諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

市民の森の公園にて

2011-06-26 18:57:25 | 日記・エッセイ・コラム

 市民の森公園は、都市化の流れの中で生まれた。平日の日中は、殆んど無人である。その空洞のような静寂空間を、時々歩く。入り口から、半周すると、中国風(何故か?)の庭園がある。その片隅に、植栽をあしらわれ、大きな岩が置かれている。▼ この岩が、どこか愁いを含んだ様相で、何かを語りかける“大猿”に見える。

   緑陰の 風重々(おもおも)と猛暑なり 憂き世を思えど 長続きはせず ー夢蔡ー

  ーと言う訳で、少々だらしないのでありますが、・・

20110612_011_2 ▲ 風雨さらされた「石 灰 岩」である。この苦渋にみちた顔は、現代への「アイロニー・皮肉」か?

 「 あなたがたは、虫から人間への道をたどってきた。そして、あなたがたの多くのものは、まだ虫だ。かってあなたがたは、猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿よりも、それ以上に猿である。」

 ▼ この人を挑発する言葉は、ニーチェが、‘ツァラトゥストラ’に言わしめたものである。(「ツァラトゥストラはこう言った」ー「岩波文庫」参照)

 この“猿”を、人は何んと解すればいいのだろうかー  ▼ 猿とは、「人間から見れば、哄笑の種、恥辱の痛みを覚えさせるものだ。・・」 しかし、今日、人間は、「自分自身を乗り越える何物かを創造して来た」プロセスを、放棄し、安易に流れつつある(原注1)これではまるで、「猿」に等しい。人の「生の過程」は、諸々の障害にたいして、尽きることのない挑戦でなければならない。(原注の例  テレビ各局の夜ーゴールデン・タイムのまともに正視できない馬鹿騒ぎ)

 ーー帰えろうといたしました時、大石猿の声が、低く、地の底から聞こえてきました。

 「わが兄弟たちよ、私は君たちに切望する。大地に忠実であれ、そして地上を越えた希望など解く者は信用するな。彼らは、・・(いずれ)・・毒を盛る者たちだ。」(ニーチェ)

  (付録)ーーーー

  風爽々 岸辺に壮と 菖蒲かな  ー夢蔡ー

  ‘雨天の友’と  汝なれはなりしや ー美木ー  

 20110612_021 ▲ 公園の中心部には噴水がある。吹き出した水は、適度に配置された岩石の間をぬう清流となっている。黄色いアヤメが、よく似合っていた。

 


水無月詠草 題 “雨”

2011-06-17 16:13:12 | 日記・エッセイ・コラム

 粕川堤の道は、雑草群が、人の胸丈まで繁茂して、もはや歩けない。無理して分け入っても、十数メートルがヤットである。延び始めた葛のつるに足を取られる。愛犬モモタロウも進むことを拒む。眼下の葦群を覗いて引き返す。

 雲流れ 梅雨の晴れ間の葦むらは 濁り水ひき 行々子啼く ー夢蔡ー

20110606_016中州の葦原は、まだ残っている枯れ茎と穂を包み込むように、新しい葦が繁った。‘ヨシキリ’の2~3家族が、巣営を始めたようだ。

  ー〔憶え書〕ー* よしーきり 【葦切・葦雀】 東アジアに分布。葦原に住み、鳴き声が、「ぎょ・ぎょ・し~!」と聞こえるので、俳諧では、「行々子」と言う。夏鳥で冬は南方に渡る。葦原雀。(広辞苑より)

 ▼ 葦叢より、50メートルほど下流。中洲の縁にへばり付くように、アカシアが根を下ろしている。梅雨の晴れ間の陽射しに、花房が、ひときは白く映えた。

  流れ来て岸に根づきしアカシアの花ぶさ白く川面に揺るる  ー夢蔡ー

20110527_020  ▲ 通称 「アカシア」 種小名ニセアカシア」  和名「ハリエンジュ」 針槐樹、北米原産。明治10年(1877年)頃に、街路樹・公園樹・ 防風、砂防、土止(どどめ)樹として輸入し栽培した。当所から、「アカシア」と呼んでいた。成長力があり、痩せ地、河原、里山に野生化した。(牧野植物図鑑・参)

20110527_021_3白い花の集まりー「総状花序」(10~15cm)ーを垂れ下げる。芳香あり。良質な蜂蜜が採れる。

     ー<アカシア考>ーー

 ▼ ニセアカシアは、痩せた土地でも繁殖できる強い生命力の持ち主である。成長も早い。種子だけでなく、地中の根からも発芽する。▼ 不幸にも、この植生が、ニセアカシアの運命を決めた。2007年制定の「外来生物法」のうちの「要注意外来生物」に指定されてしまった。

 ▼ 川が、生活排水、工業化排水の完全な汚水処理システムの部分になった時、河原から人が去った。アカシアは、川筋の痩せ地、窪地、土手わきの空き地,耕作放棄地に進出した。新参者の植物が、こうした隙間に繁殖するのは、珍しい事ではない。

  日本の古來からの食物の歴史を見れば、その殆んどが「外来」である。また、「島国」と言う限られた空間が、グローバル化すれば、「外来」は必然でもある。外来を全く拒絶するとガラパゴス化して多様な進化が途絶す場合がある。最近の「外来=悪」の有り方は、短絡的な、ご都合主義が感じられます。

              ブラック・バス 拝 --

 

 


梅雨の晴れ間の花2題の2

2011-06-12 16:53:17 | 日記・エッセイ・コラム

 大伴宿禰家持、坂上大嬢(おおいらつめ)に贈れる歌一首ならびに短歌(万葉、巻8-1629)

