京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

忘れる事(敗戦記念日を)が日本の精神病患者を減らす

2013年08月15日 | 日本人が幸せになるには

人が癒されるのは「嫌な事は忘れ」て「良い想い出に浸る」が、「将来の良い環境を夢見る」ことが一番です。

嫌な想い出(戦争、自然被害)を延々と語り継ぎ、映像で見せまくり、日本人の心の中にトラウマとして植え付け続けているのは日本人の習慣には無かった事です。

戦後、アメリカを始め近隣敵国の深遠な策略によって日本人の徳性は変えられて来ています。

戦後、食料援助と言う名目で米食(国産)から粉食(輸入小麦)、そのうえ大麻取締法と言う悪法を押し付けて日本に取っては神聖な大麻(国産)の栽培を禁じて綿(綿花・輸入)や化繊(ナイロン等・アメリカの特許品)に衣食の習慣まで代えられてしまいました。

今の癒しブームの中身は何ですか? 

「ゆるキャラ」? こんなものは幼児をアヤスぬいぐるみでしょう。

「スイーツ」? こんなものは単なる胃袋を一時的に癒すだけでしょう。

「温泉ブーム」「?????ブーム」どれもこれも、本当の癒しにはなっていません。

その上、8月15日が近づけば「日本人は戦争中外国に向かって悪い事をした」事ばかりを68年間も特集を組み続けているマスゴミ。

いかにマスゴミのゴミ共が頭が悪くても延々と彼らだけでこんな特集を組み続ける事は無いはずです(日本人なら)

戦争を戦った人たち、経験して来た人たちからもう3世代目になっているのです。

「坊主を殺せば七代たたる」という言い伝えはありますが、日本は大東亜戦争で仏教国と戦った記憶はありません、坊主は殺さなかったはずです、戦争で戦闘相手を殺すのは当たり前です。アメリカのように非戦闘員を殺すのやベトナムの非戦闘員を無差別に虐殺した韓国軍は非難されるべきですが。

何の意図を持っていまだに戦争責任や従軍慰安婦問題を報道し続けるのかその意図をわかっているのに口に出さずにじっと耐える日本人の心根の優しさに比べて近隣敵国国民の嫌らしさにもうそろそろ反撃を開始しなければ日本国民の子々孫々に災いを残して戦争を経験して来た我々の世代は消滅するのです。

「嫌な想い出は消し去る」ことが癒しの大原則です。戦争や災害は「記録として残す」が人々の記憶としては薄めて行くべきです。

何代にも渡って記憶にとどめる事はストレスの原因にもなります。

万病の元はストレスが原因だと最近のヤブ医者は言います。私もそう思います。

性格の暗い人はストレスを抱えます、ガン等の原因になるだけではなく、続くストレスは精神病も患う原因にもなっているのです。

お隣の国の国民を見てください。、国民全体が火病というとんでもない精神的な宿病を患っているでしょう。

最近の日本人もこの病気に感染して来た人が増えて来ました。隣国の血が純粋な日本人の血に混じって来たのかもしれませんが。

日本人の徳性は明るい性格だったと思います。相手の事も嫌な事も水に流して仲良く暮らす。「和」が中心の暮らしをして来ました。

神道でも「明淨正直」を心がける事が大切とされます。一番最初のことばが「明」です。「明」明るいの反対は「暗」くらいです。

「恨みは水に流し、恩は石に刻め」と言うことわざがあります。これはまた書いて行きたいと思います。

忘れる事が最大の癒しだと言う事をもう一度認識してください。「恨み」は人が不幸になる最大の原因です。

周囲の人を見てください「恨みがましい奴」は人に嫌われているでしょう。

人に嫌われる人は神さまにも嫌われるのです。神さまに嫌われたらご加護を受ける事は出来ません。

神さまのご加護を受けずに人は幸せにはなれません。

 

 


年寄りも頑張ろー・国が変わるこの時期に

2013年08月12日 | 喜寿からのチャレンジ

昨日に私と同い年の人の葬儀がありつくづく私も高齢者の仲間入りを自覚するようになりました。

本来なら「年寄りは引っ込んでろ」と言われる歳ですが幸いまだ元気に生かしてもらっていますので、まだ神さまの「今まで好きな事をやって来たのだから、これからは人様の為に、少しは役に立つ事をやってから戻ってこい」との御意思と思っています。と、勝手に解釈してもう少し頑張ります。

