諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

荒れ畑 エレジー

2009-10-26 16:23:39 | 日記・エッセイ・コラム

  作り主なき荒畑は 草紅葉 羽音はげしく 群れすずめたつ   ー夢 蔡ー1025_017

  何の変哲もない草原の風景である。広さは、ざっと三反歩≒1000坪≒3300㎡と言った所だろうか。作り主を失ってから数年経った。写真の中央部の緑は、桑の木である。養蚕の名残である。(時々、農家の人が、邪魔になるから切っているので、大木にならない。) 畑は、ホウレン草、ニラ、ゴボウ、西瓜、サツマイモetc,と活躍した。今は哀しい【 耕作放棄地 】である。

 「 耕作放棄地は、全国で、埼玉県の面積に等しい」 と、 TV で報じていたが、どの時点での調査・統計に基ずたものか、発表はなかった。はたして、その程度の面積ですむのだろうか。どうも、見積もりが低いような気がする。

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  減反や 田の蓼赤し 秋は過ぐ  -夢 蔡ー

 この田のように、減反の届けをしたまま放置されいる。田の奥の方にセタカカアワダチ草や、背の高いブタ草の群落が目立ち始めた。こうなるともう手が付けられなくなる。時間が経てば経つほどに、田んぼを元に戻すためには、たいへんなコストがかかる。

  秋深し 稲穂は重く 地をはらう 豊穣の香に あたたかき色 -夢 蔡ー

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  この田の豊穣は、やがて失われる。減反手当て ¥30,000と引き換えにである。作り主は、充分に年老いている。

  耕作放棄の田畑は、雑草群落と化して、群れたスズメの基地となる。隣田んぼの取り入れ前の稲穂が、狙われる。雀は、実り具合をよく知っている。

  この国のグランド・デザインはおかしい。地方で有数の田圃地帯に、まづ広い片側2車線の道路が走る。やがて、住宅団地・工場団地・ショッピングセンターが、誘致される。

  確かに、圃場は、大規模に整備されている。稲作用コンバインは、大型化する一方である。しかし、そこから取り残されてしまう小面積の田圃が幾つもある。大型耕作機が入って行けないのだ。こうした田畑が、いずれ耕作放棄地となってしまうのである。

  白鷺は餓え来たりしか 荒れた田にしばし留まり 果敢なきて去る  -夢 蔡ー

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  白鷺が、荒れ地化しつつある田んぼの畦に立ち続けている。カエルやザリガニは、とっくに土の中にもぐり込んでしっまただろう。足元のすぐ下は、水路があるのだが、コンクリートで固められていて、ドジョウは、棲めない。しばらくして、シラサギは、重そうに羽ばたき、立ち去った。獲物は、無しである。

  その土地特有のバランスが崩れて、生物相は、すっかり貧相となってしまった。生きものたちにとっても、豊かさが失われて、棲みにくい世界となってしまったようである。

  

  

  

  


ハーブ・薬草の花 2題

2009-10-22 21:05:13 | 日記・エッセイ・コラム

  ■ チェリーセージの花  

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  隣の雑草の間に咲いておりました。『赤い鳥 小鳥~♪』の写真に使えそうな花の構図でした。赤い実と、白い実を同時に食べて、飛び立とうとしている姿では在りませんか。これが、【セージ】の一種で、【チェリーセイジ】(メキシコ原産の)という【ハーブ】の花とは、知りませんでした。しかし、何でこんな形なのだろうか?

  ■ チェリーセイジを 斜め横から見ました。

  翼の付け根からは、二本の角が出ています。先端は、黄色で多分雄しべの花粉。背中を貫くように突き出ているのが、雌しべと言うことのなるでしょう。ごく小型の羽虫が、花の奥の蜜を吸った後に、飛び立つときに受粉される。その雌しべは、鳥の頭が、上から被さる様に、羽根が上方にまくれ上がって、包み込まれる。こうして、種子は、保護されるようであります。

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    花の形には、標準型(サクラ、ウメなどの5弁花)、立体型(オダマキ、ホタルブクロ、スイセンなど)放射相称型(コスモス・・・)、左右相称型(ラン科の花が代表的)と、大きく分けられるようです。どうやら、当、チェリーセージは、左右相称型では、ないかと思われます。▼ 花の形の多様化は、昆虫の多様化に準じて、現れているようです。これ等も、媒酌人が、バッティングしないように、自然界が持っているバランス感覚の配慮ではないでしょうか。極端なのは、ランの一種に、花の形が、蜂そっくりなのがあって、オス蜂が、交尾しようとするそうです。オス蜂が、悪戦苦闘して動き回っている時に、受粉が起きるという次第です。マア、拝見したことはありませんが、「そこまでやるの~@」ですね。

  【セージ】は、イタリヤ語で、サルビア。英語で、セージ。ラテン語のけんこう【健康・治す・救う】から派生した言葉だということです。薬効では、【頭脳の働きを刺激・心身の強壮剤】とあります。これだけ書き込むのに、昔読んだ「植物進化」の本・「カラー図鑑」めくったりで、それなりに、流行の【脳力】使いました。『薬効は、十分あり』でした。

