学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』

2019-02-21 21:21:27 | 読書感想
このところ、暖かくて過ごしやすい陽気が続いています。まだ、春の到来には早いのかもしれませんが、季節は少しずつ進んでいるようですね。私のほうは相変わらず、仕事で慌ただしい1日を過ごしています。そのような忙しいときは、ときおり戸外で深呼吸をすると気持ちが落ち着きます。こなさなければならない仕事がたくさんあるときほど、心に余裕を持ちたいものですね。

さて、私は小説家の丸谷才一氏の著作が好きで、特に『思考のレッスン』からは多くの事を教わりました。この本の中で、氏は小説の文体を意識することを勧めています。文明と文体はつながっているとし、「文体に気を配って読まなければ、ほんとうに文章を理解することはできない」と。

先日、その丸谷氏が翻訳したジェイムズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』を読みました。ジョイス自身がさまざまな文体を小説のなかに取り入れた(らしい)ため、翻訳によっても、ひとつの小説のなかに様々な文体を見ることができるという仕掛け。例えば、主人公の幼年時代はやわらかい「ひらがな」の文体で書かれる。また、彼が成長するにつれて、第一人称の「ぼく」で展開してきた物語が、第三人称の「彼」に切り変わって客観的な視点になっていく。そして、終盤になると日記調になって日ごとの心の動きが書かれるようになります。このような文体も含めて、小説の構成が非常に練り込まれた印象を受けました。

この構成によって、アイルランドを舞台とした主人公スティーヴン・ディーダラスの幼年期から青年期が描写されていきます。「とてもたのしい」幼年時代を過ごしますが、だんだん彼の家庭は政治や宗教の問題で分裂を始め、多感な青年期であることも相まって、父への批判や宗教への懐疑などで心が埋め尽くされていくようになります。書名には「芸術家」という言葉が充てられていますが、主人公の口から立派な芸術論が語られる、というものでは決してなくて、むしろそこへ辿り着きたくて思い悩んでいる青年の姿が描かれているように感じられました。

ジェイムズ・ジョイスの小説を読むのは初めてで、ひたすら理詰めで考えていく主人公の姿は正直なかなか共感するのが難しい部分がありましたが、小説の中身よりもむしろ文体や構成の面白さで楽しめました。ジョイスといえば『ユリシーズ』。私のなかではなかなか高い峯ではありますが、機会があれば読んでみたい小説です。


★ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』丸谷才一訳、新潮文庫、1994年