今これだけ国民の道徳が劣化したのは戦争に負けて日本の良さを全否定した連合国や国際共産主義者の思惑通り大和民族の心根を骨抜きにされた団塊の世代が中心の我々年寄りの責任でもあると思っています。(私は団塊の世代より少し上ですが同じような教育は受けたのでしょうが勉強が嫌いだったのでおぼえていなかった事が幸いしています)

戦後は国土の荒廃、産業の荒廃だけを我が国の荒廃と錯覚して肝心な心の荒廃を忘れ去っていた責任は重いと思います。

幸い、周辺敵国の日本攻撃は日増しにパワーアップし、さすがの能天気な日本国民も危機感を感じるようになって来ました。

外圧がかからなければ動かない国民性もやっと動き始めました。

完全に自虐史観に蝕まれた団塊の世代は一日も早く好みの次の世界に移ってもらい、幼い子供たちの親の世代に頑張ってもらいたいと思いますが、団塊の世代の親の教育のせいか? 反日日本人を生み出す事に今もせいを出している日教組のせいか、学校の勉強以外に物を知らない若者がふえています。

知識はマスゴミからのテレビ中毒者の中高年とは少しは違いますが、若者も創価学会や山本太郎を当選させた赤軍派集団などのような組織に巧妙に囲われているのは歴史教育のひずみであろうと考えます。

自国の歴史に誇りを持たずに先祖を卑しめているのは日本国民だけだと言う事を自覚させるのに我々年寄りが果たす役割は大きいと思います。

戦後経済復興の為に過酷な国際競争に立ち向かい復興を成し遂げた日本の国は、大東亜戦争で世界から白人支配の植民地を無くした先祖を敬う事をしない戦後の教育をまずただす事から始めなければなりません。

それには本当の事を知っている我々年寄りが語り、残して行かねば今後も日本人の誇りを失って周辺敵国から良いように利用され続けてしまいます。

思いついたらすぐ実行が私のモットーですからこれからはブログの「年寄りが頑張らなくチャー」をこれまでの「古希からのチャレンジ」を引き継いで書いて行きます。

このカテゴリーを作った最初の動機は、行政の年寄りに対する配慮がなってない事に対する不満からでした、各種免許の更新や行政上の手続き等、年寄りの立場になった配慮がなされずに不便な事この上も無い事例が次々に感じました。

年寄りもぼけ老人だけではない事を思い知らせてやりたいと憤慨していた所、老人力とはバカに出来ないと思い始めました。

仕事をリタイアした年寄りは自分から、世間からもリタイアをしたつもりになってしまっている人が多いのに気がつきました。

世間知らずの若僧では無いのです、世間を知り尽くして来た人もいるのです、その知識と経験を生かせば世の中は変えられる。

その証拠は死ぬまで選挙権があることです。未成年者の場合は優秀な若者でも国政には参加も出来無いのです。この強みを利用しない手はありません。

年寄りが参加するには、足腰が立たなくても経験を行使する手段はこのインターネットの世界を使う事です。

パソコン通販の業者はこの膨大なユーザーを考慮に入れて日本中の年寄りをターゲットにして簡単なソフト付きのパソコンとレクチャーをやればいくらでも売れるのです。

パソコンぐらい買える年寄りはいくらでもいるのです、今の所は。

年寄りが大型電気店へ出向いてパソコンを買うのは勇気がいるのです。

パソコンこそ年寄りの必須アイテムにしてしまえば老後は安心して送れるのです。

通販業者に是非頑張って欲しいと、修理も、パーツの補充も、パソコン、インターネットを通じてあらゆる物資の購入も出来ますし、下手にヤブ医者に相談する為に一日を棒に振る事もありません。すべてネットで解決出来るのですから。

