Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

薬には気を付けましょう2

2020-01-29 21:35:59 | 日々のつぶやき

 前回薬の副作用の事を書いたが 肝臓や心臓の値はわからないが、ほとんどの症状が出ていた。

すぐに服用は止めたものの、副作用は数か月間でた。

食欲不振と便秘、下痢、軟便、吐き気を繰り返し口に入れるものに苦労していたが原因が分かり食事を作る者として少し安堵したものの、現状は変わらず翌日 近くの病院へ点滴に連れて行った。

しかし、50メートルぐらいしかない距離でも 健脚自慢だった母は一人では歩くことが出来なかった。

 点滴にも通うことにしたが 口からとる方が良いという事で経腸栄養剤をもらって帰宅した。

そのまた翌日の火曜日 歯医者に連れて行きそのまま帰宅しようとすると歯科の前にある胃腸科で薬を貰うという。その後、眼科へ行くと言い、商店街のアーケードまで行くと子供服屋へ行きひ孫の服を買うというので又、車を回した。

 ベビー服店では座っているのもままならず、だらしそうに壁にもたれてうなだれていた。その頭を見てハッとした。掃除をする度白髪の抜毛が最近多く気になっていたが髪の毛が太く多かった母の頭の地肌が見えていた。

よほどキツイ薬なのだろう、四谷怪談のお岩さんのように髪の毛が抜け、母は口腔洗浄機で口の中を濯いでいたのに、歯もガタガタになってしまった。

 誘った母は私に数点選ばせてその店を出たが、顔なじみの店主は母の変わりように驚いていた。

その後眼科のあるアーケード街まで行ったが、2,3件内側の眼科が分からなくなっていた。指を差し教えて昼休み近くなるので、千恵さんを帰らさねばならないので気になりながら急いで帰宅した。

慌てて店を閉めて迎えに出かけようと外へ出ると、近所の人に抱えられてヨタヨタと歩いてくるのが見えた。

その人は

「おばちゃんが倒れそうで危なかったけん…。」と言われた。

母は家に入るなり廊下に倒れただしんどいとつぶやく。慌てて血圧を測るが正常値の範囲だったのでしばらく休ませて又、点滴に連れて行った。

参ったのはこの数日間の記憶が無くなっていた事だった。

 胃薬が無いというという。

「前日、歯医者の帰りに貰いに一緒に行ったでしょ。」と言っても、覚えてなく、又整理した薬箱には無く、探し回わってごみ箱から空の胃腸科の袋を見つけ見せると気付く有様で、他の事は全く覚えていなかった。

 ご飯は柔らかく、お肉はミンチかロースの薄切りしか使えず、葉物野菜は噛み切れない言い、お豆腐料理は嫌いだと拒否され、夕張メロンより安価で熟していた熊本メロンを食べさせると熟しすぎていたのでお腹がくだると文句を言われ続け困り果てた。

8月の末、余りにも文句が多いので私ももう手に余り、それならば、薬が抜けるまで点滴に通っている近くの病院へ入院して食事療法をするしかないと母に言うと、今度は泣いて拒否された。

薬と分かっていながら、当たらずにはおれなかったのかもしれないが、私も母のベッドを直していた時にぎっくり腰を起こし、この2,3か月のストレスで心身共に限界を感じていた。

妹は4年前に肺がんと決めつけられ 過呼吸を起こし、心療内科へ行きこれまたきつい薬を渡され その後診療内科を転々として、減薬をしだしたもののまだ、いつもの彼女の状態ではなく あてにできなかった。

 

 

 

 


薬には気を付けましょう1

2020-01-28 00:01:52 | 日々のつぶやき

 最後にupした頃から、母の具合が悪くなって来た。

本当は6月にユキちゃんと大山祇神社へお参りするはずであったが、母の具合が悪くなり取りやめた。

フラフラとして倒れそうになり2度ほど人に支えられて難を逃れた事があり、一人にする事が出来なくなった。

その月の初旬、ペースメーカーの検査に行き担当医に不整脈の薬を勧められたのが事の起こりだった。

母は普段、松山の病院で薬をもらっていたので新たな薬をさらさら飲む気は無かったの断ったのだが、

「朝、起きてこないという事もありますよ。」と言われ、その言葉に負けて服用し始めた。以前横浜に住んでいる叔母が不整脈の薬で 痴呆になってしまったので嫌な気がしたが、母は90歳過ぎても頭も手も足もしっかりしているので分かっているだろうと思いそのままにしていた。