    ■ ミョウガの花

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  庭の椿の木下は、かなりの小暗がりになっており、ここに、ミョウガが、群生しております。手入れは、全く、しておりません。文字どうおり、自生であります。8月から9月にかけて、麺類の薬味を主力として、利用させてもらっております。麺つゆに、縦割りの細切りして入れて、素麺にからませて食します。手間いらずで、あの独特の味と香りは、季節感は、抜群です。

  「 最近、物忘れをよくいたしますが、そのせいでしょうか~?# 」

  ミョウガの食用としての歴史はかなり古く、奈良・平安の時代の大宮人は、外来植物=中国渡来の珍味として、賞味されていたようです。香りもまた食味を誘ったようで、芽香と呼んだということであります。【 芽香ーメガ=ミョウガ 】と言う次第です。

  薬草図鑑には、【消化促進に効用あり】と出ています。

  「最近、太りました。そのせいでしょうか~?#」

 ■ ナズナ (薺)の ロゼット

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  日の当たらない道端には、冬越しに備えて、ナズナがロゼット状になって、地面に張り付いておりました。頑張っているのです。

  効用を調べました。【 利尿・解熱・止血作用 】とあります。

  ナズナは、日本古来の植物ではありませんか。大切にしましょう。時には、多くありすぎて、ペンペン草・ビンボウ草などと、揶揄されております。薬効をみれば、どうして大変に効き目ありそうです。この時期には、風邪・インフルエンザになえて、食べてみましょうか。

  

  

  

 

  

  


蜘蛛は天才である。

2009-10-19 11:54:36 | 日記・エッセイ・コラム

 ■ 蜘蛛は、動かない戦略を選んだ

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 蟻やキリギリス、蝶、蜂のように、あちこち忙しく移動し、走り回らなくても良いように、蜘蛛は、その生き方を決めた。生餌を常食にしている連中バッティングしたら、要らぬ争いをすることになる。無駄な精力は、使わないにこした事はない。しかしながら、徒手空拳では、どうしようもないだろう。そこで編み出したのが、糸で網目の巣を作り、それをトラップにして、獲物を待つ方法である。

  ■ 模様が、派手派手しいから 女郎蜘蛛 or 上臈(蜘蛛) どちらにしても、大きなお世話。  

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   縦糸=巣の保持、横糸=接着剤が仕込んである。この糸の織り成す妙については、随所に説明されているので略すとします。この材料を使って、念入りに、巣を作らなくてはならないのは、やむを得ぬことだ。労力を惜しめば、戦略の前提が崩れてしまう。▼ 「手な化粧!だって?ひょっとして、蝶が花と間違うかも・・#」 

 ■ 蜘蛛の巣城は完成した。

  ひっかかったのは、モンシロチョウである。瞬時の技で、束ねた糸を繰り出して、紙のように丸め込んだ。2~3メーターの枝の間を何度も行きつ戻りつした努力の結果は、実ったのである。

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  先祖伝来、改良を重ねた結果の強力接着剤である。糸に塗り込めたのは、効果抜群である。発明ー改良は、人間だけの特許ではないのだ。▼ダーウィン先生は、【突然変異の結果としての進化】 であると説明されておりますが、【突然という、訳の解らない偶然】では、それほど上手く事が運びません。

  ■ 背中の代紋は、伊達ではありません。黄色と黒の警戒色です。

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   言っておきますが、木屑に抱きついている訳ではありません。ただ今は、蛾の捕食中であります。【弱肉強食・優勝劣敗】 こうした生物の生存観がありますが、それは、たまたまの現象であります。各種の生物の生き方では、【弱・強/優・劣】を決定は出来ません。

 ■ 微細な点まで、その環境にピッタリである。環境に適応しないで生活している生物などは、見いだせません。

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  食事が終わりかけましたが、まだ、最後の一塊が残っております。雌蜘蛛は糸に伝わる振動には敏感に反応します。熱中している時が、チャンスです。背後から、雄蜘蛛が、注意深く忍び寄ってきます。動きを察知されると、情けないことに、エサとして扱われてしまいます。▼ 事を達するのに、十分に近ずくと、雄蜘蛛は手の先に精子をのせます。そして、雌蜘蛛の秘所に差し込むのです。そして、差し込んだ手は腕ごと切り離し、メスの体内に残してから、静かに去るのです。腕の欠けたオスグモが居たとしたら、それは、義務を果たしたオスであり、慶賀すべきものです。別に、巷間伝わるように、メス食べられたわけではありません。

    ■ カマキリ そこまで尋ね参りたれば、見参いたしました。

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  【カマキリ夫人】とか言う 【AV・ビデオ】なんかが、創られているようですが、はなはだ迷惑なことです。たまたま背中の上で、事に及んでいるオスを、食べてしまうことがあるのは、事実です。しかし、此れも自然摂理=秋口の餌の少ない時に、稀に有るようです。【女郎クモ】も、また 名前からして、そうとうな【H】が付く方の映像のイメージ・キャラに利用さておるようです。 左様なことにつきましては、人間にかなうものはないようでしょうが・・・。

