Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

篠山

2012-11-13 19:52:12 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

11月3日始発で到着されたノワタリさんと空港で合流し、みんなで再会を喜び空港で朝食を取り10時過ぎに出発した。

「まさかこんなに早く来るとわね…。これじゃ以前と一緒だよね。」などと言いながら、ひたすら南に向かって走った。

5月に行っているので大体の様子は分かるが、山への道は愛媛側からも2つの道がありカーナビの設定がうまくいかなかったのでその時は遠回りして、県境から登った。

今回は時間が厳しいので、津島町から祓川温泉を目指した。初めて通る道で、大変のどかな田園風景が続く。秋祭りらしく、こんな所でと思うような場所で離れた集落を周っているらしえ軽トラックにぎっしりと人が乗った牛鬼の一団とすれ違う。

山道を登って行くと、祓川温泉の前に3人のお年寄りがいたので道を教えてもらい、ずんずんと登って行く。所々に紅葉が目に付いたが、紅葉狩りをするような山でもないので対向車も来ない。

そうするうちにやっと1台通れるような狭く暗い出口の見えない長いトンネルに入った。

照明が暗いので灯りと陰がモノトーンの節状に続き、まるで次元を遡っているような感覚に襲われ、出たときは別の世界に行くのではないかと、みんな同じ事を思っていた。まるで昔の白黒映画のヒッチコックかミステリーゾーンのオープニングみたいであった。

みんな口々に「一人だったら、絶対に通りたくない。4人いるからまだ良いんだけどね。」と言っていた。やっと曲がった所で出口が見えて安堵した。

そこで以前通った道と合流したが、其処からがまた狭い山道であちこちに「落石注意」の立て札。

「あんなもの気づいた時は、お陀仏よ。」と悪態をつきながらワイワイと半分ワクワクしながら進んだ。

上り口前の駐車場には他に一台の車があった。思ったよりも速く着き、12時半過ぎだった。

登山道の入り口で「登らせていただきます。」とノワタリさんが巫女鈴を振りながらご挨拶をされ、みんな従ってご挨拶をして登り始めた。その時の写真が上記のものだが、カメラのレンズを通して彼女の頭の上に赤い光の柱が立っているのが見えた。

何時もの事だが、レンズを通して見えた時は写らず、何か写った時は反対に見えない。

みんなで御神酒と水を2ℓ、塩1キロの1セットをリュックに担いだが、紙パックやペットボトルだといってもずっしりと肩に食い込む。片手に杖をつきながら、それぞれが指示に従ってお清めしながら上っていった。頂上までは1キロ、100メートルごとに距離数が書いてあるが足元は岩だらけで平坦な道はなくずっと坂道が続くので、キツイ。それぞれ1セットを使い切った所で、病み上がり?の私に気を使ってもらい、私のリュックから出してもらった。

300メートルほど登ったところで家族連れとすれ違い、山水が出ている所で休憩、途中のお地蔵さんにもご挨拶をして、後400メートルと言う所に昔の神仏習合時代のお寺の跡があり、隅にお墓があるのに気づいた。

数個の墓石が隅に寄せてあったが、そこでお清めし般若心経や光明真言をあげた。その前に枯れた枝が積み重なっていたが、まるで骨のような白い色をしていた。誰かがそれを言うと、ノワタリさんは「そうです。骨です。」と言われて、御神酒やを掛けられた。

奥の鹿よけの柵があり扉を開けて入った。もう此処から頂上は近い。だんだん上が明るくなってきた。

上の2枚は今回の物。下の狛犬の写った物と三日月と満月の石灯籠は5月の物であるが、どちらも上天気だったのに明るさが違う。午前中に着いた5月の写真の方が明るく写るのが本当だと思うが、そうではない。

4セット用意したお清め用の水や酒はお社の所まで来ると、2セットになっていた。

お社の周りを清めた後、御祭神様である伊邪那美命 速玉男命 事解男命 木花咲耶姫命様にご挨拶し、ノワタリさんは歌われ、その後右に3度拍手をしながら周り今度は左の3度周った。

そして頂上の御神体の池へと向かった。頂上の池と言うから、蔵王のお釜のようなものを想像していたのであまりにもかわいらしく気抜けしたが、初めてのノワタリさんも妹もその大きさに以外だったようである。

