諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

今年の春の備忘録 vol,2

2011-04-25 21:55:42 | 日記・エッセイ・コラム

   春の太陽が強く光線を放って、菜の花は、更に黄金色に輝いた。村内から、川に向かって歩くと途中に小高い丘があった。そこは通称「オトカ山」と呼ばれていて、村の氏神である稲荷様が祀られている。「オトカ」とは、「お狐さま」の異名で、狐の代名詞=「御稲荷」を訓読みすれば、〈御=オ 稲=トウ 荷=カ〉となります。* 子供の頃、暗くなるまで外で遊び呆けていると、「オトカに化かされるゾ~!なんて、言われたものです。「オトカ」と言う語感が、奇妙に説得力がありました。 

 注連縄の 古びて下がる 村やしろ 染井吉野の 大樹はなやぐ -夢蔡ー

20110415_033 ▲【春爛漫の若宮稲荷】 粕川べりの5メートルにみたない丘に祀られた小さい社である。染井吉野3本、杉3本、藪椿2本、シラベ1本、河津サクラ2本が、植えられている。

 ーー「オ ト カ 山」 異聞ーーー

     この村に、熱心な信者がおりました。毎朝参拝を欠かさず、1日と15日には、油揚げを供えて、信心いたしました。境内の掃除もしました。ある日のことです。参拝して帰りかけると、イナリさまに、呼び止められました。

  イナリさま  「毎日熱心なる姿、感じ入るところである。今日は、願いを叶えてやろう。何でも申して見よ・・金持ちがいいか?」

  信者  「 イエ~、富は望みません。平々凡々で結構です。ただ一生衣食に不自由しないで、時々、美しい女性と美味い酒飲み、香を焚き、雪月花を愛でて過ごすことができましたら・・・ハイ~、お願い出来ますでしょうか?」

  イナリさま  「 そ~・・そのような安楽な所があったら、ぜ~ひ!とも私を連れて行ってくれまいか・・・」

   と、イナリさまは、座を下りて来てしまいました。」 とさ~

  これで、オトカ山のお話しは、お終いです。ーー

  春は、ますます進行形であります。

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  陽春の 光を抱き 木の芽生(お)ふ ー夢蔡ー

  

 


今年の春の備忘録ーvol.1

2011-04-23 19:12:23 | 日記・エッセイ・コラム

   「歳月 人を待たず」 将に、その通りであります。新規の記事を予定して、またそのために 「写真も撮りました!」ー しかし、怠けておりました。気がつけば、4月も、いつの間にか残り少なくなりました。写真は、〈季ずれ〉になりかかっておりますので・・取り急ぎー

 鮭の稚魚の放流

 川沿いの「菜の花道」下ること約2K。葦の原は、まだ枯れ色が濃く残っている。道沿いは、野カンゾウがやっと細い葉を萌やし始めた。

 すかんぽの 茎立ちはじむ つつみ下 きじ高鳴きて 篠むらに入る ー夢 蔡ー

 3月6日 「地域ずくり」に頑張っている団体の皆さんが、鮭の稚魚を放流するという。誘われて参加をした。▼ 昨年の秋に、写真中央の「落ち込み」に、4~5匹の鮭が遡上出来ずに死んでいたとか。どうも、写真奥の川幅いっぱいをふさいだコンクリート堰のせいだったようである。そのために、堰の真ん中のコンクリートを崩し、鮭が自由に上れる様にした。(*注ーもちろん死んでいた鮭は、もっと上流で放流されたもの)

20110415_036 ▲【仲春の御嶽山西粕川】 この場から1キロたらずで、粕川は、広瀬川に合流する。コンクリート堰の中央を抜いた結果、水流は勢いを増した。広瀬川は、5~6キロで大利根川へ。そうして、大都会・工場地帯へ水を供給しつつ、海へ至る。

20110306_006 ▲【5cmほどに成長した稚魚】放流前のウオーミング・アップ中であります。元気ハツラツです。触れてみると、同じ体長の淡水魚のオイカワやモロコ等より、骨太で力ある感じがする。

 ーー1:00pm-放流ーー

 集まった市民約100名。それぞれが、数匹の稚魚が入ったプラスチックのコップ手に持ち、コンクリートの傾斜のキツイ岸辺を、注意深く、列をなして下りた。そうして、川の流れに乗せるようにして稚魚を放した。

 たれし 稚魚は流れの奥に消ゆ 試練に生きて もどり来たらん ー夢 蔡ー

 ・・と言う事で、放流会は、甘酒で乾杯して終了いたしました。平和・平穏そのものの一時であります。一週間後に、大震災が東日本を襲うなどと、誰が予想したでしょうか。

  ▼ 鮭の稚魚たちは、川の臭いを 「脳の深層に刷り込む」。この川が生まれ育った「故郷」なのだと。そして、川を下り海へ向かう。順調であれば、5月頃には利根の河口から海に出ることができる。親潮ー黒潮の合流海域のあたりで、6~8月にかけて、海の動物性プランクトンを充分に食べ体力を養う。そして、遥かアリュウーシャン・ベーリング海峡に向けて旅立つ。4年後に生まれ故郷に帰るときまで、北の海でたくましく育つ。

