遊一改め入船亭扇蔵、出演情報。 

2015年3月、扇蔵を襲名しました。タイトルは、今も仮です…。

楽屋ゴチ

2007年03月30日 | 寄席
29日。 所用で、協会の事務所へ。 馬風師匠をはじめ、協会幹部が大勢いらしてて驚く。 理事会の日でした。 

その事務所、いつもお世話になってたパートの方が、今日で辞めるという。 今までのお礼を述べ、浅草演芸ホールへ。 歩くと、汗ばむ陽気。

今日も、満員の客席。 高座では、汗ばむどころか汗ダク…。

今日が私の千秋楽なので、楽屋に残ります。 と、出番を終えた師匠方に、お昼をご馳走になったりする。

この芝居で驚いたのは、漫才のひろし先生(85歳)が、メチャクチャお元気だということ。 あと、圓丈師匠が羽織(紋付き)を、お召しになって上がってたこと。

終演後、大師匠に食事をご馳走になる。 食後のコーヒー、「お前、もう二ツ目なんだから、砂糖入れてもイイんだよ」。 



植木屋さん、菜の…

2007年03月28日 | 仕事
27日。 浅草の高座、4日目。 久しぶりに、「子ほめ」をやりました。 春休みで、お子さんが来てるから、「寿限無」も有りだったかな。

出番を終え、上野公園、不忍池、下町風俗資料館、湯島天神辺りの下見(マスク着用)。 もちろん仕事です、花見の場所取りではありません。 でも、そういう仕事があれば、承りますよ!

夜は、新宿の某所で勉強会。 “若手研精会”の下部組織、虎の穴的な秘密の会。 もちろん、一般には非公開。 今宵は、一之輔さんとでした。



28日。 昨晩、植木等氏の訃報を知る。 もちろん面識はありませんが、東洋大の大先輩(学部・学科も同じ)。 最近、あまりお見かけしてませんでしたが…、残念です。

朝のワイドショーで、関連のニュースを観まくる。 TBSで流すかと思いましたが、やっぱりやりませんでしたね、『オヨビでない奴』。 『無責任男シリーズ』は、リアルタイムで観てないので、私にとっての植木さんは、『オヨビでない奴』でした。 植木等・所ジョージ・高橋良明の親子三代は、とっても良かった。 が、残ったのは所さんだけで…。

買物ついでに寄った、CDショップ。 中森明菜のバラードベストを購入。 DVDがセットになっており、1983年のファーストコンサートツアーの映像が収められてる。 小学生の私が憧れてた“明菜”が、そこにいました。 とても17歳には見えない、風格と色気。 もしタバコ吸ってても、違和感無いし、怒れない。

私が初めて買った、アイドルのレコード。 中森明菜の『セカンド・ラブ』と、小泉今日子の『素敵なラブリーボーイ』。 たまには、こういう恥ずかしい情報も提供します。

※ポスターをもらいましたが、さすがに貼りませんでした。




下野、疲れ

2007年03月26日 | 落語会
25日。 朝、北陸地方で地震がありました。 つい先日、金沢でお世話になったばかりなので、大変気になる。 

雨の中、浅草演芸ホールへ。 団体のお客様がいらして満席の客席、お子さんも大勢。 前座さんが、「寿限無」と「狸札」(休日は2人出ます)。 「子ほめ」か「転失気」で迷い、結局、「転失気」のショートバージョン。 後の扇治兄さんは「子ほめ」、さながら学校寄席。 


午後、浅草から、“スペーシアきぬ”で栃木市へ。 25年続く、由緒ある“栃木・落語の会”。 今回は、扇辰兄さんの独演会です。 私は「厩火事」をネタ出ししてましたが、急遽開口一番も務める。 本日も合計三席、何故か太股が筋肉痛です。 扇辰兄さんの「五人廻し」、会場が爆笑に包まれ、無事終演。

帰りは、小山から新幹線“なすの”。 10年前に住んでいた、久喜のアパート脇を通過する。 往きは春日部東口の元職場、帰りは大宮駅から元職場が見えた。

そう言えば、今日の世話人の方の息子さん、東洋大で教職取って塾講師だそうで。 10年前の私を見ているよう…。


※栃木の蕎麦屋で食べた郷土料理“しもつかれ”、ウマかった!



