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Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

左耳からさようなら

2024-08-16 16:44:14 | 日々のつぶやき

 12日の明け方まだ5時にはなってなかったと思う。

いきなり左から大きな声で

「自分は居なくなるけど 探すなよ。遠くへ行く…」と隣の同級生が大きな声で言う。彼は耳が少し遠いので日常会話も大きい。その後引き続いて同じ内容の話を中国人の彼の奥さんがたどたどしい日本語で話し出した。

最後にやはり

「さようなら」

余りにも突然で驚いたが、微睡んでいたので夢か現か? でも余りにもあの声はリアルである。慌てて枕もとの携帯に手を伸ばし確認するが電話の履歴もないし、取った覚えもない?

う~ん何だろう 何も起きなければ良いがとしか言えない。満月、新月の前後は地震も多く、まして台風が来るとまた地震に作用するという。

何故かもう衣類が買えないような気がして サイズダウンしたこともあったが、下着に始まり秋冬物のバーゲンの品から四季に関係なく買って補充したが 靴もサンダル、ローファーと3点買い 化粧品まで買って やっと7月から気が済んだのかもう買い物に走らなくなった。

しかし、気になる...。

地震や津波が来ても 子も孫もいないのでそのまま逝っても良いと思っている。まして残った方が大変なのではと思う。


寂しい高齢者 Ⅱ

2024-08-11 16:39:14 | 日々のつぶやき

もう一人 うちのお得意さんのIさんで商店街にお店を構えられていた。

何処も商店街がシャッター通りになっていったのに例外はなく 周辺のお店も戸を閉めたり更地になっ行き ご自分も高齢という事もあり 6年目の事決心して店じまいをされて棚まで処分されて閉じられたはずだった。

 時折、客注という事で注文があることはあったが、ある時沢山の注文が来て戸惑い、若奥さんに連絡を取ると向こうも驚いていた。

その前にその町の道の駅でIさんのお友達に出会った時、

「ねえ~、あなたんち電話かからない? 来い来いってしょっちゅうかかるのよ。」と言われた。その頃は何もなかった。

それから半年たたずに電話が始まった。

それも 出るまで止めない。

 商売をされている時は人の出入りがあり、売れようとそうでなくとも1日が過ぎた。

Iさんは家事を含めて自分で何もかもできていたが、ただ一つ自分は商売をしていると思い込んでしまった。

 それから毎日幾度も電話が掛かってくる。適当にあしらっていたものの、コロナが流行ってからひどくなってきた。

時たまお店の前を通ると暗い店内にテレビをかけて座っている彼女の姿が見え、声をかけたり、差し入れを持って行った。

Iさんが腱鞘炎で手術をされた後、息子さんの家に引き取られとられても、商売が気になりそそくさとご自分の家に帰られ、デイサービスを試しにと1回行っても後は行かずじまいで、そのうちうちへの電話はひどくなっていった。

お嫁さんによると 何もかも自分で出来るのだが、ただ一つ商売をしている気になっているとの事、品が無いから人が来ないと思っているみたいだ。

  コロナの間に少しづつ商売も変化していき、彼女の言う商品はない。外出できないので親会社がストップをかけ廃業させたり、数社は世代交代もあり廃業した。

 品物が亡くなったことを伝えても、次回掛かった電話では初めて聞くような対応でほとほと疲れてしまった。

 しかし、彼女は理解できず、彼女がバリバリ現役で張り切っていたころのお得意さんの電話を教えてくれというが、廃業したり世代交代してもうその頃の人はいない。毎日掛かってくる電話を持て余していると、お嫁さんから受け取り拒否にしてくださいとの連絡がった。

 しかし、拒否にしても ベルは鳴らなくても表示は出る。

丁度1年前のお盆明けから、電話に悩まされることは無くなった。

 何かあっただろうとは思っていたがお嫁さんに偶然出会いおたずねすると、

グループホームへ入られたが、まだ完全な痴呆にはなっていないので 家族も面会が出来ないと言われ

 そういう状態で周りは痴呆の人ばかり、Iさんはストレスが溜まらないかと気になってしまう。

お嫁さんと書いたが次男のお嫁さんで、こういう状態になってから長男が半月ごとに都会の自宅と生家を行ったり来たりしていたらしいが、彼だけが半年後面会が出来たといううが、まだお会いすることは出来ないでいる。

