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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

最後の花火大会の町

2009-08-15 09:42:22 | 日々のつぶやき

今夜は最後の花火大会であるが、天気予報は残念今日は午後から雨。

1番のスポンサーだった建設屋も昨年潰れ、商店街戸を下ろした店が多くもうその元気はない。

漁師町から漁師がいなくなった町は哀れなものである。稼ぐ人も、使う使う人もいない。

大手のチェーンのファミレスが出来た途端、新鮮な食材を使うレストランも食堂も少なくなり、外食する事も減った。当然、喫茶店もない。たまにはワインでも飲みながらゆっくり食事したい物である。

今年の春、この町の産業従事者の数を調べると、予想に反して、第3次産業に従事している人が多かった。なぜ???、この町にはそんなサービス業はないがと思ったが、(漁師が減っていくのと比例して、水商売の店はなくなった。)ありました介護施設とヘルパーさん!

1次産業が多いだろうと思っていたが、農家も高齢化し、みかん畑も場所の悪い所は放置されている。作物の代金を農協に取りにいったら払うほうが多かったと言う話も時々聞く。

昨今の重油高と魚価が安い為、残っていた漁師も漁にでなくなり、その数は100人余りしか居らず、かっての10分の1以下だ。

全国地方はそんなものだろう。それに輪をかけて、介護保険と後期高齢者の医療制度はひどい。本当に必要な人には適用されていない事が多い。

この保険制度が出来るまで、働いて自分の足で歩いていた人が、施設を渡り歩き在宅中は車椅子で家事をしてもらい、入浴もさせてもらっているかと思えば、1日中テレビを見て動かず、食べるだけ食べて肥満になったおばさんなどは、毎日ヘルパーさんが来ている。病気や怪我は仕方がないが、自分の健康管理が出来るよう寝たきりにならないような指導のほうが良いと思うが...

確かにその制度が必要で恩典に預かった人も多いだろう。

が、極端な話、悪用とも取れる話もある。母の友人の一人など、ぼけてもおらず手足が不自由でもないのに、お盆の間のみ施設に入れられている。

兄弟親類を帰省させないためだ。その家には仏さんも居られるのに、ひどい!

私の両親は共に大正生まれで父は86歳、母は83歳でペ-スメーカーを埋め込んでいるが、まだ介護保険のお世話になった事はない。毎日父は仕事をしながら、健康の為水泳に通い散歩し、月に数回のゴルフを生甲斐にしている。車の運転だけはお願いして、近く以外は止めてもらった。

気力で生きている気丈な母は「万が一、ぼけたら柱に縛り付けてもいいから(徘徊したら)施設には入れないでくれ。」と言う。「そんな事をしたら私が老人虐待で捕まってしまう」と言うと、本当に友達二人来ている時に、それを言い 「証人が出来たわよ。」と母は言った。母は脚を鍛える為、朝晩四股を踏んでいる。

両親ともに、厚生年金の振込みを見る度にため息をつき、介護保険の明細を見ると、使用してない人に対しての恩典を付ける様にならないかとぼやいている。みんなわずかの事で扶養家族にする事もできない。

父は6年前、社会保険の健康診断で初期の胃がんが見つかったので、大事にいたらずに済んだ。が今はそれも受けられない、なんか矛盾している。早期発見、治療で助かるのにその機会をう奪っている。父は「本当に早死ね保険だ!自分の年齢の人たちは戦中戦後一番苦労したのに」と、いつも憤慨している。

退院した後、貧血を起こし転倒して怪我をした為、近くの病院に行ったがそこがまた儲け主義!数年前に健康診断で引っかかった時、大腸の2時検査で行ったが院内の病棟を歩かされた。寝たきりの人ばかりでアーアーとかウ~ン、ウ~ンという呻き声しかしなかった。ドアが開けっ放しになっている部屋には管だらけの老人がいた。

その医者が次から次と病気をこしらえて来る。「今度は何?」と聞くと、「カルシウム不足でこれから週に3回点滴に来るようにと言われた。」と父は凹んでいた。

値を聞くとたいしたことはなく「その年齢だから多少どこかは基準値に足らない事は仕方がないだろう。」と私達は鼻先で笑った。父の食事の量とアルコールの量を見れば、老人とは思えないし、あれこれと体の弱かった母は薬草茶を飲んだり、食事に気を遣っている。

お盆にいり、姪が両親の顔を見にと一晩泊まりでやって来た。口の悪い母は「お小遣いもらいによ。」と言いながらも喜んでいたが、心優しい姪は本当にずっと両親の居間でおしゃべりをして何処にも行かず、相手をして帰った。いる間はジジとババ喜びもあって圧倒されるくらい元気だった。

いろいろぼやいたが、3人元気で暮らせる事はあり難い事で幸せだとつくづく思う。

 

 

 

 

 


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