ゆめ未来     

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元年春之祭  早春はまだ名のみであった。

2018年11月26日 | もう一冊読んでみた
 ■ 元年春之祭/陸秋槎  2018.11.26

  「がんねんはるのまつり」 心惹かれます。

陸秋槎の 『元年春之祭』 題名で手に取りました。
しかし、読み始めると若い人ならいざ知らず、ぼくのくたびれた頭には難しく、心から楽しめません。
特に、第一章、第二章は苦しかった。
よって、素直に面白いミステリでしたとは言い難い。

この物語の印象、雰囲気はこんな感じです。

 「相手を傷つけさえすればいい。この身体、皮や肉に傷をつけることではなくて、人の心を傷つけるということだけど。相手がまちがいなく受け入れられないことをする、まちがいなく受けいられないことをいう、そうすれば相手には生涯、あなたが心につけた傷が残りつづける。それならあなたは、その人間の一部分になる」

 「つまるところ自分は自分であって、完全に相手の一部分としてとりこまれることはできないから。最後までやりぬくには、自分が消えてしまわないと」

 「そもそもあなたと出会ったそのときから、私はあらゆる行動でいまのあなたの質問に答えていたのだから。露申、わかってくれる、空言に頼るよりも、その身で行動に移したほうがいいことはいくらでもあるの」

 「ときどき、この世で生きていくのが本当にいやになる----若いあいだにとりかえしのつかないことをしたなら、いつか後悔することになるだろうけど、ただそれをしなくても、同じように後悔するのかもしれない。だから、なにを選んだとしても得るところと失うところがある」

 “我が此の如きを知らば、生無きに如かず”
 (このような定めと知っていれば、生まれなければよかった、の意)


 私はずっと、自己というのは歳月のなかに記憶が留めおかれてかたちになるものだと思っている。

 だれしもすべて、自らの死を受け入れなければならなかったのだ。

物語は、題名の華やかさ、軽さとはほど遠いと思いませんか。
罰として、他人を「鞭打つ」なんて、ぼくには耐えられない。

 さらに説明しておくと、犯人が三人を殺害した理由は一貫したもので、口封じなどの目的は含まれていない。
 読者には凶行の動機を推測することができ、その糸口はじゅうぶんに示されている。


こんな試験されているような文章が出てくると、落ち着かなくなってしまう。
楽しみで読んでいるミステリなのに、気分悪し。

  『 元年春之祭/陸秋槎/稲村文吾寿訳/ハヤカワ・ミステリ 』

コメント
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