身近で見る 【 おくのほそ道 】-VOL・3
芭蕉は、須賀川までやって、参りました。そうとう疲れたとみえます。此処に、4~5日逗留するのですが、この宿の傍らに、、大きな栗の木陰の奥のほうに、『世をいとう僧』が、住んでおりました。「橡拾う」と詠んだ西行法師もこんな深山生活していたかと、偲ばれ、次の詞を、書いて、句を詠んだ。・・ということであります。
栗という文字は西の木と書きて 西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此の木を用ゐ給ふとかや。
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗
我が家の、軒の栗です。殆んど、手入れはしたことがありません。しかし、毎年よく花を咲かせます。長い穂状の花を、無数に付けます。栗の木は、一面にまっ白くなります。日の光に、輝いて結構な迫力があります。なんと形容したらいいのかわかりません・・・・。【雅ーー!】です。(★【雅】とは、モノに感じて『ギャァー!』と言葉を失う様を表す会意文字です。) 文才なし!は、こう言う時に、奥の手といきます。
振鷺ここに飛ぶ かの西雝せいように・・・・・(途中は略す)
簡なり簡なり 方ごとに萬舞を將おこなふ
中国最古の詩歌集 『 詩 経 』 の一篇から、かなり乱暴ですが、必要なところだけの引用です。栗の花の様子が、将に、この歌詞の通りに感じられます。「はねうちかわしながら白鷺が舞い」ます。それは、 「 簡なり 簡なり 」=まことに勇壮な群舞であり、四方へ舞い進む。これは、祝言の舞で、舞手は、偉丈夫然たる男たちです。(白川 静先生の「詩経」より) 白色の万舞です。 ピッタリ!!です。
俗世を捨て、栗の木陰の奥にヒッソリと棲む僧に、心を動かす、芭蕉の風雅・漂泊の世界から離れてしまいました。そして、ますます、離れます。
栗の花の下で、カメラを持ってウロウロしながら、ふと気付きます。(『 アナタは気付くのが、いつだって遅いんですよ~・・・』 横あいの方で、ドナタかが、言ってます。マア、だいたい、その通りなんですが・・。) 「 この花のうち、どれが、イガイガの栗の実になるのかナ~?」 ▼ 植物図鑑で調べました。ナント、栗の花、乳白の長い穂状のものは、雄花で、その下部に、雌花は、総包に包まれいると、図解されているのです。不覚です!!。(大きい声は出しません。また、何か言われます。)
雌花です。なるほど、雄花の下部に、居るではありませんか。尾状花穂と呼ばれる雄花群の中ほどに、鎮座していました。雌花を取り囲むのは、勇壮な舞手 【偉丈夫然たる男】たちです。群舞しながら、虎視眈々と、狙っている様子です。しかし、強引に引き倒し、引き剥がし!!!・・・そんな、無体なことはいたしません。ただ、『ジイーッ』と見つめているのです。
ここに誰をかこれ思う 西方の美人 かの美人は 西方の人なり
このように、遥か西方を望み、美しき人を想い、踊るのです。
栗の花は、虫媒花です。虫を惹き付ける手段は、あの独特な、甘ったるい生臭さのする匂いです。コバエや小さな甲虫が、雄花にもぐり込んでいました。『花よ蝶よ』のように、華やかではありません。実に地味な媒酌人ですが、しかし無事に婚儀は整います。【 かの 美 人 】は、子を宿します。月満ちて・・・。
【♪ 栗の実~食べては 思い~出す~~# 】 栗は、誠に優秀な食い物です。美味です。実に、縄文のむかしから、日本人の食生活をフォローしてまいりました。しかし、この続きは、栗の実を食べながら、ということにいたします。
、風雅が、【詩経】に、その源があり、李白や杜甫の詩情の世界にも深く影響を与えていることは,言うまでもなでしょう。そして、当代の知識人である芭蕉が、それを、教養として自分のモノにしていたと言えるでしょう。(芭蕉の句には、唐詩風な響きを、感じさせるものが、いくつもがあります。)
しかし、私は、いまここで、とうとう、芭蕉の意図した風雅の世界に至りませんでした。
自然は、【不易】です。そして、日々【流行】してやまざる世界です。、栗は、毎年花を咲かせます。その生態の巧みさを、毎年演出するのです。驚きを、ただ感じるのみです。 私は、そこに、風雅を見ます。
これで、なんとか振り出しへ・・・。草々
※ 追伸 近くに、一人者の老人が住んでいました。望んで、俗世を離れて生活してた訳ではありませんが、沢山の草木を愛でて、風流人を装っておりました。「独居老人」-この言葉あまり好きになれませんが、町役のひとが、時々訪問していました。「オレは、一人でカッテニヤルカライイんだ!」と、元気な声を張り上げておりました。しかし、認知症を発症して、施設に入れられてしまいました。2年前に亡くなり、家は解体されました。裏庭には、かなり巨木になった栗の木がありましたが、それも一緒に伐られてしまいました。