京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

我が集落の葬儀・住民がそれぞれの役割を持つ

2013年08月11日 | 死について

京都北山山中の我が集落で午後1時から葬式がありました。

全戸数15軒ほどの小さな集落ですから誰かが亡くなると皆が協力して葬儀を執り行って来た歴史があります。

私がここの集落に移り住んだ三十三年前はまだ土葬でした。墓堀に当たった人は朝から墓穴を掘りに共同墓地に赴き穴が掘れるまで戻らずに昼食等も現地に運んで行ったのをおぼえています。

さすがその後は火葬場に運ばれるようになりました、最初に火葬されたおばあさんは「熱いのに可哀想」と同情の声が他の女性からあがっていました。

特に最近は京都市内の葬儀場で済まされる事が多かったのですが今回亡くなった方(私と同い年)は自宅から葬式を出して欲しいとの遺言でした。

今は葬儀社が総て段取りをしてくれますのであまり我々が手伝う事は少なくなったのですがそれでも各戸から戸主がでて手伝います。

今回私は受け取った香典を針で糸を通して保管をする役目でしたから一番楽な仕事でしたが、それでも連日の高温で海抜450メートルの高原も30度以上の高温で駐車場整理を割り当てられた人たちは顔や出ている腕を日焼けで真っ赤にして頑張っていました。

亡くなった方がこのあたりの林業のボス的な人だったので集落外からも来られる参列者が多く、総てが車で来られるので駐車係は大変でした。

私も昨夜のお通夜の後の打ち合わせで車の誘導の事が話題になりましたので「駐車場整理を手伝おうか?」と発言したのですが、「ぶっ倒れられたら大変だから」と一番楽な仕事を割り当てられました。

良かった!若し駐車場整理等していたら、今日の天気と高温ではひっくり返って救急車の世話になっていたかも知れません。

2時出棺の後、皆で後片付けをして、5時から公民館で遺族からのごちそうを食べて、火葬がから帰ってこられた遺族の挨拶を受けて解散。

今年のこの暑さは何なんでしょう? これ以上高温になったら死人が出るのではないでしょうか。 もう街では出ていますが。

 後4~5ヶ月でこんな風景になるのだが

公民館でごちそうをいただきながら「今日亡くなった人と同い年だから、順番から言ったら次は俺だから、遺言で自宅で葬儀をしてくれと言っておこうか」と話したら「真夏と冬はやめてくださいね」と言われてしまいました。

それほど応える今年の夏の暑さはただ事ではありませんね。

それでも、ここ京都北山山中は夜も涼しくクーラーがなくても生きて行けそうです。

山中で住める幸せを噛み締めています。