諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

花の思惑-誰が為には 咲きません

2008-07-31 23:25:59 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390115   【 烏 瓜 の 花 】

 垣に咲き  あるじも 知らず  からすうり

      水原 秋桜子

  一夜限りの  愛は 悲しも   夢 蔡 

 

 撮影したのは、午後8時30分である。あまり強くない 懐中デンキを当てただけ。花の中心にピントはいかなかったが、花の萼から 絹糸の様な純白の粗毛を出して、周りの葉、花同士に絡みつき、花粉の受粉効果があがる様に、思い切り外のほうに、突き出している様子が幻想的に撮れた。この花は、雄花である。雌花は、雄花の奥、蔓の真ん中に単生して、時を待っている。光の中を、小型の蛾が飛んだ。羽虫も多い。鼻を近づけると、微かに甘い香りがする。媒介者の虫たちには、それで十分だろう。【 カラスウリ 】という名前は、初冬の頃まで、真っ赤な果実が、樹上に永く残って居るので、きっと、カラスが、食べ残したのではないか、に由来する、とか。

 雄花は、翌朝 午前8時頃には、その役割を終えたのか、萎んで落下してしまう。何だか、世のオトウサンの末路みたいで、哀しいと言おうか、憐れを誘う。「 花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき 」と、か弱い女性の生き方を形容したけれど、これは、嘘である。受粉した雌花は、しっかりと生きて 実を結ぶ。 ▼ 厚労省の発表によると、日本人の平均寿命は、女性 85.99歳 男性 79.19歳で、過去最高になったと言う。結構なことだが、♪ 大和男子と 生まれなば  散兵線の花と散れ~#はイヤです。、♪ 俺も生きたや  俺も生きたや  恋のため~#(流 転 昭12の歌謡曲)といきたいです。( この引用は、古過ぎ )

★ 続いて、【 布 袋 草 】 の 登場。 毎年、睡蓮を生やした水瓶の中に入れて、水の汚れを取り除いていた。水の中に浮かせて居るだけでは、あまり大きくはならない。花も小さい。寒さには、弱く、管理しないから、冬に枯らせてしまう。今年は、大株を、近所の友人に貰って、下に土を入れた水槽を作り、根を張らせた。結果は、人目を惹く、花を咲かせた。じっくり観察するのは、初めてである。

 【  布 袋 草 の 花  】

 

 布袋葵  和蘭水葵  葉柄のふくらみを布袋の腹に例えた名。熱帯アメリカ原産。明治中期に渡来。池や水盤で栽培するが、暖地ではよく茂り、水田や溝に雑草化する多年生草本。上部の花弁のデコレーションは、見事と言うしかない。花全体は、薄い紫で、中央に向かって濃くなっているが、上部の花弁だけは、紫を一段と濃くして、しかも、黄色を配色する。コントラストの妙、妖艶して、まことに目立ちます。(牧野日本植物図鑑を参照)

 上部花弁の紫色の中央と、黄色の部分の綾は、正に、【 スイート・スッポト 】・【観音様の後光】である。(花について、書き込んでいると、小沢 昭一風に言えば、相当に、助平な方向に話が進む。言い訳がましいか。何せ、花とは、生殖器そのものだから。)  ▼ 目を凝らして見ればCa390109、関税官だってお手上げするだろう、【秘密の花園】のコピーではないか! 虫たちを引き寄せるだけなに、この花は、其処までやるのか!と言ってはみたもの、考え過ぎ。と言われれば、マアその通りで・・・ある。 昆虫にとっては、偽装にしか過ぎないが、黄色の信号に向かって、まっしぐらに飛び、花の中心部にもぐりこんで、蜜を吸う。この時に、花粉は、雌しべへと運ばれる。そうして、初期の目的は果たされて、共生者は、互いに満足する。たしかに、それ以上のことは、穿ちすぎである。

Ca390118 早朝に咲いた花は、夕刻には、茎が真ん中より折れ曲がり、水中に没しいた。(翌日に撮影) これは、如何した事か・・・・?