ハナ出し ノー咳

2007年03月25日 | 落語会
23・24日。 奇数日は、浅草の高座。 今日は、風邪による鼻づまり。 でも、お囃子の師匠に「元気だねぇ」と言われたので、バレてはいないようだ。 今日も、客席はいっぱいのお客様。 平日なのに、ありがたいことです。

終演後、大師匠にお蕎麦とコーヒーをご馳走になる。 こちらも、ありがたいことです。 そば屋で、私がジャケットを脱いだ時、その裏地とインナーを見て、大師匠が一言。 「色を合わせて、いやらしい」と。 すいません、偶然です。

ご馳走になり、温まったつもりが、帰宅すると、また熱が上がっている。 スウェット上下3枚ずつ、ウインドブレーカー、ダウン等を着込んで足湯。 薬とユンケル飲んで、暖房をガンガン効かせて、とにかく寝る。 平熱に戻して、さぁ、稽古です。


風邪との闘いと、稽古疲れで、熟睡できました。 でも、また熱が出る、それでも出かける。 駅のホームで、寄席に行く師匠と会う。 途中まで一緒でしたが、緊張なのか熱のせいか、汗がダラダラ。 おかげて、熱は下がった模様。

柏のお世話になっている方の自宅にて、“つくしが丘亭”。 年1回で、4回目。

肌襦袢を2枚持参は、大正解。 ネタ下ろしを含め、3席やって水分は出尽くす。 風邪も抜けた感じ。 幸い、高座の最中、咳は出なかった。 鼻水は、危なかったが…。

毎回、終演後の打ち上げが楽しい。 最初、参加を迷ったが、ご来場の皆様の顔を見て、帰る気も失せる。 いつも、皆さんが料理や酒を持ち寄って、手作りの打ち上げ。 インドアお花見(桜無し)、そんな盛り上がり。 お席亭の人脈で、いろんなジャンルの方と、お話できました。 

ぜひ、またの開催をお願いします。 そして、お母様、呆れないで下さいませ。


※ご心配をおかけしましたが、ちゃんと高座は務めております!

風邪ひきぬ

2007年03月22日 | 寄席
21・22日。 浅草初日の朝、鼻水が止まらない。 出掛けにゴハンを食べ、薬を飲むも…。 スグに効くハズもなく、鼻詰まりのまま高座へ。 『金明竹』は、呼吸し辛い。 高座を降りてから薬の効果が表れ、その後は快調。 

終演後、一門で打ち上げ。 たぶん、その時すでに風邪をひいていたんでしょう。


早朝、ノドの痛みと発熱で目を覚ます。 予定をキャンセル(仕事ではなくで良かった)し、ひたすら寝る。

明日から高座が続くので、寝ます(_ _)Zzz


※城山三郎氏が亡くなった。 メルマガで、私の前職を話題にしましたが、氏の著作『今日は再び来たらず』は予備校講師の話。 この題名は、某予備校の“日々是決戦”からきてるとのこと。


ぐっじょうブ!

2007年03月20日 | 日記
19・20日。 落語協会HPのメルマガ、なんとか編集も終了。 本日の夕刻、無事に発行しました。 発行してから気付いたんですが、通算150号でしたよ。

NHK、鶴瓶師匠の「鶴瓶の家族に乾杯」は、郡上八幡でのロケでした。 永さん・小三治師匠・大師匠との旅で、3度訪れた町です。 番組の中で、鶴瓶師匠がたずねたお蕎麦屋さんは、いつもお昼を頂いてたお店。 その「平甚」の旦那さんが、ご自分の半生を語っていました。 鶴瓶師匠も涙してましたが、私もウルウル。 また郡上に行きたいなぁ、と。 で、やきそばを食べなきゃ!


今朝の朝日新聞には、“若手研精会”でお世話になってる稲葉さんの記事が。 30年間、研精会を牽引した功績が認められ、この度「松尾芸能賞・功労賞」を受賞なさいます。 師匠・扇遊もメンバーだった研精会、稲葉さんにお声を掛けて頂き、今に至ります。 ホントお世話になりっ放しなので、今回の受賞は大変嬉しいです。


明日からは、大師匠がトリを務める浅草演芸ホールに出演します。 21・23・25・27・29の5日間、11:40頃の出番です!  


