Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

白鳥神社 東かがわ市

2012-08-04 01:15:19 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

日曜の朝8時前から、電話で「おんなのひとりごと」を手に入れるため、見当をつけたお店に電話していくと、3件目で在庫を持っているお店に当たった。一般の国道沿いであるが、有りがたい事に進行方向にあるので、時間のロスにはならなかった。

お店へ行くと、奥の壁側が全部ガラス戸の冷蔵庫になっていて驚いた事にワインと同じように温度管理してあった。

「良いお酒ですからね~、うちはちゃんと温度管理しているんですよ。」と奥さんは言いながら、冷蔵庫からお酒を出して箱に保冷剤を入れられ、

「助手席に立ててシートベルトをして下さいね。」と言われた。一升瓶とお墓参りに行った時におチョウさんにもあげたいのでハーフボトルと頂いた。今まで日本酒をそのように冷陳で管理するとは知らなかった。

「アルコールは一切入ってないから、二日酔いはしないんですよ。」と以前醸造元の酒六酒造の奥さんが言われた事を思い出した。

お酒に気をとられていたので、神社の電話番号を控える事を忘れていたので香川県に入ってパーキングエリアで電話帳で探したが、西のエリアしかなく高松を過ぎた所でまた、調べやっとナビを設定して走った。

とても暑くもう既に35度に外温はなっていた。

着いたのはもうお昼近かったがおなかは空いていない。まず、目的を果たしてか昼食にする事にした。神社の横に広い駐車場があったが、他に2台しか入っていなかった。

まず、代々の高松藩主奉納したという立派な灯篭が参道の両脇にあり進むと、丸々と太った狛犬さんのお迎えで、門をくぐると 夏越祭りの準備で提灯や輪抜けの準備がしてあった。

境内はとても広く、4万坪近くあると書いてあり、ここも立派な楠木が多かった。

写真を撮ろうとしたら、カメラはバッテリー切れでダメで今回もまた、からである。

白鳥神社はしろとりと読むそうである。名前からしてヤマトタケル命魂が白鳥になって飛んで来たことを連想させるが、ここの町の名前も白鳥町だった。平成の大合併で東かがわ市になったが、白鳥町の名は残っている。しかし、一目で由来の分かるよい名前があちこちで消えていったのが惜しまれる。

御祭神様はその他に皇后の両道入姫命(フタジイリヒメノミコト)弟橘姫命だが、皇后以外の沢山の后の中でなぜ、弟橘姫命だけが祀られているのだろうと思い、ノワタリさんにお尋ねすると、

「力が違う。」と言われた。たぶん巫女的な能力をお持ちだったのだろう。でも、悲しさが付きまとう。

能褒野(三重県亀山市)で戦死し葬られたのち、白鳥となって飛び去った日本武尊の霊が舞い降りた、という伝説が残る。当地に降りた白鳥は間もなく死んだため、日本武尊の子である武鼓王がを建て手厚く葬ったという。白鳥神社はこの時に始まるとされている。(ウィキペディアより)

お社はどっしりとしてどっしりとした趣があり 炎天下の中、お昼時の事もあり、他に参拝者はいない。静寂と言うよりは異次元の世界にぽっかりと入り込んでいるみたいな不思議な感覚がした。

ご挨拶をした後、海に向かって歩いた。

広い松林を通り抜け、海岸に出ると、たぶん昔は、松林はすぐ砂浜に続いていたのではなかろうかと思うが、松林の向こうは県道と人家が数件あり、潮風特有の匂いと重く体にまとわり付く風が吹いてきた。

夏休みの日曜なので子供達や家族連れの海水浴客がいるので砂浜で神事を行う事は出来ない。

人工的に作られた防波堤の外側のテトラポットを汗を噴出しながら足元を気をつけて海面近くまで下りた。瀬戸内の海は穏やかで、ギラギラと照付ける太陽の光を反射してとても青かった。

それでもお神酒はお店の奥さんの心使いのお陰てまだ冷たく、最高の状態で奉納できた。ご所望であったので本当に良かった。美味しく頂かれただろう。これが当日まで手に入らなかった理由かもしれないと思った。何時ものように、粗塩、水を入れ、鈴を転がして鳴らしながら、海に入れ、榊、白い小菊の花を海に入れ、祝詞をあげて祈った。奉納する度、それまで穏やかだった海が波を立てて押し寄せてきた。これがご返事なのかしら。

最後に竜神さまの御真言を唱え、弟橘媛様の所へ運んで頂くよう祈った。

でも、この場所に立てたことがとても嬉しかった。今、思い出しても泣きそうである。

その後、清めた海にタオルを浸して上着を脱いで肩や肩甲骨の辺りを浸した。とても冷たくて気持ち良い。

それを何度か繰り返した。そして何時も身に付けているピンクサファイアのブレスも海に浸し清めた。でも、不思議な事に全く海水のベタベタとニチャ付きは全く無く、さらっとして心地よい。