推測するに、受粉は完了したので、【花】の役割は終わった。何時までも水の上に顔を出している必要は無い。水上生活する動物に食われるかも知れない。水中に没することで、それを防ぐ。後は、根からの栄養で生長し、じっくりと、種を結べば良い。こんなところである。科学な世界で、99.9%は、仮説であるという本が在るくらいだ。此のくらいの仮説は、許されるだろう。

 ★ 生物は海の中に誕生した。最初に、陸に上がるのは、植物である。以来、4億年経ち、いまや植物は、100万種を超える種に、分化し、たくましく生きているそうである。植物と動物の分化については、どこから、どう分かれたかは、定説はなくいようだ。植物が、光合成という能力を、どのようにして獲得したかは、謎である、とか。

   「 植物は、じつは、したたかで、しぶとい生き物なのだ。・・・・・あの、色とりどりの、さまざまなかたちの花々も、もとをただせば、ひとえに虫の目をひきつけたいがために考えだされた『 しかけ 』なのだ 。」 (誰がために花は咲く 大場 秀章著 光文社)

   植物は、『 たくみ 』 である。閑人の徒然と、戯言には、いい材料を提供してくれる。

    布袋草 緋目高入れて より咲きぬ   中村 若沙

    さて また申し 暑さ ひとしを   夢  蔡


【小癒見(こべしみ)】はかく語りき

2008-07-31 16:07:31 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390106 2.「 奢れる者は、栄華の巷を低く見ずに、溺れる。 」

 ♪ 嗚呼 玉杯に花うけて  緑酒に月の影宿し(・・略・・)

 ♪ 芙蓉の雪の精をとり  吉野の花の華を奪い  清き心の益良男が 剣と筆をとり持ちて  一たび起たば何事か  人世の偉業ならざらん ~#

♪   濁れる海に漂える  我が国民を救わんと  逆巻く波をかきわけて  自治の大船勇ましく 尚武の風を帆にはらみ  船出せしより十二年~ #  (矢野 勘冶作詞  明治36.2月発表)

★ 明治35年 1902年は、日英同盟が成立した年であり、2年後、日露戦争が始まる。時代は、騒然としている。こうした時節に、苦学力行の結果に、国の選良とそて席を得る。歌はその気概であり、決意表明は、おおいに、結構なものである。しかし、100年と少し過ぎた今日では・・・・・・。 

★ 平成10年 (1998年) 4月29日 日記を、其のまま書き込む。 

■ 能吏の実像   「 調整に酔い、時代遅れ 」   『 終焉 ・ 日本型システム 』と言う、 シリーズの見出しである。(ASA新聞) 経済部 記者 署名あり。

「  国造りのグランド・デザインを描くのではなく、予算、法案を順調に通す根回しの功拙、関係業界の言い分を聞き入れ納得させるのが、『官僚の力量』の尺度だった。・・(略)・・ 」

★  いまや、 「 官僚 」は、醜聞を垂れ流している。要するに、能吏たちは、(彼の匙加減の能力)は、群がる金融・証券・生保・土建、その他総ての業界団体の宴席に招待され、選ばれし者として、酔いしれた。宴席に招待された見返りは、「税金」としてプールされた、国民の財産を、分けばら撒き、上手く使うことである。▼ 例えば、 ノーパン・シャブシャブは、下品で、愚劣極まりない。こうした遊びを無神経に出来る人間が、金融に関して、世界の国々と交渉に当たる。それって、信用出来るかね。それに、スキャンダルに関わった人は、国内向けに、色々言って誤魔化しているだけである。、マスコミも、証拠不十分で、攻め切れていない。政・官・財となると、及び腰で、最後まで追求しない。しかも、マスコミは、自分たちの日本的スタンダードでモノを言っているだけだ。内向きの記事しか載せない。▼ 凡そ、対外的交渉とは、情報に基ずいた、戦略、戦術のぶつけあいだ。日々、ジャパニーズ・ウオチャーは、巷間に流れ出る情報を、精査しているだろう。日本の情報発信力の無さは、笑い者にされているに、、チガイ ない。 ▼ 結局のところ、「 栄華の巷を低く見て 」いる間は、我慢する時期で、権力を手にすれば、栄耀栄華の気分を味わう事が出来る。その為の「 船出せしより十二年~# 」だった、と言う事になる。従って、歌詞とは、逆で「 濁れる海 」に漂える国民は、全く、救われない、結果と相成る。( この文章は、【小 癒 見】が、記者の意見を参考に、敷衍したものである。)

