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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2010年6月宮崎 日豊線

2010-08-08 21:30:56 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

宮崎に行くのに 四国からフェリーに乗り、臼杵から日豊線を利用して行く。

午後8時過ぎに駅に着いた時、外には男子のグループ、待合室には女子高生達が20人位おしゃべりをして待っていた。金曜日なので下宿している子供たちが帰るのだろうと思っていた。

しかし、その日事故があったらしく、夕方以降の2便は運休と表示してあった。動いているのも相当遅れていた。「飛び込んだ。」と言う言葉が耳に入った。鉄道自殺が有ったらしい。

その後、私達の時代と違い、その子たちは単に、部活を終えて帰宅するだけらしい事が待合室にいてわかった。7時半過ぎの便が1時間遅れで列車は入ってきてほとんどの子供達はいなくなった。

私の下り便も相当遅れるのではと危惧したが20分遅れ位で入ってきて乗客が乗り込むとすぐ遅れを取り戻そうと出発した。到着駅も到着時刻の案内も無くどの駅に着いても忙しなく発車した。その分列車はガタガタと良く揺れた。

この便を逃すと真夜中過ぎまで無いからだろうか、ほぼ満席だった。

宮崎にには定刻の5分送れの11時半過ぎに到着した。

又、帰路の上り便は延岡までは1時間ごとにあっても、午後6時40分過ぎを逃すと、11時47分まで無い...よほど利用者が無いのだろうか?

11時半頃、駅に着くと最後の博多行きの赤いバスが出ていた。構内は蛍の光の音楽が流れていて、懐かしい。昔、旅客船で新婚旅行に出かける人がある頃、ほたるの光の音楽と万歳三唱の声に送られ、紙テープをロカビリー歌手のように沢山握り締めた新婚さん達は送られて行ったことを思い出した。今は見ぬ光景だ。

この列車も夜行寝台が無くなった性かもしれないが、思いのほか乗客は多かった。おまけに女性専用車もあった。

2日間走り回った事もあり、席に着くとすぐに睡魔に襲われた。到着時間前にのタイマーをセットしていたので2時10分過ぎに目が覚めた。さて、17分になったので降りようとすると、到着時刻なのに1つ前の津久見駅だった。出入り口に居た男性に確認しても「まだですよ。」と言われ、フェリーとの時間が少ないのであせった。寝ている間に何故か遅れていた。

臼杵に着き、予約していたタクシーに飛び乗り、遅れた事を話すと、運転手さんは年が明けてもう6回も鉄道自殺があったと言った。

どうなってるんだ!半年足らずで6回、鉄道ばかりではないから自殺者はずっと多いだろうと思う。政治家はわかっているのだろうか?

 


2010年6月宮崎 Ⅱ

2010-08-07 16:53:07 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

2日目日曜もホテル前の大淀川の清めから始まった。

以前にもノワタリさんが宮崎に来られた事はあったが、今回妹の家の神棚と先祖事を見てもらう事になり、午前中はそれをして頂いた。

先祖が途中で宗派替えをしていた事もあり、20年くらい前に知り合いの祈祷師さんに見てもらい仏壇を構えていたが、サイドボードの上における小さな物だった。

妹も分家だから...と思っていたが、元の宗派に従って祀っていたのでこちらにご先祖が来られていると言われた。ただ、湯飲み茶碗が杯のように小さく、「小さいわね。大きくしたら?」と言うと、やはり大きな物と交換するようになった。

「これで、充分水が飲める。」と言われたのには、笑ってしまった。

家の周囲を指示に従って清め、ご本尊様に御魂入れして頂き、神棚と仏壇の位置と祀り方を指導してもらい、近くの川を又清め、神社参りに出かけた。

その日も小戸神社、宮崎神宮、江田神社の順でお参りし、行く先々で一日も早く口蹄疫病が鎮まることを祈った。

御神木 おがたまの木

小戸神社

「筑紫の日向の橘の小戸の...」と禊祓いにでてくる所だ。それは街の中にあったが、周囲の喧騒とはかけ離れて、静かで手入れの行き届いている神社だった。

あまりにも緑が綺麗で、本当ならば、もう新緑の季節ではないはずだがと、思っていると、ノワタリさんの口から「待っていた。」と出た。そしてこの緑はご褒美だそうだ。

宮崎神宮

そして、厳かな感じのする宮崎神宮に参拝し、遅い昼食を取り、江田神社に向かった。

江田神社の境内は珍しく若いカップルが多かった。有名な霊能者がパワースポットととして本に書いたらしいからだと言う。雨が多かったのでアジサイが沢山咲いて綺麗だった。神社の本殿の裏から禊池に通じる道に向かった。

