Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

靖国神社

2013-01-20 14:32:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日の12日は久しぶりの東京都内。

東横線と地下鉄を乗り継いで靖国神社へ10時前に到着する。

 その翌日の大雪が信じれられないような抜けるような青空だった。

以前から参拝したいと思っていた神社である。

ノワタリさんのおうちに掛けてあったカレンダーに神社の風景が載っていた。お聞きすると、それはこの靖国神社だった。

亡くなられたご主人のお父さんが9ヶ月の時ルソン島で戦死され、遺骨も遺品もなくただの紙切れとなって帰られ、遺族会に入っていると言われた。

大鳥居でこのブログで度々コメントを頂いたコウイチさんと一緒になりこちらもノワタリさん、そして妹、姪、叔母の6名で参拝する事となった。

境内には古品の市が並んでいて進んでいくと各地の産物を売店がテントを張って並んでいた。

前日、茨城の芋が買えなかったので、種類の違う干し芋を3袋買った後、コシヒカリを使った甘酒をみんなで頂いた。成人式もあるらしく振袖姿の娘さんをちらほらと見かけた。

そうするうちに大村益次郎の像(誤って消してしまって画像が無い)、この神社の設立に尽力され、戊辰戦争などの官軍、幕府関係なく霊を祀る神社を設立と書いてあった。

それを読んで幾分ほっとした。今のテレビドラマなど新撰組を主人公にした物以外勝海舟などほんの数人の幕臣を除いてほとんどの幕府方を無能のように描いている物が多く、私は違和感を持っていた。

とても重い気が流れているのではないかと思っていたが、そうでもなかった。でもノワタリさんは目立たないよう少し離れて小さな声で歌われ、祈られていた。

拝殿の左側のお社に立つと、人気が少ないのもあり重い気が漂ってきた。

ノワタリさんは昨日に引き続き涙を流され泣いている。やはり神社に祀られていると言っても悲しみが漂う。

奥の元宮へ行くと、また一層それが強い。維新を見ず亡くなられた無念さだろうか?ノワタリさんが歌われて出てくると、外で遺族会の人らしき黒や白のコートを身に付けられた年配のご婦人方が数人待たれていた。

その横の鎮霊社をお参りして参道に戻る。遊就館の方には体質的に苦手だったので行かなかった。

以前お聞きした時、「靖国には戦死された英霊だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんなど一般の人たちも出て来てね。」と言われたので、それをお聞きすると、

「靖国は悲しみの神社ですね。亡くなられた人だけでなく、その方々の親族の魂のよ依り代になっているから、その方々の思いが来ているんです。」と言われ、

「昨日から、泣きっぱなしで目が痛いですね。」と、目を瞬つかせたが、今回お参りできた事をとても嬉しく思う。この方々の犠牲の上に今日の日本の繁栄があるので一度はお参りすべきだと思った。

その後、タクシー2台で神田明神へ向かったが、何時もなら大音量で街宣する右翼の車が数台靖国神社の駐車場の入り口におとなしく待っているのを目にした。

神田明神はすごい人だった。境内に入るのも、手を洗うのも、拝殿で参拝するのも並ばなければならず、同じ将門さんでも昨日とは大違いで賑やかで、神社の気を感じる事は出来なかった。

大国主命が祀られ商売繁盛の神様と言う事で大国主と、恵比寿様の被り物をした神主?さんが御祓いをしてくれると言うので多くの人が並んでいたが、本職の神主さんがそんな事をするのかしらと、ひねくれ者の私は思ってしまった。

そんな事は関係なくみんな楽しんでいるようで大人の娯楽みたいで、余りにも多いので人ごみでみんな分からなくなり携帯で連絡を取り合う始末であった。

御神馬も疲れて地面に横になっていた。こんな馬の姿を見るのも初めてだ。奥のお社にご挨拶をして出たが、お稲荷さんが多かった。

何時もなら最終便を取るはずが今回は5時半だったのであまりゆっくりする事もできず、昼食後渋谷へ出る妹達と別れ、ノワタリさん、コウイチさんと叔母に空港まで送ってもらいお茶を飲んで分かれた。

翌日にの便を替えてたら、妹のように大変であった。

妹は欠航で空港に缶詰で、一晩過ごし、姪が翌日ネットですぐチケットを買ったので10時の便に乗る事が出来たが、全日空は4時間待ちだったと聞いた。

おまけに行きも帰りも機種は787だったが全くトラブルもなく帰宅した。感謝である。

 

