諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

沼までの道 小景

2011-01-28 18:52:08 | 日記・エッセイ・コラム

 沼までの道は荒れていた。殆んど人の往来はない。この道は、田畑に行き来する人々の日常生活の情報交換の場でもあった。いまや「道」は、この生活圏には入っていない。

 野うさぎや 枯れ草道に 日は暮るる 夢蔡ー

 荒れ畑や つぐみひと飛び はすかいに ー呆告

0110129_019 荒れ草道の利用者 スズメ・椋鳥・ツグミ・ヒヨドリ・ショウビタキ・カワラヒワ・キジ鳩・雉。食料としの草の種。

 木枯しをもたらした気圧配置は、去った。冬至から数えれは40日、日没は30分以上は延びている。風のない日は、陽光少し強く感じる。

 三寒は風の道なり枯れ野川 四温に陽を貯む枯れすすき  ー夢蔡ー

0110124_004 川も人々の生活圏の外側にいってしまた。ただの排水処理設備の一部である。川原は下りられない。荒れ葎で腰まで埋まり、身動きできない。

  風やみて老びとひとり畑に立ち 粗朶を焚きいて春を待ちいる ー夢蔡ー 

0110124_006 写真奥は、冬 葱。手前は、白菜。「寒風に耐えて冬ねぎ列をなし 旨みたくわえ出番まちいる」ー読み人知らず} 

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 「 もともと地上には、道はない。歩く人が多ければ、それが道になる 」ー魯迅「故郷」よりー

 ▼けれども 私たちの周りには、人の歩く「道」が無くなってしまった。完全舗装の農免道路を軽快に車が走る。人々には会話が成立しない。瞬間的にすれちがい、数秒のうちに互いに何をしているかわからなくなる。▼日本は便利の洪水だ~!」と驚いた外国の人がいた。その人は、更に言った。「 便利さとは、人間にとってすべて“善”とは限らないのだけれど・・? 」と~。

 「 希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。」ー魯迅「故郷」よりー

 ▼ 「道」を取り戻すためには、多くの人が歩けばいい。そうすれば、「無縁社会」と言う無味乾燥な言葉で呼ぶことのない「希望の国」を創ることが出来るかも~


大寒の空 蒼から茜へ

2011-01-23 18:21:41 | 日記・エッセイ・コラム

 冬型の気圧配置が強まる。日本海側は雪で、雷が鳴って強く降る所も・・。しかし、雪雲は、北西から南西に続く高い国境の山脈を越すことはできない。更にまた、真北に聳える赤城山の頂に引っかかる。北関東の平野は、乾燥した風だけが、猛烈に吹き降りる。▼ 7:00AM~・晴れ。 赤城山頂に小さく雲が掛かっている。不思議と静かである。霜一面、気温は低く風の予感。

 9:30AM~。木枯しが、吹き始める。巨雲の塊が西から東へ次つぎと流れる。

 木枯しは赤城の嶺を崩すごと 雲巻き上げて吹きすさみけり  ー夢蔡ー

0110114_002赤城山頂にかかる雲】 山の北側は、雪である。山頂も雪。大沼は結氷。

 3:30PM~。風はまだ強い。人間は、萎縮するけれど、愛犬モモタロウは、散歩を要求する。彼にとっては定刻である。

  寒き風 川沿い荒あら吹きぬける 犬耳を伏せ われは襟をたつ 夢蔡ー

0110106_020短日の川面】 ざら瀬の向こう側の淀みに傾きかけた陽光が映りこむ。河原は、荒れている。

 4:30PM~。風は弱まる。「北風と日雇い土方は日暮れて終わる」(前にも書いたッケ~

 吹き降ろす風の形に寒あかね ー夢蔡ー 

 少年黙し 村おくに消ゆ ー手抜太郎ー

0110106_003西の山端より、延びる雲の流れ】 この後、日が完全に没する頃には、東へ去り、そして消えた。

 身をすくませる寒い木枯しの一日でした~

 僕はひどく老いこんだ、多くのものを背後に残してきた。僕は、自分の窓からピカピカ光る大きな円盤のような太陽を見る。あの下辺りに人間がいるのだ。ーサン・テクジュべりー


睦月の夕景ーvol 1

2011-01-15 18:03:21 | 日記・エッセイ・コラム

 冬の日暮れは早い。瞬く間に辺りが暗闇に沈む。急速に冷え込みはじめる。人影は、ない。真冬でも、移動性高気圧の中心が、北関東の真上にあるときは、ほとんど風がない、そして、雲ひとつ無い空が真っ赤に染まって、暮れなずむ。

