諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

【薔薇が咲いた…♪】 花ーvol・2

2008-05-24 03:18:16 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390279_2  『 野なかの薔薇 』   近藤朔風(訳)

 ♪ 童は見たり、野なかの薔薇。 清らに咲ける、 その色愛でつ。飽かずながむ、 紅におう、 野なかの薔薇。

             ヴェルナー  作曲

 ノイバラ  野薔薇。薔薇をイバラというのはとげがあるから。とげのある低木の総称。日本各地の原野、河岸などにはえる落葉低木。茎は斜上か直立。よく分枝する。赤い実をつける。 現在、どこの家の庭にもあって、大輪、小輪、赤、黄、ピンク‥etcの薔薇は、ヨーロッパ原産。明治時代に輸入したもの。美しくアーチ状に仕立てたりする〈つるバラは〉、やはり、ヨーロッパで、野いばらを交配改良をかさねることによって生まれた。日本古来のバラは、イバラのみである。 赤い実は、漢方では、エイジツ(営実)といって、下痢止め・利尿剤としてもちいられている。 関東・東海地方に分布するものは、山照葉野茨(やまてるはのいばら)という。 以上は、牧野植物図鑑・入門歳時記(角川書店)・百科辞典(平凡社)を利用して、自己流に要約した。 ★これから本題だが、また、イッソプ寓話集(岩波文庫)からの書き写しである。 この一遍は、いつか利用できなかと、ずっとあたためていたものである。

   『 蝮と狐 』 

  蝮が茨の束に乗って、川を運ばれていた。通りすがりの狐がこれを見て言うには、「 悪い船頭には悪い船だ 」

  災難に出くわした悪人にあてはまる。

  この最後のフレーズが、まことに軽妙で、時代を超えて通じる真理だと思えて、大好きなのだ。 愛犬の散歩コースの土手を、彼にひっぱられるようにして、駆け上るとすぐに写真の茨の茂みが目に入る。新芽が吹き、蕾がふくらみ、やっと白い小花を沢山つけた。★ 前段のノイバラのあれこれや、唱歌の添付は、云わば余興であり、私流 [ 脳活術 ]と言ったところである。

  昨今は、災難に出くわした悪人が、多すぎる。テレビ画面の中で雁首揃えて謝っている。何かゴチョーゴチョ~言ってから、全員起立して、ふかぶかと頭さげる。それでお仕舞い。バレタ事柄からすれば、どう贔屓目に見ても、全員が確信犯としか思えない。船場「吉兆」は、悪事を14年も前からやっていたこと露見して廃業した。

  しかし、災難に出くわす前に逃げ切る悪党も、また多い昨今でもある。Mr.古歩道、Mr.ナベショウ、ほか情報源を沢山持っている人たちが、毎日怒ってサイトにか書き込んでいる。

★  謝って連中は小者で~す。蜥蜴は、シッポを切って敵がそれに目を奪われている間に逃げ切る。今、書き込みき改訂している(08.06.27)時点で、飛騨牛・ウナギの産地偽装で、社長やら責任者が、朝からテレビ画面の中「 ドウモ スミマセ~ン 」と謝っているけど、いっこうに悪びれた顔はしていない。謝って75日もすれば、人は忘れてくれるものだ。それに、どうせJAS法違反・詐欺罪が適応される程度だろう。マア、どちらかと言えば、微刑である。それに初犯とくれば、上手くすれば、執行猶予付きである。・・・・・。これでは、まるで、  デキ・レース見たいである。本体は、茨の奥深くもぐり込んで安全地帯でほくそ笑む。政治家は、その上を行く。防衛利権スキャンダルでは、この節、秋山某がパクラレたが、限りなく真っ黒の九間元長官は、逃げ切るかも?

  「 愁いつつ  丘に登れば 花いばら    蕪村 」

 


【深山から降りて来て】 花ーvol・1

2008-05-16 01:04:12 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390269  『おだまきや  しずが草屋に  ひっそりと 』   夢 蔡

〈オダマキ〉 苧環で、昔麻糸を巻いた苧手巻ー花の様子に基ずく。北地のオダマキ(ミヤマオダマキもある)の改良園芸品種と思われる。多年草。花は5-6月、碧紫から赤紫色、まれに白から白紅色、5片のがく、花弁5 距とも長さ2㎝・・・以下略・・・。(牧野日本植物図鑑)    ※【注】[距]・・キョ 形声文字・足+巨は去に通じ、しりぞけるの意や鶏のけずめの意やへだてるの意。(漢和辞典)  この花、花弁の後ろにケズメをのばしているのがよく観てとれる。北地の山に入った人が、花の可憐さと、 形の珍しさに、これは、流行るかもと、園芸用に改良を思いたったのかもしれない。

