市民の森公園は、都市化の流れの中で生まれた。平日の日中は、殆んど無人である。その空洞のような静寂空間を、時々歩く。入り口から、半周すると、中国風(何故か?)の庭園がある。その片隅に、植栽をあしらわれ、大きな岩が置かれている。▼ この岩が、どこか愁いを含んだ様相で、何かを語りかける“大猿”に見える。
緑陰の 風重々(おもおも)と猛暑なり 憂き世を思えど 長続きはせず ー夢蔡ー
ーと言う訳で、少々だらしないのでありますが、・・
▲ 風雨さらされた「石 灰 岩」である。この苦渋にみちた顔は、現代への「アイロニー・皮肉」か?
「 あなたがたは、虫から人間への道をたどってきた。そして、あなたがたの多くのものは、まだ虫だ。かってあなたがたは、猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿よりも、それ以上に猿である。」
▼ この人を挑発する言葉は、ニーチェが、‘ツァラトゥストラ’に言わしめたものである。(「ツァラトゥストラはこう言った」ー「岩波文庫」参照)
この“猿”を、人は何んと解すればいいのだろうかー ▼ 猿とは、「人間から見れば、哄笑の種、恥辱の痛みを覚えさせるものだ。・・」 しかし、今日、人間は、「自分自身を乗り越える何物かを創造して来た」プロセスを、放棄し、安易に流れつつある(原注1)。これではまるで、「猿」に等しい。人の「生の過程」は、諸々の障害にたいして、尽きることのない挑戦でなければならない。(原注の例 テレビ各局の夜ーゴールデン・タイムのまともに正視できない馬鹿騒ぎ)
ーー帰えろうといたしました時、大石猿の声が、低く、地の底から聞こえてきました。
「わが兄弟たちよ、私は君たちに切望する。大地に忠実であれ、そして地上を越えた希望など解く者は信用するな。彼らは、・・(いずれ)・・毒を盛る者たちだ。」(ニーチェ)
(付録)ーーーー
風爽々 岸辺に壮と 菖蒲かな ー夢蔡ー
‘雨天の友’と 汝なれはなりしや ー美木ー
▲ 公園の中心部には噴水がある。吹き出した水は、適度に配置された岩石の間をぬう清流となっている。黄色いアヤメが、よく似合っていた。