諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

千切れ雲は、梢をかすめ飛びさる・・

2009-01-15 12:24:24 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390266  写真にして見ると、単に、青い空と流れる白い雲の絵柄である。しかし、・・

 雲は、関東平野 西北辺の風物 からっ風に飛ばされて来たのである。

 この地帯は、南西から北東にかけて、高い山なみに囲まれている。日本海で発生した雪雲は、この山なみを超えることが出来ない。雲は、雪をしっかりと、国境沿いの山やまの向う側に、降り下ろす。その後、冷たい強い風だけとなって、さえぎるものが無い平野を吹き荒れ,抜けてゆく。千切れた雲が、時おり流れ出して来るが、やがて、青空に吸収されるて消え去ってしまう。 

 晴れ・気温4℃・湿度10%・北西の風強し

 白菜の生産農家にとって、この天候は、恵みである。まだ畑にある出荷前の白菜にとっては、この気象状況が、理想的な【 保冷庫 】の役割をする。農家は、大面積の保冷施設持ったに等しく、出荷調整ができる。▼ しかし、最近、この辺りでは、白菜の出荷は、殆んど見られなくなってしまった。ホウレン草などに比べると、出荷に手間がかかる。箱ずめ作業は、力仕事で、キツイということである。  農家の主力は 確実に、高齢化の方向に進んでいる。60才前後だと、【若いね。】と言われる。【後継者はいない。】 ▼ この町の人口は、増えている。かって、広く開けた田んぼ、桑畑、クヌギなどの落葉樹の自然林だった所は、工業団地になり、住宅団地となった。人口増加は、此の流入の結果である。相変わらず、農家からは、【人口流失】 が続いている。

 西隣の畠に、耕作主の得能さんが、秋植え 辛味大根の 成長ぐあいを見に来ていた。彼は、20~30町歩の米、麦をこなす、専業農家である。ホレンソウといった季節の野菜も、それなりに出荷する。しかし、息子は、近隣に誘致された大手電気関係の工場に勤めていて、農業を継がない。、宅地の転用可になった畑の一画に、家を新築し、独立して生計を立ている。

  空風は、激しく、どおっと 吹きつける。、ホウレン草畑の奥を、砂塵が舞う。千切れた雲が、幾つも、欅の梢の上空を、飛び去る。西の端に、日が沈むまで、強風は、吹き続ける。今日で、三日ほど吹き荒れた。

Ca390270 【 からっ風と、日雇い土方仕事は、日暮れまで 】

吹き出す雲の圧力は、無くなった。ここ関東平野の北隅は、およそ、三寒四温である。明日からは、静かになるだろう。

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善は外より来たらず・・・・

2009-01-13 15:50:09 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390257 【 人を人と思えざれば畏れる所なし。 人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤るは如何。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於いて得たるが如し。 只他ひとの吾を吾と思わぬ時に於いて拂然として色なす。任意に色を作し来たれ。 馬鹿野郎。・・・・・ 

(  猫の主人、苦沙彌先生へ宛てた 天道 公平氏の手紙の一部である。 )

 近くの寺の入り口付近に、最近、建てられた石づくりの仁王様である。何でも、この寺の観音様を信仰し続けたら、善い事があった信者が、寄進したものとか。此処を、散歩の途中などで、通るたびに、一度、何か語ってもらおうか、と思っていたものである。( ・・・他人の寄進したものに、相乗りは不味いか・・・・・ ナ !?)

   ◆ 天道 公平氏が、怒りをむける輩が、肩で風切り、あたりを払って跋扈する。いったん言い出したら、押せども引けども、梃子でも動かない。単に振り落とされまいと、しがみついているだけなのか、どちらに転ぼうと、自分自身には、矜持は少しばかり傷つくかもしれないが、マア、たいした事ではない、と高を括っているのか、いっこうに解らない。 「 真面目に、真剣に為を思ってやっております・・・・・・・$£%#&*§・・。」 肝心な部分では、言葉は空転しっぱなしで、結局、何を言っているのか解らない。

 タイトルの【 善は外より来たらず 】は、屈原 の詩からのとったものである。以下は、次のように進む。

      名は以て虚しく作す可らず

      孰いずれか施すこと無くして報あらんや

     孰か実えずして穫あらんや

  ◎ 善は外に在るものではない。徳行の内に在って外に発せられるものである。名は虚しく成すべきではない。道徳の世に播(し)けるものなりである。施すことをなくして報が得られるものではない。殖えないで収穫を得られるものではない。《 故に君の美を完うせんと欲すれば、吾は此の蹇蹇を為ざるを得ざるなり 》  この様に、解説されている。