※“若手研精会”、300回記念の会に、出演することが出来ました。 150回記念の会は、前から2列目で観てましたけど…。


カレーなる一門

2007年03月19日 | 出演情報
18日。 午前、今日は、東京会館へ集合。 朝之助改メ六代目春風亭柳朝師匠の、真打昇進披露パーティ。 今日は、受付と会計のお手伝い。 もちろん開場前の準備も、せっせと。 一朝師匠が会場入り、新真打と言葉を交わすところを見て感動したり。

400人を超えるお客様が、新柳朝の門出を祝いました。 裏方としての参加ですが、お祝い出来て幸せです。 

前日の研精会、楽屋での会話。
「明日、お食事の用意もありますんで」と、番頭の一之輔さん。 「悪いねぇ、手伝いにまで。 東京会館はウマいからなぁ」と、私。 「ええ、小エビのカレーと、小エビのピラフがありますんで」、「だから、エビ食えないんだって!」。

当日、カレーを頼んで、ゴハンだけ食べようかと思ってました。 しかし、そこは番頭の一之輔さんはサスガです、「チキンカレーも選べます」。

そんな気遣いを頂いた、柳朝師匠と一之輔さんには、申し訳ありませんm(__)m
“若手研精会・卯月公演”は、新宿末広亭の披露目と同じ日です。 私がトリですが、私が決めた訳ではありません、許して下さい。 打ち上げには参ります。


“若手研精会・卯月公演”、4月6日(金)の18:15開演。 会場は、お江戸日本橋亭です。

出演:入船亭遊一・柳家喬四郎・三遊亭遊馬・金原亭小駒・柳家三之助・柳亭市朗
   
前売・予約は1000円、当日は1500円です。 遊一(yuuiti@rakugo-kyokai.or.jp)まで、ご連絡下さいませ。 



披露、ヒーローになる時

2007年03月18日 | 落語会
17日。 午前、ホテル・オークラへ集合。 途中、アメリカ大使館付近で、何度も迂回をさせられる。 私の風体のせいではありません、警察の職務上です。

柳家喬之助師匠の真打昇進披露パーティ、そのお手伝い。 主な仕事は、受付と“号外”の配布。 この号外というのは、喬之助師匠の真打昇進のニュースを新聞にしたもの。 『東京スポーツ』の輪転機で、刷ったんだとか。 で、レイアウトや内容まで、『東スポ』そのまんま。 喬太郎師匠の音頭のもと、扇里・遊一・さん弥で、その『喬スポ』を配りました。 

協会HPのメルマガ編集といい、マスコミの仕事が増える今日この頃。 メルマガが“マス”と言えるのか、新聞配達はマスコミなのかという疑問は別として…。

今日も新真打の人柄でしょう、大変素晴らしいパーティでした。 お世話になってる兄さんの晴舞台、寄席へも手伝いに行かなきゃです。

打ち上げには出ず、扇里兄さんと国立演芸場へ移動。

“若手研精会・弥生公演”、こちらも新真打が主役です。

  市朗   「たらちね」

  一之輔  「天災」

  扇里   「穴泥」

  夢吉   「宮戸川」

  遊一   「道具屋」

  朝之助  「宿屋の仇討」


明日、柳朝襲名披露パーティを行う朝之助兄さん、今日が研精会卒業公演です。 大勢のお客様に来て頂きました。 いつも、有り難うございますm(__)m

トリの朝之助兄さんに時間を、と思い時間調節のしやすいネタを。 「道具屋」、途中を抜いて、なんとか役目は果たせたか。 

帰り、先日入間市でお世話になった方に、声を掛けて頂く。 朝之助兄さんの同級生とたまたま来たら、私が出てたそうで、お互いビックリ。

帰り道、お客様に「朝之助さんが卒業だから、スーツなんですか?」と聞かれる。 楽屋入りして、即ステテコに履き替えてた失礼な後輩は私です。 

もうスーツ着たくないと、この世界に入り、今、着られるスーツは夏冬一着。 てゆーか、スーツは着られるけど、ズボンがはけない…。 でも、痩せる気があるから、新しいのは買いません。


※来月の研精会は4月6日(金)、お江戸日本橋亭に18:15開演。 遊一が主任(トリ)を務めます! 

無精、どこ?

