切のものはこの方によって出来た。 出来たもので、この方によらず出来たものは、ただの一つもない…。」(『ヨハネ福音書』第一章)



今更ですが、言葉って大事ですね…。

かめだけ

2007年10月18日 | 日記
17日。 久しぶりに踊りの稽古へ。 相変わらず、汗まみれになる。 12月2日(日)の昼、これまた久しぶりに踊ります(人前で)。 また改めてお知らせしますが、日暮里サニーホールでの師匠の会、開口一番と踊りです。


※何度も言いますが、“亀田家”が“亀嵩”に聞こえて仕方ない昨今。 「砂の器」親子とは違う宿命を背負った亀田親子の記者会見を見て、つくづく落語家で良かったなと。 弟子の私がしくじった時、師匠が頭を下げてくれましたから。 その時は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 でも同時に、師匠の有り難さも感じました。

人生いろいろ

2007年09月23日 | 日記
22日。 とある用事で、後輩に電話。 ちょっとしたお願いをすると、「辞めちゃったんで…」という返答。 「えっ、何を?」「噺家、辞めました」。 つい数日前、正式に辞めたとのこと。

二ツ目になって2年位だろうか、頑張ってると思ってました。 前座の時は、辞めたり、クビになったりは、よくあることですが…。 二ツ目になってからというのは、もったいない。

※悪いことをする時は、“手を染める”。 でも、悪いことをやめる時は“足を洗う”って、なぜ??


夕刊だろう

2007年09月22日 | 日記
21日。 9月下席初日、今日から“木久扇・木久蔵W襲名披露興行”です。 上野・新宿・浅草・池袋と40日間、華やかな興行が続きます。 ぜひ、寄席へお運び下さいませ。

師匠は、上野・新宿と20日間のトリを終えました。 ようやく、ゆっくり出来るかと思いきや、今日から寄席を2軒掛け持ちです。 私は、今日からお休みです。 遅い昼食は“木久蔵ラーメン”の醤油味を。 パーティの引出物で頂きました。 ラーメン用のどんぶりももらいましたが、勿体なくて使わず。 言っときますが、“木久蔵ラーメン”は「ウマい」んですよ。 お土産にも最適です。

先日、読売新聞の取材を受け、「22日の夕刊に」とお伝えしましたが、1日早い掲載となりました。 コメントのみかと思いきや、高座の写真まで! でも、写真に“入船亭遊一”の名は無く、知ってる人にしか分からない。 ということは、殆どの人が分からない…。 



帰省中

2007年08月19日 | 日記
17日・18日。 埼玉の実家へ帰る。 最寄り駅(と言っても、10キロはあります)まで、母が迎えに来てくれる。 母の車は“熊谷”ナンバー、それを見るだけで暑っ! しかも軽自動車だから、“熊谷 40”って、イヤな字面。

実家近くのお寺へ、一人お墓参り。 祖父が、曽祖父母の為に、立派なお墓にしたのが、確か小3の夏だったか。 住職が一所懸命に読経をなすってました、が、その衣に火が移り、私の目の前で衣が燃えてるん(穴が広がっていく)です。 あまりの驚きで声が出ず、祖母に目で合図。 なんとか消し止めましたが…。 後年、春日部東口の塾で働き始めた時、春日部西口教室の教室長が、この住職のご子息と知った時は驚きました。 世間は狭い。 

夜は、同級生と一杯。 今宵は、大人しく一軒でお開き。 ちなみに、我らが母校は騎西(きさい)中、きせいちゅうではありません。

明けて、実家の自室で探し物。 積ん読の書籍を見繕い、持ち帰る。 中公新書の『フランス大革命に抗して』、フランス革命に抗して戦った絶対王政主義者の生涯。 『ベルサイユのばら』だけ観ていては、ダメですね。

※95歳の祖父と90歳の祖母が、元気なのが何よりの里帰りでした。



甲子 混同

2007年08月16日 | 日記
14日。 最近の日記、2日毎だったり、2日遅れだったりするのは、理由があります。 休みだからです…、だらけてます。

昨日、後輩に電話で、「兄さん、夏は甲子園を見なきゃダメですよ」と言われたからではないが、朝からテレビ観戦。 炎天下で頑張ってる球児・応援団には悪いけど、冷房の利いた部屋での観戦が一番。