友人のユキちゃんはこの池の龍神様が降りたくても汚くて下りれないのではと言っていたが…。

その池に持参した榊の葉とお清めの御神酒、水、塩をそれぞれ1個づつ使いきって入れ、持参した20個入りの鈴を15袋以上投げ込んだ。

ノワタリさんは巫女鈴を水の中に入れて中でずっと振られた。そして龍神様のお供えである卵も10個投げ込んだが、とても深いみたいで音もせずに沈んでいった。

ノワタリさんがずっと池の中で振られていると、澱んでいた水が澄んでいき、空を明るく写していった。私達もみんなで手を入れてエネルギーを流したが、とても冷たく身を切るようであった。

手の痺れは下山するまで残った。

そして御祭神様方と、宇宙根元の神様、国常立神様方にお礼を言われ、歌を歌われ清められた。

以前の池はとても汚く澱んでいた。5月に書いた篠山の中に周りの木々も変色してざわついているように写っている。

その後ここでも、拍手しながら、右に3回、左に3回周った。右回りと左周りでは、風の感触が微妙に違うのを感じた。

そこでお清めを終了して軽くお結びを食べようとしたら、「池にも」とのお言葉。

一人1個のはずが、なぜか少食のノワタリさんが購入する時に2個買っていて、1個池に入れた。お供えという意味で、チョコレート、ミカンと次々池に入れて入ったが、気になるのは深さ。

誰も思う事は同じで、妹が杖にしていた竹を入れようとすると、ノワタリさんが、

「神様を試すものではありません。」と、言われ静止した。でも大そう深そうで、地底から湧き出しているようだった。

改めて気づいたが、玉置山山頂とよく似ている。頂上は草むらで高さも1000メートルあまりで周囲からはあまり見えない。

すべてを終えるともう3時近かった。晩秋の日暮れは早いので、私達は急いで走り下りていると、トライアスロンでもされるような姿の男性とすれ違った。

「これからですか?」と思わず言ってしまったが、駐車場に自転車があった。麓に下りるまで街灯も無い。

この山は海底から隆起して出来た岩山で、道無き道を先人達は登っていったのだろうと推測した。今でも岩だらけで、私達は背中に重い荷を背負い、そして下山は一気に駆け下りたので膝はがくがくで明日は普通に歩けるのか不安だった。

今夜の宿は宿毛の料理の美味しい民宿である。それを楽しみに宿を目指して出発した。

この日の日程は予定より1時間くらい早く進み、日暮れ前に宿に到着した。


鞍馬山

2012-10-01 20:27:33 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

最終日の23日日曜は雨、天気予報では全く雨のマークが出ていなかったので傘の用意はしていなかった。昨晩、母に電話すると、午後から雨と言っていたので降ってもおかしくない。

結構雨足は大きかったが、何時も現地に着くと、小雨か止むので大して気になっていたが、肌寒い天気なのでそうも言っておれず、近くのコンビニまで走り傘を買った。

8時前に京都駅を出発し、バスと叡山電車で行くと、大きな天狗の面のお出迎え、雨で清めていただいて電車を下りると凛とした空気が漂っていた。もし、お天気ならば、観光客も多かっただろうが、下りたのは私達以外には2,3人だった。

こちらは狛犬ならぬトラのお出迎え、昨日のおきつねさんや猿がったが、今日はトラであった。ネズミの所も、京都市内に有ると以前、ノワタリさんからお聞きしたことがあったが珍しい。

ケーブルに乗る頃には山歩きの会の団体がやって来た。

多宝塔

伏見稲荷が千本鳥居ならば、此処は朱塗りの灯篭がずっと並んでいた。予想通り、傘も不必要になり杖代わりになった。

本殿に着くと、その前に魔方陣?結界?のようなものがあった。みんなで代わる代わるその真ん中の三角の印の所に立った。周囲は真ん中を高くしてあり斜めになっていた。

立ってみると、足元からジンジンとエネルギーが湧き上がってくる。

ノワタリさんが姪に立たせると、「幸せになった。」と言う言葉が出て、それを姪が復唱した。

姪にはよい事が起きるみたいである。昨晩の彼氏の事だろう。どちらにしても良い事である。

後で調べると、「鞍馬山の六芒星」と言ってエネルギーの強い所だそうである。

魔王の乗ってきた乗り物だそうだが、まるでufoである。みんなで見ていて、妹が、

「青い光のラインが見える。」と、不思議そうに言った。二度その光の筋が見えたという事である。

彼女にとってこんな経験は初めてだったので、「とても嬉しかった。」と聞いた。

「此処からが、本番。」と、木戸をくぐり、奥の院への石段前で言われた。

不動堂

 

 山道を登っていると、後ろで姪の叫び声がした。「ヒルに喰われた~。」

雨上がりなのでヒルが出てきた。話には聞いた事があったが、すぐに水で洗い、ノワタリさんの持っていたフルコートを塗った。その後、今度は私がチクッとしたと思ったら、ヒルがいた。取り除いたつもりが靴の縁にへばり付いていたので、ティッシュで摘みのけたが、まるで縫い針くらいの大きさだった。