2007年03月17日 | 日記
16日。 午前、落語協会HPのメルマガ編集作業。 3月下席号の編集人です、私。

午後、協会事務所で、噺の稽古。 以前からやりたかったネタ(内緒です)を教わる。 その後、踊りの稽古を1時間程。 初雪も降り、寒い一日でしたが、汗ダクに…。

帰宅して、押入れの整理。 無精者なので、着物でも洋服でも、目の前にあるもので済ませちゃう。 着物は、畳んで上に置いてあるものばっかり、風呂敷に包んじゃう。 洋服は、ハンガーに掛けてあるものばかり着てしまう。 タンスの中の服はしまいっ放し、全然着ない。

明日はパーティの手伝いだから、スーツを出す。 夜は“若手研精会”だから、元日以来、黒を出してみた。 袴はドコに入れたんだろう、全く着けないからなぁ…。

配信行為

2007年03月16日 | 仕事
15日。 近所の床屋で髪を切り、いつもの店で、いつもの五目揚げやきそば。 

午後、王子の北とぴあで、インターネットの収録。 二つ目が8人出演、毎月やるそうで、その1回目。 “落語 de GO!!”という番組で、配信は4月からだそうです。 詳細が判明しましたら、告知致します。

師匠・扇遊の「花見の仇討ち」は、地上波でオンエアーされます。 17日(土)、深夜28:25~29:15(18日の早朝4:25~5:15)。 TBSテレビ、“落語研究会”です。 録画して、ご覧になって下さい。

胴体もとくらし

2007年03月14日 | 日記
13日。 夕べは、ちょいと飲み過ぎた。 天気もイイので、掃除・洗濯をして汗を流す。 

ニュースは、高知空港の胴体着陸の実況中継。 ケガ人も無かったようで、一安心。 操縦士のテク、大したもんです。 コメントを求められた、元機長という人だけ、「まだまだ」って言ってました。 素人から見ると、スゲーと思いますけど。

一昨年、やはり伊丹から高知の便に乗ったことがあります。 その時は天候不良で出発が遅れた上に、上空でも揺れまくりました。 しかも、高知に着陸出来ない時は、伊丹に引き返すという。 高知上空で、天候が回復するまで旋回してました。

離陸当初から、気を紛らわすため、隣の後輩と談笑してました。 しかし、その後輩の顔色が、だんだん悪くなってくる。 ゴミ袋を開け始めながら、私に向かって一言、「兄さん、私これから愛想悪くなります。 すいません」。 愛想よりも、顔色が益々悪くなり、完全にダウン。 

公式見解では、聞きたくもない『砂の器』の話を無理に遊一が語りこみ、後輩の具合が悪くなった、そうなってます。 ちなみに、その時一緒だったお囃子の師匠は、離陸前に寝て、着陸後に起きました。 我々は、“あんなに揺れているのに、よく眠れるなぁ”と、思ってました。 お囃子さんは、“なんで具合が悪くなってるの?”と、不思議がってましたが…。 


午後は買物、ドライヤーを購入。 20年使っていた、資生堂の景品のドライヤーも古くなったので。 マイナスイオンのやつを選びましたが、何がイイのかはよくわからない。

所用のため、新宿の楽屋へ。 その後、明大前の焼鳥屋→下北沢のバー。 

いい感じで酔っ払い、終電に乗るべく駅のホーム。 と、「兄さ~ん」という声。 ふり返ると、やはり酔っ払った某二ツ目が。 今回は勘弁してもらい、清く別れました。 夜道は、気をつけましょう!

バヌアツ食えず

2007年03月12日 | 
2月28日。 南半球で、36歳の誕生日を迎えました。 11時チェックアウトなので、帰り仕度と出国手続きの書類作成。 パスポートの誕生日と今日の日付が一緒で、「あぁ、誕生日だぁ」と実感。

日本人スタッフに、「“カバ”やりましたか??」と聞かれましたが、やりませんよ、誕生日に。 カバの粉を湯で溶いて飲む、合法ドラッグ。 見た目は、「茶の湯」に出てくるお茶(もちろんイメージ)ってな感じ。 昨日、街角で時々見かけた、目の焦点が合ってなくて唾吐きまくりの人、かなりやってるんでしょう。 粉はスーパーで普通に売ってたけど、その記憶があるのでやめました。 

チェックアウトから出発まで時間があったので、快晴の街を散策。 昨日、晴れてくれよ!