  屈 原は、妥協を知らない【 殉教の詩人 】である。時の王と共に政務に携わっていたが、讒言によって、王に疎んぜられ、追放される。屈原が去った後、王とその陪臣達による政治は、乱れる。陪臣達は、権勢ほしいままに、自己の利益にのみに走る。王もまたそれを止めようともしない。『 国家民生の為に成すべき事が、有り余るほど在ると言うのに・・・仁義の行は何処へ行ってしまったのか。 』  屈原は、諌める詩を書き続ける。そして、主義に殉ずる。死を選んでまで、自らを変えない。

  もっと手軽く、世相風刺なコラムに、仕上げと意図して始めたけれど、タイトル選んだ文言が、固すぎた。自分の言葉で、見つけないと駄目ダナ、ヤッパリ。

  漱石だとか、屈原だとかを、証人として引っ張り出してきて、証言して貰う。言ってしまえば、手軽な手法だけれど、新聞・tvを見ていて、画面の中の顔に、選んだ 【 文言 】 が重なる時あって、ヨシトスルカ。

  

   

  

      

      

      

 

 


冬しらず 陽だまり 風無く 椋鳥の群れ

2009-01-08 14:39:58 | 日記・エッセイ・コラム

Ca390251_2  豈に他の好きものの無からんや、

  是の幽居を楽しむ。

 朝には園に潅ぐことを為し、

 夕には蓬廬ほうろに偃す。  陶 淵明

  「帰去来」 帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす。

 漢文教科書では、隠棲した、田園詩人と言うことであった。昨年末から、人は、生きて諸々の営みのなかで、【 時間の流れ 】 を、どう捉えるか、と言ったテーマで、コラムを一つモノにして見たいと思い、何冊かの本を読んだ。【 歳月は人を待たず 】 これまで、 頭の隅にも、ひっかってもいなかった、陶 淵明 との再会である。

 これからは、陶 淵明全集 ( 岩波文庫 )を手元に置くことにした。暇にまかせて、ページをめくったりしていると、興味を惹く成句に出会ったりする。引用した句の表現するところが、今の心境、生活に似ている。

  今、小林 秀雄を読み始めてた。その入り口付近で、ウロウロしている。

  「 歴史とは、決して在りもしないのに、目方は増えていく不可能な品物であろう・・・・ 」(昭・25 『蘇我馬子の墓』)

  如何なる 【 悔恨 】から、この様な結論を得たのだどうか?「 時に及び勉励に当る 」である。小林 秀雄を読み解けるか、これからの チャレンジ項目 の一つである。

  「伝統主義も反伝統主義も、歴史と言う観念学が作り上げる、根もない空想に過ぎまい。山が美しいと思った時、私は其処に健全な古代人を見つけただけだ。それだけである。記憶を持った一人の男が生きて行く音調を聞いただけである。」 

 歴史という、営々たる【 時間の流れ 】のなかで、人の確実に【 生きた証 】が、埋没してしまう。▼ 蘇我馬子は、「 叔父穴穂部皇子を殺し、物部守屋を滅した・・。」  ついで 、『 崇峻天皇弑逆 事件 』を起こす。聖徳太子にまで、類を及ぼす、大義名分の無い事件の首謀者・権勢欲の塊である。【 歴史 】は、馬子を、このように名付けることによって、馬子の【 時 】を完了させてしまう。歴史、或いは、時代の状況が、必要に応じて、その様な意味付けをする。

  「 歴史は、元来、告白を欠いている。 」  「 告白を悉く抹殺 」することによって、「 記憶を持った一人の男が生きて行く音調 」 が消え去る。

  小林 秀雄は、異議申し立てをする。小林の方法は、「 人間の消え去った精神 」を、見いだすことだ。もしくは、歴史、或いは、時代に状況によって、意味付けられること、完了させられてしまうことに対して、拒否の姿勢を貫くことである。

  小林 秀雄の主張は、示唆にとんでいる。

  人は、歴史の外に立つことは、できない。如何なる時、場合でも、人の生の営みは、歴史の内部に組み込まれ、条件付けられている。このことは、歴史とは、人間の活動の内部を通して発現するものだ、と言うことを意味する。一人の人間の生き様には、生き抜いた多くの時間や生活空間の広がりがあり、それ自身の独自性があるものだ。従って、その時の人間的現実を、細部を切り捨て、死んだ歴史的事象として、溶解してはならないものだ。そして、尚、人間の活動こそが、歴史を創る。

   歴史は、人の手の届かない処で働く、不毛な時間ではない。しかし、多くの人の手元から抜け落ちて行ってしまう。だとすれば、それは、他人もまた、歴史を創ることに、由来するのだ。とサルトルは言っている。

  陽だまりに、フユシラズの一叢が花をつける。 ヒヨドリの数羽が、葉のない欅に飛来する。そして、飛び去る。椋鳥の十数羽の群れ、ショウビタキが一羽。時間をおいて、欅の梢を利用する。窓前に、春がもどるのは、まださきである。