インターネットは年寄りの強い味方になってくれるのですから。

ただ、厄介な事は理論のわからない我々年寄りには、いったん動かなくなったらニッチモサッチも行かない事です。

その為には電話で親切に教えてくれるアフターサービスも忘れないようにして欲しいと思いますが。

これくらいで終わりますが、今後もカテゴリー「年寄りが頑張らなくチャー」で行政初めあちこちに不満と提案をを老害を顧みずに頑張ります。


我が集落の葬儀・住民がそれぞれの役割を持つ

2013年08月11日 | 死について

京都北山山中の我が集落で午後1時から葬式がありました。

全戸数15軒ほどの小さな集落ですから誰かが亡くなると皆が協力して葬儀を執り行って来た歴史があります。

私がここの集落に移り住んだ三十三年前はまだ土葬でした。墓堀に当たった人は朝から墓穴を掘りに共同墓地に赴き穴が掘れるまで戻らずに昼食等も現地に運んで行ったのをおぼえています。

さすがその後は火葬場に運ばれるようになりました、最初に火葬されたおばあさんは「熱いのに可哀想」と同情の声が他の女性からあがっていました。

特に最近は京都市内の葬儀場で済まされる事が多かったのですが今回亡くなった方(私と同い年)は自宅から葬式を出して欲しいとの遺言でした。

今は葬儀社が総て段取りをしてくれますのであまり我々が手伝う事は少なくなったのですがそれでも各戸から戸主がでて手伝います。

今回私は受け取った香典を針で糸を通して保管をする役目でしたから一番楽な仕事でしたが、それでも連日の高温で海抜450メートルの高原も30度以上の高温で駐車場整理を割り当てられた人たちは顔や出ている腕を日焼けで真っ赤にして頑張っていました。

亡くなった方がこのあたりの林業のボス的な人だったので集落外からも来られる参列者が多く、総てが車で来られるので駐車係は大変でした。

私も昨夜のお通夜の後の打ち合わせで車の誘導の事が話題になりましたので「駐車場整理を手伝おうか?」と発言したのですが、「ぶっ倒れられたら大変だから」と一番楽な仕事を割り当てられました。

良かった!若し駐車場整理等していたら、今日の天気と高温ではひっくり返って救急車の世話になっていたかも知れません。

2時出棺の後、皆で後片付けをして、5時から公民館で遺族からのごちそうを食べて、火葬がから帰ってこられた遺族の挨拶を受けて解散。

今年のこの暑さは何なんでしょう? これ以上高温になったら死人が出るのではないでしょうか。 もう街では出ていますが。

 後4~5ヶ月でこんな風景になるのだが

公民館でごちそうをいただきながら「今日亡くなった人と同い年だから、順番から言ったら次は俺だから、遺言で自宅で葬儀をしてくれと言っておこうか」と話したら「真夏と冬はやめてくださいね」と言われてしまいました。

それほど応える今年の夏の暑さはただ事ではありませんね。

それでも、ここ京都北山山中は夜も涼しくクーラーがなくても生きて行けそうです。

山中で住める幸せを噛み締めています。

 

 


長崎原爆記念日・絶対三発目の原爆被害を防がねば

2013年08月09日 | 日本人が幸せになるには

「焼き場に立つ少年」

広島の原爆投下の後今日の日に又長崎にも非戦闘員の市民に非情な原爆が投下されました。

当時の長崎市民24万人の内149、000人が殺されました。

戦争とは惨い物です、この写真は死んだ弟か?妹か?を背負って火葬の順番を待つ兄の姿です

恐らく両親も祖父母も原爆で殺されていたのでしょう。小学校(当時は国民学校)4~5年生

(10~11才ぐらいか)ではないでしょうか。

悲しみをこらえた、凛としたツラガマエと姿勢を見るだけでも涙があふれて来ます。

「焼き場に立つ少年」

 世界で我が国だけです、原爆を落とされ多くに犠牲者を出したのは、それも国際的に禁止されている非戦闘員を

一瞬に焼き殺されたのです。

確かに、平和運動家の皆さんがおっしゃるようにこの地球上から核兵器が一掃されたらバンザイです。

敗戦の後すぐに核兵器反対運動が活発化したのは誰の為だったのでしょうか?

こんな惨い、非人道的な手段で非戦闘員を虐殺したアメリカが日本人の報復を恐れたからではなかったのですか?

アメリカを始め連合国の走狗になった当時の日本共産党等が中心になり、朝鮮戦争勃発からはソ連、中共等の共産国の走狗になった共産党や社会党が彼の国のために日本の国の非武装化に邁進して来たのではないのですか?