 では お後がよろしいようで・・・・・・。

  

  


ピラカンサスは、火の棘といふ

2009-10-17 22:14:10 | 日記・エッセイ・コラム

  秋日射す 庭に一人居 枝打ちす ピラカンサスは 火の棘といふ   ー夢 蔡ー

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  「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。俺はその一秒いとしい。ただ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利だ。・・・おれは、命を愛するから歌を作る。」ー石川 啄木・〔一利己主義者と友人との対話)ー

  最近になって、この近所に短歌を長年やっている老婦人がいることを知った。機会があって、短歌についての話を聞いた。参考にと、彼女の自費出版の歌集『返り花』を頂戴した。

  独り居と 言えばあわれむ まなざしを 撥ね返し来て 心あらぶる

  雨の日の 出会ひ秘かに 封印し 折り目正しく 閉ざす雨傘  -保 世ー

   昭和5年生まれ、80歳である。歌に現れているように、その精神性は、いまだ激しさを秘めていて、しかも、若々しい感受性を含んでいる。啄木の言葉は、この老婦人にピッタリであろうと思い、書きこんだ。

 彼女に触発されて、初めて短歌なるものを作ってみた。冒頭に書き込んだ。さて、保世先生に添削して頂いたら、何んと言われることか。【短歌作りは、まず、印象に残った事象を、よく観察することから始めるのです。また、日々の自分史を簡単にノートすること。要は、言葉にして見る事です。】と言う。

 ■ ピラカンサスの実を、アメリカシロヒトリの幼虫が食んでいた。

 ピラカンサスを観察していると、こんな珍しい風景に出会ってしまった。シロヒトリは、もうじき、家の軒下などに這い登り、そこで蛹化して冬越しの体制に入るはずである。その為の、本来の葉を十分に食べられなかったのか?越冬体力の補給だろうか。

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  若き日は 命のかぎり と歌いしか ピラカンサスは 日の棘といふ  -夢  蔡ー

 ピラカンサスは、噛んでみると、渋い。ウメモドキは、果肉トロリとしているが、相当にがい。『若さは、猶予の時でもある。間違いを畏れるな。貪欲に手を出してみることが、必要なのだ。』 学生のころに、物知り顔の先輩に言われたことがある。勉強不足なのは、明らかなのに、相当に乱暴な事も平気で言ってのけた。目標への手段が、まだ十分に手にしていないのに、意志は燃えていた。

  ヒヨドリ、オナガ、ムクドリは、群れをなして、欅に飛来する季節となった。巨木になってしまった柿は、到底、人の手はとどかない。梢の柿は熟れて甘いのだろう。彼らは、周遊して啄ばむ。ピラカンサスやウメモドキに鳥たちが、手を出すのは、強い木枯らしが吹き始めてからである。 


秋の雀蜂ラプソディー

2009-10-14 22:52:59 | 日記・エッセイ・コラム

  茶の花に 頭うずめし 雀蜂 汝は毒針を しまいしか   夢  蔡

 茶の花を、カメラに収めていると、耳元で羽音した。飛来した雀蜂である。このままでは、危険である。茶の木から、ソット身を引く。採餌にきたのだろうか。

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  見たところハタラキバチである。彼の習性からからすれば、茶の葉の裏側に、小型の毛虫を探しにきたのか? 秋も深まりつつある。受精卵を抱えて、越冬する女王蜂への最後のご奉仕だろうか。

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    狙いは、茶の花であった。頭を花の奥へ差し込む。花の奥には、甘い蜜がある。(実際に、花を摘んで、噛んでみると、微かに甘いのである。)

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 ひとしきりすると顔を持ち上げた。よく見ると、頭や胸周りには、茶花の花粉がいっぱい付いている。この後、更に何個かの花の中に、顔を突っ込んでから、ようやく出てきた。042

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 コンパクト・デジカメ、メニューは、スーパーマクロで、多分10cm以内に近ずけて撮っていた。カメラに気ずいたのか、こちらを向いた。攻撃体制である。シャッターを押して後ずさる。

 もう十数年も前の話である。私は、雀蜂に刺されている。(その経緯については、前年のブログに書き込んだ。) 従って、蜂毒の抗体が出来ている。もう一度刺されれば、抗体が体の内部で反応して、とんでもない事になるようである。

 ■ 茶の花や 木暗き中の 白さかな   夢 蔡 

  日本の山野にも自生していた様であるが、現在、見られるものは、植物図鑑によると、、808年に中国より渡来とある。808年に「隋使 裴世清 来日」と年表に記載されているが、この年に持って来られたのかな?

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 【  自然との共生 】 言葉は美しい。自然の条件を人間流に変更して、他の生物の生活環境を壊しておいてから、【共生】を幾ら叫んでも、遅い。雀蜂は、里山の奥が住みにくくなれば、別の場に移住するだけである。かれらは、新しい森をそこに見つけたのである。

 従って、 この程度の安全地帯で、黙って、静かに眺めているのが正解なのかもしれない。