Ca390070_2 【 小 癒 見(こべしみ) 】は、続けて 言う。

 この記事を、まとめた経済部の記者氏に一言。まずは、記者氏の意見から。

「 戦後、官は 天皇のものから、『 国民すべての奉仕者 』になった。その原点に立ち戻り、あらゆる情報、組織の力量を生かした将来構想を、納税者、そして、国会に示していくことが、行政再生の第一歩ではないか。国民も、傍観者でいられなくなるだろう。 」 

▼ 建前としては、結構な意見である。誰も反対は、しないだろう。しかし、この点にこそ、詰めの甘さがあるのだ。 日本の良識を代表する〔 それほど、大上段ではないかナ ?最近では )天下の大朝日の 第一面に署名入りで、書くことが出来る、記者氏は、そこいらの駆け出しとは、わけがちがうだろう。「 原点に  立ち戻り・・・  」 だって・・? こんな言い回しは、カビの生えた修辞だ。悪事を働き、バレた奴が、反省の会見で、「  初心に帰り・・・・。 」なんて、言い訳をする。こうした慣用句で終わってしまう事例は、この国では、日常茶飯事だ。大日本帝國時代は、帝大、陸大、陸士のエリート達が、天皇の名に於いて、国を壊滅させた。( このエリート達は、学歴主義が、生み出した 官僚軍団なのだ。 ) 戦後60年たって、今日では、民主主義体制と 国民の名に於いて、【 官僚と政治家・業界 】集合体が、総てを、欲しい侭にしている。この体制は、彼らによって、自らの利益追求のために、独占的に利用された。、民主主義という社会体制は、全くと言っていいほど、機能せず、アノミーの状況を生み出している。まずは、ここから、出発するべきである。

▼ 「 国民も 傍観者で いらなくなる。 」 確かに、その通りである。国民は、タックス・ペイヤーとしての自覚も薄い。と言うよりも、伝統的に、民が、税をコントロールした歴史はない社会である。一般大衆は、日常生活が、忙しく、1000円、2000円で踏み迷っている。或いは、こういってよければ、踏み迷うように、コントロールされている。情報開示が、恐ろしく制限されている事の事実が、それを、証明するだろう。

▼ 記者氏よ、貴方は現役のプロだろう。一般大衆と違い、かなりの情報に接する立場に居るはずだ。「 国民も・・・・」 どうして、此処で、主語が、入れ替わるのか。この入れ替えは、明らかに、論争を避けている。せっかくの署名入り記事なのだ。主語は、最初から貴方だ。「 オレは、傍観者ではない。事実の総てを、記者生命に賭けても、取材し、読者〔国民)に、真実を、伝えるつもりだ。 」 くらいの大見得が、有ってもいいのではないか。中途半端な告発は、結局は、当事者たちを、安心させるだけだ。

※ 注 添付した写真は、【 フ ヨ ウ 】 である。アオイ科の落葉低木。東アジア暖地原産。夏から秋にかけて淡紅もたは白色の一日花を開く。観賞用、樹皮は製紙に用いる。花芙蓉、白芙蓉、紅芙蓉、酔芙蓉、芙蓉一花。 この花が、咲く時期に、一高寮歌の 「 芙蓉の・・・ 」のフレーズを思い起こしている。この寮歌を、使ったコラムを、書くときには、「芙蓉の花」を添えるものと、決めていた。しかも、「 芙蓉の花の 精をとり 」だと思っていたから、始末に悪い。〔反省) 寮歌の芙蓉の雪は、芙蓉峰の雪、つまり、富士の高嶺の雪とすれば、いいわけだ。

  ♪ 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪にかわりは ないじゃなし 解けて流れりゃ みな同じ ~#

  どちらかと言うと、少々デスペレートの感はぬぐえませんが・・・。

 ★ 人々は、日常的に、瀕死で、危うい生をいきている。今日、特徴的なのは、人々の具体的な現実が、その原因・結果を、明確に意識されない様に、巧みな修辞法によって、表現されていることだ。人々が、抱え込んでいる現実的諸問題に 迫るための方法や、手段を提起することない、その多弁さは、実は、限りない ≪ 空  白 ≫ を作り出しているに、過ぎないのだ。

 