そして、タオルを三枚先日転んだ母に持ち帰る為、浸してビニール袋に入れた。それで拭いたり湿布したら良いと言われた。

お清めはこの場の海だけでなく、ずっと世界に広がって浄化して行くと以前ノワタリさんに教えられた。先日も、近くの内港でお清めをした時、それまで濁って見えなかった海の中が澄んで下のほうにハゼや他の小魚が群れで泳いでいるのが見えて、浄化の力のすごさを目の当りにした。

すべて終えると、おなかはぺこぺこ、喉はからからになり急いで神社に戻った。日本一低いと言われる御山へ行く余裕も無く、境内に入ると回廊には神話に基づいた絵が幾つか奉納してあり、それを見ながら歩いた。

焼けて熱くなった車に乗り込むとなんともう2時半になっていた。自販機で冷たい水を1本買って一気に飲み干した。

その後 、うどん屋さんを探して近くを走ったが、見つからず、近くの美味しいうどん屋さんをガイドブックで探し、ナビをセットして走ろうとするとすぐに、ナビの台座が暑さのため外れて落ちてきた。

直してからまた走り始めたが、落ちた時コードが外れた為、うどん屋の設定は消えていて、また神社に案内されてもたついた。

「寄り道はダメですよ。まっすぐ行って帰るだけ」と言われたお言葉通りで、諦めて高速のサービスエリアまでお預けとなった。

県境のサービスエリアに着いたのは4時を過ぎていた。大変混雑していて駐車スペースの空きも無く、やっと一つだけ開いていた。そこで遅い昼食件夕食を取り、ゆっくり休んだ。

うどん好きの父にうどんを買ったが、レジも行列で人の波だった。やっぱり夏休みの日曜は何処へ行くのか家族連れが多い。

家に帰ると、8時近くになり私は12時間出ていた事になる。

早速、風呂上りの母の背中や腕を拭いていると、寒がりの母は下穿きを3枚重ねて履いていたため、あせもになりそれに雑菌が入りただれてお尻の割れ目の柔らかいところが赤紫になっていた。そこに湿布のように数分載せてから拭いた。ただそれだけであせもは枯れじくじくしたかゆみは消えた。すご~い、弟橘媛様は!!

それでノワタリさんを通じて教えてくださった。やはりこの時も、海水特有のベタベタ感は全く無く、さっらとして臭いも無かった。気づけば、私の肩の食い込むような痛みも消えていた。

母はお尻のあせもが有ったので整体も温泉も恥ずかしくて行けなかったそうで大変喜んだ。

たった、1回で暑くなるとイラ痒くなっていたお尻からかゆみは消え枯れたが、ノワタリさんの指示通り3日間腰に湿布し、エネルギーを入れた。

昔、銭湯に潮湯というのが有り、あせものある赤ちゃんなどを入れていたがこんなに速効性は無かったように思う。本当にあり難い事である。涼しくなったら、母が行きたいと言う。

その時は場所も分かったのでもっと速く行けるだろう。

その晩は、前日も寝ていないので良く寝れると思いきや、2時過ぎても寝付けず、横になっていると、おなかをかき混ぜられるような感触がした。また、変化して行くのだろうか?

そんな事もあり、寝付けない日とそうでない日が極端で、眠い日は7時くらいからソファで寝てしまい一度おきてまた、寝なおすという日々を送っている。

でも、弟橘媛様とどういうご縁があったのだろうか?とても知りたくなった。

 

 

 

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熊野大斎原 12年6月

2012-06-25 22:56:17 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

大斎原に着いたのは3時40分くらいだっただろうか?余り時間が無い。4時過ぎには出ないとに間に合いかねないのでここも大急ぎである。

手分けしてお清めグッズをみんなで持ち走った。鳥居の周辺からのお清めである。やはり昨年の台風で浸かっていた。まだ、泥汚れが石の上の方に少し残っていた。

「もう此処はみんな銘々でしましょう。」と、言われ境内の中を振りまきながら歩いていると、

「ありがとう」と言う女性の声をノワタリさんが受け取った。

ご神前の周りと中に外から振込み、祝詞を上げた。ノワタリさんは珍しく歌だけでなく、ひふみ祝詞をあげられていた。

そして慰霊碑で光明真言と南無阿弥陀仏と唱えた。

Sはここでも高らかにほら貝を吹いていた。

境内を出ようと鳥居の所まで歩いていると、幼稚園か1年生くらいの女の子を連れた若い家族連れとすれ違った。その親子はSがほら貝を吹いている姿を目を輝かせて嬉しそうに見ていた。