結局この薬がきついのでフラフラするのだろうと、一旦中止して次回検診でもっと緩いのに替えてもらう事にした。

しかし、1か月後出されたのも大差ないものであった。

薬からとは気づかず、母は胃が痛いといって胃腸科へ行き、歯の具合が悪いと言っての病院が2つ増えた。診察されて癌ではなかったので安堵したものの一向によくならず、ご飯も2口ぐらいで入らず、朝は甘酒とバナナとカスピ海ヨーグルトを混ぜた物、毎日トマトかメロン、うどん半分しか食べなくなった。しかし、それではいけないであれこれ口当たりの良い物をと思い料理をしたが、毎日作っては捨て、作っては捨ての繰り返しでこちらもこまってしまった。

そして1日中頭痛がすると言ってソファーに横になっていた。

2度目の薬を服用し始めて10日近く経った時に大きな異変が現れた。

前日から少し熱があり心配だったので母屋で休むことにした。本来ならば松山の病院へ行く予定だったが、母が具合が良くないので取りやめていた。

朝起きると、母は私の寝床にやって来て

「あ~、しんど…」と横にどすんと座った。

見ると母はパジャマの上に肌着を片袖だけ通して窮屈そうにしてパジャマの下は履いてなかった。

???、余りにも尋常な姿で無い母を初めて見て私はひどく驚き戸惑った。すぐに肌着を脱がせ休ませたが、その1時間後、今度はベッドの上に数本の体温計のケースをばらまき体温計が無いと言う。

私のを渡したが測定の仕方が分からなくなっていた。毎日朝晩、体温と血圧を測っているのに…。

測ると、7度6分だったので解熱剤を飲ませて休ませた。

午後になり母はまだ熱が下がらないとこぼすので、高齢者は7度台でも肺炎を起こしている事があるので大事を取り 急患センターへ連れて行った。

センター前に車から降ろしたのに建物の中には居らず、探すと本館前にいたので連れて行くと、

看護婦さんの一人はきつい口調で

「なぜ、一緒に来なかったのですか。」と言う。

「陽がきついので、前におろして車を置いてました。」と言うと、「…。」なんで不安だらけの具合の悪い病人を目の前にしてそんな事を言うのだろうかとイラついた。

10分ぐらいして当番医が来て、今朝からの事を話し診察をしてもらったが、幸い肺炎も脳梗塞も起こしては無かった。(行動がおかしい時も脳梗塞の恐れがあるらしい事を後から聞いた)

少し安堵したものの、熱中症を起こさないようアドバイスを受けた。

その後、先の看護婦さんではない方の方が気を使われて車を持ってくるまで母に付き添ってくださった。本当に心細い思いをしてる時に有難かった。

一旦帰宅して、クエン酸の入った補水飲料を数本買い母も落ち着いて来たかな?と思ったが、腑に落ちない。

急に痴呆になるのか?

妹や従妹に電話で聞くと、急に痴呆になる事は無いと二人とも言った。

ならば、薬の飲み合わせか?と思い母の薬箱を開けると、驚いた事に菓子箱に全部袋から出してバラバラに入っていた。

ネットで一つ一つ薬の名前を入れ、封筒に薬の名前と高血圧とか甲状腺とか何の薬か書いて、副作用も書いていった。

すると、最後に不整脈の薬を調べて大いに驚いた。

調べて行くと詳しく副作用が書いてあるサイトがあった。

主な副作用として眩暈、ふらつき、 動悸、脚ブロック、倦怠感、胸痛、BUN上昇、好酸球増多、頭痛、頭重、吐き気

上記以外の副作用 嘔吐、 食欲不振、腹痛、過敏症、 発疹、そう痒、浮腫、味覚倒錯、軟便、下痢、尿酸上昇、筋肉痛、ほてり、腹部膨満感、

重大な副作用 失神、肝機能障害、黄疸その他肝臓に関する事が書いてあった。

副作用が出ても飲み続けると不整脈が良くなっても黄疸がでて肝臓病を起こすと言いう事はいったい何この薬!

さらに投与するのに注意という処にいくつかあったが、ペースメーカー使用者、高齢者とあり、この医者は自分がペースメーカーの手術をしているのにあきれ果て不信感が募った。

おまけにこの薬を2か月分も母に渡していた。

 

 


盗人に追い銭

2019-06-25 20:01:27 | 日々のつぶやき

r- 本来ならば5月3日の続きを書かなければならないのだが、ずっと心のなかでモヤモヤしていたのでこんなタイトルになった。

年金外の2000万必要という発表が先日出た。確かに徐々に減額になっているので、もう私の年齢では不安である。

今年の3月外回りの20代の銀行員が昨年に引き続いて転職の為辞めて他の町へ行くという。マイナス金利の影響だという。

あれこれと保険の勧誘などもされたが、この年ではもう加入するのも不利であるのでお付き合いはしなかった。

2000万必要というが、超低金利が続き私達の本来受け取るべき金利は他へ回り大企業の優遇ばかりである。投資しろというがそんな知識もなく、高速取引で外国人投資家のカモになりそうである。いずれ預金が投資に周ったころリーマンショックのような物を起こされてあの時と同じになるのではないかと思っている。そして以前 銀行に勧められた投資信託は反対に損をする羽目になった。

