諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

歳月人を待たず vol 2

2012-09-30 15:11:59 | 日記・エッセイ・コラム

沼の面を浮き草が敷きつめている。夏鴨達が、それをかきわけて泳ぐ。水尾は、空を映して蒼く染まる。長閑な田園のひとコマである。

浮き草の たゆとふ沼の 濃みどりを かきわく鴨らに 秋はしのびつ ー夢蔡ー   

0901_025 ▲ カモ達にとって、誠に平穏な時が流れている。・・・ようであるが、この一面に繁茂する浮き草群は、カモにとっては、理想とは言い難い環境なのだ。

 ーー<<浮き草・萍・ウキクサ考>ーー

 わびぬれば身を浮き草の根を絶えて さそう水あらば去(い)なむとぞ思ふ (小野 小町 古今集938)

 意訳ーー 「つらい思いをしている身がつくずく嫌になりました。根無しの浮き草が水に漂うように、私も誘ってくれる人があったら、都を去りた~いと思いますが~。」

 ▼ 平安王朝の「美人すぎる」閨秀歌人 小野小町の「恋歌」であります。 「浮き草」を「憂き」と「浮き」の掛詞として使った代表的な歌であります。また「浮き草」は、水にただよい、たよりない不安定イメージを持っております。それを巧みに読み込み、揺れ動く「恋心」と連動させた秀歌であります。

 ー「身は浮草の 根も定まらぬ人を待つ・・・」(近世歌謡・閑吟集)のように庶民の間でも流行、うつうつとして儚さを表わす代表選手にされましたが、・・・

 ▼ 「浮き草」とは ウキクサ科の多年草。池沼の水面に浮生。3個の葉状体=葉と茎が合体したもの=で成り立っている。根無草などの俗名があるが、水中に根を下ろし浮生のバランスをとっている。夏季には、葉の横から分裂をくりかえす、いわゆる「無性生殖」で、圧倒的速さで繁茂する。寒くなると、越冬芽」をつくり、水底に沈み春を待つ。したたかな「生命体」である。

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緑濃く 敷きし浮き草 食みおりて 餓え満たせしや 九月の鴨よ ー夢蔡ー  

0713_010 ▲淀む沼は、浮き草にとってはいい環境。水は、対流がおこらず、酸欠。水温も上昇、生き残ってた“鯉”など死ンで浮き上がる。水中の生物相は貧困となる。

ーー鴨むれは、夕刻近くになると、泳ぎ進みながら、浮き草を食べている。

 暑さのおさまらない「9月の鴨」ーー<了>ーー


歳月は人を待たず vol 1

2012-09-28 20:37:04 | 日記・エッセイ・コラム

 「一日 再び晨(あした) なり難し」(一日に二度の朝はありませんョ~。陶 淵明) ▼ このフレーズは、もう何度も使いました。(←何度目か憶えておりません)

 「立秋・処暑・秋分」はあっという間に過ぎ去りました。「去り去りて・・遠くならんと欲す / 此の生 ・・再び値(あ)わんや 」(時が過ぎて遠くなり 人生は二度と帰って来ません)       解っておるのですが・・。

 ーこの夏は、猛暑の連続でした。丁度、立秋のころでしたか、館林市が、38.9℃を記録しました

樅の木の 下枝(しずえ)にひそむ 百舌のあり 狙われているぞ 葉陰のとかげ ー夢蔡

 009 ▲ 十数年まえに植えた樅の木は、地層と気候に合わないのか枯れ枝が目立ちます。此の辺りを縄張りにしている“百舌鳥=もず”が、狩の足場にしております。

上記 短歌の写真にと、撮りました。獲物を狙う精悍なモズのはずでしたが、・・・・。“大口を開けたモズ・炎暑に耐えられずと言った・珍しい写真となりました。

 灼熱に 息あららし 声も無く 百舌あえぎつつ 緑陰に消ゆ 夢蔡ー

 暑さには、モズもかないませんでした。葉陰のバッタを狙っていたトカゲは、助かりました。 と言うことで・・・。

  ----<同日の午後のこと>ーーー

  所用で、淵名沼”の近くを通りかかりました。 沼は、養鯉場になっており、水に酸素を補給する“水車”が、飛沫を上げ勢いよく回っております。その水車台の上に白鷺が立っておりました。

 “池の小鮒に心をくれて 立ちや兼ねたか白鷺よ”(池の小鮒=女性=に心を奪われ、名残惜しくて立ち去れない白鷺君よ=若い初心な男)「山家鳥虫歌集」 と言った粋筋のお話ではありません。

20120928_001 ▲ 「熱中症」が派手に報じられた日です。コサギは、飛び散る水滴を浴びておりました。

 水噴けば 八月の鷺 涼をとる ー夢蔡ー

ー以上 猛暑8月の覚え書 2題です。-<了>-