NPT(核拡散防止条約)>アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中共の五カ国以外の核兵器の保有を禁止する条約<

この5カ国は一応大東亜戦争の戦勝国(中共は戦後に出来た国ですが、ドサクサにまぎれて戦勝国を名乗っていますが)こんな都合の良い条約は当事国だけで批准すれば良い事でその他の国は無視すれば良い事です。

我が国はその上非核三原則などバカな宣言までして自分で自分の足を縛っています。まるで日本国憲法の第九条そのままです。

反撃をしない国軍(自衛隊)等は何の抑止力にもならないのです。今の自虐史観に毒された平和愛好家たちは我が国を守り、我が同胞を守る意思等ない、ただひたすら旧敵国(アメリカ、ロシア、中共)の安心の為にご奉仕する売国奴の群れにしか見えません。本人たちはまじめに平和運動が我が国の安全を守ると心底信じているから厄介なのです。

NPT(核拡散防止条約)自体が守られているのならまだしも世界ではもはや日本の核兵器開発を抑止するだけの役にしかたっていません。

この五カ国の内中共、ロシアの核ミサイルが日本に向かって数百発(数千発)がセットされています。

だけどナゼこの二国が核ミサイルで露骨に日本を攻撃してこないのか?

それは日本にあるアメリカの基地に、日本周辺の原潜等のアメリカの核兵器がこの二国に向いているからなのです。

日本人は支那人ロシア人は本気で不信感を持っていますがアメリカに対しては不思議に不信感を持っていないのです。

だけど、大東亜戦争のきっかけから、戦後のアメリカの占領地政策の正しい歴史を学べば、南北朝鮮や中共がチョロチョロ日本にチョッカイを出す源は総てアメリカを始め旧連合国の国々の思惑であると言う事が理解出来ます。

理解出来るまで真剣に学んでください。

国と国民を守る為に、三回目の原爆を落とされない為に、どうするか?

広島の原爆投下の日のブログを見てください。

「焼き場に立つ少年」のような子供たちを二度と作らない為にも。

 


3回目の被爆体験も我が国か? 防ぐには我が国の核武装しかありません

2013年08月06日 | 国防問題(寄らば切るぞが国防の基本)

68年前、敵国アメリカが同盟国イギリスの同意を得て、国際法を守らず非戦闘員を生体実験の意味合いもかねて原爆を広島に投下。多くの日本国民が焼き殺されました。

続いて長崎にも投下されて生き地獄の苦しみを受けました。

その後原爆の威力を確認した戦勝国と称する野蛮国が争って核兵器生産に狂奔し、他の国に核保有を禁じる核不拡散条約(NPT)を強要しましたがその後北朝鮮を始め核兵器開発を進める中、我が国は核兵器について語る事さえタブーになっていました。

世界で核攻撃で殺されたのは日本人だけです、それも非戦闘員が広島と長崎で、

我が国では核廃絶運動が戦後すぐに投下したアメリカや復讐を恐れるソ連などの手先になって特に左翼陣営から始まりました。

核廃絶運動が盛り上がりましたが世界で核保有国はふえる一方、こんな運動で日本の国を守られるのか? 話せばワカル国は地球上にはないのです。

これまではアメリカの核の傘で守られて来ましたが何時までもアメリカの属国に甘んじる日本ではありません。

それに、支那、朝鮮にこれほどイタブラレているのに対抗出来る核兵器を持たずに国を守る事は出来ません。

日頃見ないテレビですが今日は午後からBSのマカロニウエスタンを見ながら時々ニュースを見ると広島原爆記念日のことばかり、悪いのは落とした国だろう?

いつまでも我が国で「平和、平和と」念仏のように唱えているだけで、支那と北朝鮮とロシアの核ミサイルがこちらに向いている事をどのマスコミもこの時期言わず、「平和念仏教」を広める事に専念しています。

暴走する中共軍の跳ね上がりによる我が国への核攻撃、支那の指示による北朝鮮の核ミサイルか?

三発目の核攻撃を防ぐ為にもイスラエルのように核兵器による報復、先制攻撃を敵国に伝えなければなりません。

その上、広島長崎の原爆犠牲者の悲惨さを支那朝鮮の国民に見せる努力をすべきです。

広島県は支那朝鮮の小学生、中学生を夏休みに招待すれば反戦、反核、の効果が上がるのとチヤイマスカ?

