■短編画廊/ローレンス・ブロック編 2019.9.30
エドワード・ホッパーの絵に著名な作家が、物語を寄せました。
ローレンス・ブロックのアンソロジーです。
どの短編も読みごたえのある面白さでした。
特に、ぼくが面白く感じたのは次の作品でした。
□海辺の部屋
□夜鷹
□アダムズ牧師とクジラ
□映写技師ヒーロー
□夜のオフィスで
□窓ごしの劇場
いずれの作家もホッパー好き、みなさん絵の造詣も深くって。
ぼくは、作品を読みながら、当該の絵を虫めがねで確認。ふむふむ、よくこんなことまでも、と感心してしまいます。
さて、みなさんは 『Cape Cod Morning. 1960』 にどのような物語を想像しますか。話して下さいますか。
■序文
始める前に・・・・・・
ホッパーはイラストレーターでも物語画家でもない。彼の絵は物語を語ってはいない。ただ強く抗いがたく示唆している。絵の中に物語があることを、その物語は語られることを待っていることを、彼はある一瞬を切り取ってわれわれに提示する。そして、その一瞬には明らかに過去と未来がある。しかし、そのふたつを見つけるのはわれわれの仕事だ。
■キャロラインの話/ジル・D・ブロック
Summer Evening. 1947
ハンナ
よし、探そう。いざそう心を決めてしまうと、彼女を見つけ出すのはそれほど難しいことじゃなかった。さんざんあれこれ想定して、挫折や落胆、まちがった手がかりやら行き詰まりやら無駄な出費やらを覚悟していたわりに、ふたを開けてみれば一ヵ月もかからなかった。......
問題はその先だった。どうやって彼女に近づくか。どうすればじかに目を見て、じかに声が聞けるところまで近づけるか。感動的な再会なんて求めてはいなかった。今さら無理に関係を築こうだなんて、はなから望んでも期待してもいなかった。自分が誰なのか伝える気すらなかった。
グレイス
「えっと実は、今はなんていうか、人生のお休み中というか、ここにいるのは夏のあいだだけで、......
■宵の蒼/ロバート・オレン・バトラー
Soir Bleu. 1914
よそ見をしているあいだに、いつのまにかピエロが私たちのテラス席に坐っていた。ひと言もしゃべらずに、もちろん、しゃべるわけがない。相手は道化師----厚い化粧を施したパントマイム師----なのだ。
■海辺の部屋/ニコラス・クリストファー
Rooms By The Sea.1951>
彼は遺体のまえで泣いた。葬儀の場でも泣いた。母の遺灰を海に撒くために飛行機で駆けつけたカルメンと共に泣いた。その週のあいだずっと、彼はカルメンを気づかっていた。けれども、それが過ぎると一切言葉を発しなくなった。
カルメンのスケッチブックの中にもそのイメージは存在した。かつての一族の家----それは彼女がずっと描きあぐねていた頭の中の家とまったく同じものだった。
■夜鷹/マイクル・コナリー
Nighthawks. 1942
「では、物書きなのに、絵を見にきたんだね」ボッシュは言った。
「インスピレーションを得るためにきたんです」彼女は言った。「あの絵を見ていると百万語でも書ける気がするんです。うまくいかないことがあると、ここにきます。あの絵を見ると、がんばろうという気持ちになれるんです」
「うまくいかないというのはどんなことなのかな?」
「文章を書くのは、無から有を産む行為です。そう簡単にはいかない場合が往々にしてあるんです。そうなるとわたしはここにきて、この絵のようなものを見るんです」
彼女は空いているほうの手で絵を指し示し、うなずいた。なるほど。
ボッシュもうなずいた。自分はインスピレーションというものを理解している、と彼は思った。どうすればひとつの分野で得られるインスピレーションが別の分野でも役立つのか、どうすればまったく異なっているように思える試みで生かせるのか理解している、と。
「いいかい」ボッシュは言った。「おれはこの携帯電話を捨てずにいるつもりだ、いいね? 当初は捨てる計画だったが、ずっと持っておくことにする。いつでも電話をかけてきてくれ、いいね? もし助けが必要だったら、あるいはたんに話したくなったからでもいい、いつでもかけてきてくれ、いいな?」
「わかった」アンジェラは言った。「じゃあ、わたしもこの電話を捨てずに取っておく。あなたもいつでも電話してきて」
ボッシュは相手に見えないにもかかわらず、うなずいた。
「そうするよ」ボッシュは言った。「元気でな」
■アダムズ牧師とクジラ/クレイグ・ファーガソン
South Truro Church. 1930