首相官邸近く、フレンチの丘に佇み、ボーッと海を眺めてる。 と、地元の青年に、「ジャパニーズ?」と聞かれる。 日本語の勉強をしていて、来日経験もあるとのこと。 日本語と英語のチャンポンで、しばらくおしゃべり。 佐渡に行った話や、空港の税関で働くお父さんの話。 彼は首相官邸(※画像)で働いてるという、きっとエリートなんだろう。

彼に限らず、バヌアツの人はみんな明るく気さくだ。 私みたいな怪しい東洋人にも、優しくしてくれました。

シドニーへ行く為に、ポートビラの飛行場へ。 バヌアツへ卒業旅行に来てた、長野の女子大生と記念写真。 今日まで書いてませんでしたが、私は忘れ物を2つしました。 腕時計とデジカメです。 結局、携帯でその2つを代用しました。 船の中は充電も出来ますが、バヌアツでは出来ません。 電源を入れたり、切ったり。 マヌケでした。

ただ、街中で撮る時は、重宝しました。 電話するふりして、カシャッと。 向こうの携帯にはカメラ機能が無いらしく、怪しまれることは無かったようです(たぶん)。 だから、現地の子に撮ってもらった記念写真は、2枚ともブレてた訳です。 おそらく、初めて携帯電話で、撮ったんでしょう。

税関を通るも、係は2人だけ。 さっきの青年のお父さんはいませんでした。

離陸前、フリオ&ロザンナが、誕生日を祝ってくれました。 シュウェップスで乾杯。 ウルグアイ人ミュージシャンのフリオから、“ラクゴ”の感想を。 内容はわからないが、だいぶ面白かったようです。 私の声については、「クリアー」と言ってくれました。 ありがとうございます。

バヌアツ航空、シドニー行き。 機内では、シャンパンを注文。 響子姉さんにも、祝ってもらいました。 隣の陽気な黒人の酔っ払いには、缶入りのブラッディメアリーをもらう。 でも、その黒人がやたら乗務員をイジるから、コーヒーが貰えなかった。 響子姉さんは、もらってたのに。

シドニーで3時間待ち、成田行きに乗換える。 シドニー在住のフリオ夫妻とは、ここでお別れ。 待ち時間は、長椅子に横になり、十分に伸びておく。

日本時間の20時に搭乗、成田着は6時だ。 で、改めてシャンパンで乾杯。 響子姉さんと、旅の無事を祝して。 さあ、メシ食うぞぉ! ところが…、機内食のパン、俺だけ無いってどういうこと!? 冗談言っちゃいかねぇ!!

そんなオチの無い旅の話。 でも、オチなくて良かったですよ。  …また、ダジャレか。


オーロラ出る子

2007年03月12日 | 落語会
11日。 朝、新真打の兄さんから、電話が入る。 「あれっ、今日パーティ?」、一瞬アセったが、違いました。 早朝寄席のチラシの在処、その確認でした。 今朝の鈴本早朝寄席は、卒業公演です。

渋谷から東横線に乗車。 発車前の車内、小学生のガキを2人連れた母親が、大声で電話してる。 マナーのことで注意したいトコだが、会話の内容があまりにも馬鹿馬鹿しいので笑ってしまう。 他の乗客も呆れ顔、誰も何も言わず。 

電話を切ると、今度は子供に小言。 カバンがどうしたとか、ああしろだの、こうしろだの。

で、発車すると、そのガキが電話し始める。 そしたら、そのバカ親が、「通話はご遠慮下さい、って書いてあるよ」だって。 挙げ句、「今夜お礼の電話します、って言っといて」と、子供に伝言を頼んでる。

電話が済んだら、また無駄にデカい声で、子供相手にしゃべり始める。 私とは、7人掛けの端と端だが、内容までよく聞こえる。 中学受験の話をずっとしていたけど、こんな親子を相手にする教員は大変だ、塾の先生も…。 良かった、噺家になって。 改めて思ったりなんかする。


横浜で乗換え、東戸塚駅下車。 隔月、東戸塚西武でやってる“オーロラモール寄席”、〆治師匠と2回公演。

2回目は、子供のお客さんが大勢いました。 さながら、こども寄席のごとく。 

みんなお行儀良く、それでいてよく笑ってくれました。 私の言ったセリフを繰り返しちゃう子がいたけど、すぐにお母さんが止めてました。 東横線のお母さんとは、大変な違いだ。