不動堂の前にも本殿と同じような結界?があったのでそこでも真ん中に立ってみた。やはりエネルギースポットと言うだけ強い。

 魔王堂

木の根道を歩き、650万年前金星から来たと言うサナート.クマラと言う魔王が降りたという魔王堂に行くと、団体の先客がいて中で、祝詞や般若心経を上げられていたので、灯篭のそばで待っていると、まるで背骨が管のような感じで上から、グ~ッとエネルギーが流れてきて、体中が共鳴振動して風が吹いている初めて経験する感じを受けた。

中に入り、イワクラの前に座り、目を閉じて座っていると、先程よりもずっとそれが強くなり、とても心地よい。今でも思い出すだけで、そんな感じがする。

しかし、みんな静に祈っている所にとても賑やかな家族連れがきて「お金が沢山入りますように」とか、実に生々しいお願いをあれこれとして最後に父親らしい人の声で「封筒、封筒、何でもええから、名前みんな書いて置いたら…」と言って拝み倒して行った。とてもおかしかったが、こちらは目を閉じているので顔は見ていない。

ノワタリさんは首筋から黄金に輝く強い光がス~と、背中にかけて入ったと言われていた。

「楽しみは最後に」と、言われたはずだ。

其処から、貴船に向かって山を下りた。降りた所で雨が降り出した。みんなのズボンの裾にはヒルが付いていて、取り合ったが、結局被害が無かったのは長めのズボンを着用していたノワタリさんと妹だけだった。妹はティッシュでみんなのヒルを取ったのをバッグのポケットに仕舞いこんだが、帰宅して出してみると水分が無いので干からびてみんな死んでいたと笑っていた。

丁度お昼だったので昼食をと思い、手招きされるお姉さんの店に行くと、表には写真はあっても金額が明記されて無かったが、その値段を見てみんな驚き、外に出た。大体京都の観光地は割高な感じはするが、余りにも高い…。天ぷらそば定食で2980円、他のそばの定食も同価格だった。

こんな薄ら寒い日に川床にわざわざ行かなくても良いと思うが、あちらこちら歩いてもそんなものできっちりした料亭の川床はそれなりに設備も良いがそんな風流な趣味は無い。

連休の為、狭い道にひっきりなしに車は来てなかなか離合出来ない有様だった。結局土産物も置いているお店でおそばを頂き、神社にお参りした。

水の神様のはずが、縁結びを前面に出していて、若い男女が多い。こちらはもろ観光地と言う雰囲気だったので、本殿にご挨拶をして、叡山電鉄で出町柳まで出た所で、下賀茂神社にお参りする事となった。

最後の神社が、さっきの貴船神社だったら、締まらないなと思っていたら、下賀茂にお参りできることになり嬉しく思った。妹達は金曜日に上賀茂神社へお参りしているので、いっそう喜んだ。

糺の森からゆっくり歩いて行き、私達はその場のエネルギーを楽しんだ。ノワタリさんは御神木の説明をみんなにしていたが、なぜか私一人時間が気になって仕方なく、みんなを急かしてしまった。でも、此処が本当に最後である。神様の粋な計らいに感謝した。

占い師のHが私はずっと旅を続けるであろうから、生涯現役で仕事をすると言われた事を言うと、ノワタリさんが、「いや、人生その物が旅だって言ってますよ。」と言われた。

此処がその発祥の地だと言う事でその後近くでみたらし団子を頂いた。今まで、そそくさとお参りして走っていたので、看板は目に付いても食べる事は無かった。

こんがり焼いてあり、風味が良い。今回はゆとりのある旅である。

その後、満員状態のバスに揺られ、京都駅に着いた。妹達が最終便の飛行機に乗るので解散は5時半、そこでみんなでお茶を飲んでゆっくりという事になったが、なかなかお店が無く、そこで別れかけたが、小奇麗なレストランが丁度開いていて、妹と姪を呼び戻し、ノワタリさんにご馳走して頂いた。