 


国王神社

2013-01-18 22:57:27 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

泉神社からおよそ120キロ、高速を降りた後昼食と休憩を取り着いたのは大分日も傾きかけた午後3時だった。

さすが正月月だからか駐車場には数台の車があったが、境内に入ると誰も居らず静だった。

入母屋造りというのだろうかお社は民家のようで親しみやすい雰囲気、午後だと言うのに空気は澄んでいて気持ちよい。

拝殿の正面に立つとノワタリさんの奉納された提灯が目の前にあった。

ご挨拶をして祈っていると、前世の一つが将門公の唯一生き残った姫である如蔵尼だったノワタリさんが泣いておられた。上記の木像の写真はその姫が彫ったものだと言われている。

以前お参りした時、泣きながら彫っているのが見せられそれが前世である事を知ったと言われた。

初めて来たHも「良い所だね。来れて良かった。」と、言っていた。

お社の前で話していると、家族連れがやって来て拝殿中にあがって入った。

こちらは上がってもよいと聞いたので、私達も上がりまたご神前に近寄って祈った。

ノワタリさんは涙声でお別れをされていた。ここもしばらくは行けれないそうである。

壁に幾つかの写真があり、その中にこの神社の紋のようにかやぶき屋根の上に太陽があり、取り囲むように赤い○が幾つか写っている神秘的なものがあった。

以前お参りした時、将門公の事を書いた漫画本が置いてあった。それを読むと、この辺を開墾し、民衆に慕われた事と、一族間の争いの事が書いてあった。

余りにも力が強くなりすぎて朝廷に恐れられたのだろう、首は飛んで行き、東京に首塚があるというが、死んでも首と胴を離さないと安心できないほど恐れられたみたいである。

その後最後の目的地である将門公の胴塚がある延命院に向かったはずだった。

以前も間違えたが近くに延命寺がある。Hも間違えて其処へ行ってしまい「近いじゃない。」と言ったが、「此処ではない。もっと先よ。」と言って通り過ぎたが、ナビには出ていない。

「何処なんだよ。」

「え~と、横浜に向いて帰り道に案内が出ていて、右の細い道を走ってるとあるわ。周りに林があったな。」と、心もとない。

しばらく走るが案内板は無い。見回せば、あちこちに横道がありその先に林もあり、みんな同じような景色で目印も無く、その辺を2,3度右往左往したが、行き着けない。

こちらの町に入った時にコンビニでお水と塩、ライターを買い、ノワタリさんは生花も持参していたが、また、コンビニで飲み物を買って場所を尋ねても、誰も知らず住宅地図で調べたが、はっきりしない。

それらしい風景の横道に入り、民家に行って教えてもらったが、これもとてもアバウトでその通り走っても無い。もう一度指示通り走りなおしていった先は似たような名前の○○院で別物。

延命寺近くのお百姓さんに聞いてもご存知なく、じゃあもう一度、国王神社に戻って社務所で聞いてということになった。

管理されている建物を雨戸の隙間から覗くと、何か集会か宴会らしく10人足らずの人がいた。先程の駐車場の車が多いワケである。

ガラス越しに窓を叩いて教えてもらったが、訛りがきつく「神田山」と言われたらしいがそう聞こえずよく分からない。教えてくれた人以外に言い直す人ありでそれも「町の方」と言われ、その通り進むと、横浜とは反対方向でどうも違うのでまた、引返したが、もう日が暮れかけていた。

「もう、遅くなったから、帰りに有ったら行きましょう。」ということになり、半ばみんな諦めていた。

結局、見当たらないまま町を出てしまい大きな夕日が地平線に沈んでいくのを見ながら同じような景色の中を走ったが、見つからないのでイラチのHは疲れていただろうと思う。

後で帰宅してgoogleで調べると簡単に出た。なぜ、あの時スマホを持っていたHも私もそれが浮かばなかったのか?残念だが仕方ない。行かなくて良いと言うことか?