 私の住んでいる街の人口ピラミッドの頂点は70歳代である。普通に預金金利がついていれば、消費にも周るだろうが、険料とか差し引かれる方が増えて、おまけに食品や生活必需品の価格はじわじわと上がっており皆さんシッカリ財布のひもを締めていて余裕はない。

 休んでいたスイミングを再開したとき、以前と比べずっと人がいないのに驚き、会員数の減った施設は経費節約のため灯りは暗く、温水を張った湯船も空っぽだった。

大店法が廃止されてから、商店街はシャッター通りとなり、地場産業は衰退し高齢者でも商店経営やパートの店員などの仕事ができていたのに今はそれもないのに働けという。

以前、高齢者の万引きの事を何度か書いたが、今は珍しく無いことでもう地元紙にも載らない。史記のなかの菅仲の言葉に

「領民から年貢ばかり取り民を飢えさせた国は滅んでいる…」とあるが、本当にその通りだと思う。

これで消費税UPでならば、盗人に追い銭だわ。

 

 


泳ぎた~い

2019-05-12 16:34:27 | 日々のつぶやき

 前回upした後 下書きにしていたと思っていたら、残念ながらうっかりして消してしまっていた。2年余りのブランクとはこういうものか?

 ノワタリさんの元を離れて私がした事は大好きなスイミングの再開だった。年齢もあり、重力の法則にしたがい体重は大して増えなくても体は締まり無く垂れてくるのと、足腰が弱って来るので負担の少ない全身運動であるスイミングは最適な運動である。

しかしいつまで続くかは分からないのでキャップもゴーグルも安い物を購入したが、それなりの品なので度も付いていなくやはり不自由である。

 半年ほど過ぎた後、度付ゴーグルを購入して昔の友人に誘われて水泳教室に参加する事にした。以前の施設と同じだが経営者は違い、大分様子も違っているのでなかなか馴染めずにいた。

以前は夜でも週2回で、初級、中級、マスターズと3コースあり大人も進級制で賑やかだった。今回は1コースだけで、40分で500っも泳がない。おまけに初心者は一番後ろで同じコーチの指導だった。驚いた事にコーチの一人は以前横の選手コースで泳いでいた中学生の女の子だった。 生徒はほぼ、以前からのメンバーが多く60,70のおばさんたちだった。たまに新しい人が来ても40歳代の婦人で若い子はいない。

 

 プールに入水する前に粗塩をこっそり入れ、出た後は粗塩で清め水着の下には榊の葉を3枚入れて1年は無事に過ぎた。

しかし 2年目になると怪我と体調不良で中々行くようにはならなかった。転んで開脚の姿勢で右足だけ折り曲げた格好で着地したら、折れたりヒビが入ったりは免れたが 衝撃で膝に水が溜まり1か月間治療に通った。その後も右手を車のドアに挟んだり、大した傷で無いとそのままにしていたら化膿したりと、プールへ通えなかった。

 11月になり、指導していたコーチが年内に辞めると言う。その前にも一人止めているのでもしかしたらと思っていたら、3月まではOBの選手が隔週で週一で指導してもらったが、それも無くなり4月~は水中ストレッチ以外夜のコースは無くなり解散状態となった。寂しい事である。

おまけに泳ぐスペースは1つだけとなりフリーで泳ぎに行っても泳げるかどうか分からない有様である。

近隣のスイミングスクールを探したが、片道1時間程の町にあったが、夜運転するのも高齢の母が心配するので 通う事は諦めた。

今は、日曜の午後1時間余りたまに泳ぎに行っているが、止めないといけないのかどうか迷っている。

 


ご無沙汰しておりました

2019-05-06 17:08:58 | 日々のつぶやき

 最後にupしてから2年以上すぎましたが、私の能力が上がったとかは別段なく、憑ける事もすくなくなり自分で処置できる範囲内で済むようになりました。

全く以前のようにお清めに回ることが無くなったという事はなく、私達に必要な事、場所の対して時々入ってくるようになりました。ただ、パートナーはノワタリさんでなく中学時代からの友人であるユキちゃんと行動している。

 このブログもその旅とこの最近感じる事を書いていきたいと思っています。