そこで、姪は具体的に結婚の話が出て25歳までにするようになどと指導して頂き、あのままお別れしたら、もう一つ遠のいていたであろうと思う。

今回、姪も出来たら参加するようにとの意味が分かった。

あれこれ話した後、「これで一先ず、幕引きですね。でも、何かあって呼び出されたら、また、行きましょうね。」と言う事で終わり、名残惜しいが分かれる事になった。

ノワタリさんは5時半と言う事で、半過ぎの新幹線の予約を入れていた。

何時もなら、彼女を見送って私が最後に出ると言うパターンが多かったが、今回タカコちゃんと一緒だったので勧めていただき、予定より30分早い便に乗りお別れした。

今回の旅は行く前から区切りがあるだろうと思っていたが、姪がこういう形で結婚話がすんなりと進んだ事は本当に喜ばしい。

私は独り者、妹もすんなりと周りに祝福されと言う風には行かなかった。これは土地の因縁(先の住人である婚約者がありながら、惨い死に方をした娘さんがいた)が、大分浄化されたという事かしらと思った。

私自身も、学生時代の友人との別れもあったが、これが現実であり本当の姿を見せられたという事かと思う。

しかし、これだけでなく まだおまけがあった。

松山にてタカコちゃんと別れた後、インター入り口で右折したいたところ、自転車と接触してしまった。幸い相手はまだ30歳代の男性で転倒する事も無く怪我もなかったが、警察と念の為保険屋さんには連絡をした。 

 物損と言う事で免許書にはなんら影響はないということだったが、後で見てみると車の凹みも無く、ぼかすだけで済んだ。相手も無事で自転車の後輪のブレーキがキィキィと音をたてるくらいで大した事はなく、修理代を出すだけであった。2日後、1万500円の請求が来た。ちょっと高いような気もしたが、私に非があるのですぐに振込んで済ませた。これで済むならばありがたいものである。

もし、お年寄りであれば、転倒して怪我、打ち所が悪ければ、命に係わってくるようなことが起きてもしかない事である。想像しただけで、背筋が凍る。

ノワタリさんに伝えると、

「警告ね。『これからもあり得ることだ。』と言ってるわ。でも、事故って言うけど、事故とはいえないぐらいのもので、こんなに軽く済んで上もよく考えてるわね。」と言われた。本当にこれくらいで済んであり難かった。

気落ちして家に予定より1時間近く過ぎて深夜に帰ると、一階の戸を開け、中に一歩踏み出そうとすると、ほのかに青っぽい光が斜めに入ってきた。一瞬の事である。あれ、何か光ったと思ったが、錯覚かしらとも思った。

自分の部屋の玄関の扉を開けると、先程の光がまた、差した。今度は間違いない。

妹と話すと、彼女が鞍馬山の魔王の乗り物だと言うUFOに似た砂で出来た物体のところで見た光によく似ていた。多分、気落ちしている私に元気が出るよう見せてくれたのだと思う。

その晩、夢にまたぶうちゃんがおなかがペタンコで頭ばかり大きな姿で空っぽの餌椀の前で待っている姿で出てきた。癌が再発して亡くなった彼女は3ヶ月ほとんど食べずに体重が半分になるくらいやせ細って亡くなった。

「ごめんね~。3日間留守したから、おなか空いたよね。すぐあげるけんね。」と言っているところで目が覚めた。

ノワタリさんに教えて頂き、3日間たっくさん餌と水を朝晩盛って供養した後、台風の晴れ間に海に流しに行き、今回は余った餌を他の食べれなかった猫チャンたちの為に「沢山食べてね~。」と、言いながら海に撒いた。

これで最後の旅と、それに引き続いて起きた事は切りよく9月30日までに済んだ。

金比羅さんにてお会いして9年と半年経っていた。


大本と伏見稲荷

2012-09-29 20:12:54 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌朝はノワタリさんの前に現れた出口なおさんにご挨拶とお礼に行く為に、レンタカーで出かけた。

桂を過ぎた辺りから、渋滞になり進まない。進まない上に足が痛くなってきた。私だけでなく、ノワタリさんは肩からづっしりと重く痛みが出てきた。1000年の都である過去に戦も多かっただろうから不思議はない。

二人で朝食を取っていると、「最後。」と言う言葉がなおさんが言われた。もその時は大本に行く事はこれが最後なのかくらいに受け取ったが、旅そのものが終わりであった。

ナビはとんでもない道を示し、近くに来ているのになかなかたどり着けず、手間取ってしまった。

やっと着いても、前回、亀岡の御本部の万祥殿にお参りした時は、受付にお参りの許しを頂いて上がったものの、誰も居らず、私達はご神前に掛けてあったなおさんと王仁三郎さんのお写真の前でご挨拶をして叔父の病気治癒を祈り、助けて頂いた。今回はそのお礼の意味もあった。

が、しかし、そのお写真はご神前の鴨居の上から消えていた。御祓いを受けた後、ノワタリさんがお尋ねしたが、はっきりとした返事は無く、明智光秀の居城だったと言う広いお庭を散策した後、他の建物に行き探したが、分からなかった。