以前行った時ノワタリさんは「お父様」と言って、号泣された姿を思い出す。

その夜は横浜泊まりとなり、妹と姪と合流した。

 

 

 

 


泉神社 日立市

2013-01-17 22:13:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

11日の最終便で上京し、何時ものことながら遅くまでおしゃべりに花が咲き、寝不足のまま朝8時占い師のHの車で飼い犬の殿と一緒に出発。

およそ泉神社までは180キロ、Hとは昨年3月以来だったので車の中はまた賑やかにおしゃべりをした。

その朝、雑談をしていると何時もよりもノワタリさんに降りる言葉は多く、何度も「ちょっと待って!」と会話を中断してメッセージを伝えてくれた。

首都高を走っていて「此処で大きな地震にあったら、どうしようも無いわね~。」と言っていると、

「飴の様に溶ける...」と言われた。そして先日の姪の住まいを妹が相談している時、ノワタリさんの目の前に姪がガシッと両脇を抱えられてj引き上げられる姿を見せられたそうだ。

「助かる人はどこに居ても助かるけど、こんなにリアルに見せられるとは。」と言われたが、家の周辺の話(新居に入居して1か月しないうちに事故死したり、家の跡取りが事故死してほかの家族も出ていってしまたりとか、挙げていくと切りがないくらい多いが)をすると、「人だけでなく、家も同じなのね。」と言われた。

「ありがたい事ですね。」と言うと、「日頃の礼だ。」と言われた。両親ともに信心深い。

そうするうちにスカイツリーが見えて来た。ノワタリさんはむせって声が出しにくくなり、頭痛を訴えた。

無機質なコンクリート群と鉄のタワー、どうも気が良くない。

どうして地盤の弱い場所に立てたのだろうか?そんな事を話していると、Hがスカイツリーと東京タワーの説明をしてくれた。

東京タワーは良質な鉄鋼が無い頃だったので、朝鮮戦争後の古い戦車を買い受けて使用した物なので別名「戦車タワー」と言われ、関東ローム層の地盤で芝の増上寺の一角に立てたとの説明。

そうやって聞くと、木材だけでなく、鉄鋼も再利用と言うことがあるので怖いと思ったが、本来そういうものを引き寄せるその人の性質と考えたら、仕方ないか?今となっては何もかも意味があると思っている。

そのほか占い師なので算命術、風水、地震の話をしてくれた。

しかし、昨年2階建ての天中殺の最後の山を越したはずが、今度は来年の還暦で易から言うと今年は前厄と言われた。何時も私は何かが良くなるともう一方がそうでなくなるパターンでしまう。

どちらにしても還暦を過ぎると良いらしいが、もう老人と言われる年齢で何か新たな展開があるのだろうかと考えてしまう。しかし、この1,2年で世の中はどのように変わるかは分からないが大きく変わるであろうと思う。

「ちょっと、去年何もなかったわよ。」と Hに文句を言うと、「あるよロマンスは。」と、短く答えた。

まあ~、当てにしないでいよう。

次の世代までに因縁や土地の浄化をして渡すのがわたしの役目だと言うとノワタリさんは「大方済んだ。」とメッセージを伝えてくれた。

常磐道に入ると車はぐっと少なくなり、お天気もよく快調に進んだ。

途中寄ったサービスエリアで芋なっとうを買い、支払いをしていると「余り食べるとお昼が食べれないからね。」と注意され、種無し梅を1個づつ頂いた。

どちらもとても美味しく帰りには土産に買おうと言っていたが、自称エコ人間のHの運転だったので残念ながらその後サービスエリアによる事は無かった。

泉神社に着くと11時を回っていた。

御祭神様は天速玉姫命様、11月の篠山の速玉男命と引き続く。

私達が駐車場に着いた時は車は1台も無かったが、ご挨拶をしているとボツボツと参拝者がやって来た。

お昼前にもかかわらず、清涼とした空気が流れ心地よく厳かな雰囲気の神社であった。

とても御神気が強く、拝殿の中央から風を感じた。すると人が途切れた所でHと私を御神前の前に立たせ、後に立たれたノワタリさんに挟まれご神気を頂いた。その間私は祝詞をHは御真言を銘々唱え、ノワタリさんはずっと歌われた。目を閉じていると くら~っとするくらい強かった。

カメラを除いた時には真ん中に赤い光の筋が入ったが、3枚目の写真の社殿の上に白く御神気が写っている。

しばらく私達はその気を受けた後、同じ境内にある池のある弁天神社へ向かった。

 

 丁度お昼時間だったせいか、誰もいない。

弁天様のお社を中央に挟んで左は水がわき出ている神秘的なヒスイの様な色をした池と、右はそこから小川となって流れていく透明な池があった。

私たちが覗き込むと同化したような色の鯉があちこちから出てきて、ゆっくりと群れて泳いでいる。2匹は主のように大きく、後は小ぶりで誰かが入れたのか小さな赤い色の鯉も出てきた。

立て看板には「魚を入れたり、銭を入れているので飲料にはなりません。入れないでください。」と言うようなことを書いてあった。投げ込まれた銭は1円硬貨ばかりが目につく、トレビの泉の影響?