[ おだまき 〕ーと言う語の響き、花の色合いと形からすると、俳句などの抒情の世界には、さぞ、たくさん登場するかと思いきや、それが、以外とないのである。ただし、調べた範囲が、虚子編の「 歳時記 」と、その他2-3冊とせまいのかもしれないが・・。(ネット上での検索は、ここでは、趣旨としない)

 ★ 昨今の消費型社会を、よく象徴する大型のホーム・センターの園芸売り場は、サフィニア、ベゴニア、ペチニア、ガザニア、and etc etc@@・・・・.カタカナの改良園芸品種が、席捲しているのは、ご案内の通りである。よって、例えば、蔵をイメージした洒落た和風の家であっても、その庭先は洋風の花々が、今は盛りと咲き競っている。 《 お・だ・ま・き 》 といえば、押されっぱなしで、いまは、日陰の身で庭の片隅に、ヒッソリと、と言うわけか。

 ★ 「万物の秩序から引き出されて、不可解な渾沌のなかに転落している自分の姿を発見した。・・・・中略・・・現在の境涯を考えれば考えるほど、自分が、どこにいるのかわからなくなってしまうのだ。」と、ルソーは、『孤独な散歩者の夢想』で言っている。『 前近代 』の時代遅れの『 様々なる意匠  』に、《異論・反論・オブジェクション》を申し立て、「個」を主張したルソー。しかし、晩年は、世の中の人々とは、意志の疎通が図れず、孤立し、苦役をかさねる。これは、結構淋しい。〔 お・だ・ま・き 〕も、同じ様に考えたか? だが・・・・?!

  ★ 可憐な小型の花弁の後ろの【 距 】を、何と理解すればよか。

 ★ 昨今流行の「 利己的な遺伝子 」流に、アレンジして言ってみれば、《お・だ・ま・き》にとっては、  人の目を引き付けた【 距 】こそ、生き残りを賭けた戦略であり、戦術ではないか! 

   北の深い山から、【 チッカリ、人の手を借りて 】、里まで下りて来た。そうして、、生存の範囲を広げた。、今は、ひっそりとではあるけれど、それは、どうでもいいのだ。問題なのは、子孫を引き継ぐための【DAN】を確実に残すことである。これぞ、 オダマキ流の強かさなのだ。

   ※ 添付した写真は、セイヨウ オダマキ・・・だって サ。

      


【 子供たちは野を管理していた 】

2008-05-10 18:35:46 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390237  【酸模の咲く頃】

 ♪土手のスカンポ ジャワ更紗 昼は蛍が ねんねする / 僕達ら 小学尋常科  今朝も通って また戻る/ スカンポ スカンポ 川のふち/  夏が来た 来た ドレミファソ~♪♯   『北原白秋 作詞』

 酸模ー酸葉ーすかんぽーあかぎしぎし 春さきだんだん葉がのび茎をつむと葉の赤みは次第に失せて緑色に変わってゆく。若茎は酸味があり、子供達が採ってたべる。(新歳時記 虚子編) タデ科 各地の山野の道ばた、田畑の畦などに多い多年草 (牧野日本植物図鑑・ 北隆館 ) 春の派手派でしい花々が咲き終わった頃に、まことに地味な花をつける。何処にでも生えている身近な植物だが、さして、、叙情を誘わないとみえて、俳句などの世界には、あまり登場しない。♪ス~カンポ スカンポ・・・と唱歌ー子供たちのー世界へ取り込んだあたりは、さすが、白秋先生と言うべきか。★ 川の土手と河原は、子供たちが、かっては管理していたといえば大袈裟な言い回しだが、そこに、子供たちの世界そのものがあった。 すかんぽの茎を採って吸い、白い芝芽を食い、「花の首飾り」をつくり、土手の斜面に出来た細い路をつたってソット転げないように河原に下る。、砂でダンゴを作り、石切りをする。今度は、土手を走り上り、転げまわっていた。 【 ソコ 】にしか子供は、自分たちの世界を見いだすすべがなかったと、言うべきか。昭和30年の中頃の農村は、昨今の様な石油による機械化農法ではなく、【 人力 】+【 牛力 】が、田畑を耕す動力の総てであった。まだ、子供とはいえ小学校の5・6年にでもなれば、立派な労働力として当てにされる。朝夕は、大切な動力である【 牛 】のために、草刈をさせられる。しかも、毎日、雨・風 ー「 ソンナノ カンケーナイ~~! 」 ★5月は、農村の最繁忙期である。大人たちは、蚕の世話が一段落すると、次は麦である。 まず、刈る。牛車で運ぶ。脱穀をする。筵を庭イッパイに広げ麦粒を干す。そして、田植えの準備は、同時進行である。寝る暇もなく働く。庭は、今日のように綺麗な植栽を入れて目を楽しませる所ではない。農家にとって大切な【 作・業・場 】なのだ。子供たちが、そのような場所で、チョロチョロ遊んでいたりしたら仕事の邪魔であるし、場合によっては危険でもある。忙しく立ち働く大人たちに言われる前に、学校から帰るやいなや、カバンを縁側にほ~り投げて、外へ飛び出す。「 自・主・的 」である。だいいち、学校側も心得ていてこの時期には、宿題など出さない。課外授業に、「 シャクトリムシ捕り 」と言うのがあった。この地方は、【 繭と生糸は日本一 】である。田んぼ以外に壮大な桑畑が広がっている。各自が用意した小さいガラスの空き瓶を手に割り当てられた桑原へ入る。桑の若芽を食う害虫シャクトリムシ退治である。(シャクトリは、周りの少しの気配で、瞬時に桑の枯れた小枝に変身する。)  ★ 田植え準備がすっかり整った頃に、学校は、一週間の【 農繁休暇 】に入る。(夏休みは、8月25日で終わる。) 農家にとって、田植えとは老いも若きも・子供たちも必ず役割がある。文字通り一家総動員で当たる大作業である。(抒情の世界は、全く入る余地はない。) 西隣の畑の主は、子供の頃の田植えの思い出を決して楽しく語らない。「あ~ア~ ! ヤット~水から上がれる~!」 過酷な重労働である。

