Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2005年広島 宮島 2

2009-11-29 11:50:48 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

弥山山頂

不動岩前

その後、宮島に渡り、日が暮れるまで厳島神社を始め、町の中を周った。残念ながら、朱色の大鳥居は干潮で、海に浮かぶ姿は見れず、社殿の回廊も砂浜に建っていて、何か間が抜けていた。清盛神社を周り、宮島歴史民族資料館に行った。立派な商家の佇まいだったが、中を歩いているとノワタリさんが、「痛い、誰かここで斬られてる」と言って痛そうに体に手を当てていた。裏の倉庫のような資料館に教科書に載っていた清盛像や、島のミニチュアがあり、人が住んでいるのは厳島神社の周辺だけで後は、ポイント、ポイントに神社があった。やはりここは神の島で普通じゃないと思った。しかし、寒気のするものもあった。二位の尼の像だった。壇ノ浦で入水してこの島に遺体がうち上げられたと書いてあった。縁のある島に着くなんて...

その後、水族館を通り、大本神社まで行った。その浜辺の景色が気になった。

以前も書いたかもしれないが、6月の末頃、父と二人出雲大社に行くという夢を見た。夜の真っ暗な峠の上で下に見える侘しい灯りを見ている。(この光景は以前も見た事がある)峠を下りると出雲大社に着いたところだったが、昼間になり、現実の風景とは全く違い、鳥居も無い。門を入ると、昔の建物があり、その奥に松林が見える。その向こうは海らしい。建物の横に大勢の人が鎧をつけて立っている。武者行列かしら...その横に斜め横にしか見えないが立っている人たちと違い、綺麗な鎧姿の若い男性が座っている姿が見えた。肘宛というか籠手?それが白地に朱の鹿の子かアサノハのような柄の印伝?の様な物をしているのを見た。それは目が覚めても強烈に覚えていた。それをノワタリさんに話すと、その男性は私の前世の一つで、その時代父と一緒だったと言う。その後、彼は落馬か何かあり、右の腰下から怪我をして両脇を抱えられて落ち延びている姿を見られた。実際、私も子供の頃、事故で右腰から足先まで骨にヒビが入りギブスをした事があった。長くなったがその時の浜辺では?と思った。400年以上経っているので考えすぎかしら。

大願時に行き、厳島神社の裏を通り町に出たが、何か頭が痛い。二位の尼だけでなく、安徳天皇の女官達であろうか、その官位の付いた名前らしき人たちを祀ってある所があった。

その夜、フェリー乗り場前の屋上に温泉のあるホテルに泊まった。

翌朝、バスで紅葉谷公園を通り。ロープウエイで弥山に登った。ロープウエイからの展望も良く、森林の上を通り、瀬戸内海をずっと遠くまで見渡せた。まるで海の上を飛んでいるみたいだった。その途中、ロープウエイを乗り換える前、ノワタリさんが不思議なビジョンを見た。「山の中に集落のようなものが見える」と言った。前日のミニチュアには山の中に集落は無かった。後で気付いたが、陶軍の敗残兵が山の中に潜み、夜な夜な貝などを採りに下に下りたと言うのを何処かで読んだ。たぶんそれだろうと思う。

獅子岩駅に降り、まさか下山は別ルートになると思わず、サルが居ると言うのでコインロッカーにノワタリさんはナップサックを入れた。天河神社も弁財天様、奥野宮のある山も弥山、この宮島のご祭神も山も同じ名前、何かあるのかしら?

弥山本堂、三鬼堂、霊火堂、文殊堂、観音堂と周り、奇岩の沢山ある山頂まで行き、店やで一息ついた。山頂からの眺めはとても良く、角度を変えれば四方が見えたように思う。潮の道引きで水が上がったり下がったりすると言う不思議な干満岩に手を入れたが水は無かった。水掛地蔵堂、弥山神社に行ったが、残念ながら時間が無く、奥の院には行けなかった。

仁王門跡という名前が気になり、それを目指して駆け下りた。動く度に携帯に付けていた鈴がずとかわいらしい音を鳴らしていた。どうもここも戦場跡みたいだった。そこを過ぎると、小さな川沿いにそって駆け下り、降りたところは昨日の大本神社の前に出た。私達は合戦の跡をずっと降りてきたみたいだった。これも鈴での音で清めたらしい。

その後、土産物店街にでて、熱々の紅葉饅頭を食べたり、それぞれお土産を買い、遅い昼食に宮島の牡蠣を頂いた。平和記念日の午後なのでか町は昨日よりもずっと人が多く、外国人の姿も目に付いた。

妹が、友人二人に入試のお守りにしゃもじを買い、ノワタリさんに御祈念してもらったが、不思議そうな顔をされ、「どちらだったか、御祈念してたら水が押し寄せてくるのが見えたのよ...変ね~」と言われていた。その1ヵ月後、台風14号の被害に遭い、新築して間もない家が全部浸水した。

宿に帰り、売店で綺麗な絵ローソクを買い、宮島を離れた。広島に着いてもお茶を飲む事もでき無いので、味気ないがそこで三方に別れた。もう夕方であった。

ノワタリさんのナップサックは幸いお金は入れていなかったが、後日郵送してもらった。