そういえば、私達も生のほら貝の音を聞くのは初めてだ。

大急ぎでお清めとご挨拶を済ませ、に乗り込んだがナビは2時間余りかかる予定時間を示した。

1時間半も有れば着くと思うが、あちこち一方通行になっているのと 1車線で以前遅い車を抜くに抜けずJRに間に合わなかった事があるので気を抜けない。予定ではとれとれ市場に行くはずだったが無理である。

そうなると、道沿いにそ市の場の看板が余計に目に付く…「とれとれ市場あと10キロ」とか。

だんだん時間は短くなり5時半過ぎには着きそうである。

叔母が「食事は出来なくても、買い物くらいできるかしら?」と言ったが、「お魚をくわえて出るくらいなら。」と答えたが、結局ちょっと慌ただしいのでよらない事にした。

ナビが「目的地付近になりました。」と言った途端、安堵感から、前の車に付いて行ってしまい、誰もいない交差点でUターンをしたが、前に警察の建物があり 、みんなを唖然とさせた。

冷汗ものでやっと着くと、お茶を飲む余裕もあり、そこで和歌山ならではの梅ソフトクリームやジュースを飲んで一休みしてお別れした。

別れ際に「今度は大本ですよ。」と、ノワタリさんは囁かれた。また、旅の予定が入ったが9月頃の予定になる。そうしているうちにが入ってきた。昨日は霧で何も見えなかったが、観覧車が近くに見える。改めてこんな風景かと思いながら外を見回した。1年中で1番昼が長いので6時と言って昼間と変わらない。

私達はこれからが長い…。私は大阪湾岸を通って淡路島のルートを思っていたが、瀬戸大橋経由の方が良いと言われ、そのルートを設定した。ナビの到着時間はなんと午前3時をゆうくり過ぎていた。

紀ノ川サービスエリアまで私の運転で其処で夕飯を取り、先月スピード違反をして思うように速度を出せないのと、初めての道なので四国に渡るまではSに替わった。

本当に和歌山は広い。大阪に入った時、幾分近くなったのもありみんなホッとした。暗くなっても山の端が薄明るく白く、心地よい。やがて都会の光の洪水に巻き込まれて行った。

妹も私もこんな光景は久しぶりであり、ワクワクした。

の中でほら貝の音色の事をSが話した。

「どちらの神様にも受け入れられたと思う。」と言い、受け入れられない場合はかすれたり、音色が思うように出ないそうである。ほら貝の事は良く分からないが、高らかに音が伸びていたと思う。

その後はおバカな話ばかりをして笑いながら走り、山陽道から四国へ入り、妹に替わった。ナビの到着時間は2時過ぎになっていた。

隣町でSと別れ、帰宅したのはやはり2時を過ぎていた。走り回ったのにそう疲れたとは思わなかったし、まるで浦島太郎のような感覚になっていた。

あの二日間は雨が降っても外に出る時は傘も合羽も必要なくかといってでもなくで暑くなくお天気には恵まれた。帰宅してからまた、大雨や台風の影響で浸水したり、崩れたりしたみたいでそれを思うと気が重い。

前日の大雨でキャンセル続きで、玉置も大斎原も人目を気にせず、邪魔も入らずお清めが出来た事をありがたく思う。そしてその大雨と強風でお清め前に洗い流されて準備されていたように思う。

後日、ノワタリさんと話していて「今回のお清めはすごかったですね。」と言うと、

「あれだけの清めってなんだろうね。」と話していたら、

「再生って入りました。玉置の再生なんですね。あそこは残りますね。」と言われた。前日、違う大地が出てきたり、陸が海になったりするから、また玉置山も元に戻るのかと書いたが、それは無く残るそうである。その為、上空からも浄化したそうである。

初めて出あった時、「神社のお清めしています。」と言われた事を思い出す。

「参拝者が願い事ばかりして神社が曇っているのを祓うのが仕事で元の状態にするんです。」

今回はその旅であった。Sは猿田彦と言うか助っ人であったらしい。

 

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玉置神社 三柱神社から山頂まで

2012-06-24 09:34:31 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

玉置神社 三柱神社から山頂まで

その後、三柱神社へお参りするがその時はもう塩しか残っていなかった。今回はお水が汲めたので2本と飲料用に500ミリ1本を汲んだ。2007年には、山岳の神社なので水は貴重ですと言われ水は出なかった。

お神酒は社務所で「神代杉」と言う2合か3合の小瓶のお酒を3本買い用意した。

三柱神社の手水舎の杓はすべてある女優さんの名前が書いてあり、2年の間にまた変わったと思った。

その1本をご神前に供えた後、周囲を清めた。出雲霊社、真名井神社と清め、水と御神酒は木々にも撒き、地面に塩を振りながら歩いたので、玉石社に着いた時は、もうお神酒は1本しか残ってなかった。

