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諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

水無月は行く

2012-06-30 01:40:52 | 日記・エッセイ・コラム

 夏至(6月21日)から 7日後が、日本では、日の入りが最も遅い日(6月28日)でした。本格的な暑さはまだで、過ごしやすい。ー梅雨の合間の雲が流れて、上弦の月が見え隠れして、六月も早行かんとしている。ー天地は長しえに滅びないが、・・人の時間はたちまち去って帰って来ないもの。(とりあえず)今日と言う日をゆったりと(過ごしましょう)・・(陶淵明)ーー

緋めだかやそっと浮かべし目玉かな 夢蔡

見果てぬ夢を 憶いゐる日々 ー古今人ー

Dscf1886 ▲【ヒメダカ】は、と言えば、脱力系観賞魚である。“癒し効果あり・販売中”ー -(近くの野草専門店のコピー) ー メダカ本来の黒色素がぬけて「ヒメダカ」となる。

緋目高は 水面に映る 雲に乗る 草生(む)す庭の 水甕の中  ー夢蔡ー

Dscf1893_2 ▲【メ ダ カ】 学名は、Oryzias  Latipes。「稲の周りにいる足(ヒレ)の長い」と言う意味ー。江戸期に、シーボルト先生によって、メダカの生態が、西欧に報告され、命名された。「Oryza  」 は、(ギリシャ語)で「米」 名 Ricefish   (ライスフィッシュ) 

1980年代に入って、農地大型化、土地改良の進行と同時に、メダカは、その棲息域が奪われた。そして“豊葦原の瑞穂の田”はメダカにとって意味を失ういまや、「絶滅危惧種」である。ー

ー人は最も霊智なりと言うも / 独りまたかくの如くにならず。ー陶淵明ー ( 訳=人間は万物の霊長なんて奢っていても、とんでもないです。人間も自然の一部、例外ではありません。)

雲かかり 上弦の月 うす朱(あ)けく 青さのこれる 宙(そら) 渡り行く ー夢蔡ー

20120627_066 ▲ 【上弦の月】 (6/27) 新月から満月に至る間の半月。日没時に南中し、月の左半分が輝く。真夜中に弦を上にして月の入りとなる。(広辞苑) 上つ弓張」

 ー大鈞(たいきん)は力を私(わたくし)すること無く / 万理は自ら森(しん) として著(あら)わる 「陶淵明」 (大鈞=大きいロクロのこと。回せば各種の器が出来ることから、造化=大自然。)-意訳*造化の妙は人間個人の及ぶところではない。万物はすべて独自の形態をとって現る。

 これを無視すれば、ろくなこと起こませんョ~

水無月や 雲たなびきて 蒼き果て ー夢蔡ー

          ---- 了 -----


木の下闇の星のごと

2012-06-21 22:07:13 | 日記・エッセイ・コラム

  木立の小暗がりに、ドクダミが、白い小花を付けて繁茂する。梅雨の時期の風物である。あの強烈な臭いのせいか、「さわると毒だから、手をよく洗え!」  とか脅かされた記憶がある。偏見である。 

 どくだみや 草堂樹下の 星座かな 夢蔡

Dscf1743 ▲ 【ド ク ダ ミ】(じゅうやく) 漢字で蕺菜をあてる。“毒溜めードクダメ”が変化。ジゴクソバとも。あまり有り難くない名をつけられている。 地下茎を長く延ばして繁殖する。(「植物図鑑」参)

ー生薬名 【十 薬】 五物解毒散として処方される。「薬膳の書」によれば、採取し乾燥させたドクダミを煎じて飲むと以下の効用がある。 便秘 風邪 蓄膿症 耳鳴り 胸の痛み(恋わずらいも含む) のぼせ 胃酸過多 高血圧 動脈硬化 冷え性。 試したい方は、新鮮なモノ差し上げます。だだし、ご自分で引き抜くこと。ー