赤裸々に失敗を打ち明け合った。夫として、父親として、恋人として、男としての失敗を。当然ながら、失敗談を共有することで、ふたりのあいだには親愛の情が芽生えた。咎ある者だけが分かちあえる信頼が育まれた。
“神の御心を理解しようとすることは、海の水をコップに注ごうとするようなものだ”
■映写技師ヒーロー/ジョー・R・ランズデール
New York Movie. 1936
親父はいつも言っていた。「女ってものは、だな。年がら年中発情しているやつらと、そうじゃない女もいるんだ。だけど、そいつらだってヤれる。とにかくホメてホメてホメまくりゃいいんだ。女ってのは、どんなウソでも本気にしちまうんだからな。そうなりゃお望みのものが手に入るって寸法よ。征服すべき山ってやつはどこにだってあるんだ」
親父はそういう男だったんだ。
善意だけじゃどうにもならないこともあるとわかっていた。地獄への道は善意で敷き詰められているっていうのが、パートさんがよく言うセリフだった。
おれは自分の仕事が気に入っている。映写技師の仕事が好きだ。一人だけで映写室にこもっているのは気にならない。こういう生活にはまあ満足している。でも本音を言うと、時々ちょつと寂しくなる。
■夜のオフィスで/ウォーレン・ムーア
Office At Night. 1940
そして次の瞬間、マーガレットはミセス・デイリーのうしろにいて、彼女が隣人に話しているのを聞いていた。背の高い子が転んで、まるで蝋燭の火が消えるように死んじまってね(ここでミセス・デイリーは十字架をきった)かわいそうにお父さんが娘の荷物を引き取りにきて生まれ故郷に持ち帰ったんだよ、と話していた。
あとに残ったのは空き部屋だけで、また借り手を探さなければいけない、と。
■1931年、静かなる光景/クリス・ネルスコット
Hotel Room. 1931
彼女は長いあいだ、嘘をつかずにいた。やがて、なにもかもに嘘をつくようになった。
なぜなら、だんだんわかってきたからだ。なにもかもに嘘をつくことが、真実を見出すたったひとつの方法だと。
その指の先にいた若者のため、本を小脇に抱え、人形を抱いている少女にほほえんでいた若者のため、彼はルーリーンに親切にしてくれて、人間同士としてつきあってくれた----この世界ではとても珍しいことだった。だからこそ記憶に残っている。
これはきっと彼のため。そして彼のような、運が良くても名簿に記録され、運が悪ければ絵ハガキに載ってしまう、そんな人たちすべてのためだ。
『 短編画廊/ローレンス・ブロック編/田口俊樹訳/ハーパーコリンズ・ジャパン 』
エドワード・ホッパーの絵に著名な作家が、物語を寄せました。
ローレンス・ブロックのアンソロジーです。
どの短編も読みごたえのある面白さでした。
特に、ぼくが面白く感じたのは次の作品でした。
□海辺の部屋
□夜鷹
□アダムズ牧師とクジラ
□映写技師ヒーロー
□夜のオフィスで
□窓ごしの劇場
いずれの作家もホッパー好き、みなさん絵の造詣も深くって。
ぼくは、作品を読みながら、当該の絵を虫めがねで確認。ふむふむ、よくこんなことまでも、と感心してしまいます。
さて、みなさんは 『Cape Cod Morning. 1960』 にどのような物語を想像しますか。話して下さいますか。
■序文
始める前に・・・・・・
ホッパーはイラストレーターでも物語画家でもない。彼の絵は物語を語ってはいない。ただ強く抗いがたく示唆している。絵の中に物語があることを、その物語は語られることを待っていることを、彼はある一瞬を切り取ってわれわれに提示する。そして、その一瞬には明らかに過去と未来がある。しかし、そのふたつを見つけるのはわれわれの仕事だ。
■キャロラインの話/ジル・D・ブロック
Summer Evening. 1947
ハンナ
よし、探そう。いざそう心を決めてしまうと、彼女を見つけ出すのはそれほど難しいことじゃなかった。さんざんあれこれ想定して、挫折や落胆、まちがった手がかりやら行き詰まりやら無駄な出費やらを覚悟していたわりに、ふたを開けてみれば一ヵ月もかからなかった。......
問題はその先だった。どうやって彼女に近づくか。どうすればじかに目を見て、じかに声が聞けるところまで近づけるか。感動的な再会なんて求めてはいなかった。今さら無理に関係を築こうだなんて、はなから望んでも期待してもいなかった。自分が誰なのか伝える気すらなかった。
グレイス
「えっと実は、今はなんていうか、人生のお休み中というか、ここにいるのは夏のあいだだけで、......