鳥居をくぐるとそれまでとは空気が一変し、、木も草も手入れされてなく昼間なのに暗く、入った事は無いが富士山の樹海を想像した。とても一人では歩く気がしない所だった。

其処を抜けると、禊御殿と言う所に出た。其処には拝殿の中に地元出身の有名俳優がお神酒を奉納したのが真ん中にあった。

公園を通り過ぎ禊池に入ったが、人が多かったのでここは鈴を鳴らしながら、池を一周して周った。まだ、睡蓮はつぼみが多く少ししか開いてなかった。

ここで夕方になり、終了。妹宅に帰り、休む事にしたが、終わった途端、みんな疲れがドット出た。朝、ホテルの朝食にあったチョコレートの付いた菓子をバッグから出すと、「寒気がする~。餓鬼が付いてるわ。」とノワタリサンが言われた。先程の気持ちの悪い所で憑いてきたらしい。本当ならば、この日、お墓の清めもしないといけないのだが、都城まで行く時間が無いのでノワタリさんに教えてもらい、後で行く事にした。

しかし、その日しなかった事が後日事件として現れた。

最終便に乗る為、ノワタリさんを空港に送ったが、みんな疲れて、夕飯を食べる気にもならず、お茶だけで早めにお別れした。

その後妹が気を利かして近くのに連れて行ってくれたので大分生き返った。このままでは辛いな~と思っていたが、それで回復して深夜のJRに乗り帰った。着くのは明朝の5時である。

振り返ると、海を入れて川を7箇所清め、神社を8箇所お参りした。帰宅してからも、川と海の清めが続いている。

帰宅してから後、周った所から,新たに口蹄疫病が出ることは無かったが、都城に出た。ニュースでは「都城に広がった」と言ったが、ノワタリさんは「やられた、都城にとんだ」と言い、「片手落ち」と言われ、すぐさま都城の付近の神社を調べた。

妹夫婦は神柱神社と霞神社と実家のお墓を清め、お参りした。

「霞神社は都城が一望できる所にあり、良い所だったわ。」と妹が言っていた。その後も宮崎に出た。その時、ノワタリさんが「根こそぎ」と言う言葉を受け取り、背筋が寒くなった。又、彼女達は清めに走った。

ケムトレイルなどの事は知っていたが、何者かの作為を感じる。

先日、やっと鎮まったと思ったら、ラジオでアメリカが子牛を買えと言って来たニュースを聞いた。やっぱりとしか言えない。

鎮まっても損害は大きく、地域のダメージは大きい。私の住んでいる近くでも一つの産業が今回のように急にダメージを受けると、倒産したり、事業を閉鎖したり、従事者は仕事を求め、流出してしまい、その産業にかかわらず地域全体が落ち込んだままである。一日も早く復興して欲しいと思う。ただ、どの神社の空気が良かったので守られるのではないかとも思っている。

 


2010年6月宮崎 Ⅰ

2010-08-06 22:29:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

朝からミンミンゼミ、クマゼミ、アブラゼミのミ~ンミ~ンミ~ン、シャンシャンシャンシャン、ジィ~ジィ~と大合唱でとても暑いのに余計に暑苦しい。夕暮れのヒグラシのなき声はカナカナカナと涼しげなはずなのだが、2晩前から何故か1匹近くにいるらしく、真夜中にカナカナカナととても大きい声で鳴き、ただでさえ蒸し暑い夜が寝苦しい。