そこで遠隔でノワタリさんが山頂までお神酒を撒いた事にしてエネルギーを流していると、他の参拝者が来たので先にお参りしてもらった後、ゆっくりお参りした。

それでも、ふりふりしながら歩くのでお神酒が少量の為、お水はたっぷりめに撒いたのでそれも頂上に着くまでに無くなり、飲み水用しか残らずそれもお清めように使う事になった。

やっと山頂に着き、三石の周りからずっと清め、みんなで手を繋ぎ、数回、左回りに回った後、歌われ、私達は祝詞を上げた。この場所はとても大事な場所らしく、数年前も雨の中今回と同じように手を繋ぎ回った。

Sはそれまでもお社の前でほら貝を吹いたが、雨が上がった山頂では良く響く。

この山頂は霊峰で玉置峯とか牟婁岳と言われていたと言う。そう言えば、昨日の白浜の温泉と同じ名前だ。気になって調べると、昔紀伊半島の南部は牟婁郡と呼ばれていたそうだ。

この神社を知るきっかけになった浜本末造さんの「般若心経と万世一系の謎」の中にムロの名前がついて入る所はムー大陸と関係が有ると書いてあったのを思い出した。

その事を帰宅してからノワタリさんと話すと、玉置も元は4000年前に海底が隆起した所、また、沈んだ所が浮上し、反対に隆起した所が沈むと書いてあったのでそれが近いのかも?それに私達が遭遇するのかも?残る人類は3分の1と言われているのでどうなるのやら分からないが、それはそう遠くなさそうな気がする。もう一度、浜本さんの3部作を読み直そうと思う。

初めて来た時、ノワタリさんはその本を読んでいないのに、本に書かれている事が、幾つか起きた。それはその時に書いているが、十津川村に入った途端、ノワタリさんが苦しみだし、「誰か男の神様が出してくれ!」と言ったり、三柱神社の3匹のおきつねさんが綿帽子を被った花嫁姿でホテルにその夜出てきたりした。

男の神様は思兼命さまで、産みの苦しみだったと言われ、

「『出してくれ~、出してくれ~。』とおなかの中で言ってるの、苦しい~。」とノワタリさんは苦しそうに「はぁ~はぁ~」と横でもだえ、とても不思議でどうして良いか分からず、そんな事を初めて目にしたので面食らってしまった。

下山した後、御祓いを受けた。

準備の間、それぞれ、社務所で買い物をしたり、国宝の襖絵を見た。

神主さんはここでも昨日の悪天候で37名の御祓いがキャンセルとなった事を言われた。キャンセルが無ければ、たぶん私達に順番は来なかっただろう。

今回が3度目だが毎回神主さんが違う。今回の方はまるで観光地で手馴れたガイドさんのようで榊の奉納の仕方などを説明されて一人ひとりでなく一斉にした。

御祭神様方に比べると、親しみやすいがとても軽い感じであった。

お払いの後、この神社の説明を受けたが、崇神天皇の像をお尋ねすると、全部処分したとの事?

お祭りの時に大切に飾ってあったのに何か変?

Sは部屋を見回して説明前から「此処は聖護院系だな」と言っていたが、その通りだった。

その後、神代杉と夫婦杉をお参りして神社を出た。

Sは儀礼に乗っ取り、ほら貝を吹いて出た。此処ならば、誰もいくら吹いても喜ぶ事はあっても文句は出ないので高らかに吹きまくっていた。

余りにもお清めに時間がかり、とっくにお昼を過ぎていて時間が無いので急いで大斎原へ向かって走った。

途中、道の駅で昼食とするがもう2時半だった。後でとれとれ市場で回転寿司と思っていたのでそばとめはり寿司や雉丼をそれぞれ頂いた。

高菜の漬物で巻いてあるめはり寿司の名前の由来を尋ねると、昔は目を見張るほど大きかったのでその名が付いたそうだ。

そこでみんな土産を買い、ノワタリさんと叔母は其処から宅配便にすると言って片っ端から買い物をして荷造りをしたりその後お茶を飲んだりしたので思いのほか時間が掛かった。

 

 

 

 

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玉置神社12年6月

2012-06-23 15:23:13 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

玉置神社 参道より本殿まで

何度も玉置神社に参拝しているが、今回ほど異例の事はなかった。

昨年の紀伊半島に甚大な被害を与えた台風のせいで今まで泊まった幾つかの宿はまだ営業しておらず、明治の大水害で壊滅的な被害を受け、たくさんの方が亡くなったので川の近くの宿は今まで避けてきたが、今回は其処にするしかなかった。

予定では、6月16日に新宮の神倉神社に参拝、翌朝玉置神社に参拝、大斎原にお参りしてその後とれとれ市場に寄ってから白浜空港までノワタリさん達を送って帰るはずだった。