 一体、軽傷の人を助けるのでなく重度にしてしまうのか? 高齢の親と暮らしている私は疑問に思う。

 

 


寂しい高齢者

2024-08-09 18:15:07 | 日々のつぶやき

 地方はどこも同じようなものだと思うが、私の住んでいる町も高齢化が甚だしい。戦前の産めよ増やせよの世代と戦後のベビーブウーマーが人口の多くを占めている。

高度成長時代の国策で働き手はほとんど都会へ出て行ってしまい。高齢化した親は昔と違って独居老人となっている人がほとんどである。昔であれば、家族に囲まれ楽隠居で過ごせた人が多いのではないかと思う。

 100メートル位先に住んでいたKさんはご主人に先立たれ おひとりでひっそり暮らされていたおとなしいかご夫人だった。町内も違い親しくはないが会釈して通り過ぎるくらいのであったが、痴呆になり雰囲気も変わり、大きな声で皆さんに話しかけながらうちの前を毎日歩かれていた。

 ある時、母を病院に連れて行った帰り道 近くのスーパーで買い物をされている彼女に出会った。 買った総菜をレジ前のカウンターで広げビニール袋に手づかみで入れていたのでレジのお姉さんに他でしてくださいと注意されていた。どうせ帰り道だからと車に誘った事から、私は彼女の親しい人の一人になったらしい。

 それからはうちの前通るたび、名前を呼ばれ顔を出すまでつづき、荷物を自宅まで届けたりしていた。彼女の家付近は空き家が多く構ってくれる人は少なかった。

ヤクルトさんは声をかけられると家の中まで行き時々お世話をされていたが、炊飯器の古いごはんの上に新しく買ったごはんを入れたりしているので 古いのを食べておなかを壊さないかしら?と心配されていた。

 時折 帰省した息子さんと二人で歩いて出会ったら、嬉しそうに息子さんの紹介をしていただいていた。

ココナが流行り 息子さんも以前のように帰ってくる事も泣くなり、彼女の痴呆は進んだみたいであった。 うちの隣の民生委員さんにあの町内の民生委員さんの事尋ねたが、家族でもなく町内でもなかったのでうやむやになってしまった。 痴呆であれば 施設に入ることもできたと思うが

毎日 行くところもなく寂しかったのだと思うが、近くのコンビニとスーパーへ1日十回以上も買い物に行き元気に歩いていたが、朝早く自宅前で倒れているところを通りがかりの人の通報で 救急車で運ばれた事を聞いた。食事も偏りがあり 骨粗鬆症から腰を骨折して歩けなくなり 入院されたが、栄養状態もよくなく 数か月後亡くなられて 息子さんから報告があった。

 なんとも悲しい...。

まだ うちの町内は人とのお付き合いがあり 私が救急車で運ばれたときは隣人が付いて行って下さり、ありがたいことに数日間近所に差し入れをしていただき母を気遣って頂いた。

遠くの親類よりも近くの他人、本当によくしてもらい感謝しているが その町内も半分近く人が移り変わりつつある。


鯛の骨で?

2024-08-02 18:30:54 | 日々のつぶやき

4月の下旬、私は5,6キロ痩せてしまい新しく買ったパンツが大きすぎて直しに出すことにした。

この数年Sサイズであっていたので直しに出すことはなかったので経済的で喜んでいた。ご無沙汰だった直して下さる店へ行くと、もう廃業されていたが久しぶりだったので1時間ほど話をして帰ったが、彼女の人相も激変して痩せられていた。その原因のとても重い話ばかりでどっと疲れが出て仕事をする気がしなかった。

 彼女は洋裁の知識がありパターンが起こせて腕の良い人だったがご主人が3年前 食事をしていると喉に鯛の骨が刺さってしまいあたふたとしていると、

「あ!!のいた」と言ってその後1か月程 何事もなく過ぎていた。それが1か月後 おなかに激痛が起こり 救急車で運ばれると、なんと腸の壁に刺さっていて膿んで緊急手術となり 助かったものの その後が気の毒で詳しくは聞かなかったが、それをきっかけにご主人は初めの病院から3か月後は他の病院や 施設に入ったままであるという事である。

