鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

小学校の同級生の葬儀に行く

2014年01月06日 | 死について

毎年2回ほど小学校の同級生が京都駅前で食事会をして旧交を暖めあっていた石井修三(元台湾オムロン社長)が正月3日に肝硬変で亡くなりました。10年以上の闘病生活でした、最近は週に何回かの透析に通っていたようです。

昨夜が通夜で今日10時半から八幡市カトリック教会でありました。

(小学校時代)彼の家は私の実家から100㍍も離れていませんでした。小学校五、六年と同じクラスで学びました。

中学校も高校も同じでしたがクラスは違いました。

小学校時代彼は頭が良く、勉強もできましたので前期はいつも級長を務めていました。そして、何故か?後期は私でした。

オムロンに入社して最初の給料で私たち同級生数人を岩崎宏ピアノリサイタルに招待してくれました。

丁度その頃の映画「愛情物語」(エディージューティン物語)のツーラブアゲインなどを演奏されていました。

その頃の音楽会会場は岡崎のスケート場キョートアリーナだったか?アイスパレスだったか?(冬以外は氷はありません)で折り畳みイスを、周辺部は長椅子を並べて聴いていました。

この長椅子を私がひっくり返して会場中に響き渡り冷や汗をかいたのを思い出します。

イロイロ、思い出すことはありますが男の同級生で何時もの食事会に出ていたものは亡くなってしまい、石井と私だけになっていました。

先月12月5日の食事会にはとうとう出て来れませんでした、そしてこの3日に肝硬変で亡くなってしまいました。

オムロン退職後はキリスト教の宣教師になる資格を取るのだと勉強していました。そして、今日自宅に近いキリスト教会でアウグスチヌス石井修三の葬儀ミサと告別式が執り行われました。

私は白菊を手向けて2礼2拍手1礼の神道式で御霊安かれと祈りました(もちろん拍手は忍び手で)

次回食事会は日頃参加していない同級生(男は大分死にましたが)にも声をかけて石井修三を忍ぶ会にしたいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 正月五日・氏神さまの初詣と... | トップ | 川が美しくなれば気持ちのよ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

死について」カテゴリの最新記事