また車で四国から往復するというのも初めてであった。

同級生のSが初めて参加した。宿に連絡して本人の言うとおり「布団部屋でも何でも良いから入れてください。」と連絡すると、宿の人は笑いながら「4畳半が有ります。」と言われた。

その後、1週間前になり二人ほど追加…となりそうだったが、空港で8人乗りのレンタカーを用意してと思ったが、生憎宿がダメだった。やはり玉置は人を選ぶ…

15日の夜10時に大雨の降っている中を出発した。隣町でSを拾い高速を走るが滝のような雨で50キロ制限で高速もゆっくりである。雨は東に進むにつれ小降りになり、途中石鎚サービスエリアでSと運転を替わった。

其処からは快調に走り、徳島港には出発の1時間前の2時頃着き、出発まで車で仮眠を取った。

和歌山に着き、白浜までの道中は小雨は降るものの運転に差し障るほどではなかった。

ノワタリさん達と合流する前に白浜の牟婁の湯にゆっくり浸かり身支度を整えて、8時半頃空港に着いた。

合流してから、一緒にゆっくり朝食をとるはずだった。

しかし、空港に着くと濃霧と大雨で8時45分着のは下りてこられない。

何時もそういう場合、ノワタリさんは龍神様にお頼みして難なく進むので大して気にしていなかったが、何度も「上空を旋回しています。」との館内放送があるのみで一向に下りては来なかった。

レンタカー会社の人やタクシーの運転手が同じように出迎えていたが、運転手さんが「こんなに長く旋回するのも珍しいな、何時もなら15分から20分くらいなのに…」と言われた。

目を閉じ祈り始めると額や背中と足の裏にジ~ンとノワタリさんのエネルギーを感じた。懸命にされているのが分かる。こんなにしているのに下りれないなんておかしい…

9時35分過ぎに「最終体制に入りました。着陸できない場合は、関西空港か羽田へ引疲き返します。」との放送があり、やっと下りてくるものだと思いホッとしたのも束の間、「欠航」の表示が出て「関西空港へ着陸いたします。」との放送が流れた。

昨晩から運転してに浸かり疲れがでてボーとしているSに「関空まで行くわよ。」と、声を掛け大急ぎで空港を出た。みんな絶対、羽田には帰らないと思っていたと口々に言っていた。

結局、温泉のオープン前にSが用意したまき寿司やパンを頂いたのが朝食で、それも無ければ、私達は昼過ぎまで腹ペコになってしまうところだった。待っている間、落ち着かずただボーっとしているだけで、お茶すら飲まなかった。

方向音痴のノワタリさんと70半ばの叔母であるから、まず動けないだろうと思い走っていると、が掛かり、私達が和歌山市内につかない間にもう着陸していた。

後で考えれば、和歌山駅まで叔母ならば行けたと思ったが、関空までひたすら走った。遠い…

12時を過ぎて待ち合わせの日航ホテル前に着いた。二人は長時間が小さいので上空でかなり揺れたらしく、「墜落する前ってあんなのかしら?横にも揺れてすごかったのよ。」と言いとても疲れていた。

また来た道を引き返し、途中紀ノ川サービスエリアで遅い昼食を取ったがいざ、車に乗り込もうとしたらキイが無い。リュックをひっくり返すが無い…。

テーブル周りと歩いた所を探すが無い。案内所に行っても無い。なんで今回はこんなに足止めされるのだろうと落ち込みそうだったが、テーブルが5人では狭いので替わった時、叔母が無意識に自分のバッグに入れていた。

予定を変更して新宮の神倉神社に行くのは取りやめ、十津川村の宿にまっすぐ行く事にした。

其処からは疲れているSに替わり 妹の運転となった。雨ももうほとんど降らず田辺で高速を下り、川沿いの山道を走ると、昨年の台風の爪あとは思ったよりも大きく、あちこちで地すべりと道路の陥没で片側通行で止められた。

やっと、十津川村に入ってもこちらも同様だった。

5時前に宿に着くと、この大雨で他の客はキャンセルで私達だけの貸切だと言われ、Sも隣の6畳間を用意されていた。

部屋は川が見え眺めよく、大水で一部茶色に濁っていたものの私達の宿の付近は深いグリーン色で山々は靄が掛かり霞んで山水画のような景色。

一休みしてお茶を飲んでいると、ノワタリさんは叔母のネックレスとリングにエネルギーを入れた後、Sの水晶のブレスが気になるらしく、「何も入ってなくて空だよ。」と言い、エネルギーを入れた後、メンテナンスの仕方を教えた。

ブレスは傍目にもキラキラと輝きが違った。

その後まず、露天風呂に入り、昼間の疲れをとり、夕飯を頂いた。

そこで、今回なぜが長時間上空を旋回しなければならなかったか?