しかし、これが信者からの御浄財と、献金で賄われているのであれば、とても大きな団体であると、感じた。

ノワタリさんはなおさんの写真にお会いすることを楽しみにしておられたので大そう気落ちされていたが、綾部の御本部に有るかもしれないと思いながら、綾部に向かった。

今度は持参したガイドブックに地図がないので 少々不安なナビ任せで走った。

京都縦断自動車道は綾部まで繋がっておらず一般道を走っていると、途中分かれ道で左方向を示したが、標識は直進で当てにならぬナビは無視して標識したがった。しかし、後で地図を見るとそれは大回りだったのかも?と思った。お昼過ぎには着けると思っていたのが丹波和知でお昼を取り、丹波の黒豆料理や鮎の塩焼きを頂き、土産に黒豆を買った。

やっとたどり着いた綾部の御本部の大広間に肖像画はあったものの、ノワタリさんが探しておられた写真には会えずじまいで、目的を果たせず、ノワタリさんは残念がり、綾部の御本部では神事もされていたので、あっさりと外に出た。

仕方ないので次の目的地の伏見稲荷を目指した。今度はナビに有料道路優先と入れたら、舞鶴若狭自動車道にのってしまった。このままではぐるりと神戸、大阪と回り、分岐が多いので慣れない私達には間違えると大変だ。

近くのサービスエリアに入り地図をもらって見直して、丹波篠山から一般道を走り綾部から伏見へ向う事にした。

後日、運転していた妹に、

「大変だったわね。」と、言うと、

「私、丹波篠山になぜか行きたかったから、走れて良かったわ。どんな所か分かったから。」と、言う。

私も京丹波と言う所が気になっていた。

よく見るサイトに「田舎暮らし」と言うのが有り、よくその場所の物件が出ていたので その場所がどんな所か行ってみたかったのでこんな形で行けたのが不思議である。

二人でそれは笑ったのであるが、高速の分岐も少ない四国とは違うという事だった。

京都に入ると、渋滞でなかなか進まず、着いたのは夕方の4時であった。

夕方と言えども、とても人は多く、さすがお稲荷さんの総本山である。

狛犬ではなく、おきつねさんで片方は鍵をくわえていた。本当は稲荷山をずっと歩きたかったが、もう時間が無いので、千本鳥居を抜け、奥宮、新池で折り返すこととなった。

おみくじを引くと、タカコちゃんと私は大吉。

大吉とか、凶ではなく、書かれている言葉が楽しみである。要約すると「今まで諸人の為に尽力してきた結果、望外の喜びのある兆し、_中略 慎重に万事計るべきである。」

今回もピッタリの時節の事が書いてあり、幸先良く嬉しく思った。

昔の宮司は秦氏であったと言う。どの時代までかは分からないが、お社があった。やはり京都は秦氏の影響が色濃く残っている。

境内を歩いていると、もう早紅葉しかけていた。何処からか、何の樹木かは分からないが、時折、良い香りが漂っていた。

「行きたかったのよね。此処と鞍馬。なぜかお呼びが掛からなかったわね。」と言うと、

「楽しみは最後に取って置いた。」とノワタリさんがメッセージを取った。本当に最後である。

その夜 姪が6年間お付き合いしているという男性と一緒にみんなで食事をした。

待ち合わせ場所に行くと、真っ先に目に付いたのはその若い男性でニコニコ笑っていた。

若しかしてこの人?と思っていたら、後の二人の姿が後れて見えた。

ノワタリさんに見ていただきたかったのだろう。

ノワタリさんは開口一番、

「よく似てるわ、とても良い相性ですよ。」と、言われ、若い二人を祝福される言葉を言われた。

その言葉で姪はもう一つ迷っていたのが、後押しされたみたいであり、その晩は楽しくみんなで食事をした。

 妹は姪が私に似ているので、結婚しないのではなかろうかと心配していたが、安堵したみたいであった。

彼は姪の外見が黒髪で長く、細面で華奢と言う事で理想の姿とどんぴしゃりだったと言うが、内面は理想と正反対ということで大笑いした。


引田にて

2012-09-28 00:19:31 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

もう1週間前の事になってしまったが、夕方6時頃から背中が痛い!前回と同じ痛みだった。

胃の後ろあたりから腰に掛けてギュッと押さえられたような感じで起きている事も辛い。おまけに胃がシクシクと痛む。仕方なく7時前から横になったが、9時を過ぎても治まらない。

私の書いた手紙で怒りがまた込上げたみたいだ。明日からの準備もあり、ノワタリさんに遠隔をして頂き、どうにか動けるようになり準備をしていると、11時半頃にやっと治まった。