       ★ 子供たちは、土手を、河原  を休むこなく動き回った。そして、言葉を懸け合い川での遊びの【 危険 】を回避した。腹がすく。太陽は、西に傾いたが、親たちは、まだ、田んぼに居るだろう。ばあちゃんが、夕飯を作り始める頃だ。

    ◆長くなったが、こうした事が、今日に比べ良い時代だったと結論するものではない。それは、別の文脈で書き込まなければならい。

       6月22日(日)   pm11;45  改定・推敲す。                

          

  

                                   

 

  


「時代閉塞の感が漂う現状」

2008-05-04 18:20:37 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390144 【函館の青柳町こそかなしけれ  友の恋歌  矢ぐるまの花】 啄木

我が窓前の草むらは、諸葛菜ーむらさき花菜が盛りをすぎ、細長いサヤを付けはじめた頃、矢車草が、人の胸丈ほどに立ち上がり,あたりを払って繁茂する。★詩才がないので とても啄木ように、それを、表現することはできない。しかし、好きな花の一つである。★世はゴールデン・ウイーク真っ最中。だが、この片田舎の一隅は、時おり鳴くヒヨドリ、オナガの声、青葉を吹き抜ける風の音以外は、何も聞こえない。まさに、取り残された空間と時間の流れ・・・。

 日曜日の朝、8チャンネルの【報道2001】を見る。「高齢者・ガソリン税で絶対絶命?町村・与謝野vs前原」をやっていた。「説明不足・・」 言い訳がましい、「必要な道路はあるし、地方は財源不足だし・・・・・」 再議決は強行突破で、「民草」の声をまったく無視した居座り強盗的手法・・・・・・。★ 生活に直結した物価は上がるし、不祥事のない官庁はない。一体この国は、何処に向かっているのか・・「時代閉塞」の感は、ぬぐえない。

  ★   石川啄木は、20才の時には、すでに、詩人として高く評価され、「天才啄木」 といわれた。この青年は、感受性が鋭いばかりではなっかた。頭の回転も早く、また、人一倍の正義感を強い持ち主でもあった。 明治43年 26才 『 時代閉塞の現状 』を書き上げる。時は、明治の末である。日清・日露の戦時国債、外資からの借金の処理は、先行き見えず、国家財政は、逼迫。一方では、格差は、広がるばかりの労働条件・地主制度のもとで、民百姓は、貧困に喘ぐ。

  ★  『時代閉塞の現状』は、かかる時代に対する批判的精神の復権を呼びかけている。彼は、時代の世相を次の様に書く。『 我々青年は誰しも或時期に於いて徴兵検査の為に非常な危惧を感じている。また、総ての青年の権利たる教育がその一部ーー富裕なる父兄を有った一部だけの特権となり、更にそれが無法なる試験制度の為に更に又約三分の一だけに限られる事実や、総ての国民の最大多数の食事を制限している高率の租税の費途なども目撃している。・・・ 我々をして彼の強健に対する自由討究をはじめしむる動機たる性質は有つているに違いない・・・』 さらに 『時代閉塞の現状・・・今日我々の父兄は、大体に於いて一般学生の気風が着実になったと喜んでいる。しかもその着実とは単に今日の学生の総てが在学時代から奉職口の心配をしなければならなくなったという事ではないか。そうして、着実になているにもかかわず、毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿でごろごろしている。』 以下は、要約すると、ごろごろしているのは、まだ、幸福な方で、彼らに、何百倍の青年たちが、教育を受ける権利を中途半端で奪われたままで、その人達の生き方まで、中途半端になてしまっている。と続く。およそ、400字詰で35枚くらいあるか、かなりの、力作である。  この啄木の論文に、平成20年と日付けをかえて、今風なボキャを入れ替えれば、今日のものだと言っても少しもおかしくない。

