烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

白鳥の見た動物園

2006-02-10 22:26:21 | 本:文学

 ニューヨークへ渡った永井荷風、ロンドンへ渡った夏目漱石、二人とも西洋という他者を経験した。その他者性は、帰国後はそれぞれの文学に大きな影響を及ぼした。
 それに対して、正宗白鳥の『世界漫遊随筆抄』(講談社文芸文庫)を読むと、1928年(昭和三年)に49歳で渡米し、大陸を横断して欧州へと旅行した彼の場合、同じ他者経験でも大きく違うのがよく分かる。他者を見る目がよく言えば客観的なのだが、悪く言えば他者の中へと深く入ることがなく表層的なのである。これには、白鳥が渡米した年齢が一因かもしれない。二十代と四十代という年齢層の違いから来る感受性の差は、初めての海外経験であるからこそ大きな違いとなって文章に現れるようだ。
 この本の中の「ロンドンにて」という一節なんかを読むと、街を眺める目は軽やかで白鳥を包んでいる空気は、日本からそのまま持ってきたような感じがする。旅行者の視点の違いというのも面白いが今回取り上げるのは動物園の話題である。
 白鳥はロンドンで動物園を訪れているが、



 ロンドンの動物園が最も傑出している。ただに広いばかりでなく、風趣豊かである。客の望みによって、像や駱駝や驢馬に乗せて園内を遊ばせて呉れる。


という感想を残している。またそこで彼は、



 はじめて類人猿というものを見た。頭が禿て尻の毛がすりむけていて、鼻がぺたんこで口が出っ張っていたが尻尾はなくなって手や足は猿とは思えなかった。私は「感慨これ久しゅうした」


 とあり、「お猿さん」を見たことが非常に印象に残ったようである。
 では彼が見た「類人猿」というものはいったい何だったのだろう。描写からするとチンパンジーかオランウータンと思われる。前者がヨーロッパに生きたまま渡来したのは1641年、後者は1776年といずれも古い歴史がある。英国人のスタンフォード・ラッフルズが、動物学会による動物園開設を実現したのが1828年であり、ロンドン動物園にはおそらく両者とも飼育されていたと思われる。
 日本へオランウータンが渡来したのは、かなり古く江戸時代にボルネオ産のものがオランダ船によって持ち込まれている。その後明治31年に上野動物園に移入されたいそう評判になったらしい。一方、チンパンジーの本邦初公開は、1921年(大正10年)ころにイタリアのサーカスが連れてきた時とされている。白鳥は明治31年当時19歳であり、上野動物園*で見る機会もあっただろうが、上の記述が正しいとすると、この随筆が書かれた昭和4年(50歳にあたる)まで、私たちが動物園で普通に見るようなかたちで類人猿を見たことがなかったということになる。
 私たちは、ニホンザルやチンパンジー、オランウータンなどを動物園で眺めて、等しく「猿」として観ているが、当時の日本人の目には東洋の猿とチンパンジー、オランウータンはかなり違うものとして認識されていたようだ。



 *動物園という言葉は、遣欧使節の一員としてヨーロッパへ渡った福沢諭吉がそこで見聞した"Zoological Garden"を訳したものとされ、初出は彼の著書『西洋事情』とされる。
 京都大学の生態学者であり京都市動物園の初代園長でもあった川村多実ニという人は、「元来はZoological Gardenだから、動物学園と訳すべきものを、学の一字を脱したのは、最初の翻訳者の失態である」として責めている(『動物園の歴史(日本編)日本における動物園の成立』佐々木時雄著、西田書店刊)。翻訳語成立事情として面白いところであり、その翻訳は原義に忠実だけど、「動物学園」では、チンパンジーが机について授業を受けているような風景が目に浮かんでしまう。これはあるいは最近の大学の授業風景か・・・。