「此処でお清めが出来るわね。車から持ってきて。」と、Hに頼むと、

「分からないから、全部持って来たよ。」と、手渡されたのはいつものお清め用の3点セットで紙パックのお神酒と、今朝、ノワタリさんに頂いたご神前から下げられた箱入りの金粉入りのお神酒だった。

頂いた時には飲まないからとお断りしたが、「おうちの周囲に撒いてもいいし...、ああ、おチョウさんにあげればいいわ。」という事で頂き、車のトランクに入れていた。

「ああ~、そうなんだここに撒けばいいんだわ。」と言って、金粉入りのお神酒をHに指示して撒き、後の2つを手分けして撒いた。

そうすると、静かだった水面が静かに浪打出し、波紋が広がっていった。ノワタリさんはHが手を入れて波打たせたのかと見渡したが誰もおらず、上のなさっていることに気づいたと言う。

そして、撒く前よりも水は透明度を増し、表面はまるで鏡のように空と木々を映し出した。それは上の言葉通り見せてくれた物で私たちは一時池を見つめていた。

それから、ノワタリさんはコートを脱ぎ膝まづいて弁天様にご挨拶して祈った後、

小川に続く右の池に手を入れエネルギーを流された。水は暖かかく、本当に地下から湧き出ているのを実感させた。

この神社へ来るきっかけとなった写真の真ん中に卍が大きく表れ、「この池が中心となり...。」と言う言葉を頂いたが、この池の水が流れて大洋に広がり浄化して行、やがては循環して空気も清めるという事だろうと、私たちは話し合った。宮崎の口蹄疫病のお清めの時と同じである、地震も緩衝されるのではと今、思っている。

すべてが終えた時、12時半になっていた。其処から、今度は坂東市の平将門さんの祀られている国王神社へお参りする事をHに伝えると、「待っている。」との言葉をノワタリさんが受け取られた。


月山神社

2012-11-15 23:50:13 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

昨夜の興奮も冷め遣らぬまま、次の目的地の月山神社へ出発。この神社は数年前に足摺に行った時にノワタリさん達と一度お参りした事があった。

その前に、以前ユキちゃんのお姉さんがノワタリさんにご縁があり、昨年ご主人を亡くされていたので、そのお宅へ伺った。私に亡くなられたご主人をスポーツマンタイプでがっしりした体型などを言われたが、もう病気になられた姿を一,二度お会いしただけなので、元気な頃を知らないが、後で話しているとまさにその通りだった。

大変中の良いご夫婦だったので、手元から離せずまだ墓地も決めていない事を理由にしてで仏壇の前に遺骨が置いてあった。

開口一番、ノワタリさんは

「あなたが、手放したくないのでしょ。」と言われた。遺骨にエネルギーを流した後、

「早くお墓を作って、落ち着かせてあげてください。いつでもあなたのそばに居られますよ。」と、優しく言われ、具体的に墓地を造る段取りを指導された。

その後、一旦太平洋を見て海沿いの集落から遍路道を山に上がり月山神社に着いた。

役小角[えんのおづぬ]がこの山で月影の霊石を発見し、この霊石をご神体として月夜見命・倉稲魂命を祀ったのがはじまりといわれ、その後弘法大師もこの神社で23日間、月待ちの行を修したといわれ,月山の名はこの神社の神体が月形の石であり、月夜見命を祀ったことに由来していという。

その間の奥の山側に御神体である三日月形石がある。

みんなで雑草だらけの道を上った。昨日の山道でさぞかし足は重いだろうと思っていたが、誰もそんな事も無く、道の無い所を枝に捕まってあがり、お清めをした後、ノワタリさんが歌われた。

そうしているうちにお5,6人の遍路さんが車でやって来て、私達のしている事を見ていたらしく、下りてみんなで服に付いた泥棒草を取り合っていたら、「えらい丁寧に祈られてましたね。」と、声掛けられた。

