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国難打破から、いざ、未来創造へ

そこまで言って委員会 「保守再生」12/20 (1)(2)

2009年12月21日 | 動画
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そこまで言って委員会 保守待望論 4.wmv



今日のゲストは、安倍晋三元首相と、櫻井よしこさん。
「保守」を徹底討論。

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櫻井よしこ:
 保守とは難しい話ではない。
 聖徳太子の時に仏教が入って来る。他の国では異文化、異文明の宗教が入ってくれば、排斥するために戦う。しかし日本は50年間その議論をし、結局異文明としての仏教を受け入れたのだが、ここから先が日本の保守。

 日本には日本古来の神道の神々がおられる。山にも谷にも大きな岩にも、日本の神様が宿っていらしてそこに新しい仏様、仏教を受け入れる時に、この仏教に軸足を置くのではなく、根本は神道である。だけど仏教もたくさんいいことを教えてくださるので、それを受け入れましょうと言って、日本独自の神道に基づいた仏教を採り入れた今の日本の宗教観というものができた。

これは極めて寛容。
日本は本当に平和でいい国。
心優しく穏やかな心、みんなが基本的に幸せに暮らせるようにという心は
もうこの時からずっと守ってきている。

 だから異文化であるとか違うものを排斥するのではなくて、受け入れるけれども、芯は変えない。自分たちの良いものをもっと新しい形で維持するために変わるんだということだと思う。

 国家の基本は軍事力と政治力の両方が必要。軍事なき外交は口だけ、外交なき軍事は暴力だけ。どちらもだめだから両方持ちましょうという国家の形を取り戻すのが戦後の今の時代の保守の役割。

宮崎:
 日本とアメリカの二大政党制は異なるもの、一緒に考えるのは心もとない。軍事力に関する考え方がまったく違う。
 例えばノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領の、授賞式スピーチ。
「この世には、悪というものが存在する。悪を駆逐するためには武力が必要。もし武力がなければ、ナチスの進軍を止められただろうか。アルカイダを武装解除できただろうか」と述べている。

 そうした上で、戦争というものが無制限に広がっていかないように歯止めをかけるのが、アメリカの「リベラル」の姿勢。このようなリベラルが日本に存在するか?

安倍晋三:
 日本では戦後、「国家」や「主権」というものが非常に否定的に捉えられてきた。「国家」「国民」ではなく「市民」という言葉が使われたことがある。つまり、「国家というものは市民を抑圧するものだ」「主権とは強権的なものだ」という捉え方をしてきた。ここに間違いがあった。

西村:
 日本のリベラルは「日本はよい国だ」と言った航空幕僚長を更迭した次元にいる。真の二大政党制には、村山富市翼賛体制からの脱却が前提。今は、国体というものに一番接近している時である。天皇を中国共産党の序列争いに利用して、恬(てん)として恥じない売国的政権を、国民は目の当たりに見ている。


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