烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

拷問と処刑の西洋史

2007-12-25 09:02:51 | 本:歴史

 『拷問と処刑の西洋史』(浜本隆志著、新潮選書)を読む(以下『拷問』と略)。
 話題の中心は、異端審問と魔女裁判である。著者はドイツ文化論が専門でもあることから魔女狩りが最も激しかったドイツでの記述が詳しい。
 魔女狩りや異端審問については、以前読んだ『法思想史講義』上巻にもその歴史と考察が一章割かれている(本書と是非あわせて読みたい)。そこでは教皇グレゴリウス9世の行った異端審問が、



(1)一人の異端をなくするためには、1000人の無実の人が犠牲になってもしかたがない、とする。(2)被告人から弁護の機会を奪う。(3)物的証拠は不要で、自白で十分である、とする。ある程度の疑わしさが確認できれば自白をとるため、拷問を使う。(4)一切の審問費用は、財産没収で弁済させる。(5)密告とスパイを活用する。(6)教皇直属の異端審問官を各地に派遣する。かれらは検察官と裁判官を兼ねる(=糾問裁判)、等々


というかたちで機能したと記述されている。
『拷問』にも書かれていたが、裁判所はまず当人を破門することにより、法の保護外に置いてから世俗権力に手渡し、残酷な刑の執行を執り行わせていた。
古代ゲルマン社会では拷問は存在していなかったそうで、犯罪結果に対する報復が目的の弾劾裁判方式だった。古代ゲルマン法では



犯罪に関しては親族が復讐することができるフェーデ(決闘)と、相手を徹底的に追及してアハト刑(法の保護を奪う平和喪失刑)に処すという二種類があった。


ドイツがキリスト教化されると刑法もローマ法の影響を受け、証拠や被告の自白が重視されるようになり、それに伴い拷問が導入されたという。異端審問から魔女の処刑は、教会が”正当な手続き”で行うアハト刑であったわけだ。拷問による自白は、やはりキリスト教の告解と赦しという思想と根底においてつながっているだろう。


 『法思想史講義』では、人が残酷になる場合に二種類あり、第一は相手を人間と見ない場合、第二に人間とみても「自分が高い価値-神・民族・国家・政治原理など-に使える道具であるとして、その価値を擁護するため、その価値の否定者を攻撃する場合があると考察している。
 中世の魔女裁判は結局啓蒙主義によって克服されたのだが、これはあくまで魔女の非合理性が認められたためであり、上述の残酷さを理性が克服した故ではないことに注意しておく必要があろう。後の時代にさらに酷い歴史的事件が起こることを私たちは知っているからである。理性は必要があれば私たちの残酷さに免罪符を与えるのである。パスカルの指摘したように「人は、思想・信条に基づいて行為をなすときほど喜び勇んで徹底的に悪を行うことはない」のである。
 拷問や処刑など肉体的な残酷さは否が応でも目立つので歴史的事件として取り上げられやすいが、上述の二つの残酷さの原因による精神的拷問なら今でもごく普通にありふれたものであることは、政治や官僚の醜態がよく示してくれている。