  ねもころに 物を思えば 言わん術 せむ術も無し 妹と吾 手携たずさ)はりて 朝(あした)には 庭に出で立ち 夕(ゆうべ)には 床うち払い 白たえの 袖さし交えて さ寝し夜や 常にありける (訳・・つくずく思いかえしても、処置なしですがー。私と貴女は、手と手を組んで、朝には庭に降り立ち、夕刻になると、床を払い清め、袖をさしまじえて、一夜を過ごすのは、何時もの事でしたっけ・・) ▼「 しかしながら」・・と、歌は続きます。拙ながら意訳して、引用に代えます。▼  山鳥は、峰にいる妻を、すぐにでも訪ねると言います。しかし、人である私は、一日一夜離れていて、恋しくなっても、どうしようもありません。胸が痛みます。情こころ)なぐさめようと、野辺に遊びに出たけれど、きれいな花をみて、かえって、貴女を思い出してしまいました。・・「 いかにして、忘れんものぞ 恋とふものを」ーー

        ー ー〈反 歌〉ーーー 

 高圓たかまど)の野辺の‘容花’(かおはな)おもかげに見えつつ妹は忘れかねつも ー家持ー (「かおはな」が貴女の面影にかさなって見えます、忘れられナ~ィ。

▼ この【容 花が、「昼 顔」とされております。「ヤット、ヒルガオに到着で~す。-(前置きが長すぎた!)*他説 容花=かきつばた あり。

0713_019 ▲ 【 ヒ ル ガ オ】 .花言葉はー「優しい愛情」「絆」「情事」(昼下がりの・!?) *注 「万葉集」と「花言葉」を直接結ぶのは、「無理」は解っております。ただし、想像力の問題です。・・短歌へのイメージ効果抜群ー

20110610_014 ▲【ヒルガオ】とは、花が日中に咲くので言う。温帯の山地・野原に自生。つる性多年草、地中に根を張り、長い蔓を出して他の植物にからまり成長する。

▼ この花で、恋の熱情を歌い上げるとは、結構なことです。 大伴家持は、この時、27歳。中央の青年高級官僚、聖武天皇に仕える「内舎人」であった。多感な青年は、安部女郎ほか数名の女性と「相聞歌」を交しているが、やはり、本命は、坂上大嬢であった。後に結婚する。( 大嬢の母親は、万葉第1級の女流歌人 大伴坂上郎女です。家持の幼年時代、世話をしてくれた叔母。)

 若さはとは、好いものです。特権であります。爆発!!です。-ー-「昼顔の巻」終わり

    〈付 記〉ーーーー

    昼顔や 咲いて一村 静まりぬ  ー夢蔡ー

     きじ鳩の声 けだるくひびき  ー鳥見人ー

  若い世代は、去りました。日中、高齢者率85%の村は、水を打ったように静です。どうやら、昼寝の時間のようです。ー

 

 


梅雨の晴れ間の花2題の1

2011-06-10 21:33:11 | 日記・エッセイ・コラム

 ‘タイターニア’ 「 おやすみなさい。・・・お前たちはおさがり、めいめいどこかにお行き。(妖精たち退場)  ねえ、こんなに、‘ひるがお’と甘い‘すいかずら’とがやさしくからみ合うのよ。ねえ、こんなに皮の厚いにれの木の枝に蔦のつるがからまるのよ。まあ、可愛い人!可愛くて、可愛くてたまらないわ!」  -シェイクスピア 「真夏の夜の夢」よりー *タイターニアは、妖精国の美しい女王。魔法がかけられた森の中で、化かされてロバに変えられた職人に、一目惚れ。ロバの首に抱きつき、夢中になって言った台詞。

  競い咲き これ見よがしの すいかずら ー無才ー

  花の命は 芳香力なり   -不未子ー

20110606_002 ▲ 【ス イ カ ズ ラ】 温帯に山野に自生するつる性常緑低木、冬を耐えるので【 忍 冬 】 花は5~6月、強い芳香をもつ。白色~黄色の変化するので、漢名は、【 金 銀 花 】

20110527_017 ▲ 【 吸 い 葛 】(スイカズラ)蜜を吸う唇の形に花冠ばにているので。 実際、甘味類の少なかった昔は、砂糖代わりであったとか。蕾(つぼみ)ー(phot中央)ーは、揉んで、傷口抗菌薬とする。さらに、漢方薬では、茎葉は乾燥して使う。利尿・健胃・解熱に効ありとする。ー薬名「金銀花}-

 ー花言葉 「愛の絆」---  根がからみあっているから!!だって

 オーベロン  「・・あまりだらしがないので、かえって可愛そうになってきた。・・あれの目の忌まわしい迷いを解いてやろう。(女王の目に花の汁をたらす) 元にもどれよ、つねのごと、/ 元に返れよ、目の力。/ キューピッドの花よりも、“ダイアナの花に効き目あり。」( ダイアナ=純潔な処女の女神)

 タイターニア  「まあ、オーベロン様、わたし何を夢見ていたのかしら?・・どうしてこんなことになったんだろう!まあ、いやらしい、・・・。」

 * オーベロンは妖精の王様。森に入ると恋に狂うように魔法をかけたのは、実は王様でした。1600年前後に作られたシェイクスピアの傑作喜劇のひとコマです。

 いつの時代でも、男女の仲は、美しくもあり、悲しくもあり、滑稽でもあります。

   ーー〈 つ づ く 〉ーー