『 飛行機王の里 』 異聞

2008-07-28 16:05:18 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390666  ♪ エンジンの音 轟々と  隼は征く雲の果て  翼に輝く日の丸と  胸に描きし赤鷲の   印はわれらが 戦闘隊~#

 ♪  寒風酷暑  ものかわと   艱難辛苦  打ち耐えて  整備に当たる 強兵が  しっかりやって  来てくれと  愛機に祈る  親ごころ ~#    ( 作詞  田中 林平 )

★  「 飛行機王の里 」 宙に  ( 00.09.04  JOM新聞の見出し )  中島飛行機製作所の創始者 中島 知久平が、両親の為に建てた邸宅( 昭和6年 中島御殿 )は、敷地10000平方、床面積1000平方の豪邸である。これを、町が、買い上げて、「 飛行機王の里 」つくりを計画した。 ところが、この計画に参与した中島源太郎代議士が、平4年に、急逝する。さらに、邸宅には、30年間もの間、甥夫婦が住み込み管理していて、立ち退きを拒否いる。したがって、計画は、中断のままである。新聞記事は、そう伝えている。 ▼  「○*☆◇の里」づくりは。ふるさと創生資金の大盤振る舞いの結果、流行ったものだ。O 町役場入り口の大看板 「 大和芋の里 」が、揚がっている。むしろ、町の主力産業の一つである「 芋 」を、もっと前面に押し出して、資金投入をして、地場産業振興策を更に進めることの方が、地域にとっては、大切な事だろう。突然に、降って湧いた資金で、見世物興業的な趣向の「 里 」づくりを計画するのは、如何にも無理で、想像力貧困の発想と言うしかない。「 宙 」に浮いている事の方が、むしろ、正解ではないだろうか。(注;1)

★  以下は、08年7月27日現在までに、知りえた事を、付記して書きしるす。

▼  中島飛行機製作所の主な生産機種と機数は、凡そ次の通りである。

 ○ 零式艦上機(海軍) 約 6、570機  昭和15年7月正式採用。

 ○ 一式戦闘機 「 隼 」(陸軍)  3、187機  昭和16年7月制式採用。

 その他、九七式艦上攻撃機、゜870機。 二式戦闘機 「鐘輝 」 1、227機。 四式戦闘機 「 疾風 」  2、700機。(昭和19年4月採用。零戦・隼に次ぐいで3番目の量産機種)

★ 第二次大戦中の航空機生産大拠点であれば、当然、アメリカの空爆の対象となる。昭和20年2月10日 爆撃機 「 B29 」(89機)の大編隊に襲われる。飛行機工場、飛行場、駅、公共施設は、もちろんのことだが、市内の一般民家などが、大きな被害を受け、多数の死傷者を出している。こうした諸般の事情を考えれば、08年現在、「 飛行機王の里 」は、実現しなくて、良かっただろう。平成の大合併で、「 大和芋の里 」は、O 市になったから、尚更である。「 核廃絶 平和都市宣言 」も、名前負けしなくて良かった。