ノワタリさんが「その訳がわかったわ。上からのお清めをさせられたのよ。今回は着く前から、の中からその辺一帯の浄化だった。」と言われた。上空で旋回している間、ずっとエネルギーを流して下に振りまかれ浄化されたという事だった。

今、思えばあの時も朝方まで大雨、またその後も台風の影響で大雨、昨年の台風のようにならず大難を小難にしたのではと思う。そして昨年被害に遭った場所も上空から清められたのではないかと思う。

山の中ではのあまごの塩焼きやマスの刺身や山菜の天ぷらなど珍しい食材が並び、私達だけであるので宿のご主人も話しに加わり、玉置山の話しで盛り上がり食事を終えたのは9時半であった。

昼間の疲れがあるので早々に休むことにしたが、やはりこの時間になると、寒気がする。

車から粗塩を1袋持ってきて灰皿、湯のみを使いあちこちに盛塩をした。それから内風呂で入浴する私達にノワタリさんが風呂に1つかみ塩を入れるようにアドバイスしてくれた。

内風呂は岩風呂で広いが、壁が川と同じような濃いグリーン色でおまけに照明が薄暗いのであまりじっくりといる気もせず、そそくさと入って部屋に帰り休んだ。

危惧したが、塩のお陰か何も無くゆっくりとみんな休んだ。

朝の岩風呂は明るく、外の山と川の景色が見え昨晩のような恐ろしさは無かった。とても気持ちよく浸かった。朝食を取り、8時に宿を出て其処からは何度も来ているので私の運転となった。

宿のご主人が168号線の十津川から五条へ向いては土砂崩れがあり進めないと放送があったと言われた。もう陸の孤島状態である。広い村なのに昔7つあった中学校も今は1つだと、壁に写真が飾られ書いてあった。どこも田舎は過疎化が進んでいる。

橋を渡り 山道にしてもあちらこちら石が落ちていたのでゆっくりと走った。1台の車とすれ違ったがもう下山なのか?駐車場に着くと、他に2台ほど止めてあったが、売店も片隅に出来て、トイレも綺麗立て替えられていた。

世界遺産になり、この神社の存在が知られてくると、お参りするたびに参拝者は増え、若い人の姿をよく見るようになり、雰囲気も変わっていった。今回は前日の悪天候のせいか少ない。

本殿まで 三柱神社、玉石社、頂上とお清めのものは4組あればよかろうと思ったが、お水はまた汲めるので、お塩だけ余計に1袋足してみんなで手分けしてリュックに入れた。

まず1の鳥居でご挨拶して入り、Sがほら貝を吹いた。良い音色でよく響く、、プオ~、プオ~、と聞こえ、口で調節すると言ったが今度は高音でまたプオ~、プオ~と山に響いた。

以前はご神前やイワクラの前でウチダさんが岩笛を吹いていたのを思い出した。

しかし、入るとお清めである。数歩歩いて清め、数歩歩いて清め、今回は清めの感覚が短い。

しばらく行くと白山社だったが、今回「山の神」と石碑が建っていた。そこでお清めし、ご挨拶して進み、木の鳥居2本並んだ参道に入る。靄の中に杉の木立が龍のように伸びていて幽玄な雰囲気でまるで水墨画のようである。朝早いので気も良い。しかし、もう1組目のお清めグッズは使い切り、2組目となった。これでは持たないとあせってきた。

昨晩の大雨は清めの雨だったのだろうか?大きなカエルが2匹で迎えてくれた。そこでもSがほら貝を吹く。山の中にこだまする。気持ちよさそうだ。3000年の樹齢と言われる神代杉の下を通り進み、通り沿いの杉の木にも御神酒と水を掛けながら歩いた。

やっと手水舎に着いたが、もうすでに御祈祷をしているらしく太鼓のドンドンと叩く音が聞こえてきた。そこで2組目も使い終わった。

 この神社の御祭神様は国の根幹に関わる神様ばかりである。神武東征の時にご祈念したからであろう。そこでご挨拶をし、ノワタリさんは歌われ、私たちは銘々祝詞をあげたりした。此処も、前日の悪天候のせいで参拝者に会わなかった。

摂社である若宮社と神武社にお参りし、大日社ではSがご真言を唱えていた。私と妹はその裏手にある剣の所へ行った。初めて訪れた時には柵は無かったが、今は柵で仕切られている。

境内の中に、しめ縄を張った2本の杉の御神木が並んで立っていた。そこでノワタリさんはしばらくうたわれていた。

「外にあるのも夫婦杉だけどここも地の中で繋がっていて夫婦杉なのよ。」と言われた。

お参り後、本殿でみんなでおみくじを引いた。大吉と吉とかでなく、神の教えと言う言葉がみんなその置かれている状況にそれぞれ合っていて不思議だと思った。ただ、書いてある言葉をかみ締め、気になっていた事をもう一度考え直そうと思った。

  大日殿裏の剣

 

 