大師堂の天井には天井絵があるので中を覗いたが、道も雑草だらけで足場も悪かったが、こちらも蜘蛛の巣がはり、荒れていて常駐の神主が居る所とは思えなかった。

みんなでこの石の周りの雑草を取り除き、お清めした。

しかし、三日月にも見えるけど、どちらかと言えば船に見える。

みんな同じように感じたらしく、「船だよね~。」と

十種大祓の中に「天磐船に乗りて河内の国河上の哮峯に天降座して …」と言う祝詞が浮かんできた。

ノワタリさんは「私これに乗って降りて来たような気がするわ。みんなもそうじゃないかな。恐れ多いかな~。」と言われた。

その後、そのまま遍路道を進み、海辺に出た時、又此処でも施餓鬼供養のようにお清めした後持っている食べ物を海に投げ込み、般若心経や御真言をあげた。

今思えば、其処から山隔てた近くに弁天島があった。

そこから、昔の遍路道で離合も難しいような道を走り国道にでた。これで今回の予定は終了。

同級生のSが、「オツキササヤマ」と言って、月山神社と篠山は一対のような事を言っていたが、昨夜の月のことを思うと神社ではなく、月(月読命)と篠山ではないかと思う。

其処から、松山空港までの復路で道中は長い。途中お昼を鰹の美味しい「ゆらり内海」へ寄ると、満席で少し待ってみんなで海鮮丼と鰹のカツを頂いた。しかし、飽食ぎみで残してしまった。

余談だが鰹のカツはタルタルソースで頂くのだがこれがとても美味しい。家で妹も私も作ってみたが、タタキのように半生にする事ができず、揚げ加減がうまくいかなかった。

高速が大分伸びたので、予定より30分以上早く空港に着き、充分お茶を飲む時間があり、何時また旅があるか分からないが、再会を約束して分かれた。

今回の旅も上に守られ、順調に終わらせて頂いた。病み上がりの体で2日間ずっと無事に運転できた事も感謝である。有難うございました。

こんなにまた、後のたびの予定が入ってくるとはその時も思わなかった。

今回の篠山は黄泉比良坂で別れたイザナギ、イザナミが天と地が繋がるようにまた、一つになり、原点に戻っていくようであるとノワタリさんは言われた。

後行くようになった神社の事を考えても、神話の中の繋がりである。これからの旅を暗示しているみたいである。

ただ、読んでいる人はとうとうおかしくなったかと思われるかもしれないが、体験した者の感想である。


月の光

2012-11-14 23:29:45 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

この夜の事は、今まで60年近く生きて来たけど一生に一度遭遇するかどうか分からないくらい不思議で興奮した。

宿はいつもお昼を頂く「まなべ旅館」、宿毛に住んでいるユキちゃんのお姉さん達と賑やかに頂いた。

料理はすべて既製品は無くすごい量で、新鮮なお刺身、天ぷら、大きな焼き魚、ハンバーグと次々出てくるが、まだ私の胃袋はまだ正常でなく、目の前のご馳走を見るだけでお刺身と野菜料理とご飯といりこだしが美味しい味噌汁だけでほとんど食べれられなかった。

しかし、これだけ出てバストイレ付きの部屋に浴衣、後アメニティグッズが付き、大きな家庭風呂があって6500円とはあり難い。

お姉さんの家へ行ったユキちゃんと別れ、昼間の疲れが出て3人とも横になり疑問に思った今日の篠山の事を話していると突然ノワタリさんが、

「え~、御神鏡を入れる~と言っても今更…。これから、又登る訳にもいけないから、後で遠隔でするわね。」と言い出した。今日の池に御神鏡を入れるように上からその時、メッセージが下りた。

そういえば、池の御祭神様は?ユキちゃんが「女神様らしいんだけど」と言っていたが、あのお社の女神様はイザナミ命、コノハナサクヤ媛命、どちらも火に関係がある。前者の神様は火の神を生んで火傷で亡くなり、後の神様は一度の契りで懐妊したので疑われ、産屋に火を放って出産した。

どっちもすごい!!