★ 例年の事であるが、8月が近ずくと、弟二次大戦(太平洋戦争)の話題が、新聞紙面を飾る。さる通販大手は、商品広告特集を、別刷りタブロイド版3ページを、新聞折込する。「 A 新聞題字付き 」で折り込む念の入れようである。(「題字」を、どの位の料金で使わせるのか知りたいところだ。『 B・ C  』紙も、これと同様のことをしているのだから、けっこうな金額が、動く事は、事実だろう。新聞社も広告営業局サイドでは、儲け主義そのものである。) ▼ 「 開戦から終戦まで、3年8ヶ月の記録を集大成 」ーその時、戦場で何が起きていたのかー。その時代を生きて来た人には、刺激的な誘いのコピーである。「陸。海・空の攻防を徹底記録ーー若き将兵たちの素顔から、激戦地での詳細な作戦まで・・。etc 」  更に、殺し文句は、続くが、問題がある。緒戦には、訓練を重ねた精兵が活躍したかもしれないが、戦史に残る多くの悲惨な戦場での悲劇の主は、、赤紙一枚で召集された促成の兵隊たちである。▼ 総合監修者インタビュー 。昭和史研究家・作家の半藤 一利氏  曰く、「 なぜこんなことが、起きたのか・・。歴史的事実としての太平洋戦争を一度見ておいて欲しい。歴史を知らないと、歴史から学ぶ事はできない。」 言葉では その通りだと思う。しかし、【 歴 史 的 事 実 】!! そこには、問題が常に潜むのだ。もし、ある事実を誇張する意図をもとに、裏側に隠蔽された事実があるとすれば、それは、作られた【 歴 史 的 事 実 】という「 事実 」があるということである。「 歴 史 か ら 学 ぶ 」とは、こうした事実を解析することである。Mr. 半藤が、それを怠っている、と言って居る訳ではない。氏は、こうした事実究明を、総て引き受けねばなら無いだろう。 ▼ さらに、続く  紙面では、「 陸軍戦闘隊 隼 」の写真が掲載されている。圧倒的強さを誇ったと、絵解きされている。開戦から、東南アジアでの想定外の快進撃万歳歓呼と共に広がる戦域。こうした物語は、戦後も、マンガの世界には、いくつも登場していた。私の子供時代には、隣組の宴会などでは、「 軍歌 」は、よく歌われていた。武勇、愛国、殉教物語は、それとなく刷り込まれるものだ。意識しない限り、抵抗なく受け入れてしまう。『 加藤隼戦闘隊 』は、英雄譚の歌として、子供心の深層に焼きついる。『 0戦 』・『 大和 』となれば、殺し文句である。これは、かなり、恐ろしいことである。

★ 私は、故山本七平の著書を、かなり読んでいるが、中でも、「 私の中の日本軍 」で、は「百人切り」と言う、武勇伝の虚報を、分析し証明して見せた。「 戦争を単に戦闘行為の累積としてのみ捕らえる、いわゆるジャーナリステイックな刺激的、煽動的な見方への偏向 」への反論である。▼ 「 日本はなぜ敗れるのか 」ー敗因21ヶ条ー(角川書店)は、故小松真一の「虜人日記」を、もとに「 日本の戦争 」を、自分の体験をふまえて、解析したものである。「 バシー海峡 」について書かれた部分がある。▼ 「バシー海峡」とは、台湾の南側、フィリピンとの間の海峡である。今次大戦中、アメリカの潜水艦隊は、此処で、日本の兵員・物資満載居の輸送船団を待ち伏せして、攻撃して、沈めた。一隻約3000名の兵員は、一瞬にして、海の底である。日本は、敗戦まで、この船団輸送を繰り返す。そして、数十万の命が、失われた。この事実は、全く、公表されなかった。、戦後も、戦史には、登場しない。そして、七平氏は、以下に言う。

《  『 われわれが、「 バシー海峡 」と言った場合、それは単に海峡で海没した何十万の同胞を思うだけではなく、このバシー海峡を出現させた一つの行き方が、否応なく、頭に浮かんでくるのである。・・・(略)・・・ 太平洋戦争自体が、「 バシー海峡 」的行き方、一方法を一方向へ拡大しつつ繰り返し、あらゆる犠牲を無視して極限まできて自ら倒壊したその行き方そのままであった。だがしかし、わずか30年で、すべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。おそらくそれは、いまでも基本的には全く同じ行き方をつづけているため、この問題に触れることを、無意識に避けてきたからであろう。従ってバシー海峡の悲劇はまだ終わっておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来、別の形で墳出してくるであろう。 』 》

★ 「 わずか30年・・・ 」 ! 「 日本はなぜ敗れるか 」は、1975~76年に、書かれている。今日は、更にプラス30年である。【 憲法9条 】 【 靖国 】 【 自衛隊海外派遣 】が、象徴するように、 いま、時代は、過去を美化しながら、非反省的に進みつつある。地方の少さい町が、「飛行機王の里 」を企画したのも、この町に、飛行機製作所の創立者の関係する屋敷があったという偶然の所産であろう。だが、時代の空気が、これを簡単に許している事は、否めないだろう。

  

  私の愛犬との散歩コースに、戦没者の墓がある。墓石には、次のように刻まれている。

  『 故・・・・ハ・・・・ノ長男ニ生ル 大東亜戦争ニ参加ニューブリテン島アガリバチス2粁ノ戦闘ニ於いて昭和19年2月25日戦死ス行年24才  陸軍兵長 ・・・・・・・ 之墓』

