諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

さつまいも 遥かなる味の記憶

2009-09-28 17:02:03 | 日記・エッセイ・コラム

 滋賀野 宮彦の戸籍の身分事項欄には、次の様な、記載がある。【出生地】 満州国北安省海倫県大和村大字榛名郷吾妻区  【受理者】 在満州国特命全権大使

 運よく帰国することが出来たが、一歩間違えば集団自決するところだった。逃避行する集団の中に、教師をしていた老齢の男性がいて、「 早まることはないー! 必ず生きて帰えれる・・!」と言って止めたので、全員思い直して、道なき草原を歩き続けた。

 宮彦には、当然そのような記憶はない。しかし、薄暗く藁が敷き詰められている小部屋の中で、母親が、宮彦の上着の襟に何か細工をしている場面だけは、鮮明に瞼の奥に焼きついていた。後年、母親に聞くと、「青酸カリと紙幣を縫いこんだ時のことだろう。」と教えてくれた。

 ■ 甘藷蔓  藷食う  〔季語より) 

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 引揚列車は、品川駅に着いた。駅のホームは、沢山の人々で溢れかえっていた。騒然としたホームは、薄暗く長く奥まで直線的に延びていた。その先が、オレンジ色に輝いていた。それを見つめていたのは、そう長い時間ではないだろう。何故か追憶の一コマとなっている。

 宮彦の手に温かい物がのせられた。いい香りがした。空腹である。ほおばる。甘く何んと表現して良いのかわからない味が口いっぱいに広がった。それは、初めての【 ふかし藷 であった。

 「 本当に美味かった・・・。」 瞬間的に凝結して、口の中に記憶されたあの味には、その後、再び出会った事はない。

 満州国の物語は、壮大であったが、国家官僚(軍部を含む)が描いたバーチャルナ世界であった。多くの富が、其処には眠っており有り、国内の資源不足・食糧難など、矛盾をすべて解決する手はずであった。しかし、結果は、多くの犠牲を生むだけに終わった。

 おりしも、八ッ場ダム建設の中止問題が、持ち上がった。57年かかってもまだ完成していない。完成計画には、治水・飲料水・発電・観光etcがあるが、57年間、誰も困っては居ないのが現実ではないだろうか。ただし、八ッ場地区の人々を除いては・・である。一都六県を巻き込む大計画が、今日まで、殆んど国民的関心を呼ぶことが無かったことの方がおかしいのだ。


栗は実った。 栗の風雅その後・3

2009-09-18 10:40:20 | 日記・エッセイ・コラム

  栗について、最初の書き込みをしたのが、5月末日でした。、木イッパイに付け、あたり一面に、あの独特の匂いを、憚ることなく発散させたのは、雄花群でした。それに囲まれた5㍉くらいの可愛い雌花も、ようよう約3ヶ月経ち、甘い栗の実となりました。

  瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ ・・・ (万葉集 巻5-802) 山上 憶良は、この様に詠っております。1200年も前のことです。栗は、古来より日本人の生活に密着した食べ物であることは、知られるところです。梨、葡萄に比べると、けっして、派手さは在りませんが、少し物悲しい情緒、抒情を詠うには、もってこいの小物ではなでしょうか。

  ■ イガイガから顔を覗かせた栗 〔6月 栗の花の写真と同じ位置)

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  ♪ 静かな 静かな 里の秋  /  お背戸に木の実 落ちる夜は  /   ああ母さんと ただ二人  栗の実煮てます  囲炉ばた~#

  平成9年に【日本の歌 百選 】に選ばれました「里の秋」であります。たいへんに懐かしい旋律で、心の奥底に浸みつております。栗の実を見たりしますと、思わず、此のメロデーを口ずさんでしまいます。

  ♪ 明るい 明るい 星の空  /  鳴き鳴き夜鴨の  渡る夜は  / ああ父さんの  あの笑顔  /  栗の実食べては  /  思い出す ~#

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  今年も、メロデーを頭に浮かべながら、十分に賞味いたしました。しかし、この「栗の実食べては ~ 思い出す~♪」は、重みのある歴史を背負っておりました。『里の秋』は、昭和20年12月24日、NHK放送の【 外地引揚同胞激励の午後 】のテーマ曲で、斉藤信夫・作詞で、童謡歌子の川田正子が歌い、当時の時代風潮に合っていたのでしょうか、爆発的にヒットしたということです。(詳しくは、ネット上の『里の秋』に譲りますが・・。)

  ・・・・  ああ父さんよ ご無事でと /  今夜も  母さんと祈ります~♪

  敗戦の日から、半年後に、ラジオから流れた哀調のあるメロデーは、外地から、まだ帰って来ない(当然、消息もわからない・・。)父・夫・兄弟をまっていた家庭では、とりわけ心に響いたのではないでしょうか。

  敗戦には、660万人もの人たちが、外地にいたとされております。とりわけ、満州・樺太・千島には、民間人が多く、引揚の途中は、孤立無援で、それは、凄惨をを極める逃避行あった事は、後に実情が、明らかになることです。

  国策の誤りと、事後処理について何も考えていない無責任体制の結果、置き去りにされた民間人は、置き去り難民・棄民となりました。こう言う事は、二度と繰り返してはいけません。

  カー・ラジオから偶然、モノラル録音の川田正子の歌声が聞こえてきました。少し雑音交じりです。いたいけのない少女が、時代を背負い、一所懸命声を張り上げて歌う様子が覗われて、懐かしいものでした。

  平和な世界にこそ、風雅はあり得るのです。

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  いが栗の  木暗き中に はじけ落ち   夢  蔡