芭蕉の風雅の世界を、話のマクラにして、私なりの 苦し紛れの風雅を申し述べました。いったん、栗の花について、書いてみますと、その後が気になるもんです。、雄花は、殆んどが、茶色に変色して、時おりの風に乗って地に舞います。「閑花地に落ちて 聴けども 声は無し」です。▼ 雌花を撮った枝に近ずき、観察いたしました。閑人(ひまじん)は、こう言うこと、すぐ実行できます。
直径5ミリの小さい栗が、育っておりました。周りには、細い鋭い棘が生えそろっております。まだ、雌花が白く花開いております。殆んどの雄花は茶色く変色して、落ちだしました。それでも、上部には雄花多少のこっており、その花粉を待っているのでしょうか。健気にも、可愛い雌花が一つまだ花びらを開かせております。あっそうか、栗はイガの中に、3個くらいの実がはいってるのは、雌花が幾つもあるからか!?
罪は男に 罰は女に 栗の花 (鷹羽 狩行)
この句の作者は、どういう方か、存じませんが、意味深な表現に興味がそそられます。役割を終えると、たちまち落下する雄花に、哀れを感ずるのですが、自然は、そう無駄なことをいたしません。必要なくなったら、余計なエネルギーは使わない。これが自然の良いところでしょう。
「 罪つくり・・ 」 この言葉、男 心を揺さぶるものです。さる【お酒飲み処】で、若い子に隣にヒタリと座わられ、「マア~、どうぞ。素敵なネクタイ、お若いわね~。」なんか言われて、ついつい余計に召上ってしまいます。幾つになっても、この「罪つくり」の心情が、抜けないのです。。だいたいネクタイを先に誉めるなんて、ほかに誉めようがないらです。
身重の苦労・産みの苦しみ・・・。「 罰は女に・・・ 」 こういってしまうと、みもふたも無いのですが、今日、子供は、国の礎であります。国を挙げて少子化問題に取り組んでおります。
栗には、頑張って、沢山の実をつけて頂きましょう。人間、学ばなくては!
■ 万緑 叢中 紅一点・・・・
今回は、栗の花のその後の様子で、終わろうとしておりました所、思わぬ俳句に、出会ってしまいました。もっとも、お話のネタ元が、俳句歳時記などに頼っているからですけど・・。以下、ザクロの花についてであります。
花石榴 燃ゆる ラスコリニコフの瞳 (杞 陽)
「 ラスコリニコフ 」 なつかしい名前に、めずらしく出会いました。あのドストエフスキー「罪と罰」の主人公です。この小説は、昔々に読んだだけで、すっかり記憶のそとです。
ラスコリニコフは、元大学生、たいへんな美青年です。しかも、非凡な才能の持ち主です。個人主義者で、意志の自由な発現こそが、人間の個性的実存の究極の在り方だと、確信します。そして、自分は非凡人であるが故に、凡人である、非情な金貸しの老婆を殺しを、実行してもよしとするのです。▼ 非凡人の才能の開花は、凡人の犠牲の上に成り立ちうるか?、大変に重いテーマを、罪と罰は、論じ続ける長~いお話です。今では、こうした重いテーマは、頭が痛くなるばかりです。鮮やかな真紅のザクロの花を、《燃ゆる ラコリニコフの瞳》と見立てた、俳人 杞陽さんの真意を知りたいところです。どのように燃える瞳なのでしょうか。己の打ちたてた理屈に酔う瞳、挫折と深い悔恨に根ざした、惟一点を見つめる瞳・・・。
万緑 叢中 紅一点・・・。緑陰は、ますます濃くなってきました。ザクロは、陽気な花のイメージです。目立ちます。なんに例えるでもなく、だだ、その真紅の花容が、大好きであります。
調べましたところ、花言葉は、【 円熟の美 】だそうです。この方が、シックリ来ます。円熟か~!いい響きです。
多数の種子をのぞかせる熟れた時のザクロの実、【 子孫繁栄の印 】と言われております。また、その絵を、飾って置きますと、【 子宝に恵まれる 】とか、まだの方は、お試し下さい。
国を挙げて、少子化問題に取り組んでおります。いっそのこと、「ざくろの木一本運動」でも如何でしょうか。各家庭に植えるポイント券発行・・・・・。だめか!だね~。これは、
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