  彼は、この近在の農家の生まれである。「 国を守るため 」とは、後から付けた美辞麗句にしか過ぎないものである。

  【 遺骨なき 墓荒っぽく  洗いけり 】 (ASAH歌壇  東京 N・I さんの句)

 

※ (注;1)  2000年の8月17日 私は、不覚にも、プールのロッカー・ルームで、転倒して、『大腿骨転支部』を骨折し、そのまま救急病院に搬送された。結果、チタン製の金具を大腿骨に入れ、折れた部分を固定する手術を受けて、40日間入院していた。このコラムは、病床の連れずれに、記したものである。


「 おくのほそ道 」 ー Vol. 1

2008-07-25 16:02:54 | 日記・エッセイ・コラム

006 芭蕉  旅立ちの句                          

 千じゆと言う所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸ふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。

  行く春や  鳥啼き  魚の目は泪 

これを矢立の初めとして、行く道なをすすまず。

久富 哲雄の解説(「おくのほそ道」 講談社文庫)の句解は以下の通りである。「鳥は哀愁に満ちたで声啼き  魚の目も涙でうるんでいることよ。」と、惜春の情を述べながら、江戸の地を親しい人々分かれて旅立って行く名残惜しさを句のなかにこめている。・・陶淵明の『覇鳥旧林を恋う。 池魚故淵を思う 』などが、この句の発想に影響しているかもしれない、と結んでいる。   

 ★ 久富解説に異論を申し述べるつもりはない。芭蕉の教養の中に、陶淵明がいるのは、少しも不思議ではない。当時の知識人が、儒学、漢詩の素養を持っているのは、当然である。しかし、 私は、別の文庫(多分、岩波)の影響を受けていて、『 鳥啼き 魚の目は泪 』からは、杜甫の 「 春 望 」が思い浮かんでしまう。芭蕉の 旅立ちの句は、風景や、人間模様に直接触れ、発想されたものではない。この句は、その時の心理描写だから、解説的には、広がりが有った方が、おもしろい、と拡大解釈している。 芭蕉の教養の中に、陶淵明が居るごとく、杜甫を取り込んであるのは、自然なことだと思うからである。

 春  望           杜甫

 国破れて山河あり  城春にして草木深し  時に感じては花にも涙を濺ぎ  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす  熢火 三月に連なり  家書 万金に抵る  白頭を掻けば更に短く   渾べて簪に勝えざらんと欲す

 ★  三千里とは、壮大な旅ではあるが、悲壮感は拭えない。当然、相当の覚悟は要る。最近では、「おくのほそ道」を歩くツアーもあるようだが、これは、安全が、確保されていて、ある面では楽である。芭蕉の当時からすれば、奥州街道という主力道路であっても、安全・安心は、何処にも保障されてない。病気・怪我、或いは不測の事故に合うかもしれない。しかし、供の曾良は、この旅には、多分得って付けの者である。今様な言い方では、最高のマネージャーである。旅先での総てを手配してくれる。曾良なしでは、この旅は、考えられない。 ☆ 余談 I 藩史などの資料など調べていると、芭蕉はこの辺りの町に来て、句会の選者になっている。今日流に言えば、さしずめ有名人の地方講演会である。地主、大店の商人が、依頼者である。句会の講師として招かれる。参加者の句を指導する。そこで講演料を貰って、生活の糧を得る。俳人として、名を上げていれば、ファンも多いだろう。別に、悪いことではないし、才能とそれなり努力あっての事だから当然のことである。従って、漂泊の思いを語る芭蕉を、『 世捨て人 』風に、ことさら解釈するのは、あまり宜しくないと思われる。芭蕉自身が、そういう表現を用いたとしても、それは、彼独特の修辞法なのだ。

 ★  江戸から最終は大垣まで、何ヶ月もかかる大旅である。常人では、到底、なし得ないことだ。奥州と言う、過って、栄耀栄華のあった処である。其処を訪ねるのは、大浪漫である。杜甫的な歴史観のある風景が、旅立つ前の心の内側を駆け巡る。私は、この様に、想像する。

    08 07 25(金) 記ス。    


小癒見(こべしみ)はかく語りき

2008-07-13 23:02:18 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390070  1.   「 上げ底はよろしからず!! 」