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篠山神社

2012-05-29 20:51:55 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

先日で営業に走っていると、Sからのが掛かってきた。その1時間ほど前Sの家の前を走ると、があったが、その日は予定が立て込んでいたのでそのまま通り過ぎた。

Sは入れ違いに実家のある私の町に向かっていた。

開口一番、「おい、連日続いてブログを更新して、お前欲求不満か?」と言う。

私は、天中殺が空けた今、開放感に浸ってすこぶる伸び伸びして本来の自分に帰ったようで調子はよく、欲求不満など無い。社会に対しての不満はあるが、「はぁ~、そんなもん無いわい。」と答えた。

27日に篠山へ登る件は、Sは「都合が悪いが、朝4時に起きるから、早くに登ってから用件をしてもいい。」と言ってくれたが、そんな無理な事は頼めないので、女二人で行くと伝え、

「留守だが、用件は伝えておくから」と言って切った。

後で聞くと、母に「うちの娘も変わり者だけど、あんたも変わってるね。」と言われたらしい。

そのSから、勧められた篠山へ今日ユキちゃんと登って来た。今日は晴天で絶好の行楽日和であった。

Sの家のある町の近道から行こうとしたが、標識が無い。簡単に行けるものだと思っていたが、田舎道の方が標識が無く、「ささやま」とナビに入れようとしたら、「さ」が二度続くので「し」に何度しても変わってしまう。今度は「山本牧場」と入れようとしたら、「やまも」が「やみ」になってしまい、ナビは言う事を聞いてくれない。父が「その道は昔狭く走りにくかった。」と言う言葉を思い出し、これは通らない方が良いのかもと思い遠回りだが、県境の町まで走る事になった。

しかし、私達は学生時代に帰ったようにルンルンでずっとおしゃべりをしながら走った。

途中、「びやびや祭り」と言う催し物が開かれていて、まだ、9時ころだと言うのに車は多い。

旬の鰹が安く買えたり、鰹料理のオンパレードで屋台などが出ているので遠くから車で来る人が多いみたいだった。

やっと、国道を抜け篠山に向かって走るが、ほとんどで会う車はいない。

第1駐車場でちょっと休み、運転中にがなっていたが、後ろの席に置いていたので取れなかったので、見るとSだった。

連絡すると、山頂に小さな池があるから、其処も必ず行くようにとのことだった。そこでも、かなり高く眺望が良い。途中幾つかの滝もあった。

第2駐車場まで行くと、他にも2台の車があった。Sの話しだと、簡単に山頂に行けそうだったが、着てみると、登山道の入り口に2つの籠に杖用の竹が沢山置いてあった。

それを目にした時、これは結構キツイのではないかと、嫌な予感がした。

先日みたいに数分で山頂に着くと思っていた私は、リュックでなく手提げ袋、靴はスリッポン。

ユキちゃんの方が準備よろしくリュックと運動靴だった。甘く見ていた、後悔しても仕方ない。

入り口に神社の説明があった。御祭神様は伊邪那美命 速玉男命 事解男命 木花咲耶姫命で、用命天皇の時代に開かれ、弘法大師にも縁があった。

あけぼのつつじの頃は人が多いそうである。

神社までは約1000m、始めは腐葉土の上を歩くように足元が柔らかかったが、だんだん険しくなってきたが、それでも歩きやすいように丸太木を階段のようにして道を作っているのでありがたい。しかし、二人で手分けしたものの、ショルダーかばんのベルトとが肩に食い込み、下げた御神酒とお塩が重い。

杉林の中を進んでいくと、地崩れの後があり大きな杉の木が数本土砂に流され、途中に引っかかっているのを見ると、急ぎ足で其処を離れた。

木の根が階段状になってきたかたと思うと、岩だらけで足元をよく見て歩かないと危なかった。

日差しは結構きついはずが、杉木立のお陰であまり感じず、進んでいく内に空気がはっきり変わったポイントが2箇所あった。そこで私達は「あ、空気が変わった!」と、口にした。とても清涼感がある。

真ん中を過ぎたあたりに昔神仏習合時のお寺の址があったが、其処は以前山小屋があり、そこで泊まってから、山頂へ行っていたと後でSに教えてもらった。

其処からは金網の柵と扉があり、下山してきた男性二人と会ったが、鹿の害がひどく木の皮を食べられないためにそうしているとの事だったが、どの木も確かに食べられた後があった。

やがて、上の方が明るくなり山頂に近づいている事を感じた。登りきった所で、小さな女の子を連れた若い家族連れと会ったのが最後、度お清めをするにはタイミングよく誰もいなくなった。

しかし、先には長い神社の石段が見える。まだまだだ。

しかし、石段に近づくと小バエの群れがあちこちに黒い塊になっていた。すぐさま私たちは取り巻かれ、離れない。普通移動すれば離れるものだが、なんか変!

