久しぶりのブログ更新です。
近頃、余暇を利用して岸田劉生(1891~1929)の作品について調べています。岸田劉生といえば、日本近代美術、特に油彩画においては高橋由一とともに触れられることの多い作家です。今でも高い評価を受けていますが、それは昔も同じこと。明治末期から大正、おそらくは昭和初期にかけての画学生にとって、岸田劉生の絵はまさに憧れでした。それぐらい影響力があったんですね。
私は先日から岸田劉生の画集、日記、随筆集の類を見ています。自分なりに岸田劉生について勉強をし直したいという気持ちからですが、日記に気になる文章がありました。
大正12年12月10日、岸田劉生32歳です。
「そろそろ画会もはじまらうからと思い六号にスケッチ風の味を主とした静物をはじめる。二日三日で仕上げるつもり。柿一つと剥きかけたみかんを一つを机上に乗せた図だが剥いたみかんを描くのはこれがはじめてだ。」(『摘録劉生日記』酒井忠康編 岩波文庫 1998年)
私が気になったのは、特に「剥きかけたみかん」です。実は私の勤める美術館に「剥きかけたみかん」を描いた静物画があるのです。どうしてこの作家は「剥きかけたみかん」を描いたのだろうと前から不思議に思っていたのですが、この日記を読むと、どうも岸田劉生の絵からヒントを得ていた可能性が…。私は早速岸田劉生の画集をひっくり返してみましたが、この文章のような静物画は発見できず。あまり一般的に知られていない作品なのでしょうか…知られていない作品をどうやってあの作家は知ったのでしょうか…謎は深まるばかりです。
しばらく岸田劉生の絵を求める日々は続きそう。「剥きかけたみかん」の絵、どうか発見できますように!
近頃、余暇を利用して岸田劉生(1891~1929)の作品について調べています。岸田劉生といえば、日本近代美術、特に油彩画においては高橋由一とともに触れられることの多い作家です。今でも高い評価を受けていますが、それは昔も同じこと。明治末期から大正、おそらくは昭和初期にかけての画学生にとって、岸田劉生の絵はまさに憧れでした。それぐらい影響力があったんですね。
私は先日から岸田劉生の画集、日記、随筆集の類を見ています。自分なりに岸田劉生について勉強をし直したいという気持ちからですが、日記に気になる文章がありました。
大正12年12月10日、岸田劉生32歳です。
「そろそろ画会もはじまらうからと思い六号にスケッチ風の味を主とした静物をはじめる。二日三日で仕上げるつもり。柿一つと剥きかけたみかんを一つを机上に乗せた図だが剥いたみかんを描くのはこれがはじめてだ。」(『摘録劉生日記』酒井忠康編 岩波文庫 1998年)
私が気になったのは、特に「剥きかけたみかん」です。実は私の勤める美術館に「剥きかけたみかん」を描いた静物画があるのです。どうしてこの作家は「剥きかけたみかん」を描いたのだろうと前から不思議に思っていたのですが、この日記を読むと、どうも岸田劉生の絵からヒントを得ていた可能性が…。私は早速岸田劉生の画集をひっくり返してみましたが、この文章のような静物画は発見できず。あまり一般的に知られていない作品なのでしょうか…知られていない作品をどうやってあの作家は知ったのでしょうか…謎は深まるばかりです。
しばらく岸田劉生の絵を求める日々は続きそう。「剥きかけたみかん」の絵、どうか発見できますように!