細越麟太郎 MOVIE DIARY

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●『楽園』の分かれ道からの真相は、原作本を読んだ方が解明するだろうか。

2019年09月17日 | Weblog

9月3日(火)13-00 飯田橋<角川映画試写室>

M-070『楽園』(2019)角川大映スタジオ、<楽園>製作委員会

原作・吉田修一 監督・瀬々敬久 主演・綾野 剛、佐藤浩市 <ビスタサイズ・120分> 配給・KADOKAWA

むかしは、といっても、つい最近の<昭和>では、日本の風景を映画で見るのは、小津安二郎の描く<家族>や、木下恵介の<人情>だった。

そして山田洋次監督の<男はつらいよ>のシリーズが、いかにも質素で人情豊かな<和風>という時代の、善良でつつましい家族の姿をスケッチした。

<平成>から<令和>となって、基本的に日本の姿は変わっていないにしても、その背後で起こっている事件や悲劇は、どこかしら変質化してきているようだ。

この作品の事件も、信州の片田舎で起こった少女の失踪事件と,その後の住民生活の不安とか、低迷を描いて、ちょっとあの「砂の器」の画質を思い出す。

事件は連日、現実の多くの悲劇を生み、それはテレビや新聞の記事として一瞬は表面化したものの、あとは<迷宮入り>となって葬られるケースも多いだろう。

信州の村はずれの山道のY路地で、少女が行方不明になり、それによって混乱していく家族や周辺住民の動揺を描いて、そこには警察の捜査はとくに描かれていかない。

われわれの見慣れた都会での犯罪映画などでは、名探偵や警察が登場して、いかに複雑な犯罪でも推理と追跡で、最終的には犯人を逮捕や殺害で解決する・・・が。

多くの都会犯罪映画、とくにメグレ探偵のパリや、マーロウ探偵のロサンゼルスでは、巧妙な推理と銃撃で、悪漢は最終的にやっつけてしまうのがパターン。

しかし、黒澤明の「野良犬」や、野村芳太郎の「砂の器」では、もっと泥臭い日本人の体臭を感じさせる犯罪の湿度を描いて見せて、多くの名作が残っている。

この作品でも、その日本人の体質のような犯罪の湿度を見せて行くが、綾野剛の追求される前半と、佐藤浩市を見つめる後半の視線が、どうも分離して見えた。

おそらくこれは<映画>という視覚作品の多重構造のせいなのだろうが、「64-ロクヨン」のようなシンプル=ストレートなミステリーには見えなかった。

 

■高く上がった左中間のフライを野手が譲り合って、ポテン。 ★★★

●10月18日より、全国公開


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