Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2008年7月ローマⅡ

2011-05-29 22:46:46 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

テルミニ駅で、売店で軽い食事と飲み物を買った後往来で財布を終おうとしていたら、視線を感じた。男がじっと見ていた。するとバスのチケット売り場の叔父さんが「マダム、危ないから此処に入ってしまいなさい。」と言って、売り場の小屋に手招きされた。少し話していると、2階建てのオープンバスの乗り降り自由な仕組みを教えてもらい、まだ時間があるので、チケットを買った。

そのバスは7ヶ国語の案内ができるイヤーホンが付いていて、各名所で案内してくれる優れものだった。ノワタリさんは1階席に、私は2階で開放感はあるが少々暑い。が走り出すと風が出てきて我慢できなくはない。後ろの席に座っていたスペイン人の若いカップルが「イヤーホンが壊れているのでその前が空席かどうか」と声を掛けてきた。そのバスで1度も降りずにローマの観光地を一周した。目的の観光地で観光し、また、次の観光地と巡ってくれる。なぜかパラチティーノの丘の写真を沢山取っていた。

バスは此処も通れるのと思うほどの込み合った通りも進み、テレベ川を渡、先程のバチカンにも行き、やがて街路樹のある落ち着いた通りに出た。テラスカフェなどがあった。その歩道を後姿しか見えなかったが、颯爽と歩いていくセンスの良いワンピースで通り過ぎていく中年女性の姿を目にした。それまで観光客のラフな姿ばかり見ていたのでとても上品に見えた。

その辺から道沿いにディナーの用意をし始めた店がポツポツと現れてきた。後で調べると、先程の通りはアメリカ大使館のあるヴェネト通りだった。時間があれば、その通りをゆっくり歩きたいと思った。

テルミニ駅まで帰ると、夕方になっていた。翌日フィレンツェ行きのバスの出る旅行社の場所を下調べ先のヴェネト通りと比べるとこの辺はずっと猥雑な雰囲気がした。

しかし、午後4時を過ぎるととても眠い。外でディナーを楽しもうという気も起こらないし、まだ店も開いていない。駅のショップで夕飯は済ませてしまい6時頃には就寝した。

翌朝、6時半出発で申し込んでいたフィレンツェ日帰りツアーに参加する為、旅行社へ行くと「今日は参加者が少ないので明日になります。ナポリであれば今日出発いたします。」と言われた。パンフレットでは毎日催行と書いてあったがいい加減なものである。

ホテルに帰り、朝8時から朝食サービスと言うので地下の部屋へ行くと、アラブのベールをまとった女性や北アフリカと見られる色のちょっと浅黒い男性や二人の若い日本人女性が食事をしていた。

朝食は硬いパンと生温いコーヒーとあと少しフルーツがあったかな?ノワタリさんと食べていると、ジャケットを着た30歳代の日本人カップルが入ってきた。男性はとても不機嫌そうで挨拶を交わした途端不満を私達にぶちまけた。

昨日の夕方、フィレンツェから鉄道で来たのだがジプシーの女5人組みに取り囲まれたが、運良くホテル前であったのと突破できたと言ったが、朝食と部屋の不満を言い、旅行社に文句を言って替えてもらうと息巻き、出て行った。女性の方は困ったような顔をして私達の方に会釈して出て行った。でも、金額をもっと出してこれより上のランクのホテルに決めればよかっただけの事ではないか。個人旅行だから条件を細かく決めているはずだ。

その日は予定を替え、コロッセオへ行く事にした。昨日のオープンバスに乗り出かけた。

コロッセオ、コンスタンティヌスの凱旋門、フォロ・ロマーナ パラティーノの丘

コロッセオと古代の遺跡のフォロ・ロマーナの入場券を一緒に買い求めてコロッセオに入った。その日はお清めグッズを持参して行った。

其処はとても広く、展示物もあったが、見るだけで読めないので素通りである。3階まで上がったり、行ける所まで歩き回った。皇帝の席、貴族の席とあり、競技場の下も見えていた。出来るだけ、下に降りて行き、競技場に向けて清めた。ノワタリさんはいつものように歌われたが、しばらくすると涙を流しながら泣かれていた。どうしたんだろうと思っていると、「私もここの競技場に出されたみたいよ。命は助けられたみたいなんだけど。」と話し始められた。でもそれはまるで「クォ・ヴァディス」の話と同じだったが、彼女はその小説をご存知ではない。その小説に出てくるキリスト教徒の外国の人質に取られた王女である。帰国してから、彼女に頼まれその本を取り寄せた。

ふと気付くと猫が一匹観客席に座っていた。まるで哲学者のような感じで遠くを眺めていた。それから出ても、周囲を歩いた。

その足で、貴族の館のあったパラティーノの丘へ行ったが人はいない。そして地下にある牢のような所も見た。私もネロの時代に此処にいたと言われた。「宰相で偉かったのよ。白いおひげのおじいちゃん」と言われた。でもネロに従わず牢入れられ自害したそうだ。私の前世は知っているだけでも、戦か、陰謀かでまともな死に方をした事が無い。これってどういうことだろう?

 下の遺跡群へ行くと、数人の古代のローマ兵士の格好をした人が記念撮影する客を待っていた。そして不法入国で北アフリカから来た男性達が簡単な蛇の目の日傘やアクセサリーを売っていた。

その近くのネロの丘へ行こうとしたら、裏口に行ってしまい入れなかった。たぶん縁が無いのだろう。そこでも物乞いにあった。今度はおばあちゃんであった。カフェで一休みしようと思ったがその辺は何処も満席だった。近くのバス亭へ行くが、ちっともバスは来ず、またコロッセオまで行き、中を歩けなかった半周をまた外側を歩いた。

街角のレストランで今度はピザを食べていると、アコーデオンを弾きカンツォーネを数曲歌ってくれた。その後今度は観光する為、バスに乗った。

コンドッティ通りに出ると乗客は一斉に降りた。トレビの泉もひとでごった返していた。ここで従兄弟はすりに遭ったと言うから用心して歩いた。その後、バーゲンをしているブティックで色鮮やかなを見つけたが、ユーロ高で割高感を感じ買うのは止めた。

そこでやっとのんびり、カフェで休んだ。その後、スペイン広場へ行くとここも驚くほどの人、周辺には高級ブランド店が多く、ウインドウショッピングをした。その後、昨日のヴェネト通りへ行こうと思い歩いたが、暑く疲れてしまい三越へ入って土産物を見ながら涼んだ。当然のこながら、客は日本人ばかりだった。炎天下の中歩きまわったので膝を痛めているノワタリさんにはきつく。そのままホテに帰った。

国内外知らない街を歩き回る事の好きな癖のある私は配慮が足らなかった事を反省した。

その近くで小さな果物屋さんを見つけ、幾つかのフルーツを買って帰った。ノワタリさんは横になって休んでいたが、水も無くなり、夕飯をどうするかということになった。まだ、レストランは開いていないので、駅のスーパーへ買い物に出た。数種類のパンやチーズ、生ハム、デザートや果物などビールもワインも合ったが、冷蔵庫がないので今夜と明日の朝食分くらいしか買えない。おまけに水のペットボトルを持つとそれは寒気がするというので違うブランドの物にした。レジの若いお兄さんはおつりをくれず手を休め、後ろの客とおしゃべりに夢中になっていた。やっぱり、イタリアらしい日本であれば考えられ無い事である。客に言われ、慌てて釣を渡された。

この日もまた、6時就寝でライトアップされたコロッセオや建造物も見ることも無く、外で豪華なディナーを取る事も無かったかわり、怖い思いをする事も無かった。


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