日本人の多くはマスゴミを除いて、もうこの時期のイベントにはウンザリしているのです。そろそろ被爆体験者も鬼籍に入る人が多くなり、非体験者の語り部の養成をしている間に本気で対抗処置(核武装)を講じないと3回目の被爆を体験する事になります。

核武装廃絶運動、平和平和のお題目で我が国の平和が守られる世界状況ではなくなって来ているのを国民が認識する時です。

戦わずして国民の平和は守れません。総ては勝ち取らなければ得られないのです。

大国の属国に甘んじていると「近隣の何処かの国」のようになります。

「奴隷の幸せ」に甘んじるような国民ではないはずです。日本国民は。

追伸

マカロニウエスタンは爽快ですね。悪い奴が必ずかっこいいヒーローにやられるのですから。

「武力で奪われた物は武力でしか取り戻せない」

「武力で襲われたら、武力でしか守れない」という永遠の法則をこれほどはっきり見せてくれるのは爽快です。

「話せばわかる」で解決した事はありますか? 金や女を提供せずに。

 

 


第2回京都美山サイクルグリーンツアー

2013年08月04日 | カントリーライフ

8月3、4日に昨年から始まった京都美山サイクルグリーンツアーを開催しました。このイベントは新しい形のサイクルイベント・自転車が楽しいまち京都美山町が自転車の聖地をめざして昨年から始めたイベントです。

 

京都北山の最北端、旧美山町(現在は南丹市美山町)で「京都美山サイクルグリーンツアー実行委員会」(なぜか町民でない私が昨年から実行委員として参加しています。)が地域ぐるみ官民の各種団体が協力して開催しています。

今年は850人ほどが参加して自転車で走りまくり京都北山美山の夏を満喫されました。

詳しくはHP:京都美山サイクルグリーンツアー:を見てください。

こんなに参加者が満足出来る自転車イベントは他にはあまりないだろうと自負しています。今年参加された方は来年もまた参加してくださると確信します。今年の参加者の中でもリピータが多数を占めていました。

ただ心配なのは参加者ではなく地元の人々のもてなしに負担がかかりすぎて毎年の開催に重圧を感じるようになれば継続は危なくなって来ます。

地域活性化の為にと言うお題目でボランティアでの運営が続くと折角の今までの努力が終わる事になってしまいます。

こういう時こそ行政のバックアップが必要になるのですが往々にして恒例になりかけていたイベントを切り捨てる事が他でも有ったので心配です。

何とか続けて名実共に日本一の自転車の聖地になって欲しい物です。やり方はいくらでもありますが運営する人たちが息切れしないように応援する事が第一と思います。

私と妻は昨年も朝7時半から木製の体育館で140キロのロングライドに参加しない子供たちのチームに1時間半ほど野あそび(伝承あそび)を指導しています。

その後子供たちはグランドで安全走行の実習を受けて自転車で出かけて川遊び等のプログラムを楽しんでいます安全走行訓練

850人が朝7時半に各コースを最大140キロ走って戻って来ます。

そして午後4時から閉会式で盛り上がるはずだったのですが、4時に3分ほど前から大夕立でご覧の状態です。

土砂降り雨宿りするが降り止まず、閉会式を取りやめて解散。すごい雨でした。

850人が8時間にわたり140キロを子供も含めて国道等を走り回りましたが事故や怪我もなく無事に終える事が出来ました。

これだけでも大成功だったと思います。来年も開催出来るように皆で頑張ろう。


また韓国が・旭日旗(Rising Sun Flag)を戦争犯罪の旗とイチャモン

2013年08月03日 | 日本人が幸せになるには

旭日旗((Rising Sun Flag)を戦争犯罪の旗とマタマタ騒ぎ出しています。

>第二次世界大戦で使われた旭日旗が今も使用されている事は許せない<韓国サッカー協会は『国民に歴史的な痛みを想起させる象徴だ>と公表

同じく韓国外務省までが言い出しています。

日本と戦った事がない韓国がこんな発言することは「キチガイ」としか思えない。

大東亜戦争で直接対峙したアメリカやイギリスでさえ我が国の旗として文句を言ってこないのに、ナゼ韓国がガタガタ言うのか。

もし、日本サッカー協会がこの難癖を認めて日本のサポーターに旭日旗の試合での使用を制限する事の無いように願います。

そのようなことがあればサッカー競技自体の落日を迎える事になります。

 