ユキちゃんが「狛犬さんでなく、猿かしら?」と、行って近づくと、顔が壊れてて猿に見えただけだったが、この狛犬さんは相当古く、唐獅子のような文様があり、顔も毛がありまるで獅子である。

ユダヤの紋章とよく似ていると思った。

ユダヤの紋章 中丸薫 ベン・アミー・シニー著「なぜ日本中枢の超パワーは『天皇』なのか」より

清めながら歩いていったが、左側の灯篭はもう台座だけであったが、此処の灯篭も変わっていて表は三日月、裏側は満月のようになっていた。

「お月、篠山」とSが良く説明してくれたが、月山神社も此処からそう遠くない。

お社の周りも清め、鈴を振って1周した後で、祝詞を上げていると、ユキちゃんはまとわり着くハエが耳元でブ~ンいう音で、「上が明るくなり、何か獣の足が見えてきたのにその後、集中してもダメだった。」と、がっかりしていた。でもその足は下りた時に気づいたが、あのユダヤの紋章みたいな狛犬…たぶん獅子だ。ユキちゃんの後ろ姿を見れば小バエに上半身取り巻かれている。たぶん私もそうであろう。

山頂に上がると、馬酔木が沢山あり、その新緑がきれいだった。そこにあると言う池を探す。お社の裏だと聞いていたので、探していると、小さな池だった。

Sの話しだとその池の真ん中が愛媛と高知が境だと言う。でも、とても澱んでいてご神水とは言えない状態だった。

どばどばと、池に塩を投げ込み、御神酒を投げ込み、わずかに残った水を入れ、龍神様の語真言を唱えたが、途中で小バエが口に入り気持ち悪くなり止めてしまった。喉の奥に引かかったような感触でお茶をぐっと一息に飲みこんでもなかなか消えなかった。

終わったと同時に人がやってきた。グッドタイミングである。以前は名の通り笹が多かったらしいが、これも鹿に食い荒らされてしまったそうである。

遠く九州も見えると言われるが、どっちがどっちやらと言う感じでよく分からなかった。

下山の方が危なく、足元ばかり見ていたら、道でない所を滑りそうになりながら下りたりしたが、上りよりも杖が大いに役立った。小バエの群れは下るに従っていなくなった。

「ここのハエしつこかったね。」と互いに言った。

帰路は違う道をとも思ったが、鰹に釣られて同じ道を帰った。しかし、駐車場に着いたのは午後2時近くになっていた。

ゆらり内海という潮湯のある施設のレストランの鰹のとんかつが美味しいのです。

中はたたきのように半生でそれをフレンチ風のドレッシングで頂くですが、家で作ってもその揚げる時間が長すぎて半生にならず、だめだった。

それが食べたくて走ったものの、3時だと言うのに満席。5時からしか食事は出来ないというので、柚子アイスを食べて終わり。さっぱりして美味しかったが、なぜか空腹感は無かった。

二人だけでこんな時を過ごしたのはもう同じく友人のカメちゃんの結婚式に栃木へ行って以来ではなかっただろうか。私達にもいろいろな事が起き、私は一人だったが、彼女は子育てをし、実のお父さんを見送った。その間、病気からしてホルモン異常で体型も変ったが、私が30年の天中殺を終えたと同じように彼女も、過去世からの宿題を終えたようでこれからは楽しい事が待っていると同じように前向きに思っている。そのため、帰り道も楽しく二人でワイワイと言いながら帰ったが、頂上の池の汚れが気になっていた。

私たちが行った翌日Sは行ったらしく、が掛かってきて、「塩だらけやないか!ようけ撒いたな。狛犬も池もまだあったぞ。」と言われた。

「はい、お清めです。1キロ撒いたもんね。」と、答え、楽しかった事と小バエの群れの事と感じた事を伝えた。

彼はその日、篠山神社と月山神社へお参りしたことを言った。

しかし、その晩は何もなかったのに、これを書き始めてから、だんだん左肩が痛くなり手がしびれて来た。おまけに11時半過ぎと1時半頃電話がなった。1本目は電話帳には載せていない番号だったので間違いとも思っていたが、真夜中にはもう一つの外線でだったが、リーンとなってすぐに切れた。そんな時間にかけてくる人の心当たりは無い。唯一ノワタリさんとはである。

念のため、真夜中だが連絡すると、「あら、ザワザワしてるわぁ~。久しぶりね憑けて来てる。」と言われ、自信を失った。

就寝前と、今朝も清めたがいまいちすっきりしないので、また連絡した。

「じゃあ~遠隔しましょう 」と言われ、遠隔していただくと、篠山の御神体である池の龍神様が清めて欲しいとでられたそうである。やはり気になっていたが、私達では力不足だった。

ノワタリさんがお清めされると、私の体は大分楽になった。

コメント (2)
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