烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

東京の悪路

2006-02-26 22:46:55 | 本:文学

『前田愛対話集成II都市と文学』を続いて読む。明治になり江戸から東京へと変貌し、日露戦争から大震災を経て変貌していく東京から文学を読み解いていく対談は面白い。都市というとついつい現在生活しているこの環境を連想してしまうのだが、震災前後の首都東京のイメージが今と大きく違うことを教えられる。例えば道路。舗装されているのが当たり前の現在の道路だが、当時は悪路であった。



野口:・・・大震災のあとにバスというものが出てきました。ところが道路が悪いためにガタガタ揺れる。それで円太郎という落語家が、ガタクリ馬車に揺られる乗客のありさまをおもしろおかしく話したことが大評判になったので、それをもじって当時の市バスが円太郎バスと呼ばれたんです。
・・・やはり道路が悪かったんです。(中略)その靴も、道を歩くともうドロドロになってしまうわけです。三越なんかでも、通路にゴザがしいてあった。ですからああいうところでは必ず草履にはきかえさせられたんですね。


この対談の中で、漱石の『門』で、宗助が穴があいている靴をはいていたため雨のときに靴下がずぶ濡れになってしまった小説中のエピソードが紹介され、



野口:・・・駒沢から電車の停留所へ行くあいだは、もう靴がぬげてしまうほとの泥やぐら。関東ローム層でベタついていますから、短靴だとすっぽり抜けてしまう。(中略)漱石の時代どころか、ぼくら、ずいぶんあとまで、道路とは悪戦苦闘していました。


ということだったらしい。この野口冨士男という人は、1911年生まれの作家で、昭和十年代までは道路状態がひどかったと話している。
 だから荷風は日和下駄を履いて東京の裏通りを散策したのだった。
 それと驚いたのは、当時の市電や自動車の性能に限界があって、赤坂の紀伊国坂が急坂で電車が登れなかったという話や九段坂の隣の中坂は自動車が登れなかったのではないかとこの野口さんが回想していることだった。