そんなに目に角立てて怒るほどの事か?そんなに信用がないのかと思うと悲しくなった。

翌日、ノワタリさんと話すと、「信用していただけに、裏切られたと思っている。」と言われた。

そして私たちの取った行動は「余計なお世話だ。」と言うコメントをノワタリさんが受けた。

胃の痛みは彼の状態で、私がキャッチしたようであった。

そんなこともあったが翌金曜日は、朝5時半に家を出て途中従妹のタカコちゃんを拾い、高松空港で8時半過ぎにノワタリさんと合流した。

彼らに美味しい本当のぼっちゃん団子を渡そうと思っていたが、もうそれは止めにして引田へ走った。

なんで、此処で大々的に海で亡くなられた人の供養?と思っていたら、

「お彼岸なんですよね。施餓鬼供養ですね。」と、言われた。

彼が永年憑けていたものは海で亡くなった人、餓えて亡くなった人、そして虐待されて死んだ白い犬、それは後、お稲荷さんの姿に見えたそうであるが…。彼を通してその姿を見せ、こちらへ来るようになったのだろうか?

近くのスーパーで供養の為のお結び9個、お稲荷さんも9個、おはぎ6個、リンゴ、ナシ、おまんじゅうと菓子類を買い、そして持参した坊ちゃん団子15本と菊の花と榊を持って海岸へ歩いた。

いつものお神酒、塩、お水で清めた後、

「お召し上がりくださ~い。」と口々に言いながら、食べれる状態にして次々と海に投げ入れていった。しかし、果物ナイフを忘れたので果物はそのまま投げ込み、お線香を3か所に立てたが、ライターのガスが途中で切れてしまい、後は投げ込んだ。

ノワタリさんが巫女鈴を鳴らしながら神事をしている間に、私は彼の写真に鈴を振り、海に流し、祝詞やご真言を唱えた。途中、私を拒否するみたいに写真は裏返って白い裏のまま沈んでいった。

2,3度海に入って直したが、同じことだった。

唱え終わると同時にザバザバと大きな波が幾度も押し寄せて来た。見るとノワタリさんの方も最後に海に手を入れエネルギーを流し終えたところだった。

ノワタリさんは「まるで池の鯉が口を開けてパクパクしているような音がずっと聞こえました。喜んでますよ。」と、言われた。

タカコちゃんは初めての経験でひどく驚いていた。

その後、今度は龍神様に持参した卵を海を投げ込み、ノワタリさんは腰まで濡れながら、海に入り祈られた。私たちは祝詞と龍神様の祝詞をあげた。また、終えると堤防の中の池の様な静かな海がザバザバと大波を起こして打ち寄せて来て、合図をした。ノワタリさんには龍神様の姿も見えていて、それを話された。

そして最後の犬には清めた後、これまた持参した油揚げをちぎって海に投げ込み、祈った。

タカコちゃんはその様子に興奮していた。時計を見れば海辺に私たちは1時間半もいたらしく、お昼を過ぎていたが、まず目的を果たしてからと思い、神社を探した。

近くの蛭子様に行き、お清めした後、ご挨拶をして地元の氏神様である誉田神社へ向かった。

境内は無人で神主さんも在中ではないらしく、私たちは清めて回っていると、高良神社と言う摂社があった。

御祭神様は武内宿禰命であった。

「珍しいわね。」「でも、八幡様と時代は同時代だし、不思議はないわね~。」と言いながら、ノワタリさんが、

「榊が枯れているから、お水もあることだし 取り替えましょう。」と、言われ、後ろにあった榊の枝を数本取、差し替えた。

「喜ばれたわよ。」と、言われ、その後戦没者の祀られているお社を清め、祈って石段下にあるお稲荷さんへ行った。

そこも清め、ご挨拶をして出た。

「おキツネさんが出ていたわ。」と、また、ノワタリさんは言われた。

その後、待ちに待った昼食は香川と言えばうどんである。

古い街並みの一角の蔵の中でうどんを頂いた。平日の事もあり、客は私達だけであった。

見るからに古い蔵の中は薄暗く幽霊が一人や二人はいても不思議ではないような感じがした。

うどんは腰が強く、美味しく、3人とも満足して引田を後にした。

海の神事はどこでもでき、なぜ、引田かと思っていたら、此処には武内宿禰命さんにお参りするためだったという事がわかった。

彼に送った手紙の中に、

「体が軽くなるでしょう。」と書いたが、彼が拒否しているので、憑依しているものを取り除いても、気づかない限り残念ながら、良くはならならしい。

おまけに余計な事をしたと怒っているので撥ね付けるだけである。

あの時ノワタリさんが「命に係るから、言って!」と、言われ慌ててそのまま伝えたが、昔の肝炎の事としか思っていない。後の事を伝えようとしたが、も拒否されてしまい、伝えようがなかった。