   ★  啄木の時代に対する批判的精神の方法は、今、この時代状況に向けても、十分通用するもだ。

   ★  結核は、当時、不治の病である。明治45年4月13日 啄木は永眠する。享年28才。若すぎる死である。

   ★  『 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる 』と染め抜いた暖簾が、物産店あったとしても、「俺って、ケッコウ有名人~!!」なんて喜ばないだろう。

    

 

 

 

 


「仏滅」の日のメーデー

2008-05-04 01:36:43 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390154_2  ♪ 夏も近づく 八十八夜                

  野にも山にも  若葉が茂る

  あれに見えるは  茶摘じゃなか      

  あかねだすきに  菅の笠~♪  (『尋常小学唱歌』ー明冶45)

  平成20年5月1日  わかれ霜の八十八夜  何事もするのを避ける●凶の「仏滅」 そして、働く者の「祭典」 メーデー

  代々木公園で開催された中央メーデーに参加したのは、2-3回だろうか?遥か遠い昔のことである。年に一度の「お祭り」とスローガンで何が解決出来るかと、奇妙に醒めていた自分を思いだす。しかし、この時期になると、必ず口遊む(くちーずさ・む)。メドレーは何故か頭の中に刷り込まれている。

   ♪聞け万国の労働者  とどろきわたるメーデーの  示威者(じいしゃ)に起こる 足ど

  りと  未来をつなぐ鬨の声~♪♯

     5月2日 メーデーの記事がどの程度に扱われているか、朝日新聞の朝刊を急いでひろげて見る。昨今の情勢からすれば、一面はともかく、二社会面のどこかに二・三段くらいは・・と広げたが、ナイ!。もはや、記事にする価値も失われたのか。もしくは、●「凶」の仏滅の日に事を起こした【 タタリ 】のせいか。

    地方面の20行ほどのベタ記事に、それは、ヤットあった。隣は、トラックの多重衝突事故の記事17行。

   メーデー参加者 昨年上回る1655人 第79回メーデー(同県メーデー実行委員会などの主催)の行事があった。・・・・・・主体である県労会議事務局は「好天に加え、不安定な雇用で働く人などが、ねじれ国会を見て、『 頑張れば現状を変えらる 』と考えるようになったから」と話た。とか ♪頑張ろう~! 突き上げる空に 黒金の男の拳がある~!(近頃は、男性のボーデー・ケアー用品も沢山あるし、日焼け止めクリームぬってたりしてー〔笑〕、)

  ★2005年5月2日の頃。  私は、まだ現役のセンター長として、私のスッタフとして社員4名、パート・タマー女子約25名、男子約15名を指揮していた。その頃は、アナログ派で、ケータイも立場上クレーム処理に出かけた時、連絡用に持っている程度、パソコンは、週に一度作業効率表を打ち込むのがヤット。送信は、女子事務員に頼む。 仕事は、結構きついが、自分のリードで進むので、それなりに達成感があって、自己満足していた。帰れば、寝るだけ。こんなパソコン・ヨチヨチが、今はブログの世界に嵌まっているのは時を得たからか。( この言い回しは、自慢しているようで厭らしいと家人は言う。当たっているが、大きなお世話である )

  三年前の日記の一部を転記する。私が、かつて、書いたものを残して置きたい。こんな気持ちが、ブログを始める動機となっている。

  「 雇用を守れ 」 2000人集う。 メーデー県内8ケ所で催し。見出しのみ以下は要約。尚、連合側は、メーデーに関しては、行事を行わず、5月15日に、地域住民参加のイベント「 ふれあいフェステイバル 」を開催とか。フェステイバルとか催し物とくれば、サクラ祭り・七夕祭り・盆踊り大会と一緒の事で、季節ごとの年間行事。暦の隅にヒッソリ一行。

   ★、「メーデーの歌」のノメロデーは、「アムール川の流血や」(一高第十一回記念寮歌)と言う原曲を元しており、、『万朶の桜か 襟の色』の「 歩兵の本領  」(軍歌)を経て生きは続けた。この話を書いて、【「仏滅」の日のメーデー】は、【終わり】のつもりだった。しかし、突然、小林多喜二がブームになったりしたので、第2部を、【アラタ】にス~→!るつもりになった。  以上で本稿は、閉じる。