  冬夕焼け 浅間描きし 絵となりぬ  ー夢 蔡ー

  からす飛び翔け 声こだまして   ー寅 三ー

1205_043 浅間山夕景 かっては、この辺りからの夕焼け浅間に、高圧線、電柱などは写り込む事はなかった。♪「夕焼け 小焼けで・・#」 カラスの声を響かせれば、日本の″原風景″と言うことになりますもので・・~~ 

  山の端が、黄金色に縁取られると、同時に沼も輝いた。しかし、それは長くは続かない。太陽が、完全に没すると辺りは急速に闇に囲まれる。

 寒あかね 沼の水面を染め抜きて 浮寝の鴨の 夜をなぐさむや  ー夢蔡ー

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 カモたちは岸辺に向かって泳いで行く。水が引けた所の雑草群落にもぐり込ためである。しかし、群落の場は狭い。先客が多ければ、文字通り、今宵は、“浮き寝”で過ごさねばならない。

 今晩は、無風だ。荒立つ波に安眠を邪魔されなくていいのだが、放射冷却が、強まり、この分では、水面は結氷するだろう。

 自然は手抜きをいたしません。どちらにしても状況は厳しいものであります。~ 

 僕らは夜の中に落ち込むはずだ。夜が明けるとき、どうか僕らの国がまだ存在するようにしたいものだ。この国を救うには何をなすべきか ーサン・テクジュべりー

 

 

 


冬日和の遊心

2011-01-07 21:56:26 | 日記・エッセイ・コラム

 沼は、元禄年間、約400年前に、この地域の水田のために開かれた。面積は、5町4反。(換算して54000平方か) 歩いて、一周すると、丁度、一キロとなる。▼ 日本の伝統文化の中に、土木事業への執念を入れておかないと、片手落ちになるだろう。つい最近まで、沼の堰堤のコンクリート化・水田の圃場整備事業をやっていたものである。▼ 道路は舗装され直線的である。木製の杭はない。側溝はコンクリートで、流れに淀みはない。

  初鴨や 水尾みお光して 進みいる ー夢 蔡ー

     冷たき水に 身体ひきしめ  ー鳥見人ー

 1205_004【沼の鴨】 カルガモ、コガモ、オシドリ、カイツブリが、留鳥として生活している。数百羽はいるだろ。天敵は、全くいない。強いて言えば、岸辺付近の新興住宅をうろつく野良猫くらいか。

  鴨たちの採餌風景

   ものみなの影は寒ざむ沼は冬 鴨群れなして 水底あさる ー夢 翔ー

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  有名な水鳥たちの飛来地とは違い、餌を撒いてくれる人はいない。1~2羽が、底の泥をかき回した後に、十数羽が回転しながら、水面を嘴ですくう。

 ▼はたして、彼らの胃袋を満たすだけの食い物が沼の底から浮き上ってくるのだろうか。

 「自然をせきたてると、まもなく衰弱におちいり、、その生産力、その生殖力を全くうしなってしまう。」 -モンテスキュー(ペルシャ人の手紙114)

 


平成23年 卯年に歩く

2011-01-03 18:37:09 | 日記・エッセイ・コラム

  寒晴れや 鷺の白さの 眩しかり  ー夢 蔡ー

      真白き暦 いかに埋めなん  -ピョン太ー 

  毎日歩いている。自宅から、粕川土堤に出て、川沿いに伊佐久沼まで歩く。沼を一周する。それから、県道沿いに帰ると、一時間・約4キロとなる。▼此のところ、西高東低の気圧配置で木枯しが吹きまくっていたが、 【三寒四温】で、移動性高気圧の中心が、真上に来た。 風無く、雲なく、蒼い空、冬日和である。

      国境の 山なみ白く 輝きて 遥けし彼方 希望ありしか  -小鷺ー

     「サア~ どうでしょうか 雪は今年も深そう

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1205_012 【沼の白鷺】  本来は、渡りをするようだが、この沼には、数十羽が棲み付いている。沼は完璧なコンクリートの護岸工事の結果、生物相は、薄い。冬は特に厳しい。餌にありつけなかったようだ。立ち尽くしていただけである。徒労感・・・が残る。

  われわれと、地獄または天国との間には、この世で、最も、もろい物である生命が、介在しているだけである。 ー パスカル 「パンセ」 213-

 私たちの生き方は、もろい生命体に対する配慮を著しく欠いている。自然は、急がない。急激な変化は、いずれサイクルを崩壊させる。