「体が悲鳴をあげてるわ。おまけに喉も薬で焼けてるわね。」と、言われたが、成人病の3高で何だったが忘れたが、2週間に1度検診を受けていると聞いた。その時、

「気を付けて節制したら。」と言うと、

「顔がこんなになって。」と言いながら、口をすぼめて頬がそげたような顔をして、

「これじゃあ、評判悪いんだよ。」と、ずっと小太りだったので、本人も痩せる事には抵抗があったのかもしれないが、このままでは脳の方に来て倒れそうな感じである。

ノワタリさんも「脳に来るわね。」と、やはり言われた。

「気づかないかもしれない、気づいてももうベッドの中かもしれない。」と、寂しいが言われた。あきらめるしかないと思ったが、たぶん私はあの人たちに

「おい、ネコから電話が来たら、取り合うなよ。あいつはアブナイぞ」と言ううわさが広がっているだろうと思う。目に見えない物を信じない人の方が多いので仕方がないか…。

その晩、ノワタリさんに二人の写真を見せた。今回、お祓いをした友人でない方のIも昔と著しく顔が変わっており、「どう見ても、中国人よね。人民服着たらぴったしよね。」と、ボヤキ全く別人のような顔つきになった事を伝えると、

「生き様が顔に出るからね~、あなたとは合わないわね。次元が二人とも違ってしまってるわ。おまけに今日の人は暗さが出てるわ。」と言われた。

2枚持っていた写真を破り、塩を振り白いビニール袋に入れきっちり縛って処分した。

あれから、1週間近く経つが、泣く事もなく不思議と悲しさを通り超えて何の感情もないが、一抹の寂しさを感じた。ただ、決別とはこういう事かと思った。

今回の旅は何か大きな一区切りがあるだろうと思っていたが、それがこれなのかと思っていたが、それだけではなかった。

朝早く動いたおかげで、私たちは夕方には京都に着き、妹と姪と一緒になり、京都駅ビルの伊勢丹で夕飯を取った。週末という事もあり、どこも人であふれていて、不景気と言う言葉とは無縁のようであった。

その日の事をあれこれと話したが、

「ほんとにスケールの大きな人はいないのね。司馬遼太郎の小説の中だけかしら、私は今頃、アブナイ人間になってしまってるわ。」と、自嘲気味に妹に話した。

 

 

 


熱烈歓迎 足摺 ウスバエ

2012-08-29 22:42:27 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

26日の日曜日 足摺岬のウスバエにある竜王神社と海のお清めに出かけた。

何時もなら、朝早くで掛けるのだが、松山からやって来る従姉妹達を待ったので8時頃になった。

高知全県下 台風15号の影響で波浪注意報が出ていたので、出かけに母から充分気をつけるようにとうんざりするほど言われていた。

途中、宿毛のお得意さんに配達に寄ると、

「昨日は大雨だけど、今日は上天気でよかったですね。」と言われたが、先に清めてもらったかもと、思った。

其処から、ずっと南下して走り続け太平洋が見えた途端、一斉に

「うわぁ~!」とか、

「おおっ!」の歓声があがった。

みんな内海しか見ていない者ばかりなので、外海のダイナミックな高波を見て興奮した。

まるで、ハワイの波の中でサーフィンしているような感じのうねりである。

もうそれで彼女達は太平洋=このような高波と、インプットされてしまった。

その海を見た時、なぜか歓迎されている。龍神様は待っておられると思った。それで

「大歓迎されてるわよ。熱烈歓迎!!」と言う言葉が出た。

出たのが遅いのでお昼近くになってしまうので止めずに走ろうと思っていたが、外の海を見たいと言う欲望に勝てず、車を止めみんなで走って出たが、波しぶきがすごく、車にもしぶきが飛んでいた。

その後、足摺スカイラインを通り唐人駄場をめざすと、分岐の所に以前は無かった案内札が出ていた。

「パワースポット 唐人駄場」と書いてあった。初めて行った頃には何も無く、後で調べても「松尾の巨石群」としか書いたものは無く、訪れる人も少なかったであろう。

其処の千状石の上で組み石や唐人駄場の広場を見ながらゆっくり休んだ。

どの方向からも風が吹き、太陽が射しているのに暑くなく心地よい。

来る人も多くなり、後2組の若い男女が続けさまにやって来たのでその場を出た。

竜王神社へ続く林の中を抜け、視界が開けると、私も初めての時岩の地層の縞模様と緑と海の青さと波の白さと空の色のコントラストの鮮やかさに驚き、みんなまた歓声を上げた。