第2試合は、我が故郷の埼玉代表・浦和学院が、お隣りの群馬代表・前橋商業と激突。 埼玉代表は、無条件で贔屓にする私ですが、浦和学院も例外ではありません。

鈴木健を中心に準決勝まで進んだ初出場の年は、鮮明に記憶に残ってます。 名将・野本喜一郎監督が、甲子園初戦の直前に亡くなり、その遺影をベンチに戦い、感動を呼びました。 松山商業戦で敗色が濃厚となり、チンタラやって怒られてましたが。

野本監督は長らく、県立上尾高校を率いて甲子園の常連でした。 牛島やドカベン香川を擁した浪商とも戦ってます。 その時の上尾高校のピッチャーは、仁村三兄弟の次男・仁村徹。 後に、東洋大を経て中日に行った選手(いわゆる仁村弟)です。 仁村と牛島の投げ合いは、小学生の私ですら、手に汗を握った名勝負でした。

現在、浦和学院を率いる森監督も上尾高校から、野本監督が以前指揮をとっていた東洋大へ。 みんな、私の先輩という訳です。 ジャイアンツの清水は浦和学院から東洋です(後輩だよ)。

野本監督は、私の故郷・騎西町のお隣り、加須市の出身(鯉川のぼる先生と一緒)、不動岡高校で活躍しました。 私の祖母の実家のご近所さんで、祖母とも幼なじみ、ですから当時の話はよく聞きました。 庭で一緒に遊んだ話やら、高校時代に野球で有名だった話、祖母の妹とのデートを尾行(曽祖父の命令)した話まで。 

浦和学院が甲子園に出ると、いろんなことを思い出します。


5回同点に追いついたところで、ウチを出る。 駅に向かう道すがら、前を歩く師匠を発見。 師匠はこれから浅草、住吉踊りだ。 途中まで、ご一緒する。

某温泉施設で汗を絞るつもりが、超満員のため断念。 映画『TOKKO―特攻―』を観ることに。 ドキュメンタリーゆえ、特攻隊の生存者の証言は重く響く。 当時は、“神風”だの“特攻”とは言わず、“体当り”と言ってたようだ。 

帰宅して、NHKスペシャル『パール判事は何を問いかけたのか』を観る。 前日の『A級戦犯は何を語ったのか』が、良かったので。 シンガポールで処刑されたBC級戦犯を取材した、『処刑台に散った父』(テレビ朝日)も秀逸でした。


※浦和学院は残念ながら敗退、お疲れさまでした。




カン話 及第

2007年08月14日 | 日記
12日。 同級生と、キラー・カンのちゃんこ屋さんへ。

カウンターで、飲み食いしてると、「談志さんとこの若い人か??」と、カン氏に聞かれる。 ほとんど、プロレスの話しかしてないのに何故? 

「いえ、談志師匠の弟子ではありませんが、小さんの一門です」と私。 「昔、談志師匠に呼ばれて、小さん師匠んち行ったよ」 「あっ、目白のお正月ですね? 私も働いてましたよ」 「30年以上前だけどね」 「すいません、私はいませんでした」って、当たり前。

カンちゃんサラダを、サービスして下さる。 「ラーメン、入れる?」、もちろんちゃんこの仕上げです。 胃袋は限界でしたが、柳家の若手としては、断われる筈もなく。 豚バラ丼も勧めらましたが、さすがに食べられませんでした。 でも、合格点の食べっぷりだった思います。

帰宅して、恐る恐る体重計へ。 なんと、久しぶりの64キロ超! 昨日は、61キロ代だったのに…。 恐るべし、ちゃんこ鍋!