7月8日も、“オーロラモール寄席”出演予定です。 みんな、また来てくれると良いのですが。

待つ男バヌアツ

2007年03月11日 | 
2月27日。 昨晩、酔っ払ってる最中、“ぱしふぃっく・びいなす”号は、南太平洋のバヌアツ共和国の海域へ。 この旅で初めて知った国、その首都・ポートビラの港に着岸する。 数多くの島からなるバヌアツ、首都はこのエファテ島に…。 と、ここまで言っても、まるで親近感が持てません。 でも、エファテの南にある島なら、ご存知の方もいると思います。 “エロマンガ島”!、小学校の高学年、地図帳を広げて喜んだもんです。 

この地で、私と響子姉さん、フリオ&ロザンナは下船。 お世話になったスタッフ、お客様、そしてぱしふぃっく・びいなすに別れを告げる。 帰りの飛行機の都合で、今宵はメラネシアンホテルにお世話になる。 

チェックインの後、早速着替えて、歩いて10分程の市街地へ向かう。 すれ違う地元民の2、3割は裸足! 痛そうと思う前に、熱そう。 

遠くから、「白い人が来るなぁ」と思ったら、“ぱしふぃ…”のスタッフ。 “びいなす寄席”の司会をして下さった女性。 「船着き場ありました?」、「手前にありましたよ」。 予定も無いので、案内がてらお供(金魚のフン状態)する。 無料の渡し船に乗って、イリリキ島というリゾート地へ。 ビーチがあったので、この旅で初めて海へ入る。 一応、海パンだし。 ところが、雨が降り出すわ、意外に水は冷たいわで…。 ヒザ下までで、諦める。 彼女も水着を着こんでいたが、勇気ある撤退を。 だって、誰も泳いでいないんだもん。

仕方なく、街へ出て買物を。 パレオを選んでる彼女を指差し、「ワイフか?」と聞く店員。 彼女の名誉の為にも、「NO!」。 彼女も、値段交渉においては、NOと言える日本人ぶりを発揮してました。 流石に旅慣れていますし、語学も堪能。

船に戻る(仕事です)彼女と別れ、市場をウロウロ。 入口で雨がやむのを、ボーッと待っていると、「ゆーいちさ~ん!」という幻聴…。 違う、車に乗った日本人からだ、 慌てて駆け寄る。 昨年のクルーズでご一緒した、“アンサンブル・リップル”の3人。 私と入れ代わりで、乗船するとは聞いてましたが。 まさか、再会できるとは思いませんでした。 それにしても、よく気付いてくれました。

ホテルまでの道中、インターネットカフェを発見。 シャレに入ってみるが、客は1人もいない。 だって、15分で300バツ(約430円)もするんだもん。 久しぶりに、ブログを見たりする(書き込みは出来ない)。

部屋に戻ると、雨はさらに強くなる。 テレビも映らない。 まぁ、映ったところで、内容はサッパリですが。 ニュージーランドで買ったカップヌードルと、スーパーで買ったパンで空腹を満たす。

そうこうしてるうちに、日付けは28日に。 日本にいるより2時間早く歳をとるハメに…。



言はむ・スープ

2007年03月11日 | 出演情報
10日。 朝食は、お腹に優しい朝粥定食。 アサダ先生との、2ショットで。

別行動の小三治師匠を残し、一行は空路帰京する。 私、機内では絶対スープをもらいます。 JALのコンソメスープは、スーパーで売ってるので常備しています。 って、どうでもいい情報はココまで。 ちゃんと、言うこと言わないと…。


明日、11日は、東戸塚西武で2回公演。 “オーロラモール寄席”、13時からと15時からです。 出演は、柳家〆治・入船亭遊一です。

17日(土)は、“若手研精会”。 国立演芸場にて、18:15開演です。 

  朝之助  「宿屋の仇討」

  遊一   「道具屋」

  夢吉   「宮戸川」

  扇里   「穴泥」

  一之輔  「天災」


前売・予約は1000円、当日は1500円です。 遊一(yuuiti@rakugo-kyokai.or.jp)まで、ご連絡頂けたら幸いです。


※ご意見・ご要望、お伝えくださいませ。