■宵の蒼/ロバート・オレン・バトラー
Soir Bleu. 1914
よそ見をしているあいだに、いつのまにかピエロが私たちのテラス席に坐っていた。ひと言もしゃべらずに、もちろん、しゃべるわけがない。相手は道化師----厚い化粧を施したパントマイム師----なのだ。
■海辺の部屋/ニコラス・クリストファー
Rooms By The Sea.1951>
彼は遺体のまえで泣いた。葬儀の場でも泣いた。母の遺灰を海に撒くために飛行機で駆けつけたカルメンと共に泣いた。その週のあいだずっと、彼はカルメンを気づかっていた。けれども、それが過ぎると一切言葉を発しなくなった。
カルメンのスケッチブックの中にもそのイメージは存在した。かつての一族の家----それは彼女がずっと描きあぐねていた頭の中の家とまったく同じものだった。
■夜鷹/マイクル・コナリー
Nighthawks. 1942
「では、物書きなのに、絵を見にきたんだね」ボッシュは言った。
「インスピレーションを得るためにきたんです」彼女は言った。「あの絵を見ていると百万語でも書ける気がするんです。うまくいかないことがあると、ここにきます。あの絵を見ると、がんばろうという気持ちになれるんです」
「うまくいかないというのはどんなことなのかな?」
「文章を書くのは、無から有を産む行為です。そう簡単にはいかない場合が往々にしてあるんです。そうなるとわたしはここにきて、この絵のようなものを見るんです」
彼女は空いているほうの手で絵を指し示し、うなずいた。なるほど。
ボッシュもうなずいた。自分はインスピレーションというものを理解している、と彼は思った。どうすればひとつの分野で得られるインスピレーションが別の分野でも役立つのか、どうすればまったく異なっているように思える試みで生かせるのか理解している、と。
「いいかい」ボッシュは言った。「おれはこの携帯電話を捨てずにいるつもりだ、いいね? 当初は捨てる計画だったが、ずっと持っておくことにする。いつでも電話をかけてきてくれ、いいね? もし助けが必要だったら、あるいはたんに話したくなったからでもいい、いつでもかけてきてくれ、いいな?」
「わかった」アンジェラは言った。「じゃあ、わたしもこの電話を捨てずに取っておく。あなたもいつでも電話してきて」
ボッシュは相手に見えないにもかかわらず、うなずいた。
「そうするよ」ボッシュは言った。「元気でな」
■アダムズ牧師とクジラ/クレイグ・ファーガソン
South Truro Church. 1930
赤裸々に失敗を打ち明け合った。夫として、父親として、恋人として、男としての失敗を。当然ながら、失敗談を共有することで、ふたりのあいだには親愛の情が芽生えた。咎ある者だけが分かちあえる信頼が育まれた。
“神の御心を理解しようとすることは、海の水をコップに注ごうとするようなものだ”
■映写技師ヒーロー/ジョー・R・ランズデール
New York Movie. 1936
親父はいつも言っていた。「女ってものは、だな。年がら年中発情しているやつらと、そうじゃない女もいるんだ。だけど、そいつらだってヤれる。とにかくホメてホメてホメまくりゃいいんだ。女ってのは、どんなウソでも本気にしちまうんだからな。そうなりゃお望みのものが手に入るって寸法よ。征服すべき山ってやつはどこにだってあるんだ」
親父はそういう男だったんだ。
善意だけじゃどうにもならないこともあるとわかっていた。地獄への道は善意で敷き詰められているっていうのが、パートさんがよく言うセリフだった。
おれは自分の仕事が気に入っている。映写技師の仕事が好きだ。一人だけで映写室にこもっているのは気にならない。こういう生活にはまあ満足している。でも本音を言うと、時々ちょつと寂しくなる。
■夜のオフィスで/ウォーレン・ムーア
Office At Night. 1940
そして次の瞬間、マーガレットはミセス・デイリーのうしろにいて、彼女が隣人に話しているのを聞いていた。背の高い子が転んで、まるで蝋燭の火が消えるように死んじまってね(ここでミセス・デイリーは十字架をきった)かわいそうにお父さんが娘の荷物を引き取りにきて生まれ故郷に持ち帰ったんだよ、と話していた。
あとに残ったのは空き部屋だけで、また借り手を探さなければいけない、と。
■1931年、静かなる光景/クリス・ネルスコット
Hotel Room. 1931
彼女は長いあいだ、嘘をつかずにいた。やがて、なにもかもに嘘をつくようになった。
なぜなら、だんだんわかってきたからだ。なにもかもに嘘をつくことが、真実を見出すたったひとつの方法だと。
その指の先にいた若者のため、本を小脇に抱え、人形を抱いている少女にほほえんでいた若者のため、彼はルーリーンに親切にしてくれて、人間同士としてつきあってくれた----この世界ではとても珍しいことだった。だからこそ記憶に残っている。
これはきっと彼のため。そして彼のような、運が良くても名簿に記録され、運が悪ければ絵ハガキに載ってしまう、そんな人たちすべてのためだ。
『 短編画廊/ローレンス・ブロック編/田口俊樹訳/ハーパーコリンズ・ジャパン 』