♪ 童は見たり、野なかの薔薇。 清らに咲ける、 その色愛でつ。飽かずながむ、 紅におう、 野なかの薔薇。
ヴェルナー 作曲
ノイバラ 野薔薇。薔薇をイバラというのはとげがあるから。とげのある低木の総称。日本各地の原野、河岸などにはえる落葉低木。茎は斜上か直立。よく分枝する。赤い実をつける。 現在、どこの家の庭にもあって、大輪、小輪、赤、黄、ピンク‥etcの薔薇は、ヨーロッパ原産。明治時代に輸入したもの。美しくアーチ状に仕立てたりする〈つるバラは〉、やはり、ヨーロッパで、野いばらを交配改良をかさねることによって生まれた。日本古来のバラは、イバラのみである。 赤い実は、漢方では、エイジツ(営実)といって、下痢止め・利尿剤としてもちいられている。 関東・東海地方に分布するものは、山照葉野茨(やまてるはのいばら)という。 以上は、牧野植物図鑑・入門歳時記(角川書店)・百科辞典(平凡社)を利用して、自己流に要約した。 ★これから本題だが、また、イッソプ寓話集(岩波文庫)からの書き写しである。 この一遍は、いつか利用できなかと、ずっとあたためていたものである。
『 蝮と狐 』
蝮が茨の束に乗って、川を運ばれていた。通りすがりの狐がこれを見て言うには、「 悪い船頭には悪い船だ 」
災難に出くわした悪人にあてはまる。
この最後のフレーズが、まことに軽妙で、時代を超えて通じる真理だと思えて、大好きなのだ。 愛犬の散歩コースの土手を、彼にひっぱられるようにして、駆け上るとすぐに写真の茨の茂みが目に入る。新芽が吹き、蕾がふくらみ、やっと白い小花を沢山つけた。★ 前段のノイバラのあれこれや、唱歌の添付は、云わば余興であり、私流 [ 脳活術 ]と言ったところである。
昨今は、災難に出くわした悪人が、多すぎる。テレビ画面の中で雁首揃えて謝っている。何かゴチョーゴチョ~言ってから、全員起立して、ふかぶかと頭さげる。それでお仕舞い。バレタ事柄からすれば、どう贔屓目に見ても、全員が確信犯としか思えない。船場「吉兆」は、悪事を14年も前からやっていたこと露見して廃業した。
しかし、災難に出くわす前に逃げ切る悪党も、また多い昨今でもある。Mr.古歩道、Mr.ナベショウ、ほか情報源を沢山持っている人たちが、毎日怒ってサイトにか書き込んでいる。
★ 謝って連中は小者で~す。蜥蜴は、シッポを切って敵がそれに目を奪われている間に逃げ切る。今、書き込みき改訂している(08.06.27)時点で、飛騨牛・ウナギの産地偽装で、社長やら責任者が、朝からテレビ画面の中「 ドウモ スミマセ~ン 」と謝っているけど、いっこうに悪びれた顔はしていない。謝って75日もすれば、人は忘れてくれるものだ。それに、どうせJAS法違反・詐欺罪が適応される程度だろう。マア、どちらかと言えば、微刑である。それに初犯とくれば、上手くすれば、執行猶予付きである。・・・・・。これでは、まるで、 デキ・レース見たいである。本体は、茨の奥深くもぐり込んで安全地帯でほくそ笑む。政治家は、その上を行く。防衛利権スキャンダルでは、この節、秋山某がパクラレたが、限りなく真っ黒の九間元長官は、逃げ切るかも?
「 愁いつつ 丘に登れば 花いばら 蕪村 」