  ▼ 三陸沖から福島・茨城沖が、大変な事になっている。本来、自然界には存在しない「放射性汚染水」が、大量に海へ流れ込んだ。稚魚たちを深く傷つけるかもしれない。通常でも、稚魚の生き残る確率は低いものだ。悪い条件が、一つ加わってしまった。

  もともと、自然とは、総ての生物に対してたいへん厳しいもである。人間が、利便性という目的むかってて、後をも見ないで、ただまっしぐらに走った。ある意味で自然は「答え」を出した。

  

 

 


行く春 川沿いの道にて

2011-04-15 22:12:39 | 日記・エッセイ・コラム

 快晴 気温24℃ 今年は春の訪れが遅かったせいか、ここ2~3日でいきなり「晩春」と呼ぶに相応しい日々が来てしまった感がする。▼「春惜しむ」 4月中旬を過ぎると、春もそろそろ終わりであると言うのが通例であるが、今年は、「惜しむどころか、ようように春を満喫」である。 「 菜の花の 香りきつかり くさめ哉 」 イエー、花粉症ではありません。風邪です。200Mほどの菜の花道は、甘い香りに満ちみちております。

 小魚は跳ねて 早瀬をのぼりいる 岸辺 菜花に ふちどられをり ー夢蔡ー

 

20110415_019_2 ▲ 【菜の花】=〈アブラナの花〉 アブラナ(油菜)は、種子から菜種油をとる。葉は冬菜として食用、花は黄色、観賞用。「かき菜」は、アブラナ、またはその変種。此度は、「○□シーベルト/h」とか言う単位で計られる微粒子にやられて、食用を一時禁じられました。

  「じゃ、話そう。いつの日かーーおれたちは金を合わせて、家と土地を持ちー『そして、土地のくれる一番いいものを食って、暮らす』ーーいいか、俺たちは、おきな野菜畑と、ウサギ小屋とニワトリ小屋を持つ。冬、雨が降れば、仕事なんかごめんだと、ストーブに火を焚き、その周りに座って、雨の音を聞く・・・。」

  ▼スタインベックの小説「ハツカネズミと人間」の中の1節です。農場を渡り歩くふたりの貧しい男達が夢を語る部分です。

 「その土地のくれる一番いいものを食って暮らす」は、旧約聖書にある言葉ですが、泣かせどころであります。含蓄のあるいい言葉だとおもいます。▲人は、多くを望み、多くの仕掛けを作り上げる。上手く稼動している時はいい。だが、何かのきっかけでそれらが崩壊する時、【後に残るはただ単に 悲しみ苦しみで 約束のよろこびは 消え果ぬ】ーバーンズーであります。心すべしーー


大震災より1ヶ月

2011-04-11 21:35:38 | 日記・エッセイ・コラム

 2011年 3月11日 午後2時46分 三陸沖を震源とするM9の大地震が起きた。この地震により大津波がおこり、岩手、宮城、福島、茨城にかけての沿岸を襲った。未曾有の大惨事となった。 死者12、915人 / 行方不明14、921人 /  避難生活者16、4万人。(朝日新聞4月10日) 難航する行方不明者の捜索。まだ先の見えない「生活再建への足がかり」=復興への遠い道のり。→連発する余震。大震災は終息していない。

 瓦礫投げ もう涙せぬと言いし人 「生命」(いのち)の持てる たくましきを見る -夢蔡ー

 福島第一原発 「1~5号機、全電源喪失」 地震発生ー午後3時40分頃の14mをこす津波が直撃。非常用ディーゼル発電機が機能せず原子炉は制御不能に陥った。巷間伝わるところ、「地震・津波は天災、だが、原発事故は人災!」 ▼「3:11大震災」の復興進捗に多大な影の部分となっていることは否めない。

 世を挙こぞ)り心傲おご)ると歳久し天地(あめつち)の譴怒(いかり)いただきにけり  ー北原白秋ー

20110324_001 ▲ 「計画停電の夜」 この「計画停電」は、緊急避難の手段としては、悪手であった。人々の生活のあらゆる場面、生産業間の分業ネットワーク、ITによる生産・販売ネットワークに影響した。4/10現在中止。

ほの暗き ランプ灯してただ黙す 電気に支配さる われらが日常  ー夢蔡ー

 人間界を中心とすれば、この世には、受けるいわれの無い絶望的な不幸・「意味づけること」の出来ない悲劇が存在してしまう。犠牲になられた方々へのご冥福を祈るのみである。

 人間であるということは、自分に関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。-サン・テクジュべり「人間の土地」よりー