滋賀野 宮彦の戸籍の身分事項欄には、次の様な、記載がある。【出生地】 満州国北安省海倫県大和村大字榛名郷吾妻区 【受理者】 在満州国特命全権大使
運よく帰国することが出来たが、一歩間違えば集団自決するところだった。逃避行する集団の中に、教師をしていた老齢の男性がいて、「 早まることはないー! 必ず生きて帰えれる・・!」と言って止めたので、全員思い直して、道なき草原を歩き続けた。
宮彦には、当然そのような記憶はない。しかし、薄暗く藁が敷き詰められている小部屋の中で、母親が、宮彦の上着の襟に何か細工をしている場面だけは、鮮明に瞼の奥に焼きついていた。後年、母親に聞くと、「青酸カリと紙幣を縫いこんだ時のことだろう。」と教えてくれた。
■ 甘藷蔓 藷食う 〔季語より)
引揚列車は、品川駅に着いた。駅のホームは、沢山の人々で溢れかえっていた。騒然としたホームは、薄暗く長く奥まで直線的に延びていた。その先が、オレンジ色に輝いていた。それを見つめていたのは、そう長い時間ではないだろう。何故か追憶の一コマとなっている。
宮彦の手に温かい物がのせられた。いい香りがした。空腹である。ほおばる。甘く何んと表現して良いのかわからない味が口いっぱいに広がった。それは、初めての【 ふかし藷 】であった。
「 本当に美味かった・・・。」 瞬間的に凝結して、口の中に記憶されたあの味には、その後、再び出会った事はない。
満州国の物語は、壮大であったが、国家官僚(軍部を含む)が描いたバーチャルナ世界であった。多くの富が、其処には眠っており有り、国内の資源不足・食糧難など、矛盾をすべて解決する手はずであった。しかし、結果は、多くの犠牲を生むだけに終わった。
おりしも、八ッ場ダム建設の中止問題が、持ち上がった。57年かかってもまだ完成していない。完成計画には、治水・飲料水・発電・観光etcがあるが、57年間、誰も困っては居ないのが現実ではないだろうか。ただし、八ッ場地区の人々を除いては・・である。一都六県を巻き込む大計画が、今日まで、殆んど国民的関心を呼ぶことが無かったことの方がおかしいのだ。