諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

早春の記

2014-02-27 20:58:50 | 日記・エッセイ・コラム

 立春を過ぎ、春霞たつ雨水(←2月19日 雪や氷が溶け雨や水になる。)を迎えたけれど、関東平野北遇は積雪70センチ、120年ぶりとかいう“大雪“に閉ざされた。ご近所総出で雪掻きをしたが、雪がこれほど厄介なものだとは知らなかった。(←二十四節気とは、月の満ち欠け(陰暦)上の設定だから、一か月のズレがある。実際は真冬だから雪は当たり前である。)
  この近郊の構築物の強度設計は積雪30㎝程度だという。特に、農業用ハウス(トマト・きゅうり・ほうれん草・イチゴetc
)が、壊滅した。

自然が時々“牙"をむく。“経験したこのない・・・“とか、言い訳がましい。むしろ、むき出された牙によって、人間の自然への向き合い方のプロセスがあらわになる。
 たとえば、"食べもの"観がある。本来なら、春から夏にかけての作物が食卓にのぼる。それを享受して普段はなにも感じない。しかし、それが大いなる矛盾?錯覚であることに気付かせられる。
 大自然の変動に対しては、人間の営為は、まことに脆弱なものなのである。

→→

芽の固き 白樺の枝 混みし径(みち)  こぼれ落ちくる 光をひろう  ー夢蔡ー

20140127_015_2 ▲ 自然は急がない。→芽吹きは、光=温度の積算である。不動の姿勢で、その季を待つのである。

→→→→→時が至れば・・・

たち混みて 白樺の枝 空を差す 再生細胞 動きだして芽 ー夢蔡ー

ー 植物は,優れものである。挿し木を例にとれば、枝の樹皮になった部分から発根する。その細胞が逆進性(←いったん枝として決定した細胞から根を生み出せる)の能力を備えているということである。
 人間を含めて、動物界ではこの様なことは起こらない。例えば、手や足に細胞が分化すると、それで決定である。手の細胞を取り出して、足には変化することはない。膨大な時間とコストをかけて、"万能細胞"の実験が繰り替えされている。
 植物に近づくのはいつのことだろうか・・・・。

             -----<了>-----