※カンちゃんに、「談志師匠は、カンさんのことを“小沢”って呼んでましたよね??」 「そうだよ。 アメリカで結婚式やったけど、わざわざ来てくれたよ」、いい話です。 でも、アメリカ滞在時の話は、諸事情により書けません…。



ホッピー・ピープル

2007年08月09日 | 日記
8日。 午後、一門の某師匠宅へ。 頂き物をした上に、昼間っからご馳走になる。

先ずは、モツ焼の名店「うちだ」、ビールと焼酎で乾杯。 カシラの脂の部分“アブラ”の塩が最高。 もちろん、シロもレバーも頂く。 2軒目は、ガツ刺しとコブクロ刺し、謎の飲み物“ボール”で。 3軒目、自分で割らないホッピーをジョッキで。 4軒目は、緑茶割りとワインを。 

暑気は払えたが、眠気に襲われる。 結果、銀座線で爆睡、渋谷で駅員さんに起こされたのは前座以来だ。


9日。 午前、協会事務所にて、ホームページ委員会の会合。 委員長の正朝師匠の他、小袁治師匠、三之助兄さん、小駒兄さん、初花さん。 今日は、いつになく出席者が少ない。 委員の方はみなパソコン所有者で、尚且つ自身のホームページを持つ方ばかり。 「委員会所有のパソコンをやるから、委員になりな」と誘われた私とは、レベルが違い過ぎ。 私の主な仕事は、お昼の弁当を買ってくること。 

そんな落語協会HP(どんな?)を、よろしくお願いします! http://rakugo-kyokai.or.jp/


※私の最初のマシンは、叔父からもらったPC―6001。 もちろん、グリーンディスプレイ。 当時は、“マイコン”って言ってましたよね!?


新汗腺 のぞみ

2007年08月07日 | 日記
6日。 朝、師匠宅へ。 掃除やおつかいで、連日汗まみれ。 

夕刻、両国のちゃんこ屋にて暑気払い。 ちゃんこ屋が似合う体型の兄さん、師匠の襲名で忙しい兄さん、店の近くの両国寄席に出ていた兄さん、そして私。 船の仕事でお世話になってる方達と。 汗をかきかき、まぁ、よく食べました。 痩せないわけです。


7日。 遅ればせながら、研精会メンバーで、夏のご挨拶。 反対に、ビールをご馳走になる(昼間から)。 

その後、サウナにて汗(アルコール分も)を流す。 連日、多量の発汗。 「こんなに汗腺ってあるの??」ってくらい、全身滝のような汗。 でも、脂肪量は減らない。 ダイエットの望みはかなり薄い…。


※当たり前ですが、ちゃんこ屋さんの冷房、設定温度はかなり低めです。



きょうよう範囲

2007年07月10日 | 日記
9日。 午前、夏のご挨拶へ。 午後は買物、本屋のハシゴ。 学生時代の恩師が、立て続けに新刊を出したので購入。

大学でお世話になった桶谷秀昭先生は、新潮新書から『人間を磨く』を出しました。 日本武道館発行の雑誌『武道』に連載されたもの。 以費塾でお世話になった呉智英先生は、双葉社から『健全なる精神』を、浅羽通明さんは幻冬舎から『天皇・反戦・日本』を、それぞれ上梓した。 一応、軽く宣伝…。


10日。 午前、昨日購入した『人間を磨く』を持って出発。 お中元回りと、打ち合わせ。 移動時間を読書に充てる。

桶谷先生の著作は、すべて歴史的仮名遣いで書かれている。 大学1年時、「日本語論」という授業で、福田恆存の『私の國語教室』をテキストに、旧仮名遣いを学びました。 その後、文章を書く際は、旧仮名を用いてました(レポートも当然旧仮名!)。 が、伝わりづらいので、止めてしまいました。

戦後、仮名遣いも漢字(真名)も、便利に楽になりました。 果たしてそれで良いのか、そんな問いも読み取れる『人間を…』。 “教養”、そして大学における教養課程についても、触れてました。 

一般教養(パンキョウ)の授業、桶谷先生も担当してましたからね。 みんな、酷い受講態度でしたよ。 トイレに立つ学生に、「幼稚園じゃないんだぞ!」って、不快感を露にしてました。 教養以前に、躾がなってなかった私達です。


※盆暮れの挨拶回りの際、必ず乗り降りする東京メトロ・中野富士見町駅。 そこのトイレは、今や珍しい男女共用。 “共用とは何か”について、考えるハズもなく…。