どくだみや 花穂仏塔に たとえらる 苞を開きて 浄土願いしか ー夢蔡ー

20120604_029 ドクダミの花】 中央、黄色の雄花雌花の集合体=花穂。 白い部分は、【苞】(ほう) 花の基部についた鱗状葉で、保護の役。

Dscf1870 ▲ 【八重咲きのドクダミの花】 五重の塔に変形したようである。

 ードクダミは、“毒を矯める==止める”-ことからの命名(江戸中期)ー漢方生薬からすれば、当然でしょう。

 ー生食的おすすめー 花穂・葉・茎には、排便を催す緩下作用や余分な水分を排する利尿効果あり。代謝不良の良薬とされております。 * 独特な臭いにつきましては、レンジなどで、熱を加えますと消えるようであります。温野菜サラダに混ぜて召し上がって見てください。(ただし、勇気のある方のみ)ー

  ------ 了 -----

   


梅雨晴れの日によせて

2012-06-18 22:19:18 | 日記・エッセイ・コラム

  入梅してから約10日。気圧の谷に入って、梅雨寒の日が続いてから、いきなり、32°Cの高温多湿の日となる。昭和20~30年、消費経済の浸透のない農村はの子どもたちは、畑中の道を走り、河原に下りて石投げで遊び、腹が空けば、手じかに在る「モノ」で腹をみたした。

青き梅 ドドメ きゅうりに 青トマト      齧(かじ)り野を駆(か)く 子ら皆いかに ー夢蔡  

Dscf1865 ▲ 青梅は、青酸があるからと、食べることを禁じられていた。しかし、子どもたちは、入梅後の実は、塩を付けて食えば大丈夫だと、自信をもっていた。(青梅の種子には、青酸に変化するシアン化合物が含まれている。子供は種までは食べない。)

 むらさきに 熟れし桑の実 摘み食らふ がき大将よ いま出でてこよ ー夢蔡ー

20120604_010 ▲ 【桑 の 実】 苺に似ているが、熟すると濃紫色~黒くなる。田舎の児童など喜んで食べる。(虚子編 「新歳時記」より) 

 ー当時、子供たちは、桑の実を、「ドドメ」*と言っていた。散歩の途中、畑の際に大型の桑の樹があり、実を沢山つけている。椋鳥が群れをなして、啄ばんでいる。一つ摘んでみた。ー今日的な甘さに慣れた“舌”には、甘さを殆んど感じない。酸いほろ苦さであった。

ー*「ドドメ」 桑の木は、土手の“土留め”用に植えていた。これが転じたようである。

  ー 村内の集まり等で、当時を知る人たちと「青梅、ドドメ」を話題にすることがある。だれも味のことには及ばない。ただ青梅、ドドメ」を食べた事実だけが鮮烈な記憶なのだ。

         ---了ーーーー


歌の翼に載せて

2012-06-16 19:06:35 | 日記・エッセイ・コラム

 あららぎのくれないの実を食むときはちちはは恋し信濃路にして 斉藤茂吉

 大正10年、茂吉39歳。師伊藤左千夫の後を継ぎ、短歌誌「アララギ」土屋文明たちと編集発行、医師とての研鑽、留学など精力的にこなした時期の歌である。

 “アララギ”と言う言葉の響きが好きである。この樹に久しぶりに出会ったのは、先月の富士河口湖に旅したおり、“忍野八海”に立ち寄った時である。近くの民家の庭に植え込まれていた。ただ、この忍野村では、めずらしことではない。村奥の旧家などには、壮大なアララギの垣根があるくらいだ。秋には赤い実をつけ、常緑の葉とのバランスは絶妙である。

あららぎは 夏雲ささえ 動かざる 富士湧水に 浸かる*忍草  -夢蔡ー

20120519_073 ▲ 【ア ラ ラ ギ】 とは、俗称である。本名は、【イチイ】である。昔々に、材から“笏”を作ったことから、階位の一位にちなんだと言われている。