今回は一段と海は淡く、波は激しく、下りていくと時折波の花が舞った。

冬の北陸でそういう現象があるとテレビで見た事があったが、まさか此処であるとは驚きだった。

やっと、神社には行けたものの風は強く、其処も風が半端でなく強く波しぶきが上がっていた。

東側には岩山、西側にはウスバエ灯台があるので高波が上がってくるということは無いが、まるで花火大会の仕掛け花火みたいに水煙を上げながらうねっていた。何時もなら、沖の岩場や灯台の下にいる釣り人の人影も見えなかった。

海は今まで見たよりも淡く綺麗で薄いブルー色をしていてまるでカクテルの「ブルーハワイ」を想像させた。

お社とその周囲をお清めして、ご挨拶をして扉を開け、古く澱んでしまった数本の御神酒を捨てたり、かわらけを洗って新たにお塩を盛ったりした。

岩場を降りる事は出来ないので、神社の手前の所で海のお清めをした。

お塩、御神酒、水を撒き始めると、待っていたかのようにすぐ前の岩山の間がボァ~と膨れ上がり山のような真っ白な波がずっと押し寄せてきたが、全く怖くなく、反対に喜んでそれを見せているみたいに感じた。

榊の葉を撒いたが反対に風に飛ばされたがすぐに大波に飲まれた。そして巫女鈴をしゃんしゃんと鳴らし龍神の語真言を唱えた。しかし、なぜか私達はとても嬉しくなって「ア、ハハハハ」「ワァー、ハハハハ」と、腹がよじれるほど、奇声を上げて笑った。

たぶん、知らない人が見たら壊れてしまったのではないかと思われるほど笑い、

「りゅうじんさま~、有難うございます~。」などと、言っていたが、波はだんだんエスカレートして行き、

「ドヤ、こんなもんや無いでぇ~。」と言っているように嵐くなり、大波は岩山を越えて滝のように流れて来た。

空を見上げると、龍の頭のような雲と龍体のような筋に覆われ、沢山の龍神様が集まられたようだった。

「ドヤ」「ドヤ」と言いながら、私達が見た事も無いような波の作る美しい光景を見せた。

打ち寄せられた波はまるでクリーム状になりメレンゲの泡のようになり、波の花となって私達の上に舞い降りてきた。

以前、江ノ島での高波は空も暗く、海も鉛色で不気味さを感じたが、今回は全く空も海も明るいブルー色で心の底から、嬉しいと感じた。

「もうそんなもんどうでもいいわさ、いいって事よ。」と、すべてに対して言いたくなった。

妹にそう言うと、

「あんた達、みんなよほどストレスたまってんじゃないの。」と言われたが、そうではない。本当に嬉しいのだ。たぶん龍神様が喜んでおられるのだろう。

私達は其処に1時間半ほどいたみたいで、全身が飛沫で潮まみれになったが、その後の風神アネモスの庭に行った時、小雨が降って洗い流された。

残念ながら、管理人さんの居られない庭は昨年よりもいっそう荒れていて、棘のある植物の枝で一番大きい石の上に上がる事は出来なかった。たぶんこのまままた、雑草に埋もれて行くのだろうか?

それでも訪れた事を喜んでいるみたいだった。

その後白皇山に登り下山すると、5時近くなっていた。止めて置いた車も雨が降ったらしく、綺麗に潮を洗い流されていた。

中村周りで宿毛に出たが、ずっと、道路は濡れていて雨の降った後があった。

後で聞くと、南洋のスコールみたいな豪雨があり、その後とても蒸し暑い湿気でモア~とした天気の繰り返しだったと聞いた。

ありがたい事に全く、私達は小雨に降られたものの豪雨に遭わず、用意してきた雨具は必要なかった。

気づけば、今回も昼食抜きで走り回り県境に近づいた頃、みんな空腹を感じた。

鰹を目指して走ったものの、この台風の性で船は出ず、鰹は食べれなかったが、美味しい海鮮丼を食べて満足し、みんな太平洋=今日の景色とたぶん思い込み、楽しかった事を車の中でずっと話し、笑いながら帰路に着いた。

何時も外海のダイナミックな波と広い海原を見て過ごしている人と、箱庭のような内海を見て過ごしている人ではスケールと感覚が違うであろう事を感じた。

有難うございました。感謝と共に、まぁ~、良いって事よハハハハ。