 狐 と 面

 狐が彫物師の仕事場に入り込んで、なかの物をクンクン嗅ぎまるうち、悲劇役者の面を見つけ、手にとってにて言うには、

「  何だこの頭は、脳味噌がないぞ  」

 押し出しは堂々としているが心はからっきし、と言う人にこの話はぴったりだ。( ※注 モルモーとは   我が国で「 ももんがあ 」 のように、ギリシャの乳母は「モルモーがくるぞ」と言って、幼子を脅かした。女性のお化けである。)

     「 イソップ寓話集 」 (中務 哲郎 訳) 岩波文庫 より                              

  ★ 数年前から、 .渡辺淳一先生の本を、書店の平づみコーナーで、よく見かける。、「 失楽園  」は、映画化までされて話題をさらった。更に、「愛の流刑地」は、「アイ・ルケ 」なんて、流行語にもなったほどである。 実生活の方も、お盛んなようで、「噂・真」に女優との道行きの場面を盗撮されている。こうしたことは、プライベートなことで、何をしようと文句を附ける積りは無い。「 鈍感力 」は、其れなりに、読者を獲得してベスト・セラー入りしている様で、文筆家冥利尽きるだろう。続いて、「 熟年革命 」を出されているが、小説をはなれ、エッセーに移った此の辺から、少々おかしいのだ。

  ★ 同書のまえがきで、渡辺先生は、次のような誓いを述べて居られる。

    「 プラチナ世代の誓い 」 (☆ わたしが提唱したいのは、プラチナ世代という呼び方である。 ☆ 実際、プラチナならゴールドほど派手派手ではないし、シルバーほど地味ではない。ケバケバしくもないが、底光りのする世代。・・・略して引用・・・ー) 次に、誓いのスローガンは、以下の通りである。

  われわれは世間体にこだわらず  常に好奇心いっぱいに  好きなものを追いかけ  相手と自分を誉めて  お洒落で素敵な   ワルになることを誓います

  「 年甲斐のない人 」になって欲しい。  ★ この「 誓い 」は、新刊書の帯になっていて、思わず手にして、買ってみようか、と言う気になった。「誓い」の言葉は、確かに、人の気を惹く。   最近、私も、退職以来、「 年甲斐のない人 」だと、家族に言われているので、この限りでは同意する。しかし、問題は、「プラチナ世代」 と言う言葉である。これは、はっきり言って、渡辺先生 の造語ではない。私が、目にしたのは、唐木 一 著 「 かけひきの科学 」ー 情報をいかに使うか ー の中である。この本は、初版が、1997年4月2日であるから、先生に、先立つこと、11年である。これは、明らかに剽窃である。この「プラチナ世代」と言う、造語以上の表現力を持った言葉を、創作出来ず、敢えて使うのであれば、断るべきである。引用する事は、少しも恥ずべきな行為ではないのは、先刻、ご承知だろう。こういっては何だが、「プラチナ世代」は、先生自身が、見つけた言葉ではない。

  ★ 此処からは、私の憶測、もしくは創作ある。この「 熟年革命 」 は、渡辺先生の発案ではない。ある日、編集者が尋ねてくる。「先生、どうですか、最近、熟年も元気なさそうだし、ここらで、何か元気の出るメッセージを、ひとつ書いて頂けませんかね。」 「・・・・・・・・」 「 『プラチナ世代』と言う言葉があるんですが・・。」 編集者は、自分で拾ってきた言葉を説明する。「・・・・・・・・」 暫しの沈黙。渡辺先生が、「プラチナ世代の誓い」を着想するのは、そう時間は要らないだろう。この「誓い」は、結構、いけず図しいところがある編集者との茶飲み話で、出来上がったかもしれない。「アア、イイですねー。先生それ行きましょう。」

  ★  この本は、上げ底である。帯に書かれた「誓い」は、スーパーの売り出しPOPと同じである。中身は、急いで集めたセコハンな情報で、そんな事今更・・・と言ったもの。1200円は、高い買い物。

  ★  本を買わなかった。暫らくしてから、町の図書館に行くと、貸し出し中で、30番待ちであった。何人の人が、「 何だこの本は、   中身が無いぞ。 」 と言ったかナ。