 *注) “忍 草” 「しぼくさ」 と読み、実は地名。山梨県南都留郡忍野村忍草・・。 この村の字名である。ーその昔、富士山の火山活動が活発だった頃、マグマが流れ出し、この一帯を覆う。少し上流に山中湖ができ、忍野付近は広大な湿地帯となる。“渋草”(蘆の類か)が生茂る。渋草→忍草

20120519_058 ▲ “忍野八海”のうち、最高の湧水量をもつ【 湧 池 】。相当な勢いで、湧き出している。写真奥5~60メター程で村内を横断するダ桂川に落ち込むが、流れは速い。黄色の魚は、30cmの虹鱒のアルビノ。湧き出し口に向かって、力強く泳いでいる。流れの強さが想像出来る。

20120519_068水流の強さを利用した水車。蕎麦を搗いていた。(ただし、民営の物)

 ーー富士山に積もった雪は、解けて地下に浸透する。それから、15~20年かけて、北富士の忍野盆地に湧き出す。忍野八海は、有名であるが、湧き水は、村内の小高い丘の岩下などいたるところでみられる。田の用水の水源になっている箇所もある。

木漏れ日の 中に笑みする羅漢あり 久しく会わぬ 友の面ざし  ー夢蔡ー

 短歌を作り出した頃、川越「五百羅漢」に行った時のもである。この友が、忍野村の住人であった。今は、もう住んでいないが、忍野のあちこちにあった湧き水、アララギの赤い実は、心の深層に潜んでいる。

      ----- 了 ----

  


梅雨に入る日

2012-06-11 22:35:45 | 日記・エッセイ・コラム

 入 梅 陰暦では、夏至を中心として、約30~40日間を“梅雨の期間”とする。この雨期に入った最初の日を「入梅」とします。今年は、暦どおりに梅雨になったわけです。

  世の人の見付けぬ花や軒の栗(芭蕉)ー かって、農村部では、各家々にあった栗の木も、昨今、ほとんど、なくなりました。巨木になるので嫌われたようです。

栗の花 咲き満つ樹間を 椋鳥の 子等さんざめき 巣立ち行たり ー夢蔡ー

Dscf1834黄白色の穂状の花。これは、すべてが“雄花♂”です。少し上向きかげんに咲き出した後、穂状になって垂れ下がる。この房状の集合体は、生命を維持せんとする迫力に満ちております。

栗の花 白連獅子(しろれんじし) 梅雨(つ)入りかな ー夢蔡ー

Dscf1819 ▲ 雄花の穂が、房状に垂れ下がった枝の基部に、“雌花♀”が鎮座しております。雌花は、三個の子房を持っている。(雌花の実際の大きさは、この時点で、径は、約3ミリ程度)▲写真奥に拡大された雄花の花粉が見えます。

 栗は、縄文時代(約1万6000年~3000年前)には、我が祖先の「主食」の一つであったようです。遺跡から土出のクリのDAN分析では、優良種を選んで栽培したといわれております。 団栗などの広葉樹の実のなかで、栗は抜群に風味よく美味です。今日まで一般に食べられいるのは、栗だけです。

Dscf1845_2 栗を利用するのは、人間だけの特権ではありません。私は、ハナモグリの甲虫(こうちゅう)であります。花粉類を主食としております。

Dscf1976 ▲ 豹 紋(ひょうもん)蝶は、雄花の奥に口を刺して蜜を吸います。モンシロチョウのヤワナ口先では出来ません。ー私たちは、栗の花にとっては、媒酌人であります。ー 雄花を離れる時に、雌花にそっと花粉を届けております。

 瓜食めば 子ども思ふゆ 栗食めば まして偲はゆ いずこより 来たりしものぞ まなかいに もとなかかりて 安寐し寝さな (万葉巻 5-802 山上憶良)

 ー「ウリを、栗を食えば、子どもの事がしきりに思い浮かぶ。目にチラついて、安眠も出来ません。」 

 万葉歌人に、こんな哀調のある歌を作らせたのも、昆虫の目立つことのない努力あったからであります。 【共生】だとトサ・・・・

          ----了ーーー