ファイル:旭日旗.png

旭日旗は>太陽光線が四方八方に雲なく広がる意匠が「天晴れ(アッパレ)』として景気が良いとされ祝い事やスポーツの試合などで使用されていることがある。

現在では特にスポーツ等の場で日本国応援旗(Japan cheeringu Flag)としての意味合いが強い< wikipediaより。

もし、旭日旗のイチャモンを認めれば(認める事はなくても使用を控えるようでは)次には日章旗の使用にも文句を言って来ます。

その次には日本語をしゃべる事も平仮名やカタカナをも戦争犯罪の言葉として文句を言ってくるでしょう。

あげくの果てハングル(オンモン)に変えるように要求してくるでしょう、そうすれば韓国のように単純な思考しか出来なくなってしまい、世界に恥をバラまく国民になってしまいます。(ああ・・イヤダ、イヤダ!)

大東亜戦争で直接対峙したアメリカやイギリスでさえ我が国の旗として文句を言ってこないのに、ナゼ韓国がガタガタ言うのか、「キチガイ」としか思えない。

我が国が近隣敵国の内政干渉をハネノケル事から始めなければなりません。それには「富国強兵」を進めるしかないのです。

個人も国家も幸せと自由を求めるのなら勝ち取る努力をしなければ幸せも自由も得る事は出来ません。

与えられた自由と幸せは「奴隷の幸せ」なのです。日本人はいつまでも「奴隷の幸せ」に甘んじているのですか?我が子や孫まで奴隷の身分のままに。

内政干渉をこれほど続ける国は国際間でも最も嫌われるのになぜ歴代内閣は抗議して、対抗処置をとってこなかったのか?

「日の沈む国・韓国」が「日が昇る国・日本」をヤツカムのはわかりますが。それにしても韓国の最近の反日はそろそろ我慢の限界を超え出しました。

追伸

ちなみに、大韓民国統一教会の紋章も旭日旗を取り入れています。

その上、日本最大の反日新聞「朝日新聞」の旗も旭日旗です。

韓国民の皆さん.韓国政府もこれにはイチャモンをつけないのですか?


またモンベルサロンでパラグラーダーからの空撮写真展をやります

2013年08月01日 | カントリーライフ

春にモンベル京都駅前店のサロンで京都北山の良さを知ってもらおうと個人で「京都北山展」を開催させてもらいました。

ただ美しい写真を並べるだけでは月並みなので北山杉の板にプリントした物を展示しました。思った以上の反響がありました。京都だけではなくて開催して欲しいとの要望もありました。オダテに弱い私ですからツイツイその気のなって秋には奈良のモンベルサロンで、来年の2月か3月に東京のモンベルサロンで開催出来たらと思っています。

思いついたらすぐに実行しないと気が済まない質で、早速昨日大阪のモンベル本社に出かけて竹山広報部長、工藤常務、辰野会長にお会いしてお願いして来ました。

私の北山店開催のお願いは付け足しで、本当は春の北山展でも写真提供をしてもらった柳田さんのパラグライダーからの空撮をパノラマ写真にした「京都北山空撮写真展」(仮称)のお願いに柳田さんの運転で出かけたのです。

サンプルに幅180センチのパノラマ写真を4枚持って行きました。比良山から飛び立ち琵琶湖上に飛び出して比良山を写して湖岸に着地すると言うような離れ業もあり大迫力でした。

写真展には京都北山をホームグランドにされているので空中から見たパノラマ写真は北山好きの皆には是非見てもらいたいと思います。

9月下旬に開催出来ればとお願いしています。日程が決まればこのブログでお知らせします。

もう一つモンベルサロンで開催をお願いして来たのは内田嘉弘さんの山の絵画展もお願いして来ました。内田さんと一緒に近々正式にお願いに行こうと思っています。

京都北山の魅力をドンドン紹介して行きます、モンベルサロンを使わせてもらって。

来年春には私自身の『京都北山展2」を開催したいと張り切っています。ただ来月になれば私も後期高齢者の仲間入りです、どこまでやれるか精一杯頑張りますので応援をお願いします。