それだけではなく それを切っ掛けに彼女はうつむくと眩暈がして、仕事をすると3日間眩暈が続いて仕事が出来なくなったと言う。

 鯛の骨は胃で消化出来なかったのだろうか?そのうえ元々足が不自由な方だったのが階段も上がれなくなったという。

また 共通の友人の話になった。

その彼女は2年前のに 脳出血で会倒れて施設にいるが場所が悪く痴呆になられたいう。

渡しと同じで降圧剤を飲んでいなかったというが、とても利発でしっかりされていたので お気の毒で何とも言えない。 独身時代が長くよく一緒に旅行や遊んだ人だったが、結婚を機に疎遠になっていた。 私の母方の祖母も2度の脳卒中で2度目に正気が無くなり寝たきりなったが 祖父の懸命な介護で歩けるようにはなったが正気に戻ることなく 6年後亡くなった。

帰宅して千恵さんに話すと、二人ともどっと疲れて何もする気が出来なかった。

 

 


誰もいなくなった

2024-07-31 18:21:50 | 日々のつぶやき

前回から まだ2年余りだというのに 私の大事な友人であるユキちゃん そしてノワタリさんも亡くなられてしまった。霊的な話をする人がいなくなってしまい 日々悶々としている。整理がつかずなかなか書くようにはならなかった。

まだ載せてはいなかったが、ユキちゃんと高千穂、阿蘇の珍道中を書こうと思っている間に行ってしまった。

彼女たちだけでなく、生きていても廃人同様になった友人もいるが、本当に心の底から話せる人がいなくなってしまった。

健康だけが取り柄だったはずだったが、2年前の7月 私は熱中症になり夕方気を失い倒れてしまった。暗くなってから母に起こされたがあたり一面嘔吐したものでいっぱいだった。

這うようにしてベッドにたどり着いたが気分が悪くてその晩のことはあまり覚えていない。一晩休めば良くなるか?と思ったが、そうではなかった。

翌朝、頭の向きを変えればめまいがしてオエ~となる。その日千恵さんは 喉頭がんで入院されていた姉さんが緩下治療に移るため病院を替わるので休んでいた。

母に 普通ではない体調なので救急車を呼ぶように頼んだが、熱中症の怖さを知らない母は 私の体調よりもコロナを恐れ呼んでもくれない。

お昼になりちっともよくならないので自分で救急車をオエオエ言いながら連絡すると、電話の向こうの受付は察してくれてほどなく救急車が来てくれたが、付き添いがいない。

ただ、18時間も呼ばなかった事に驚かれた。そして同時期に運ばれた知り合いが亡くなられていた事を今年知って驚いている。

お隣のご主人に来てもらったい病院へ運ばれたが、血圧は200近くあり点滴に降圧剤を3度いれて175まで下がったが、それから4,5日の入院となった。

落ち着いてきた頃 ユキちゃんがスキルス性の胃がんで入院して居る事を連絡してきた。ふたりでこの春亡くなられた恩師の家にお悔やみに行くことを約束していたからだ。

春に白内障の手術を彼女はしていたが、麻酔の効きづらい体質で片目は10年以上前にしていたが余りの痛さにその年まで伸ばしていた。術後いつまで経っても体調は良くならず、かえって悪いので

病院で調べると胃がんになっていた。

塾をしていた彼女は生徒を他へ紹介し 後の段取りをしてやっと7月に入院した。後でご主人の話によると胃の入り口まで広がっていたという。それでも 彼女は平静時と変わりなく明るく話していたが…。

連絡をもらった時も淡々と普通に話ていたが、彼女のお父さんも同じ癌で亡くなられていたので余命はわかっていたと思う。その間数冊の本と松葉エキスを送ったが、本は届いても松葉はダメだった。

その中に熊本の偉大な霊能者である松下翁のことが書いてあるものと塩屋信男の本を送ったが塩屋さんのは古本で元の主思いが強く、それを感じる彼女には到底受け付けず、新刊本を送り直した。

それでもお母さんが熊本出身だったので「よか~。」と明るく振舞っていた。10月に緩下治療に移り11月下旬に亡くなられたが、癌の人とは思われないほどふっくらとして変わりない穏やかな顔であった。