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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2008年7月ローマⅢ (フィレンツェ)

2011-05-31 00:42:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

天井画は最後の審判だと言う

ドゥオモ(花の聖母教会と呼ばれている)

その翌日はやっとフィレンツェに行く事が出来た。旅行社の前に止めたバスに集合時間の7時半前にボツボツと人が集まった。日本人だけかと思っていたら、さまざまに国籍の観光者だった。最後にアジア系の男性家族が乗り込んできて20人あまりだっただろうか。

ガイドも英語、日本語、スペイン語 ドイツ語などなど数人が乗り込んだ。日本語のガイドは30歳代の女性だった。こちらでの滞在は長いらしく、バスに居ると、用の無い時後部座席からガイド達がイタリア語でおしゃべりしているのが耳に入ると、まるでイタリア人のように大きな声でキャッキャッと話していた。

 ローマ市内を出て高速に乗ると、のんびりした田園風景が見えて来た。黄金色の大きな糸巻きのような藁束があちらこちらに見える。待ちの中の建造物を見るよりもずっと心地良い風景で落ち着くし、飽きない。

ガイドは時折、見えてくる山の上の街の説明などをしていたが、こういう旅ならお決まりのトイレ休憩を兼ねたショップへ案内された。菓子、チョコやワイン、ハムがあり、農業法人のショップ見たいな所であった。

山の上から、オレンジ色の屋根と白い壁と教会の丸い屋根や塔が見えてきた。フィレンツェの街だ。バスはブドウ畑に囲まれた坂道を下って行った。ノワタリさんは此処でワインを買って帰りたいと言った。その頃には前の席に座っていた男性と話していた。その人たちはインドネシア人でジャワから家族旅行をしていてイタリアとフランスを20日くらいで回ると言われた。車屋さんで以前名古屋にいたと言われた。12年前にバリ行った時は、空くりバットのように何人もがバイクに乗っていたが、今は車の時代で、とても景気がいいらしい。しかし、外見はとても質素な格好をされていて、奥さんはイスラムのベールを被っていた。ただ、後でお手洗いで娘さんのリュックの中が見えた時、シャネルのサングラスが入っていた。

街に着くと、大型バスは中に入れず、其処からは徒歩だった。このツアーはアカデミア美術館、ドゥオモ周辺、シニョリーア広場周辺(残念ながら、ウフィツィ美術館は含まれない)のコースであった。この町にはダビデ像を見るのが目的であるから仕方ない。

まず最初にアカデミア美術館へ行ったが、入場まで外で15分余り待っていたら、数人の男性が路面いっぱいに自分の書いた絵を買ってくれと言わんばかりに並べておいた。日常の事であるらしく、パトカーの見回りが来ると隅にさっと寄せた。その後も車が来ても分かっているらしく踏まれ無いように並べていたが誰も買わない。ガイドによると彼らは北アフリカからの不法入国者と言うことだった。

私達は夜外へ出る事は無かったので遭遇する事は無かったが、夜は夜でローマの角々に家族の生活を支える為、クロアチアの女性が立つそうである。

この美術館もミケランジェロの有名なダビデ像の他、ミケランジェロの像が幾つかあったが、ボッチリなどの絵画も宗教画を見たが、私にはネコに小判であった。

 その次はドゥオモまで歩いて移動、道沿いのお店を見ながらガイドに付いて歩いて行くと、通りの先にドゥオモの白い壁が見えて来た。ゴシック建築の美しさに圧倒された。ルネッサンスの頃140年も掛けて建築されたと言う。ドゥオモとしてヨオーロッパで4番目に大きいと言う。

その中に入り説明聞いたが、暗い。

サン・ジョバンニ洗礼堂

その後、昼食にフェトチーネなどを頂いた。合い席になった日本人カップルはホテルであった人と対照的で同じくらいの年齢だったが昨年結婚して遅くなったけれど、今回新婚旅行に来たと言われた。私達と同じようにテルミニ駅近くのホテルだったが、「安いのでバスタブが在るかどうか心配したけど、有ったのでほっとした。」と同じような事を言われた。昨日はナポリへ行ったそうだ。

ヴェッキオ宮殿

シニョリーア広場周辺

ヴェッキオ宮殿は今は市役所だと言うが元はメジチ家の宮殿だったと言う。それからは自由時間で、私達はガイドに手伝ってもらいワインを買いに行った。通りの両替の表示は188円となっておりこれに手数料を払うととても高い。ノワタリさんとユーロ札と交換した。

そこでキャンティ・クラシッコともう一つの銘柄を土産にノワタリさんは買われた。その時も、ガイドはカウントしながら手渡していた。「親しそうだけど、それでも数えるの?」と尋ねると、「この国ではどこでもね。」と言われた。その後バックの製造所も案内されたがすぐに出た。

その周辺のおしゃれな店を見ていたら、観光用の馬車がカッポカッポと石畳の上を歩いてきた。観光客が多いので有名ブランドに店も多かった。

フィレンツェと言えば、メジチ家そして血なまぐさい政争とお高いイメージがあったが、実際歩いてみると、明るく青い空と観光客であふれていてそれは大分昔の事だとイメージが少し変った。

集合まで広場の隅っこのカフェで休んだ。夕方、バスはアルノ川沿いまで迎えに来いた。

途中寄ったサービスエリアで生ハムのサンドイッチや飲み物を買った。それが私達の夕食だった。

ローマに着くと、小雨が降ってきた。そしてそれぞれのホテルへ順番に送っていった。ジャワの車屋さんは高級ホテルの並ぶヴェネト通りで降りられた。最後が旅行社前だった。そこで数人降りたが、もう薄暗くなってきて、道路にテーブルが数件出ていた。

これが最後の夜だった。

 

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