でもイザナミ命のような気がする。黄泉津大神の名をもらっているし…、

そう話しているうちに又、ノワタリさんが

「神社も、池も陰が強いですね。どちらにもなる所ですね。あのトンネルもほら、黄泉の国からイザナギ命が逃げ帰った道みたいですね。」

「それで、5月には行けなかったんですね。」

「だから、二人の神様の出会いで一度目に女神から声を掛けてヒルコが生まれたのでもう一度柱を回ってやり直したように3度づつ周ったみたいですよ。」と言われた。

そんな話をしながら私達は疲れが出て9時前に寝てしまった。

しかし、11時前に3人とも目が覚め また話しの続きで「あの頂上の池の深さは?」などと言っていた。

「あの池はお月様を写す鏡…」と言われ、ノワタリさんが祈り始めた。

「宇宙根元の神様、国常立神様、鞍馬の魔王様、出口王仁三郎様、…。テンチジン、テンチジン…」

そして窓辺に行き突然窓を開けた。

右上の小さいけれど光がはっきりしているのが月

 

その途端、私達はみんな初めて見る光景に言葉を失った。

この写真には残念ながらオーブしか写っていないが、私達が目にしたのは、満月以上に強く輝く光、まるでオーロラ状態の帯、その中の一つはドレープ状にずっと長く視界いっぱいに画面で言えば、左にずっと続いていた。

その帯が月から出ている物とは始め思わず、近くのコンビニから?と思ったが、そうでなく月から出ていた。よく分からないがその方向は、明日行く予定の月山神社ではないかと思った。

妹も興奮して「これって、みんな見える物じゃないよね~。」

鞍馬の青い光のように一瞬ではなく、地上からのものでないと確認出来てからも見えた。ただ、残念な事にカメラを通した途端消えてしまった。

「これで宇宙と繋がりました。篠山の山頂の池に月の光が映り、北海道から沖縄まであちこちの海、湖、川と納めてきた御神鏡がみんな一斉に月の光をその場その場で反射して輝き光の輪となりバリヤーのお役目を果します。」と言われた。

あのお山の小さな池は御神鏡と同じなのだ。

それぞれが一斉に水の中から月の光を反射して輝いているなんて、想像しただけでも幻想的でワクワクした。

これまでの事はその下準備だったのか?だから一旦終了で、今回の旅はもう一段濃い物になったみたいである。

その後、1時過ぎにもう一度お月様を見上げると、建物の上にのぼり強く光っていた。

今まで、太陽を拝むと言うことはあっても月に対してはあまり無かった。ただ、1週間前、近くの温泉へ行く途中、山頂の道からお月様が海を銀色に照らしているのがとても印象に残っている。

そういえば、最近お月見の行事もしていなかった事を反省。昔の人は本当に万物に感謝して暮らしていたと改めて思うと同時に昔の人の偉さを感じた。

でも、反対側の部屋だったらこの光景も見えないが、良くしたもんだ。

 だが、この話にはまだ続きがある。来年の1月に妹が、寮を出ないといけない姪の住まいを決める為に上京するので便乗して私も連休にノワタリさんの所へ行く事にした。

その事から、また行かなければならない神社が出てきた。今度は泉神社だと言われた。

御祭神様を調べて驚いた。篠山では速玉男命だったが、天速玉姫命とあり、同じである。

気になって速玉男命を又調べると、

  • 死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。
    『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男

  • 唾が玉となって飛ぶ姿の神か。絶縁の神だろうか。
    http://www.genbu.net/saijin/hayatamanowo.htm玄松子の祭神紀より

私は篠山の御祭神様が、何の脈絡も無いと思っていた。速玉男命と言えば、熊野としか知らなかった。上記のホームページを目にした時、事解男命様の事も書いてありみんな黄泉の国から帰還する時に登場する神様方である。

また、その神社に弁天様も祀られている。弁天様はインドでは河の精の神格化と、上記の泉神社のホームページに出ていた。

今回は行かなかったが、帰宅してから地図を見ると近くに弁天島(たぶん、此処にも行くであろう)があり、白皇神社が2つ反対側の山中にある。

その神社も御祭神様はイザナギ命、イザナミ命、菊理媛命様方である。これも黄泉の国に繋がっていく。

一体、あの山は何なのだろう?今度行く神社も御祭神様繋がり…。

泉神社の連絡を頂いた時に、ノワタリさんは「花開く、花開く。」と言う言葉を頂いて、

「え!!、一体何が」と、思われたそうであるが、黄泉の国から変化していくのだろうか?