そんな夏が来るのかしらと思っていた肌寒い6月の第1週の土日に猛威を振るっていた口蹄疫病を鎮めるため神社参りをするのに宮崎に行った。

1日目、大御神社、都農神社、舞鶴神社、都萬神社、巨田神社、生目神社の順序で周った。

朝1番ので来られたノワタリさんと空港で出会い、妹夫婦と4人でで出発した。

ホテルオーシャンやゴルフ場の横目で見ながら海岸沿いの有料道路を走ったが、も少なく快適であった。2月以来ノワタリさんとはお会いしてなかった事もあり車の中は賑やかであったが、一之瀬川を渡った途端、口蹄疫病が発生している町だからであろうと思うが、コメカミから上が締め付けられ段々と胸が苦しくなり、足も重くなった。宮崎市内とは全く気が違い、すべてが重苦しく感じられた。外出も制限されている事もあり、も見かけず、も少なかった。

「この胸の重さはこの町の人の思いかしら」と言うと、

「人だけでなく、処分されていったの悲しい思いもあります。」とノワタリさんは言われた。

まず最初に宮崎のお伊勢さんと言われる大御神社にお参りした。本殿の裏から広がる斜めの柱状の岩と目の前に広がる太平洋の景色が素敵な所で、いかにも南国らしい開放感を感じる。

 

大御神社

境内に入り、海に向かっていると、ノワタリさんが「東から来られた。」と言う言葉を頂いた。私達は「ノワタリさんだよ。」と言っていると、「菊理媛様だそうです。締めくくって又これから始まります。」と言われた。今回、妹宅の神棚とご先祖事もして頂くようになっていたのでそれも含まれるらしい。

ノワタリさんはいつもの水、粗塩、御神酒だけでなく、お米も奉納する為持参されていた。

 ノワタリさんが祈ってられる間、私達は海に向かってお清めして、天照大神様と菊理媛様御にご挨拶をした。最後に中腰になって手を海水につけ、それぞれエネルギーを流していると、突然大波がザブンと来て慌ててよけたが、ズボンと靴は浸かってしまった。

しかし、不思議な事にの中はグチョグチョになっておらず靴下だけ濡れていた。しかも海水なのにべったつきもせず、手はしっとりとしていた。

その後、口蹄疫病の発生している都農神社にお参りした。

 都農神社

境内に入るとクチナシの甘い香りがしてきた。本殿に行くまでに、小さな小川があり、其処をお清めるように言われた。「この水が大きな川に流れ、蒸発していき、水だけでなく、大気を浄化しますよ。」と付け加えた。

本殿の前には輪抜けの構えがしてあり、笹に短冊が結んであり、夏越の祭り(蘇民将来だったかも)と看板が出ていた。来る途中、ラジオで自分ちの牛が殺され、その牛の冥福を祈って短冊を書いたと言う話が流れていた。私達は、順路に従って輪をくぐった。

そんな病が流行っているとは思われないほど、境内は穏やかで落ち着いていた。

その後、急いで昼食を取り、川南町の舞鶴神社をお参りした。城跡の公園の中にあり、手前の公民館には農家の人達が集まっていた。

 拝殿の中に飾ってあった龍の絵

その後、西都の都萬神社に向かってはしったが、それまでも何度か消毒液の上を通ったが、今度は噴霧器で全体を消毒された。この町に大切な種牛を移動さしているという事だった。

この神社の裏手の池や川にもこっそりとお清めをした。

都萬神社

西都原古墳群の中をと通り、巨田神社に向かった。古墳群の小高い丘から見る町はのどかで穏やかな田園風景だった。「いいところね。住みたいな」と言うと、「夏の蒸し暑さを知らないからよ」と、妹に言われた。

巨田神社

巨田神社の前の溝、その近くの一ツ瀬川、そして宮崎市内に入り、大淀川の上流と河原に降り清め、生目神社にお参りした。

もう此処では、5時になり社務所は閉じられようとしていた。目によいと言う御神水を白内障の母(手術済みだが)と軽い緑内障の父に買った。

これで一日目は終了。宿は大淀川河口のホテルだったが、気の毒にホテルの人の話では宴会や、団体旅行のキャンセルが多いとこぼされていた。

それでも、レストランには中国語が飛び交い、は韓国語と中国語のチャンネルがいくつかあった。

今回、種が騒がれたが、ホテルのレストンのバイキングで地元の食材を使った料理が沢山あったが、食肉や焼酎だけでなく、ワインも含め宮崎の食材の豊富さと美味しさにびっくりした。

よく走り、周りました。でも、さすが神話の国、無人の神社でも 良いエネルギーで 大切にされ、敬われていると感じた。